七十話 最後の言葉
丹波国守護、厳容は六人の護衛と一人の御者と共に旅をしていたという。
そして、今回の襲撃の被害と言えば……。
「殺されたのが御者と護衛が三人。遺体も持って帰れていないそうだ。
……で、厳容様は左半身に大きな火傷を負う大怪我で、
今は意識を失っている」
その一室は二つの行灯により昼さながらに明るく、
羽膳の深刻そうな表情もありありと見て取れる。
「残り三人の護衛……その内の二人までが傷を負った厳容様を逃がすために
その場に残り、残った一名が手綱を握りここまで逃げてきたという。
その馬車を走らせて来た者とて腕を一本失っており、
今はその怪我のせいか……意識も朦朧だそうだ」
真夜中の守護屋敷、そこで羽膳は俺達三人に向けて
その凄惨な被害の内容を淡々と語った。
俺はさっきの惨状を実際に目にしているからか眠気が吹き飛んでいる。
遠鬼もこれぐらいの夜更かしならば特に問題は無さそうだが、
その背でうつらうつらとしている月陽などは夢と現を行ったり来たりだ。
今の深刻な話を理解しているどころか聞こえているかも分からない。
とはいえ、既に寝ていた月陽を一人宿に残すのも良くないと考えた俺と遠鬼が
無理に連れてきたためなので、その事を責める訳にもいかないが。
……ちなみに、春夜さんは別の宿に泊まっていたのでこの場にはいない。
それは果たして良かったのか、それとも悪かったのか。
「……その二人、厳容って人と護衛の人は……助かりそうなのか?」
人間の俺がその二人の身を心配するのも変な気はするが……
特に面識も無い者の傷を気にかけたっていいだろう。
「厳容様は関に辿り着いた時はまだ意識があった。
今の話もその時に厳容様より聞いた話だ。
だからまだ予断は許さぬものの、助かる可能性は高いと言える。
ただ、護衛の方は……」
「……無理なのか」
「腕もそうだが、背中に槍が突き立てられてあった。
あの状態で良くもここまで厳容様を運んできたと、
その忠義と生命力を称えるべきだろう。
治療を続けてはいるが、恐らくは……」
「……そっか」
話を聞くに、此度の襲撃で生き残れそうなのは守護の厳容ただ一人らしい。
以前遠鬼が言っていた、笑って過ごせる期間は終わったと。
その予想は確かに当たったが……いきなりこの死者の数か。
この事態を防ぎに来た筈の羽膳、その悲痛な表情を笑う気にはなれず、
俺の怒りも行き所を無くして宙ぶらりんだ。
「……なんだ、急に呼ばれてこんな所まで連れてこられてみれば、
まだその鳥人族を殴ってないのか」
だが遠鬼は空気を読まない。
というか、俺が振り上げた拳を降ろした理由に理解が及んでないらしい。
……今の話を聞いているかも怪しい月陽が何の反応もしないのはいい。
だけど話を聞いていても反応が怪しいコイツはどうすればいいんだろう?
「……今の話聞いてたのか? それどころじゃなかったんだよ!」
「そうか」
「いつもそうかとは言うけどさぁ、遠鬼……本当に分かってるか?」
「分かっている。力の無い者がそれを理由に死んだ、そうだろう」
しかし遠鬼は相変わらず、今の状況を全く深刻とは考えていなさそうだ。
思うに、俺と遠鬼の噛み合わない価値観、その最大の理由が人の命の軽さなんだ。
そしてそんな遠鬼の言葉を聞いて、羽膳の野郎が怪訝な顔だ。
「……なんだ、その俺を殴るとかいう話は?」
遠鬼がこんな奴だから話を合わせて誤魔化すことも出来ないだろう。
ばつが悪いが白状するしかない。
「……俺が関にいたのはな、昼の仕返しにお前をぶん殴りに行ったんだよ」
「仕返し!? 馬鹿を言うな。勝負はついた、俺の勝ちだ」
「馬鹿はそっちだ。あそこから俺の反撃が始まる筈だったんだよ!
それが……ちょっと当たり所が悪かっただけでだなぁ!」
「反撃? お前の奥の手はまるで俺に通じなかったではないか!」
「更に奥の手があるんだよ! それを披露する前にだな……!」
羽膳と睨み合う。
今すぐにでもその憎ったらしい顔をぶん殴ってやりたいところだが……。
「……今は、場所が悪い」
「だな、騒ぎが落ち着いてからだ」
そうお互いに言い捨てて目を逸らす。
「……ちなみにさ、その怪我人の治療って奴、治癒魔術師がやってるのか?」
怪我の治療をしているという話だったので、一応そう聞いてみる。
もしかしたらうちの眠り姫が活躍出来るかもしれないからだ。
「治癒魔術師か……。楼京ならともかく、ここ新坂では一人しかいないそうだ」
「一人で二人を見てるのか?」
「いや、厳容様につきっきりだ。護衛の方は医者が見てるが……」
そこで羽膳は目を伏せる。
その本当に辛そうな表情に、今の状況に不満がある事を言外に匂わせる。
(……守護様の治療に集中して護衛の人を蔑ろにしてるって訳でもないんだろう。
多分、護衛の方は救えはしないと諦めての処置か)
本当は、羽膳は護衛の人にも治癒魔術を使って欲しいんだろう。
たとえ死は避けられぬとしても、その痛みを和らげて欲しいのだ。
「……遠鬼、月陽を降ろしてくれ」
「どうする気だ?」
「月陽に、護衛の人に治癒魔術を使ってもらう」
その俺の言葉に、羽膳は分かりやすいぐらいに強い反応を示す。
「その少女が……治癒魔術を使えるのか!?」
「ああ。お陰様で昼くらったお前の蹴りもちっとも痛くねぇよ。
……ま、まぁ、それでなくとも全然痛くなかったけどな!」
「分かった。なら次は本気で蹴ってやる。
だから今すぐに魔術を使ってやって欲しい……!」
そして頭を下げる羽膳。
真摯で……仲間想いの素晴らしい態度だとは思う。
だけど何故だろう。それでも俺はちっとも羽膳に好意を感じない。
(……ああ、恵まれてる奴ってのは、
こんな風に損得無しに他人を気遣えるのか……)
その態度が鼻につく。
結局はコイツの美点は全てその育ちの良さから来てるという、
その先入観が捨てきれない。
だが……それはそれ、これはこれ。今は怪我人第一だ。
「遠鬼、そういう訳だから月陽を起こしてくれ」
遠鬼は自分の背中で寝息を立てる月陽を見る。
「……本当にいいのか?」
そして、俺に念を押してきた。
「何がだ? 人が一人死にそうになってんだ。躊躇ってる場合じゃねぇだろ」
「そうじゃない。月陽に……救おうとしたのに人を死なせてしまう、
そんな悲しみを背負わせていいのか?」
「え!? そ、それは……」
狼狽える。……そこまで気が回ってなかった。
人を助けるのはいい事、それは確かにそうかもしれない。
だけど、その為に代わりに傷つく人がいない訳じゃない。
そしてその傷つく誰かが自分の家族同然の人だったとしても、
俺はその行為を良しと言えるのか……?
「……それでも、助かるかもしれなかったのに見殺しにした、
そう月陽が思ってしまうのよりかはマシだ……と思う」
そう……思う。少なくとも俺はそう信じたい。
「分かった」
遠鬼は背負っている月陽に声を掛け、慎重に背中から降ろす。
「界武君……まだ寝てないの?」
まだしっかりと覚醒していない月陽は、寝言の延長のようにそんな事を言う。
だから俺は、その肩を強く掴む。
「月陽……お前の力が必要なんだ、聞いてくれ!」
「え!? う~んと……あの……力が必要、なの?」
ようやく目が覚めたか、状況を飲み込めないまま俺の話を聞いている。
「そうだ、さっき酷い怪我をした人がここに運ばれてきた。
その人に治癒魔術を使って欲しいんだ」
「……分かった。界武君がそうして欲しいなら、そうしてあげる」
今の状況も何も分かってないだろう月陽は、
それでも俺の力になりたいからと笑ってくれた。
血の匂いが充満する一室に案内された。
「先程から傷が痛むのか、呻き声を上げるばかりですが……
それとて今は微かに聞こえるのみです」
医者だという体毛の薄い魔族が、静かに羽膳に伝える。
……つまりは、もうそろそろという事か。
「月陽……もう助からないかもしれないけど……
それでも頼めるか? せめて痛みを取ってやりたい」
「……分かった」
左腕……いや、左肩まで吹き飛ばされた魔族がそこにうつ伏せで横たわる。
腕のみならず、背中に深々と刻まれた刺し傷もまた痛々しい。
その男のかすれた呻き声がまるで心に刺さるかのようで、
この場にいるだけである種の辛さを感じ、息苦しい。
月陽はそんな男に手をかざし、静かに魔力を放った。
俺にとっては見慣れてしまった光景。
淡く優しい光が男の左肩を包み、徐々にその光量が増していく。
辺りがざわつく。羽膳までが『これほどとは……』なんて呟いてる。
もしかして……月陽の治癒魔術は実は結構凄かったりするのだろうか?
(俺が怪我ばかりするからか、練習の機会には事欠かないだろうしなぁ)
そして、苦しそうな男の声が次第に穏やかになっていく。
それは痛みが引いてきた事の証。怪我が癒えた訳ではない。
だけど痛みが無くなる事がどれだけの助けになるか……。
それを、俺はよく知っている。
「あ……りが……」
先程までの呻き声ではなく、意味のある言葉が男の口から洩れてきた。
「誰か……誰か、言葉を書き留めてくれ!」
俄かに羽膳達が騒がしくなる。
医者の後ろに控えていた女性が筆を取り出し、他の誰かが墨を用意している。
俺も何かする事が無いかと腰を浮かしかけたが、
悲しい事に何も思いつかなかった。
「教えてくれ! 何処で誰に襲われた!?
せめて……何があったかだけでもいい、頼む!」
羽膳が這うような体勢で男の口に耳を近づける。
皆が沈黙する中、男の力を振り絞るかのような声が俺の耳にも届いた。
「にんげん……ころす……な……はれつ……する……」
「は……破裂!? お前の傷は人間が破裂して出来たというのか!?」
その羽膳の言葉に、僅かながら男の頭が頷くかのように動く。
「きょじん……さんだ……ざい……」
「きょじん……? その場に巨人族が居たというのだな!?」
また男が僅かな動きだけで首肯する。
そして……それから男の反応が無い。
羽膳の必死の問いかけにも、まるで何も返さない。
不安からか、俺は月陽の横顔を見る。その額の汗から月陽の消耗ぶりが窺える。
月陽も限界近くまで治癒魔術を使っているんだ。
だからどうにかして……この護衛の男には生き残って欲しかった。
「……ちゆ……ありが……と……」
そうして、男が最後の力を振り絞って吐いた言葉は、月陽への感謝の言葉だった。
「ううん、ごめんね……肩の怪我だけならまだ……
だけど、背中の傷が深すぎて……」
月陽は、涙声ながらはっきりと大きく、横たわる男に伝えた。
「せな……か……? なぜ……」
男はその言葉を最後に、遂に何の反応も示さなくなった。
その命を、燃やし尽くしたのだ。
「界武……君。ごめんね……助けられなかった……」
そう言って俺の目を見た月陽、その顔が涙で濡れていた。
悲しみからの涙……それが月陽の目から流れるのを初めて見た気がする。
(なんて……言えばいいんだ?
どう慰めれば……いいんだ……?)
分からない。だから俺は、その涙を拭う事だってしてやれない。
そんな俺の後ろから太く大きな腕が伸び、月陽を掴んで持ち上げる。
「……悲しいな。月陽」
「うん……うん……」
月陽を抱き上げた遠鬼が、慈しむようにその背中を撫でる。
その遠鬼の首にしがみ付いて、月陽は嗚咽し続けた。
「……界武、俺は月陽をあやしてくる。後の難しい事は任せた。」
「お……おう」
遠鬼はそのまま、月陽を抱いて部屋を出て行った。
(難しい事って……何だ?)
遠鬼から何かを任された筈だが、その何かが分からない。
だから俺はしょうがなくといった心境で、たった今死んだ男を見詰めた。
(人間を殺すな。破裂するぞ……)
多分、この男はそう言ったのだ。
人間が破裂するとはどういう事だ?
ただ……破裂という言葉に、俺は魔術の枕を思い出す。
強すぎる衝撃を与えると破裂する、防御用魔術の試作品だ。
(あれみたいに、人間が破裂するっていうのか……)
どうすればそんな事になるのかは分からない。
ただ、可能性で良ければ一つ挙げられる。
(……服従印。意思を拘束する事すら可能なあの印は、
人間を死を契機に破裂させる命令も刻む事が出来るんじゃ……ないか?)
だとしてもそれは変な話だ。
春夜さんの言った事が正しいとすれば、
逆徒とやらは人間を食用にする事を嫌い、
愛玩用に飼うべきだと主張していた筈だ。
そんな男が人間にそんな命令を刻むだろうか……?
(そして……男の最後の言葉は、せなか……なぜ……だったな)
痛ましい背中の傷は、槍が突き立てられていたかららしい。
これもまた奇妙な話だ。
人間は破裂する事でこの男に深手を負わせたという。
(なら何故背中にこんなにも深く槍が刺さるんだ?
そもそも、この男だって魔族で……しかも守護の護衛をするくらいだ。
人間の振るう槍ぐらい片手でも退けられるだろうに……)
恐らくは、襲われたその場に人間以外の誰かがいたのだ。
そして、その誰かがこの男自身も気付かぬようにその背中に槍を突き刺した。
そこまで考えて、俺は羽膳の方を見る。
羽膳は何かが書かれた紙を見ていた。
それは多分、男の最後の言葉を書き起こしたものだ。
真剣にそれを見詰める羽膳の後ろから、俺もその文字を睨む。
(きょじん……巨人族の事らしい。そんな怖そうな魔族もいるんだな……)
そしてその後ろにはこう書いてあった。
『さんだ ざい』
巨人族の後に続く言葉となれば、その巨人族の名前か何か。
もしくは……身体的特徴だろうか。
(三段腹……違うか。ざい……材木を担いでたとか?)
違う気がする。
この部分は誰かに聞いた方が良さそうだ。
「おい、羽膳」
「な!? 何だお前! 急に後ろから声を……!」
「殴らなかっただけ感謝しろ。そんなのはいいからさ、
その巨人族の後ろ、『さんだ ざい』っていうのは何の事だと思う?」
「……本気で言ってるのか?」
「本気だよ。それとも何だ、
巨人族にさんだざいっていう有名人がいるのか?
俺は世間知らずでな、そういう事は分からねぇんだよ」
羽膳は憎々しげに俺を睨むが、それでも先の治癒魔術の恩があるからか、
ちゃんと聞いた事には答えてくれた。
「『三大罪人』。そういう通り名を持つ者がいる。
かつて……ずっと昔に魔王様に逆らい反乱を起こした者達だ。
尤も、その三人の内の二人は既に死んだと聞いているがな。
そして……その最後の生き残りが奇しくも巨人族だ」
「へえ……」
「確かにその悪名は高く、その悪行も本物だ。
ならず者としてはこれ以上ない大物と言っていい。
だが生きていると言っても、その巨人族とて既に九十近い歳の筈だ。
まさか……逆徒はそんな男を駒に仕立てて
この丹波国で暴れようっていうのか!?」
九十……なるほど。延老さんを知っているからか、
九十歳でも魔族ならそれなりに戦えそうな気がする俺だったが、
羽膳の反応を見る限りは、九十という歳は魔族でも生きている方が不思議、
と言える年齢なんだろう。
(そんな九十歳のおじいちゃんが、死ねば破裂する人間を率いて守護を襲い、
更には逃げる護衛に槍を突き立てた……)
こんな話の一体どこに信じる余地があるのか?
だが……こんな与太話を実現させるだけの力を持った者が
『偏愛逆徒』だと言うのなら、確かにそれは恐ろしい相手には違いなかった。




