五十七話 完治
俺の誕生日祝いの晩餐、その次の日は雨が酷く
一日中屋内でのんびりする事となった。
月陽は昨日の豪勢な食事に今日の走り込みが休みな事も加わって体力を持て余し、
土間で遠鬼を相手に力比べなんかをしていた。
ただ遊んでいただけなのかもしれないが……
もしかしたら、猪の解体で腕力が心許なかった事を
月陽なりにどうにかしようとしているのかもしれない。
この頃になるともう遠鬼の子供の扱いについて不安はなかったから、
月陽の相手は遠鬼に任せておいて俺は魔力の鍛錬をしていた。
色んな事に詳しかった姉さんにも何故か完全に知識が欠落している分野があって、
魔力についてもその一つだった。
だからこの鍛錬も自己流もいい所だったが、今の今まで戦えてる事から察するに、
効果はちゃんとあったんだろう。
その魔力の鍛錬だが、既存のものは三つ。
それに今は新しい一つが追加されている。
既存の三つだが、まずは魔術の操作。これは原始魔術を巧みに操る練習だ。
次は魔術の力。魔術の腕で重たいものを持ち上げたりする練習。
最後は魔術の耐久。太く大きい魔術の腕を、ずっと保持し続ける練習となる。
その中でいつも最初にやるのは魔術の操作の練習だ。
今回の両腕の骨折、その怪我の功名とでも言ったらいいのか、
日常生活をずっと原始魔術でこなしていた事もあって、
魔腕の造形の精緻さや操作の巧みさに一層の磨きがかかっていた。
だからこの操作の練習も、牧場にいた頃より遥かに難度が高くなっている。
まず魔術の掌だが、昔は指五本の掌の造形が難しかったから、
大きい指と小さい指の二本で、掌擬き、とでも言うべきものを作っていた。
それが今ではもう、この魔術の手にもしっかりと五本の指がある。
望みを言えばもうちょっと指を細くしたいところだが、
それにはまだ時間がかかりそうだ。
とにかくその魔術の指を開いて閉じたり、二本だけ伸ばして残りは折ったりと、
色んな動きを試してみる。
……うん、もう殆ど自分の手と変わらない程に扱えるようになってきた。
こうなってくると新しい技を開発したくなってくる。
今の懸念事項は防御力の強化だ。これからも戦いがある度に
骨を折っていてはたまらないから、
どうにかして防御に役立つ技を開発したかった。
これについてもいい案があった。思いついたのはいつぞやの夜だ。
今は遠鬼、月陽、俺の順で横に並んで寝ているが、
この時問題となったのは寝具である。月陽は牧場からずっと使っているという、
傍目にも非常に柔らかく上等な厚いむしろと枕を持っている。
だが勿論それは一人用で、男二人は板張りの床に薄いむしろを敷いて、
粗末な草枕に頭を預けている。
俺も遠鬼も月陽が一人どんなに上等な寝具を使っていようが気にしないのだが、
ここでも月陽が嫌だと言って、俺達と同じ粗末な寝具を使いたがった。
「上等な奴があるならそれを使えばいいのに……」
そうは言ってみたのだが、やっぱり聞き届けられる事はなく
月陽は固い痛いと言いながらも俺達と同じように寝ている。
ふと目覚めた深夜、俺は何となく横で寝ている月陽を見てみた。
そうすると、やはり寝苦しそうに寝がえりを繰り返し、
挙句に遠鬼に蹴りまで入れていた。
その寝相の悪さを笑いつつも、思い出せた事があった。
(……そういや、姉さんも言ってたな、寝床が固いって)
「ベッドが欲しい……柔らかいベッド……」
「……なんだ、べっどって?」
「寝床の事。ここの寝床は固すぎる!
体がもう慣れちゃってるから眠れないって事はないけどさ、
それでも柔らかいベッドを知ってるとねぇ……」
姉さんはそんな事を言って、時折ありもしない物を懐かしがる。
今日の話題は寝具のようで、とにかくその柔らかさと暖かさを強調していた。
「そんな柔らかいって言うとさ、何で出来てるの?」
「えっと……布とか……羽毛とか? スプリングが入ってたり……」
「布と羽はまだ分かるけど、何だそのすぷりんぐって……」
「知らなくてもいいよ。この世界じゃ多分実現できないと思う。
ありふれた物にこそ凄い技術が込められたりしてて、
意外と再現が難しいからね……。
でも、もし技術があったとしてもさ、
ここから出られないんじゃ意味が無いしねぇ……」
「そうだね、そんな柔らかい物の材料なんて、ここには殆ど無いからね」
俺としては想像する事しか出来ないそのべっど、とやらの柔らかさ。
どう考えてもこの牧場の中にその代替品は見つかりそうになかった。
だがやはり姉さんは目の付け所が違う。
こんな場所にすらそんな柔らかい素材に心当たりがあるようだった。
「柔らかいもの自体はいくらでもあるよ。例えばね、この空気もそう。
この空気をしっかり閉じ込められる布を作る事が出来ればね、
その中に空気を閉じ込めて柔らかいベッドにしてしまえるの。
エアーベッドって言うんだっけ?」
「へえ……」
「同じように、水だってそういう風に使えるよ。これはウォーターベッド。
夏とかは凄いひんやりしてて夢心地だって話だけど……」
「水の上で寝るのか……。
それは凄い面白そうだけどさ、そもそもその、
空気や水を閉じ込められる布って……」
「化学繊維……ポリ塩化ビニル?
……うん、分かってる。何の事か分からないでしょ?
私も名前だけ知ってて、どうやって作るかなんて知らない」
そして大きなため息。
よく分からないけれど、夢心地の寝具とやらは夢のままで終わりそうだった。
月陽の寝返りを契機に思い出せた記憶。
その中の柔らかいもの、というのが活用できる気がした。
原始魔術の布ならば、空気だって通しはしない。
ならば……空気を閉じ込める事が出来れば!
これまで培った技術を駆使し、俺は魔術の袋を作り出した。
それを振り回して空気を貯めて、そして封を閉じる。
出来上がったそれは……何と呼べばいいか、魔術の枕?
それを転がして踏みつけてみる。
……なるほど、これは柔らかい。これを咄嗟に作って盾にする事が出来れば、
あるいは延老さんの蹴りだって防ぎきれるかもしれない。
試しに透明の腕で殴りつける。……うん、いける。
これは防御用の魔術としてかなり有用そうだ。
ならばと思い今度は銀色の腕で殴りつけた。これは、拙かった。
けたたましい破裂音を鳴らし、魔術の枕が弾け飛んだ。
それはもう大きな音で、驚いた月陽が土間から駆け上がってきた。
「ど……どうしたの!? 何があったの、界武君!?」
そんな大慌ての月陽に平謝りし、事情を説明する事となった。
……魔術の枕は使えなくもないが、耐久性に難がある。
もうちょっと改良が必要だとの結論に落ち着いた。
ちなみに新しく加わった魔術の鍛錬というのは、強化魔術の再現だ。
遠鬼が言うように俺の意志がまだ成熟していないのなら、
強化魔術を発現するには延老さんとの戦いで感じた怒りを再現しないといけない。
大雨の次の日は朝から良く晴れていて、
俺は他の二人を起こさずに寝床から這い出て広場に向かった。
俺の眼前、その広場の中央には、格闘術の構えをとる延老さんがいる。
勿論それは俺の想像だが、
あの時の感情を再現するのになくてはならないものだった。
あの時感じた怒りは勿論覚えている。だけと完全に再現しようとすると難しい。
あれだけ切羽詰まった状況で、それでも憤りを捨てきれなかった俺の
心の底からの怒りこそがあの魔術の源だったからだ。
そんなものをそうホイホイと再現出来る訳もない。
それでも……これでもう五回目だ。想像上の延老さんも
随分としっかり見えるようになってきた。
あの細い四肢で、それはもう思う存分痛めつけられたんだ。
その事自体に怒りは沸かない。
俺が許せなかったのは……延老さん程の人でもそのように振舞わせてしまう、
この世界の常識とやらだったからだ。
そうだ、俺は許せない。
あの誇り高い延老さんからもその剣技の出自を忘れさせた、
そのふざけた常識がだ!
だから俺は拳を握る。強く、強く……その怒りに任せ、
怪我すら気にも留めずにひたすらに強く握る。
自然に体が動く。右腕を前に出して左腕を引き絞る。
左の縦拳を打ち出す為の、格闘術の構えだ。
「砕けろぉっ!」
掛け声と共に地を滑るような長い踏み込みで一気に延老さんに近づく。
添え木と包帯で固められたままの左腕の縦拳が放たれる。
……分かってる。これはあの時の強化魔術には遠く及ばない。
再現出来たのも一割がいい所だろう。
だけど……確かに、その左拳は赤銅色に燃えていた。
想像上の延老さんを叩き砕いたその拳。
そこから立ち上る炎が添え木を吹き飛ばし、その余波で包帯も弾け飛んだ。
久々に見たかに思える素肌の左腕は綺麗で、傷の痕など何処にも見られなかった。
俺は悟る。予定より二日は早いだろうか……?
だが今この時、俺の両腕は完治したのだと。
ならばもう躊躇うまい。あの天然鬼を、笑って送り出そう。
俺は遠鬼との別離を思い、晴れ上がる朝の空を見上げた。
だが……それは良かったのか、それとも悪かったのか。
そう覚悟を決めた矢先に、遠鬼とはもう少し一緒にいる理由が出来てしまった。
その日、思いもよらぬ客人がこの野盗の根城を訪れたのだ。




