七十三話 『動くな』
「では……従四位様もお元気で」
そう言われて見送ったのが昨日の昼頃だ。
これからの多忙を思ってか、今から疲れ果てたような表情をしていた厳容を
気の毒に思いつつの別離だった。
馬車の速度より見積もれば、とうに新坂には到着しているだろうか。
そう思いながら延老は西の空を見上げた。
(何やら色々とする事があると仰っていましたな……。
牧場荒らしの捜査に、王都への報告、
他には……遠鬼殿の相手もせねばと愚痴っておられた)
厳容は鍛錬こそ出来ぬほどに多忙ではあったが、
守護になってからはその魔力量は見違えるほどに高まっている。
あれならば遠鬼に気圧される事もないだろうにと延老は思う。
(恐らくは……経験ですな。
いくら人間を食べて魔力を得たとしても、
それを活かそうと思えばどうしたって実戦経験が必要となる。
それが無いからああも遠鬼殿の様な相手に苦手意識を持つのでしょう)
そう思えば厳容も不憫ではあるが、
この機会に遠鬼の様な無頼の相手も慣れてもらうしかないだろう。
新坂から王都へと続くなだらかな街道は、
秋の始まりを告げるかのような爽やかな風が吹いており、
偶にすれ違う旅人達の顔も朗らかで、平和そのもの、
と言ってもいい和やかな旅の光景だった。
幕府から来たという羽膳という少年のもたらした情報によれば、
『偏愛逆徒』なる男の企みが水面下で進行しているらしいが、
この雰囲気に浸っている今はとてもそう思えない。
(厳容殿からは助力無用と言われてはおりますが……
さて、どうしますかなぁ)
当初の予定としては、勇者討伐の為に王都で鍛え直すつもりではあった。
だが厳容に色々と理由をつけられて、十日以上も新坂に留まってしまったために、
愛着らしきものがこの国にはあった。
だからこそ、その丹波国に危機が迫っているのであれば
助力を惜しむつもりはなかったのだが、
厳容としては今回の野盗討伐の依頼ですら恐れ多かったのに、
さらに延老を騒動に巻き込むのは避けたいと思っていたのだろう。
(まあ……幕府から管領までもが来るとの事だ。
私などが首を突っ込む必要もないのでしょう……)
そう考えて、後ろ髪を引かれながらも王都に向かうことにした。
幾何かの糧食のみしか積んでいない馬車の進みは速く、
この調子ならば十日と経たずして王都に辿り着きそうである。
いっそ騒動に巻き込まれてしまわないものか、などと思ってしまっている、
場に似合わぬ不穏当な胸中を一人笑いながら、平穏に旅は進んだ。
大きな街道沿いにはある程度の間隔で、
村とも呼べない規模の集落が点在している。
街道の治安を守るために守護が建てた詰所、
その庇護を頼って野盗に追われた貧民等が細々とした集落を作るのだ。
そういった場所では宿を提供するのも大事な食い扶持の稼ぎ所で、
一晩眠るだけならば十分と言える寝床を借りれたりする。
日が沈みかけた頃に延老が辿り着いた集落も、
恐らくはそのような経緯で作られたものだろうか。
ならばと馬車のままその集落に入る。
跳ね回って遊ぶ子供達に、視線が合えば会釈を返す老夫婦。
街道と変わらずの長閑な風景だ。
「ご老人、宿を探しているのか?」
声を掛けてきたのは路傍に座る長髪の男。
纏う衣服の草臥れ具合から馬を持たぬ旅人のようにも思えるが、
奇妙なのは男の傍らに転がっている大槌である。
かちの旅人が持ち運べるような物には見えない。
「……そうですが、貴方も旅の途中ですかな?」
延老は笑みを湛えたまま男に聞く。
「旅……そうかもしれない。
目指す場所は遥か遠く……だが、ようやくここまでは来れた」
変な返事だ。質問への回答になっているようでなっていない。
男は立ち上がる。立ってみれば思った以上に背が高く、
細身ながらも筋肉質に見える。
男は重そうな大槌を軽々と掴んで肩に担ぎ、俯いていた顔を上げた。
男の黒い前髪がその右目を隠すまでに伸びている。
あれでは右目は見にくいと思うが……恐らく、右目が見えていなくとも
この男は問題無いだろう。そう思えるまでに鋭い左目の眼光。
その人を射殺せるかとも思える苛烈な視線が延老に向けられていた。
(羽膳君からの話にありましたな……。
『偏愛逆徒』、間違いは無いでしょう……)
だが何故こんな場所で自分を待ち伏せるように座っていたのか、
それが出来た理由も、そうした意図すらも全く分からない。
だから延老はまずは言葉で男を探る。
「目指す場所とは……何を指すのですかな?」
「あるべき世界だ」
「あるべき……?」
「ゴミのような毛人共が我が物顔で闊歩する
この歪んだ世界を正すのだ。世界を人間に返し、
毛人は山奥にでも隠れ住んでいればいい……!」
「えみ……し……」
永く聞く事のなかった言葉だ。
えみしとは、大昔に人間が魔族を呼ぶ際に使っていた言葉。
この言葉を知っている者すら最早稀であろうに、一体何処で知ったのか。
「貴方は人間には見えませんが……
なぜそのように振舞うのですか?」
一見体毛が薄くはあるが、その猛々しい爪に蜥蜴の様な尾こそが、
紛れもなくこの男が魔族である事の証左である。
種族ははっきりとは分からないが人間である筈が無い。
「俺が人間かどうかなど些末な事だろう。
『閃刃』、貴様は不思議に思わぬのか?
何もかもを人間から簒奪し、模倣し、弾圧し……!
挙句に僅かに残った者達までもを食糧扱いだ……!
病んでいるとは考えぬのか!? 狂っていると思わぬのか!?」
……軽く尋ねただけでも分かる。
これは聞いていた以上に過激な思想の持ち主だ。
「……聞くところによれば、
貴方は人間の愛玩化を望んでいたのでは……?」
そう、たしか羽膳はそう言っていた。
それを訴えて牧場を乗っ取り、挙句に追い立てられたというが、
もう愛玩化どころの話ではない。
これは憤りのままに魔族を滅ぼさんとしているかにすら聞こえる。
「愛玩……!? 馬鹿馬鹿しい! 何処で歪んで伝わった!?
……いや、頑迷な毛人共の事だ。聞いたままには理解出来ずに
己が中で勝手に捻じ曲げたに違いない……!
ああ……忌々しい! だからあのような野蛮な輩は滅ぶべきなのだ……!」
「……つまりは、貴方の目的は一度たりとも変わっていないと?」
「そうだ! 人間を助け魔族を滅ぼし、世界をあるべき姿に戻す!
その為に俺は戦っている……!」
「なるほど……。そのような理由で、よりにもよってこの世界を
百二十余年以上も前に戻すべき、と言うのですね?」
「当然だろう! その百二十余年で毛人共は一体何をしてきた!?
世界は良い方向に向かったのか!?
新しい技術や社会は作れたのか!? ……否だ!
ただ人間の遺産を食い潰し、悪戯に停滞し続けていただけではないか!
そしてそれこそが……この世界が歪んでいる証拠だ!」
(……よく喋る。そして……過激ではあるが狂ってるとまでは言い難い。
この男なりの信念を持って今まで戦ってきた訳だ。
これは……ただ狂っているよりもたちが悪い!)
気持ちを切り替える。
これは説得すれば考えを改めるような生易しい男ではない。
止めようと思うのならば戦うしかなく、戦うのであれば殺す他ない。
延老は御者台から軽やかに地に降り立つ。
そして馬の尻を平手で叩く。前に進めの合図だ。
誰も乗せぬまま、それでも馬は命令通りに馬車を引く。
馬車が離れて後に残った男二人、共に闘気を滾らせ対峙する。
「なるほど。それで将軍を拉致しようとし、
それが果たせぬとなれば百人もの人間を掠め取ったりした訳か。
……それで次はここで一体何をする気だ、逆徒?」
戦士としての顔に戻った延老は、静かに両手を刀に添える。
この百戦錬磨の戦士の闘気、浴びただけでも腰を抜かす者もいる程だが、
『偏愛逆徒』はそれを事も無げに受け流す。
「喋ると思うか? 馬鹿にするな……!
貴様達はただ簒奪した立場を人間に返せばいいのだ!
何も聞くな、何も語るな。特にその刀で多数の人間を屠ってきた貴様などは、
ただ俺の駒になれ……! 『動くな』」
「む……」
最後の動くなの一言に、魔力の発動を感じた。
事前の情報が正しければ、これこそがあの男の拘束魔術。
(その動くな、という声を聞くだけで、
魔力の弱い者は動き辛くなったと言うが……そんな生易しいものではない!
小指の先までもが痺れたように動かぬか!)
「ぬんっ!」
延老は魔力を放出し、魔力の濃霧と呼べる程の防衛魔術を発動する。
それでどうにか動くようになった腕で、刀を抜いて構えた。
「……やはり動けるか。『閃刃』ともなれば簡単に拘束できんか」
「殺すではなく……拘束か。
舐められたものだ。この私に服従印を刻み込み己が駒にする……
そんな事が本当に出来ると思っていたのか?」
「出来る。実際どうだ?
動けるとは言えど普段通りとはいかぬ筈だ。
ならばこの槌でその刀ごと腕を叩き折るのも容易だろう」
逆徒はゆっくりと両手に持った大槌を振り上げ、上段に構える。
それは普段の延老であれば六度は斬りかかれる程の隙がある緩慢な動作だ。
だが今の状態では見過ごすしかない。
(……これは厄介だ。気を張らねば呼吸すらままならん。
これでは魔力の弱い者はこの一言で殺されかねん……!)
「喜べ。命を取る気は無いし、四肢をへし折るつもりもない。
ただ打ち据えて昏倒させる。
……行くぞ!」
大槌が轟音と共に振り降ろされた。
「ぐうっ!」
どれだけ身体を強化しようが、その身体がまともに動かないのであれば
反撃どころか避ける事すら難しい。
延老はありったけの魔力を使い長刀を強化し、
大槌の破壊力を受け流す事とした。
初撃は上段からの強烈な振り下ろし、斜めに構えた長刀で辛うじて受け流す。
長刀が折れんばかりの金属音が鳴り響き、
刀から発せられたその悲痛な金切り声に、
この攻撃をあと数度と耐えられぬ予感がした。
二撃目は右からの横薙ぎ。
右手に刀を持ち、左手は刀身に添えてその一撃を受け止める。
長刀が軋み、身体が吹き飛ばされる。
「なんのぉっ!」
五歩ほどの距離を吹き飛ばされたが、それでも倒れずに両足で着地する。
その延老への追撃は、飛びかかっての振り下ろし。
反撃される事などまるで考慮に入れていない攻め一辺倒の一撃だ。
「舐めるなぁ!」
その身体が碌に動かぬとしてもだ、百戦錬磨の延老がそんな迂闊な攻撃までもを
ただ受けるのは沽券に関わる。
無理矢理に動かした身体でその一撃を掻い潜り逆徒の胴を薙ごうとする。
「『刀を降ろせ』」
「ぐっ……!」
だがその一撃が届く前に発せられた命令で、
刀を握った両腕がそれ以上動かなくなった。
仕方なくと延老は後ろに飛んで間合いを広げた。
「ふぅ……これは、流石にやりづらい」
思わずの弱音。先程無理矢理に刀を降ろされたせいか、
右手の肘から先に鋭い痛み。
(……どうやら筋を痛めたか。
これでは動き辛くなる一方だな……)
まるで水中で刀を振るっているかのようで、
とてもではないがこのままではあの逆徒を斬り捨てる事など叶わない。
(さて……どうする?
対峙するだけで魔力を消費し続ける以上は、
短期決着を狙うしかない。
だが、それとてあの拘束魔術をどうにかしなければ……!)
悪寒と共に嫌な汗が全身に伝うのを感じる。
延老は思う。何十年と戦い続けてきたが、
こんな男とは戦った事が無いのではないかと。
いや……同じような戦い方をする者はいた。
自身を強くするのではなく、敵を弱くする事で勝利を掴む、
それは魔力に劣る人間達が好んで使う手だった。
逆徒の戦い方も基本的にはそれと変わらない。
だが……あの凄まじい魔力の持ち主が熟達の拘束魔術を使ってそれをするのだ。
人間が撃ち掛けてきた毒矢などとは比較にもならない。
久々に感じる怯えや竦み。それが更に延老を縛り付けていたのだが、
逆徒の追撃は来る事はなかった。
何故ならば、延老が先の三連撃を凌ぎきった事自体は
逆徒にとっても予想外ではあったようなのだ。
「……なるほど。毛人を褒めたくはないが流石は『閃刃』と言っておくか。
このまま打ち続けても勝てるとは思うが、不気味な予感が捨てきれぬ」
「……予感?」
「そうだ、俺の大槌は残念ながら破壊力のみ一級品だ。
それが貴様に見切られでもしたら、そう思うとな……」
「……笑わせる。見切られでもしたら……だと?
そんなものとうの昔に見切っておるわ!
拘束魔術が効いてなければ百度は斬って捨てている!」
これは強がりではなく本音だ。
あの逆徒、拘束魔術もそうだが強化魔術もかなりのものだ。
だからこそあの大槌の破壊力は確かに一級品。
だが……その戦闘技術は稚拙の一言に尽きる。
(厳容殿と同じだな。
魔力はあれど実戦経験が足りていない。
だから本来ならば苦戦する相手ではない……だが!)
「何かあったのか~!?」
その切迫した状況にそぐわない呑気な声が聞こえた。
人が少ないとはいえ集落の一角でここまでの勝負を繰り広げたのだ。
不審に思った住民が寄って来たとて不思議ではない。
壮年の男と若者が一人ずつ、逆徒の後ろから駆けてきている。
延老の後ろからも足音が一つ。これも駆け寄って来てるようだ。
しかし……来てもらっては困る。
魔力の弱い者はたった一言の命令で命を失う、ここはそんな戦場なのだ。
「来るなぁ! 今は賊と戦っている……!」
その叫びを発するのにすら魔力を消費してしまうが、
それでもそう叫ぶしかない。
その延老の言葉が聞こえたか、
駆け寄って来た者達が途端に逃げ出していこうとする。
それを見て安堵しかけた延老。だがここで安堵するのは甘すぎたと思い知る。
目の前の男……その喜悦の笑みを見れば分かる。
ここで住民達が寄ってくるのも……この逆徒の計算の内なのだ。
「『逃げるな!』」
逆徒がただそう叫んだだけ。
それだけで、逃げようとしていた住民達の足が止まってしまう。
「逆徒、まさか……!」
「『閃刃』よ。どうして俺がこんな場所を勝負の場所に選んだと思う?
これが答えだ! 奴等毛人共に手を貸してもらうつもりだったのだ!」
「下衆が……!」
「毛人にどう罵られようと構わん。
覚悟しろ。貴様が守るべき弱き民こそが、今や貴様の敵だ……!
『そこの老人を取り押さえろ!』」
その逆徒の大声が届いた住民がこの近くにどれだけいるのかは分からない。
だが……少なくとも今駆け寄ってきた三人は
命じられるままに延老に駆け寄って来ていた。
「別に殺しても構わんぞ。毛人がいくら死のうと俺には何の問題もない。
だが貴様はどうだ……『閃刃』?」
殺せる訳がない。ただ操られているだけの無辜の民を殺めるなど、
戦士としての矜持が許さない。
(だが……どうする?
これでは既に八方塞がりだ……!)
身体は碌に動かない上に、魔力だけがどんどんすり減っていく。
刀を握る右腕は痛め、後何度刀を振るえるかすら分からない。
更に……敵の援軍は時の経つにつれ増えていく。
斬り捨てる事の出来ないその援軍を、一体何人まで捌けるものだろうか。
その打開策を見いだせぬままの延老に、
三方から操られた集落の民が飛びかかってきた。




