六十五話 確執
楼京や新坂ならばともかく、それ以外の小さな町や村となると
守護が泊まれるほどの宿は限られてくる。だからこそ日の落ちかけた今ならば、
見つけるのは容易だった。特に……上空から見渡せる羽膳にとっては。
名も知らぬ町の片隅に、一際大きな屋敷があった。
その庭は魔族が預かっているとは思えぬほどに管理されており、
木も草も苔すらもどことなく調和がとれていた。
なればその庭を散策する者が居たとして不思議ではないが、
今その場に佇む男はどうも趣が異なるようだった。
男はその庭にただ立っている。
その右手に長い刀を持ってはいるが、かといって構えをとる訳でもなく
ただ自然体のまま微動だにしていない。
何十人と斬り捨てたであろうその長刀が殺意を纏う事はなく、
夕陽を受けて輝くその剣先には蜻蛉が止まり羽を休めてすらいる。
その静寂が支配する庭園に一陣の風が吹く。
巨大な鳥の様な何かが舞い降りたのだ。
その巻き上がる様な突風を避けようと蜻蛉が飛び立つよりも速く、
いつの間にかその刀が水平に振られていた。
それは不思議な光景だった。
間近で見た筈の羽膳ですら何が起きたのかよく分からない。
着地した時に巻き上がる風が、その一振り、その一瞬で完全に止んでしまった。
……目の前の男、『閃刃』は確かに風を斬ったのだ。
それが一体どれほどの技量を必要とする絶技であるか、
それすらも窺い知る事が出来そうになかった。
「……お見事です、『閃刃』様」
だから羽膳はただ称賛のみを口にする。
静かに長刀を鞘に納めた『閃刃』はその言葉に笑みを返す。
「ありがとうございます。
……確か、最近幕府に鳥人族の若者が勤めているとは聞いていましたが」
「はい、その鳥人族の戦士、侍所所司代の羽膳と申します」
「これはこれは……楼京からはるばる、良く来てくださった!」
『閃刃』の紹介で屋内に入ると、今度は丹波国守護、厳容が羽膳を迎えた。
この厳容という男、羽膳と同じく五尺程度の壮年の鼠人族だ。
内外に人格者として通っており、その手腕は新坂の盛況ぶりを見てもよく分かる。
どうやら今は宿の主人と酒を飲み交わしていたようで、
その装束は上物ではあるものの装飾は少なく、着慣れた部屋着のように思わせた。
食膳は既に片付けられており、夕食はとうに済んでいるのだろう。
羽膳は手短に挨拶を済ませ、幕府からの急報である旨を伝え
宿の主人に下がってもらった。
それから衛蒼からの書状を手渡し、逆徒の陰謀についての分かる限りの情報を、
羽膳がここに至るまでのあらましを交えて報告した。
その報告が終わる頃には流石に酔いも醒めたのか、陽気な赤ら顔だった厳容は、
深刻な為政者の顔で考え込んでいた。
「……先程からの『偏愛逆徒』……管領様に倣い逆徒と称しましょうか。
とにかくその男の話を聞いておりますと、ここ最近丹波国で起きた二件の
牧場荒らしに思い至りました」
厳容が語るのは、恐らく落葉が調べた二件の牧場荒らしの事だろう。
一件は一年前、新坂近郊で。もう一件はつい最近の黒樹林だ。
「所司代殿もご存知でしたか……。
これは守護として恥ずかしい話なのですが、
どちらもまだ下手人は見つかっていないのです。
ただ、申し開きに聞こえるかもしれませんが、これには事情がありまして」
「……聞きましょう、何があったのです?」
「どちらの牧場荒らしもですね、
その初動捜査を一人の男に邪魔されているのですよ。
これもご存知の事と思いますが、その男、
通り名を『同族殺し』という鬼人族です」
『同族殺し』。やはりこの名前が出て来たかと羽膳は暗い顔をする。
しかし……黒樹林の一件に絡んでいたのは知っていたが、
一年前の事件にもちょっかいを掛けていた事は知らなかった。
「我々が知っていたのは黒樹林の一件の主犯と思われていた、
という事のみです。一年前の事件については何も分かっていませんでした」
「そうでしたか。ではまずそちらの話を致しましょう。
遡ること一年前、丁度今日の様な陽光眩しい夏の日の事でした……」
その日、新坂の守護屋敷にて仕事に励んでいた厳容の下に、
新坂の見回りをしていたと思われる役人が一人飛び込んできた。
「守護様……! 新坂中のならず者が、事もあろうに大通りで
大立ち回りを繰り広げております! 我々だけで押さえ込もうにも
人手が足りません! 何卒、援軍の御要請を……!」
援軍、と来た。ここは戦地か何かかと呆れはしたが、
その必死の訴えを無下に退ける訳にもいかない。
厳容は手元の書類仕事を切り上げて、新坂近隣の役人達の招集に加え、
無頼の中でも顔役というべき話の分かる者達への使いも出した。
大抵の場合は、このぐらいの処置で片が付く。
厳容はこれで今回の騒ぎが終わったものと考えて、
少し待ってからその大立ち回りの現場、大通りへと護衛を連れて顔を出した。
今回の騒ぎで民に被害が出たのであれば、補填する必要があるからだ。
だが外に出てみてはっきり分かる。
遠目にもまだ騒ぎは落ち着いてはいない。
慌てて現場に駆けつけてみれば、そこは確かに戦地にしか見えなかった。
新坂では名の知られたならず者や力自慢、軽く二十以上が倒れ伏しており、
その中央で一人の偉丈夫が詰まらなそうに突っ立っていた。
「何者だ貴様は!? ここで……何があった!?」
厳容は思わずその男に叫ぶ。
厳容がその男から受けた最初の印象は、生気の失せた幽鬼、だった。
男の振るう厳つい金棒がこの戦地を作り上げた筈なのだが、
その仕草や表情、視線に至るまで、どこからも闘気を感じないのだ。
「……喧嘩を売られた。仕方なく買ってやったがこれが時間の無駄だった」
その男、『同族殺し』がこの惨状を説明するために使った言葉は、
たったこれだけだった。
「喧嘩……!? ただの喧嘩でこうまでなるものか!?」
厳容の護衛の一人がそう声を荒らげる。
「そうだ! 何があったか知らんが、それとてお前を取り調べれば分かる話だ!」
もう一人の護衛が棒を一振りして構えた。
厳容は知っている。この護衛二人は新坂でも並ぶ者の無い程に強い。
更に、一人一人でもそうなのに、
二人は連携を組むとその強さが数倍に膨れ上がるのだ。
自身の護衛の強さに全幅の信頼を置いていた厳容だったが、
次の瞬間、それはいとも容易く崩れ去った。
数合と打ち合わずして昏倒する護衛二人。
それを見て震え上がる厳容の下に、間が良かったのか悪かったのか、
救援に呼んだ近隣の役人十数名が駆けつけてきた。
「守護様をお守りしろぉ! その男を押さえこめぇ!」
厳容が止める間もなく掛けられた号令。そして『同族殺し』に飛びかかる役人達。
それがこの騒動の最高潮の瞬間であり、また終わりでもあった。
「ハアッハッハッハッハ……!」
側で聞いていた『閃刃』の哄笑。それを聞いて厳容も苦笑いだ。
「遠鬼殿は相変わらずですな……。いや、私もその現場に立ち会いたかった」
「従四位殿。そうは言いますがなぁ……
あのせいで私の部下は全員、しばらく動く事すら難儀する有様で、
結果その直後に起きた牧場荒らしも碌に捜査が叶わなかったのですぞ」
……つまり、牧場荒らしの直前に『同族殺し』が大暴れしたせいで、
捜査も何も出来なくなってしまったのだそうだ。
「……その後、『同族殺し』はどうなされたのですか?」
「どうも何も……あの男、確かにこちらから荒事を仕掛けなければ
無害ではありましたので、そのまま口頭で注意してから放逐しましたよ。
まぁ、捕まえようにも皆震え上がって目すら合わせられぬ様でしたしな」
あの男、楼京でも滅茶苦茶やったものだが、
どうやら新坂でもやらかしていたらしい。
呆れ果てている羽膳と厳容に、『閃刃』が慰めの言葉を掛ける。
「掟に従う戦士はですな、戦いから逃げる事を許されていないのですよ。
そんな者に喧嘩を挑んだ愚物の失態に巻き込まれたという訳ですな。
運が悪かったと諦めるしかないでしょう。
死者が一人も出なかったと聞いておりますし、
遠鬼殿も加減はしたのでしょうからね」
「掟……? あの、強さこそを求めよ、勝負から逃げる事なかれ……
という、魔族の掟、ですか?」
その中に羽膳が少し気になる言葉があった。
魔族の掟。
それは最近まで魔王に従ってこなかった鳥人族には馴染み深いものだった。
無論羽膳も今でもそれを諳んじる事が出来る。
だが魔王の統治が百年を超えた今となっては誰もそれを気にかける事すらしない。
楼京で学んだ常識では、確かそうなっていた筈だ。
「ああ……そうです、その掟です。今でも掟に従う者は少数ながらいるのですよ。
その殆どは無頼のように生きていますがね」
『閃刃』が羽膳の質問を先読みしてそう答えた。
「無頼……ですかぁ。あの『同族殺し』等はもう、
無頼そのもの、という男なのですがね……」
そう言う厳容の表情は暗い。どうやら、
『同族殺し』についてまだ言いたい事があるようだ。
「所司代殿はご存知でしょうか? その遠鬼という男なのですが、
今や従五位上左衛門佐らしいのですよ。名実ともに朝廷の戦士らしいのです」
「左衛門佐……!?」
左衛門府の中では、その長である左衛門督の次に権威のある役職では
なかっただろうか。
「そうなのですよ。故に今ここに『同族殺し』が現われでもしたら、
私は奴を左衛門佐殿、と呼ばねばならぬのですよ……」
心底それが嫌なのだろう。その苦々しい顔に哀愁が漂う。
「い、一体全体、どうなっているのですか……!?」
隠せぬ驚きに羽膳は声を荒らげる。
「何でも、『同族殺し』は王都でも同じように大暴れしたそうで、
その暴れっぷりを気に入った魔王様が直々に任じられたそうです。
魔王様は確かにあのような男がお好きなのですが、
それにしたっていきなり左衛門佐はないでしょうに……」
その厳容の愚痴を聞き、『閃刃』が笑いながら言葉をつづけた。
「私が王都で聞いた噂だとですね、右兵衛督殿が遠鬼殿が懇意にしていた
女性に手を出してしまったらしいのですよ。
そしてそれが原因での大喧嘩で、遠鬼殿が勝ってしまったようでして。
右兵衛督殿は強くて人望もありましたが、
確かに女癖が良くはなかったですからねぇ」
「は、はあ……」
登場人物が増えはしたが、『同族殺し』以外は気にしなくていいだろう。
とにかく、今は『同族殺し』は左衛門佐なのだ。
つまりは……。
(不用意に衛蒼様が『同族殺し』に絡めば、
幕府と朝廷の確執にも繋がりかねない……!)
増えなくていいのに、問題だけが今も新たに増えていく。
故に羽膳も厳容と同じように、苦笑を浮かべるばかりだった。




