五十九話 誇り
詰所から少し離れるが、侍所の面々が鍛錬に使う大きな広場がある。
川沿いの高台に広がる大きな草原であるその場所は、
侍所が占有しているという訳ではない為、普段は普通の楼京の住人は勿論、
役人やならず者に至るまで、色々な者が思い思いに利用している。
その草原に立ち尽くす男が一人。両腕に黒い翼を纏う小柄なその男の足元には、
屈強な体躯の獣人が這いつくばっている。
「虎鎧、これで満足したか?」
「……いいや、まだだね」
口元から流れる血を腕で拭って虎鎧は立ち上がる。
その肩や腕のあちこちに打ち身と思しき傷があり、
深手は無いとはいえど、かなり痛めつけられていた。
一方で羽膳の体のどこにも傷は無い事から、
この二人の模擬戦は一方的に推移していたようだった。
「半年前ならいざ知らず、今は模擬戦で虎鎧に負ける気はしないよ。
この俺の強さにはもう少し信頼を置いて欲しいんだけどな」
「信頼してねぇ訳じゃねぇよ」
「……じゃあ何が不満なんだ?
衛蒼様が虎鎧を丹波国に連れて行かないのは説明があった筈だろ。
逆徒と『同族殺し』が同時に敵に回るかもしれないんだ。
そうなった時衛蒼様でも万が一が有り得ると、
他ならぬ衛蒼様自身が判断なされたんだ。
だから俺が選ばれた。俺ならばそうなっても衛蒼様を補佐する事が出来る」
その言葉は暗に、虎鎧では力不足だと告げていた。
実際にそうだろうとは虎鎧も感じている。
昨年の大事件にて、『同族殺し』に勝負を挑んだ事のある虎鎧だ。
あの時はまず虎鎧が一方的に押していた。
凡百のならず者が相手ならそのまま押し込めたのだろうが、
その後、たったの一撃で意識を刈り取られた。
次に虎鎧が目にしたのは、泣き喚く花南に燃え落ちる楼京の街並み。
将軍拉致未遂事件の最後の瞬間、
その一番大事な時に虎鎧はただ寝ていただけだった。
あれから、その時感じた無力感を振り払おうと遮二無二鍛錬を続けた。
だがそれでも、一向に『同族殺し』の強さ、
その足元にすら届いた気がしない虎鎧だった。
「それでもなぁ……俺としてはよ羽膳、テメェが『同族殺し』を相手にした時、
俺よりも酷い目に遭う姿しか想像出来ないんでな。
だからやっぱり納得できねぇ。
テメェはここに残れ、俺が丹波国に行く……!」
それだけを言い捨てて虎鎧が間合いを詰める。
そして強化した拳による二連撃。
当たりさえすれば小柄な羽膳の体など吹き飛びかねない威力を秘めてはいる。
だが……その虎鎧の両拳は共に空を切る。それと同時に右の脇腹に痛烈な衝撃。
いつの間にか隣に移動していた羽膳の、鋭い飛び蹴りが突き刺さっていた。
「相変わらず……なんて速さだよ!」
右肘を振り下ろしてその蹴り足を狙うが、それとて当たりはしなかった。
むしろ顔の守りが無くなったからと羽膳の左拳が頬を打ち抜いた。
気付けばまた地に倒れ伏していた。
……模擬戦が始まってからもうこれで三度目か。
羽膳の一撃は虎鎧のそれ程重くはないものの、
急所を的確に打ち抜く術に長けており、こうやって意識を刈り取るのが上手かった。
「今こんな風に倒れてる虎鎧よりも俺の方が酷い目に遭うってのはさ、
何を根拠に言ってるんだ?」
「……簡単な話だよ、お前がこうやって俺と戦ってるからさ」
虎鎧は三度立ち上がる。
以前ならともかく、今の虎鎧は羽膳との力の差を認めている。
ならば倒れ伏すのも恥ではない。また立ち上がればいいだけだ。
「……すまん虎鎧、俺はまだ若いし世間知らずだ。
お前の言ってる事がよく分からない。
そもそもお前から挑んできた勝負だ。
それを受けた事がどうして俺が『同族殺し』に打ちのめされる理由になる?」
「そういうとこだよ! まあいいや、ちゃんと聞けよ。
テメェは別にこの勝負受けるこたぁなかったんだ。
俺が納得するしねぇはこの際無視したっていい。
この模擬戦だってだな……丹波国への同伴は衛蒼様が決めた事だ、
その一言で黙殺出来た筈だ……だがしなかった」
そう言われて羽膳は思い返す。
確かに衛蒼が虎鎧へ楼京に残るよう告げた時、
虎鎧は自分が行くと言い張った。
だが、衛蒼は今虎鎧が言ったように黙殺に近い対応をとった。
そうすると今度は虎鎧は羽膳に言った。
「それなら羽膳、俺と戦え!
そこでテメェが俺を納得させられたら衛蒼様と丹波国に行けばいい。
だがなぁ、それが出来なかったら俺と代われ……いいな!」
羽膳はその勝負を受けた。
羽膳の方に受ける理由は無く、また衛蒼の命令に逆らいかねない筈なのに、
勝負を受けたのだ。それは……何故か。
「……勝負から逃げる、そんな誇りを傷つける事は出来ない。
だから俺は勝負を受けた。それだけだ」
「それが理由だ! テメェは勝負から決して逃げねぇ。
それがテメェがここまで強くなった理由でもあるがなぁ……。
だがそれだとな、『同族殺し』は相手が悪すぎんだよ。
だのにテメェは『同族殺し』に勝負を挑まれたとしても、
同じ理由で馬鹿正直に勝負を受ける……違うか?」
そう言うと虎鎧は左右の平手を前に出し中腰で構えた。
防御重視のその構えを見ると、
羽膳は上半身を脱力させたまま軽くトントンと跳ね出した。
「違わない! それでも俺は勝つつもりだ!
そしてもし力及ばずともだ、腕の一本ぐらいは奪ってやるさ!」
羽膳の攻勢が始まる。
文字通り飛んで間合いを詰めたかと思いきや、
そのまま空中で前蹴りからの二連の回し蹴り。
虎鎧は何とかそれを捌くも、次に放たれた後ろ蹴りは捌ききれずに額で受けた。
痛みはある。だが覚悟して頭で最も固い箇所で受けたのだ。
まだ意識を刈り取られてはいない。
「うらああああっ!」
空中で勢いを止められた羽膳は隙だらけだ。
その好機を逃すまいと虎鎧は右の爪撃を打つ。
相手が羽膳でさえなければ、それは間違いなく肉を切り裂く一撃だった。
黒い翼が羽ばたく。それで勢いが止まった筈の羽膳の体が再加速する。
爪撃はまたも空を裂く事しかできず、
逆に上空から振り下ろされた踵落としが虎鎧の右肩を打ち据えた。
「ぐがっ!」
肩を押さえてうずくまる。
如何に頑丈が売りの虎鎧ではあっても、今の一撃は流石に効いた。
「こんな風にだ。俺は『同族殺し』が相手でも十分勝負になると信じている」
これ以上は模擬戦の域を超えてしまうと、羽膳は四肢に纏った強化魔術を解除した。
虎鎧も説得を諦めたか、呼応するかのように強化魔術を解いた。
「言っとくがなぁ、『同族殺し』の強さは今の俺を三倍ぐらいした程度と思え。
勝負にならんと判断したら飛んで空に逃げちまいな。
……羽を折られて帰って来るテメェの姿なんて見たかねぇんだよ」
ばつが悪そうに視線を逸らしながら、虎鎧はそう言い捨てた。
ここまで来れば羽膳も察している。ちょっと前のように、
嫉妬からきつく当たってきた虎鎧はもうここにはいない。
兄貴分として、虎鎧なりに羽膳を心配してのこの模擬戦だったわけだ。
「虎鎧の懸念は伝わった。心配してくれてありがとう。
……だが俺はそれでも誇りを傷つける真似は出来ない。
『同族殺し』がどれだけ強くともだ。
腕が無理だったとしても、それなら武器ぐらいは破壊してやるさ」
「心配しがいのねぇ野郎だ……。まぁいいよ、好きにしな」
「ああ!」
互いに笑顔だった。
ここしばらくのわだかまりが解けてみれば、
二人はそれなり以上に仲が良かったりしたのだ。
「でも……よぉ」
「どうした、虎鎧?」
「ここでの模擬戦はちょっとなぁ……アイツらが邪魔でよぉ」
「……ああ、そうだなぁ」
二人が辺りを見回せば、観衆でごった返していた。
花南と落葉の侍所の同僚は勿論だが、
喧嘩場でよく見る賭けの胴元らしき男までいる。
拍手や歓声が響く。賭けで負けた者の悲鳴が、
より大きな勝った者の雄叫びにかき消されている。
そうして半ばうんざりしている二人に
花南が笑いながら近づいてきた。
「いやぁ負けたねぇ虎鎧! でも、良い負けっぷりだったよぉ!」
花南が破顔すると額の三つ目の瞳までもが細くなるのだが、
虎鎧はそれを気持ち悪いと言い、羽膳は愛らしいと思っていた。
「うるせぇ……その細い目を近づけんな! 気持ちわりぃんだよ!」
「何言ってんの、アンタの今の不細工に膨れ上がった顔よりずっとマシだよ!」
そこからいつものじゃれ合いが始まった。
どうやら花南は虎鎧が一撃も当てられずに負ける方に賭けていたらしく、
それなりに儲けたらしい。役人がそんな事でいいのかと呆れる羽膳ではあったが、
それでも辺りを見れば笑顔が溢れていた。
ならばこれでいい。そう思って一人空を飛ぶ。
「ちょ……待ちなよ、羽膳!」
「俺は先に帰ってるよ。それじゃ……!」
後ろから響く歓声を振り切り、羽膳は空を駆けた。
(虎鎧の……三倍か)
羽膳は思う。一度『同族殺し』と戦った事のある虎鎧が言うのだから、
そこまで的外れな見立てでもないんだろう。
(虎鎧の二倍ほどでも俺は多分敵わない。
それが……三倍か。確かに、勝負にならないのかもしれないな)
……それでも、勝負から逃げる訳にはいかなかった。
それだけは、絶対に、許せなかったのだ。
世俗から離れ、戦いから逃げ続けて独立を維持し続けた事を、
鳥人族の誇りと父は言った。地を這う他の者は眼中になどなく、
空を支配する鳥人族こそが最高の種族なのだと。
歯を食いしばる。羽膳の形相が怒りに歪んでいる。
(ただ空に逃げ続けただけの鳥人族が最高だと……!?
馬鹿馬鹿しいにも程がある!)
そのつまらない誇りとやらを嫌って衛蒼に付いてきたのだ。
だからこそ羽膳は、何者からも逃げる訳にはいかなかった。
(証明してやる! 『同族殺し』だろうが、『偏愛逆徒』だろうがだ!
全てを勝負で打ち倒し、力で以て証としてやる!
俺こそが……真の、誇り高き鳥人族だと!)
その沸き上がる怒りを冷ますため、
羽膳は詰所に着いてからも、その上空を数度旋回する事となったのだった。




