六十七話 喧嘩
羽膳は宿に一泊すると、厳容や『閃刃』への挨拶もそこそこに
早朝には宿を発った。
一晩では冷めようもなかった熱気が、どうしようもなく気を急かせた。
いや……冷めなかったというよりも、
朝を迎えてみれば更に気持ちが高ぶっていた。
『閃刃』を心で凌駕したという鬼人族の少年。
名を界武という、その少年に会ってみたかった。
そして、己が心は絶対に凌駕される筈が無いと……それを証明したかった。
しかし……どうしてこうまでも強い欲求を感じるのか。
(そういえば……初めてか。俺と同世代の戦士と会うのは)
楼京では周りの誰も彼もが年上だった。
だから羽膳は挑戦者の立場のままひたすらに高みを目指せた。
だが最近はどうだろうか。その頂が見えつつある現状に、
実は寂寥感に似た感情を抱えてはいなかっただろうか?
敵う筈もないと思っていた仲間達、落葉、花南、虎鎧……
彼等に勝負を挑み続け、そして超えていく過程は実に楽しく、
得られた達成感もまたかけがえのないものだった。
だが同時に、目標が無くなっていく喪失感もまた、
抱え込むことになってしまった。
(衛蒼様への憧れと職務への責任感、
思えば日々の暮らしで俺を繋ぎとめてくれたのは
多分、たったそれだけだった)
それでもいいと思っていた。
事実界武の話を聞くまでは、自分の中にこんな感情が眠っていた事を
羽膳自身が知らなかった。
昼を少し過ぎた頃には新坂に着いてしまっていた。
自分でも驚くほどの速度で飛んでいたようだ。
関を潜らずに新坂へ入る許可を厳容より貰ってはいたが、
それでも羽膳はまず新坂の関へと降り立った。
「これはこれは……所司代様ではないですか。
あれから守護様にはお会いになる事が出来ましたか?」
面識のある壮年の役人が声を掛けてくる。
「ああ、頂いた情報通りの町で面会が叶った。
ご助力、感謝する」
「それは何より……。
それで守護様は何と仰っておられました?」
「今回の一件の指揮を執るため急いで戻られるそうだ。
今晩は……流石に無理かもしれんが、明日にはこちらに着くだろう」
「そうですか……」
何故だろうか、その言葉の後に役人が安堵のため息をつく。
「……何やら心休まらぬようだが、一体何があったのか?」
その心労の原因が今回の事件に関わりがあるかもしれない。
そう考えた羽膳は、世間話をするかのように聞いてみた。
「……いえ、それがですね。今日の昼前でしょうか、
『同族殺し』がこの関を訪れまして……」
「何!? それは早いな……!」
春夜が連れてくるとは言っていたが、
それがこんなにも早くなるとは思わなかった。
衛蒼が新坂に着くまでにはまだ一、二日はかかるだろう。
厳容に頼まれもしている。
それまでは自分がしっかり監視しなければと羽膳は思う。
……だが、何よりもまず確認したい事があった。
「聞きたいのだが、他に誰かを連れていなかったか?
例えば……その、十二歳程度の鬼人族の少年とか、だ」
「少年ですか? はい、他に鬼人族を三名連れていました。
一人は度々新坂に訪れていた、春夜という女戦士です。
後の二人は……幼い姉弟のようでしたね」
「姉弟? その少年には姉がいたのか?」
「いや、妹かもしれませんが……
とにかく、その四人連れでこの関を訪れました。
ただ、宿に荷物を降ろしたんでしょうかね……
荷を持たずにまた四人でここを出ていきましてね。
その際は少年の方に話を聞いてみましたが、鍛錬をしたいと言ってました。
ですから今は近隣の草原で鍛錬をしているのではないでしょうか?」
正直、もう戻ってきて欲しくないのですが、とその役人は付け加えた。
「近場で鍛錬か……感謝する」
これでもう聞く事は無いと会話を締める気でいたが、
これまでの役人との会話でちょっと気になる事があった。
(過去の所業を思えば当然かもしれないが、
この役人、『同族殺し』……いや、左衛門佐様に対する敬意が
言葉のどこからも感じられない。
知らぬとしたらいつか揉め事の種になるやもしれぬし、
一応、伝えておいてみるか……)
「もし知らなかったとすれば危ういと思うので言っておくが、
その『同族殺し』だが、今は従五位上左衛門佐の官位の持ち主だ。
何の因果か今は歴とした朝廷の戦士となっている。
くれぐれも、失礼の無いようにな」
それを聞いた役人の顔は、言い方は悪いが傑作だった。
ただの鍛錬ならばそこまで遠くには行っていないだろう。
そう思い上空からこの近隣を探す。
確か『同族殺し』達は四人で行動しているらしい。
『同族殺し』に春夜、界武という少年にその姉……。
(街道から離れた場所に四人の人影があれば、
多分それが目当ての一団だ)
ここで魔力を消耗しすぎるのは避けたいと、
低速で大きく旋回しながらの捜索。この時間すらもどかしい。
その旋回が四度を数えたその時だ。外れの草原にそれらしい人影を見た。
(ああ……あれだ、あれに違いない!)
逸る気持ちを抑え、努めてゆっくりと速度を落とし目当ての草原に降下する。
すぐに見知った誰かがこちらを見て大きく両手を振った。春夜だ。
それに気付いてこちらを見上げる大男。
(あれが……『同族殺し』、いや……左衛門佐様か)
朝廷との揉め事を避けるためにも、
決して『同族殺し』と呼ばぬよう留意せねばならない。
ならず者の通り名としては勇ましい事この上ないが、
朝廷の戦士としては不名誉にも聞こえるだろうからだ。
そして……その『同族殺し』の横にはだ。
羽膳と背丈が変わらぬ程度の少年がいる。
鬼人族特有の、角を守る額当て。
顔は……春夜は可愛いと言ったがそうは見えない。
どちらかと言えば精悍、だろうか。
纏うものは長い赤銅色の首巻きに錆色の古びた着物。
この季節に首巻き……引っかかるものはあったが、
その目を見れば分かる。あれは服従印で操られてなどいない。
羽膳が牧場で見たような、無害で意思を無くした人間達のそれではない。
(あれが……界武か)
羽膳は遂に見つけた。
それは自身と同年齢の戦士。
その心の強さに『閃刃』すらも一目置くという少年。
そして恐らくは、『閃刃』との勝負に勝った事にも満足せず、
今も『同族殺し』に師事してその力を伸ばそうとしているのだろう。
他にも被衣をまとった少女が少し離れた場所に居たが、
それはこの際どうでもいい。
今羽膳にとって大事なのは、今この場に『同族殺し』がいる事。
そして……。
「お前が……界武だな」
本当に、どうしてここまで思いが募ってしまったのか。
それは未だに分からない。分からないが……界武の目を見てはっきりと自覚した。
(……あれは無頼の目だ。ただ自分の力のみを信じ、
その気になれば世界にすらも唾を吐く傲岸不遜なならず者だ。
たった十二の子供がそんな目をして俺を見る。
……気に入らない、俺はコイツが……気に入らない!)
その羽膳の敵意が込められた視線を受け止めた界武は、
狼狽しながらも言葉を返した。
「……えっと……俺? 遠鬼や春夜さんじゃなくて……俺?
一体俺に何の用だよ……というかさ、そもそも誰だよアンタ?」
「界武君、私が前に教えたでしょう?
幕府から来た鳥人族のお役人っていうのがあの人、羽膳君」
『同族殺し』と界武から少し離れた場所にいた春夜だが、
羽膳の着地を機に駆け寄ってきた。
「ああ……春夜さんの言ってた、空を飛べる魔族の事か……。
しかしなぁ……その、羽膳さん?」
「何だ?」
「事前に聞いてた話だと、そっちが気にかけていたのは遠鬼の筈だ。
それでさ、遠鬼の方もそっちに話があるんだよ……そうだな、遠鬼?」
「……そうだ」
何となく不服そうなその表情。
だが何故か、『同族殺し』は界武の言葉に従っているように見えた。
そこで羽膳は気付く。確かに気が急いていた。
「……ではまず、自己紹介からすべきですね。
先程春夜さんから紹介があった通り、俺は羽膳といいます。
楼京幕府侍所所司代として、管領と侍所所司を兼任しておられる
衛蒼様を補佐しています。
そちらの左衛門佐様とは楼京にて一度面識があるのですが……」
「覚えてない」
「……そうですか。ではこの機会に覚えてください。
衛蒼様がこの新坂に来られるまでは、俺が貴方の護衛を担当しますので」
「いらん」
「……そこを、何とか」
「そうだぞ遠鬼。折角遠くから来て護衛してくれるって人に
その物言いは無いだろ。相手の事を慮ってだな……」
「分かった分かった……護衛でも何でもすればいい」
それは不思議な光景だった。
あの戦闘狂が……あの言葉が通じるかすら怪しかった『同族殺し』が、
界武の言葉には嫌々ながらも従っている。
「で……どうすればいい。俺はお前かあの馬鹿野郎、
一体どっちに弁明すればいい?」
「羽膳さんか衛蒼さん、だろ!?
弁明しようって相手にその言葉遣いは……」
「分かった。とにかく……俺は逆徒とかいう拘束魔術師は知らんし、
そいつの企みとやらも聞いた事は無い」
『同族殺し』と界武がそう乱暴に言葉を交わしている。
その会話の内容に邪推を挟む余地はなく、
どうやら本当に、弁明を試みているらしい。
羽膳はその信じられぬ光景に唖然とする。
「し、失礼ですが……左衛門佐様は、
ここ新坂に弁明の為に来られたのですか!?」
「そうだ」
即答だった。
これは……違う。目の前の男は羽膳が知る『同族殺し』では無い。
もしかすると、あの傍若無人な戦闘狂は、
左衛門佐という官位を得た事でそれなりの社会性を得たのだろうか?
それは羽膳にとっては好ましい変化の筈なのだが、
それでもやはり馴染まない。そことなく馬鹿にされている気にすらさせた。
「……分かりました。ではその旨を是非衛蒼様にお伝えください。
その内容に嘘が無ければ、誰も左衛門佐様を疑いなどしないでしょう」
それでもどうにか平静を保たせたのは、羽膳の職務への責任感の功績だった。
「分かった。あのば……衛蒼が来ればそうしよう」
そこまで言うと、『同族殺し』はこちらに興味を無くしたようだ。
「界武、話は済んだが鍛錬を続けるか?」
どうやら羽膳をいないものとして、中断していた鍛錬を続ける気らしい。
その界武は今、春夜と同じように界武達の下に集まって来た
紅い眼の少女と何やら話をしていた。
「ねぇねぇ界武君、あの人空飛んでたよ! どうやってるのかな!?」
「それは確か揚力って奴が発生しててな……ってそれはいいや。
月陽、そうやってよく知らない人を指差すのは止めような。
行儀のいい事じゃないから……」
それは仲睦まじい姉弟……の会話と取れなくもない。
どちらかと言えば界武の方が兄のようにも聞こえるが。
「……休憩にするか」
鍛錬を続けるという雰囲気ではなくなったようで、
『同族殺し』は適当な場所に腰を下ろしてしまった。
「何というか……左衛門佐様は変わられましたな。
失礼ながら私が楼京で見た時と今では、見た目は同じなれど
別人としか思えません」
皮肉っぽく聞こえたかもしれないが、これは羽膳の偽らざる気持ちだった。
その言葉にもやはり『同族殺し』は関心を示さない。
何をするでもなく、静かに幼い姉弟を眺めている。
「羽膳さん、遠鬼の奴は楼京だとそんなに酷い奴だったのか?
良ければ教えてくれよ。一体何をやらかしたんだ?」
身の置き所に困っていた羽膳に、界武がそう声を掛ける。
こちらの敵意を読み取れなかったとは思えない。
だがそれでも親しげに声を掛けてくる界武には、
見た目以上の社会性が備わっているように思えた。
何も知らずに会っていれば、もしかしたら友人などになれたのかもしれない。
だが……羽膳は既に、界武が何者かを知っている。
「お前も聞いていた話と随分違うな、界武。
『閃刃』様をも凌駕した戦士だと聞いていたのだが」
「えっと……それ春夜さんから聞いたのか。
凌駕したっていうか、力を認めてもらったってだけでさ……
俺自身はまだ全然弱いよ」
(……自分の事を弱いとは何だ!
『閃刃』様に力を認めさせるという事自体が烏滸がましいのだ。
それをさも大した事ではないとでも言うのか……!)
ただの謙遜かもしれなかったが、それでもその言葉が気に食わない。
「……弱い?
『閃刃』様は弱い者の力などお認めにならない。
あの方は魔族の英雄なのだ。それをお前は分かっているのか?」
「いや、それは分かってるけどさ……。
だけどこんな事で過大評価されるのも迷惑なんだ。
俺はまだ弱い。それでいいだろうが」
「よくあるか!
誇り高き英雄がお前への敗北を認めたのだ!
なのにそのお前が自分は弱いなどと……戦士の誇りを愚弄する気か!?」
「そんな気ある訳ねぇだろ!
俺はただ事実を言ってんだよ! 俺はまだ弱い!
これはただの事実だ! お前の感想なんか求めちゃいねぇんだよ!」
「ああそうか、ならば認めよう、お前は弱い。
そしてそんなお前に負けた『閃刃』は耄碌した腰抜けという事だ。
なるほど……これは幻滅だ」
「……おい、ちょっと待て。
俺の事はどうでもいい。俺の方もお前の感想なんか何とも思っちゃいねぇ。
だけど延老さんまで馬鹿にするってのはどういう事だ!?」
「馬鹿にしてるのはお前だ、界武。お前が自分を弱いなどと言うと、
それだけでお前を認めた『閃刃』様の名誉すらも傷つくのだ。
分かったなら訂正しろ、自分は強いと、次代の英雄だとな」
売り言葉に買い言葉。もうどちらが先に挑発したか、というのは些細な問題だ。
二人は共に気付いている。お互い、目の前の男が気に入らないのだ。
「ちょっと……界武君?」
少女が二人の剣幕に怯えながらも声を掛ける。
「月陽、ちょっとこっちに来い」
いつの間にか立ち上がっていた『同族殺し』がその少女を捕まえ、
そのまま担いで後方に避難していく。
「ねぇ……遠鬼、どうして離れるの? 止めなくていいの?」
「あの時分の男はな、喧嘩友達が必要なものだ」
「……そうなの?」
そのまま、睨み合う界武と羽膳を置いて離れていってしまった。
……この程度の事で二人の闘気は収まらず、
すぐにまた界武から舌戦が始まった。
「……さっきも言った筈だ。お前の感想なんかどうでもいい。
大体お前も何だその羽は!? そんな羽で空飛んでいいと思ってんのか!?」
「鳥人族の誇りの羽を愚弄するか!?
なるほど、お前は戦士の誇りが何たるか、何も分かってないらしい……!」
「分かってねぇのはお前だ!
そんな小さな羽でお前が飛べるだけの揚力が稼げる筈がねぇだろ!」
「ようりょく……? 何の話だ?
それともあれか、訳の分からぬ事を言って煙に巻き
勝負から逃げようという腹か。自分を弱いというだけはある、
頭だけは回るようだな」
「頭が回ってねぇのはお前だろうが!
とにかくなぁ、俺はお前みたいにべるぬーいの定理も分かってない野郎が
空を飛ぶのは許せねぇんだよ……!」
「その言葉の意味は分からんが、やっと意見があったな……。
俺もお前が許せない。誇りの何たるかも分からずに、
ただそれを貶める事しかしない……!」
「羽膳……覚えたからな、その名前。
ここでぶっ飛ばして、えねるぎー保存則からその頭に叩き込んでやる!」
「界武、ならば俺もお前に教えてやろう。
誇り高き、魔族の戦士の力の一端をだ!」
その言葉と共に、二人は同時に強化魔術を発動した。




