五十二話 侍所 その三
「……それで、この騒ぎですかぁ」
詰所に向かうまでの喧騒を思い、落葉が呟いた。
今、楼京幕府はあらゆる部署で人の往来が激しくなっている。
普段は書類仕事ばかりで静かな問注所の様な所まで
バタバタと人の走り回る足音が聞こえる。
「そうねぇ……魔族に服従印刻むような危険な輩が
楼京に潜んでいたとなればねぇ」
「お偉いさん方の身体検査かぁ? 難儀な事で」
ここ楼京で魔族に服従印が刻まれた事などかつてなかったが、
別の町では一度起きた事があったそうだ。
その時は他にも印が刻まれて自身も知らぬ内に犯罪に加担している者が
いるかもしれないと、随分と疑心暗鬼が広がった。
その時の教訓か、今は幕府の内部で要人の身体検査の真っ最中らしい。
だが今回の騒ぎの発生源とも言うべき二人は暢気なものだ。
特に虎鎧は久々の大暴れのお蔭か随分と気分が良さそうで、
床に寝そべり鼻歌を歌っている。
「話によると、将軍様まで身体検査をやらされたとか」
「うわぁ……それはちょっと……」
自分達がした事の影響がそこまで及んでいたと知り、流石に花南も表情が強張る。
対して虎鎧は我関せずとばかりに鼻歌を続けている。
「えっとぉ……そういえばさぁ、結局栃野屋の旦那、どうなったの?」
「う~ん、どうなんですかね? 魔族に服従印が刻まれるのって
相当珍しい事件ですからねぇ。僕も取り調べさせてもらえてません」
普段なら花南達が捕らえた罪人の取り調べは落葉の仕事だが、
今回は担当を外されているらしい。
「あれまぁ……。私達の手を離れちゃったわけね。
羽膳にどう報告しようかなぁ」
「……そういえば羽膳さんは?」
「今回の事件で押収した人間達の牧場に行ってるよ。
そろそろ戻ってくると思うんだけどねぇ」
言われてみれば……羽膳は今、優雅に空を飛んで帰ってきてるのだろうか?
……そもそも事がここまで大きくなったのも、
元はと言えば羽膳の悪い予感が原因みたいなものだ。
そう思うと、花南は早く羽膳の顔を見て、愚痴の一つも言いたくなってきた。
上司の顔を思い浮かべながら窓の向こうの空を眺めていると、
詰所の入口から人の入ってくる音がした。
「噂をすれば……遅かったじゃない、羽……ぜ……」
ここに来る者など侍所の役人ぐらいだ。
その内の三人が詰所に揃っている訳だから、当然羽膳が帰って来たものと思い
花南は入口の方を振り向いたのだが……。
「話は聞いてる。大手柄だったそうじゃないか」
入って来た男の身の丈は六尺程度で、一目で羽膳ではないと分かる。
というか……花南達にとってはとても馴染み深い人物だった。
戦士にしてはちょっと頼りなさげなその身体に、
身分に比してあまりにも質素な着物。
角を守るための控えめな色の額当てや、
何もかも見透かすかのような深い藍色の瞳、その紺より更に暗色の髪もそう、
その男を構成する何もかもが花南達にとって敬慕の対象だった。
「衛蒼様!」
その名前に寝転んでいた虎鎧までもが跳ねるように立ち上がる。
エイソウ……この名を知らない者はこの楼京にいないと言ってもいい。
いや、幕府に関わる者ならこの世界中の誰もが知っている。
侍所の首長である所司を長年勤め、半年前からはこの楼京幕府の要職、
管領も兼任している齢二十四の若者である。
世間に響く通り名は数あれど、特に有名なのは『楼京の守護者』。
ならず者たちが名を聞くだけで震え上がる、楼京最強の男がこの衛蒼だった。
最近は管領の職務が忙しすぎたせいか、侍所の管理を所司代の羽膳に委ね、
三ヶ月近くもこの詰所に顔を出してすらいなかった。
その衛蒼が、唐突に現れたのである。
「衛蒼様……今日はいかなる御用向きで?」
そう聞く花南の頬は紅潮している。
三か月ぶりの来訪に、花南は勿論、普段から感情が読めない落葉までも
高揚しているように見える。
「いつものように幕府に来ると、唐突に身体に服従印がないかと
裸に剥かれて調べられた。それで何事かと聞いてみれば侍所のお手柄だとな」
「それは……も、申し訳ありません!」
羽膳には険悪な態度を見せる虎鎧であっても、
衛蒼に対してはこのように平謝りまでする。
「虎鎧、謝る必要はない。お前の機転で法を蔑ろとする悪人の企みが
露見したそうじゃないか。よくやったな!」
衛蒼はすこぶる嬉しそうだ。元々法を守る事にかけて病的なまでに厳しい男だ。
それが自分の部下が重犯罪の尻尾を掴む手柄を見せたのだからこうならぬ筈もない。
「そうですよぉ。私なんかはすっかり騙されたんですけどね。
虎鎧の奴は見逃しませんでした。格好良かったですよぉ!」
「ちょ、花南テメェ……!」
「照れてる照れてる……」
「花南も自分の事をそう言うな。そもそもあの栃野屋へ当たりを付けたのは
お前の手柄だと聞いている。大したもんじゃないか!」
「そ……そうですか? えへへ……大したもんですかぁ」
さっきまで虎鎧をからかっていた花南であったが、
尊敬する上司にこう言われて、今度は花南が真っ赤になっていた。
懐かしい、そう虎鎧は思っていた。
虎鎧と花南が侍所で働き始めた頃はこんな感じだった。
尊敬する衛蒼に褒めてもらおうと、二人で色んな無茶をやったものだ。
褒められた事もあったが、叱られた事の方が多かった。
だがそれでも……嬉しかった。楽しかった。
それが……羽膳が来て、事もあろうに衛蒼の後継者と目されるまでに成長した。
そして衛蒼が管領となり、侍所に来ることすら殆ど無くなった。
その後、所司代となった羽膳が自分達の上司たらんと頑張っていたが、
その姿を素直に認める事が出来ずに虎鎧はただ腐っていた。
花南に強く言われてしまうまでにそれを心配されていた事に、
先の大暴れで最近では珍しく気分が落ち着いていた事もある。
衛蒼の前に立ち、虎鎧はかつてない程に自身を省みる事になった。
衛蒼にだけは……失望されたくなかった。
だから虎鎧は口を開いた。
「衛蒼様。羽膳の奴が帰ってきたらアイツも褒めてやってください。
アイツが悪い予感がするからと、花南に俺を付けたんです。
それに……そもそもアイツが野盗を捕まえなかったら、
今回の手柄は無かったんですし」
「虎鎧、アンタ……」
予想外の虎鎧の言葉に、花南が暫し呆気にとられる。
だが……すぐ嬉しそうに虎鎧に組み付いて、同じく言葉をつづけた。
「そうですよぉ。あんなちっちゃいのにいつもよくやってます!
帰ってきたら、絶対に褒めてやってくださいねぇ!」
「……ああ、勿論そうしよう」
テメェもちっちぇえだろうが……などと呟きながら、
虎鎧は花南を引き剥がそうとしている。
だが余程嬉しいのか、花南はがっちりと虎鎧の首に組み付いて離れそうにない。
「……ところで、ここに長い間いてもいいんですか?
管領のお仕事に差し障ったりしません?」
そんな二人の邪魔をしないように、落葉が小声で衛蒼に確認する。
「身体検査の騒ぎで今日は俺がいても仕事が回らん。
だからここに来たわけだ。羽膳に任せっきりだったしな。
一度見に来なければとは思っていたし丁度いい機会だ」
「であれば……どうぞごゆるりと。お茶、入れてきますね」
「ああ、頼む」
この詰所に流れる空気は、以前のままだった。
「帰ったけど……何やら騒がしくないか?」
それから二刻程経った頃、羽膳がそんな言葉と共に詰所に入って来た。
「おかえりぃ、羽膳!」
「おかえりなさい、羽膳さん」
「……おかえり」
今日は虎鎧からも挨拶が返ってきたなぁと、
やや不思議に思いながら羽膳は詰所を見渡す。
四人でいるには広すぎる部屋。二十畳近い縦長の詰所に、
いつもはいない上司がお茶を飲みつつくつろいでいた。
「おかえり、羽膳」
「衛蒼様、来ておられたのですか!」
慌てて衛蒼の下へ駆け寄る羽膳。
その表情は他の面々と変わらずに、溢れる敬慕に目を輝かせている。
「ああ、ちょっと大事になっていてな。その辺の話は聞いているか?」
「大事……ですか? 幕府中が何やら忙しそうなのと関係があるのでしたら、
生憎私は今帰って来たばかりでして何も分かりません」
「であれば、まずその説明からしようか」
「……という事だ。上流から下流に、そんな流れで身体検査が続くようだ。
もうしばらくすればお前達も裸に剥かれて調べられる事になる」
「うわぁ……やだなぁ」
花南は自分の体を抱えて震えている。気持ちは分かるがしょうがない。
話によれば将軍様まで調べられたらしいからな。
羽膳はそう思いながら衛蒼を見つめる。
(……変わらない。管領となり、激務のせいで痩せられたかと思ったが
そうも見えない。恐らくは、現場を離れられても
あの頃のままの強さでおられるのだ)
そう、この人の強さに魅せられて、楼京までやって来たのだと羽膳は思う。
その憧憬のこもる眼差しを、衛蒼はくすぐったそうにしている。
「……とにかく、そういう訳で今回の事件、
事前に露見せしめた事を将軍様も評価してくださってる。
なればこそ、全容の解明を急がねばならないとも言える」
「全容……? これ以上となると……何だ?」
衛蒼の言葉を受けて虎鎧がいい所を見せようとしたが……言葉が続かない。
「一番重要なのは首謀者の特定ですね。
そして人間達を何処に密輸して、何をしようとしていたのか。
それを解明せねばなりません」
落葉が助けに入る。
「であれば、俺が牧場にて仕入れてきた情報が役に立つやもしれません」
羽膳の言葉に、場の全員が頼もしさのようなものを感じた。
「何か……見つけたか」
「はい……では今からそれを報告いたします」
「じゃあ君達、この牧場の名前は知ってるかな?」
羽膳は出荷間近の人間の子供達を集めて、そんな当たり前の事を聞いて周った。
勿論聞く者全てが淀みなく牧場の名前を挙げる。
空振りかと残念に思い始めたその時、とある陰気な少年が一言。
「……分かりません」
そう、告げた。
その少年について牧場の主人に聞いてみると、
どうやらこの子は本来は既に出荷済みである筈が、
偶々体調を崩したためにまだこの牧場に残っていたらしい。
羽膳はその少年の服従印を別の子供と並べて比べてみたが、
確かに何かが違うような気がする。
「……主人、この子の服従印、他の子と違うような気がするが、
何か心当たりはあるか?」
牧場の主人は妖狸族の太った男で、そう聞かれると薄い頭を掻きながら
何かを必死に思い出そうとしていたが、すぐにパッと表情が明るくなった。
「ああ……この子が出荷されるちょっと前ですよ。
流れの拘束魔術師様が来られましてね。どうも今の楼京では大人しい人間が
高く売れているそうだと。だから少ない礼金でいいから
ちょっと服従印に手を加えてそんな風にしてあげようと言ってこられましてね。
そういう事ならとお願いしたわけですよ。
実際その後はやんちゃな子達もすっかり大人しくなりましてね。
出荷した楼京でも、いつもより高値が付いたんで大喜びしておりましたよ」
「……ちなみに、その人間達を買った者の名は聞いているか?」
「ええ。いつも贔屓にして頂いてる栃野屋の旦那だったそうですよ」
……花南から教えられた名前だ。当たりである。
恐らくは、大人しい人間を探すというやり方で特殊な服従印を持つ人間ばかりを
高値で買っているのだろう。その意図は分からないが、危険な匂いはした。
「では……その流れの拘束魔術師の特徴など、覚えていないだろうか?」
「はあ……何と言いますか、種族まではよく分かりませんでしたが、
私などより体毛が少なめで、人間に近い感じでしたね。
何よりも垢抜けてるという感じでしょうか?
小奇麗ないい男、という見た目でしたよ。ですが……」
「ですが……何だ?」
「こう……前髪をですよ、
片側だけ物凄~く長くして目を隠しておられたのですよ」
薄い頭髪でどうにかその容姿を真似ようとしていたが、
どうやら無理だったようだ。
仕方なく主人は右目だけを両手で隠して……。
「こんな感じです」
と言ってきた。
「はあ……」
羽膳は一応そんな相槌を打つ。
確かにそれは手掛かりになるかもしれないが、髪型などは如何様にも変えられる。
これだけではまだ弱い。
そんな思いが表情に出たのだろう。それを見た主人が慌てて言葉を付け加えた。
「それでですね、ちょっと気になってその髪の下を覗いてみたんですよ!
そうすると……なんと!」
「……なんと?」
「右目が潰れていたのです! あれは怪我か何かでしょうなぁ。
色男が勿体ないと思ったのですよ!」
「右目が……なるほど」
有力な手掛かりだ。報告に値すると羽膳は安堵した。
ここまで来てあやふやな情報だけでは花南に呆れられてしまうだろうし、
何より仕事に誇りを求める羽膳自身が納得できない。
「ちなみに……その男のその後の行き先などは分かるか?」
「さあ……ただ、凄腕の拘束魔術師様みたいですから、
あの後も他の牧場を周ったのではないですかな?」
その言葉になるほどと思い、近場の牧場を紹介してもらい
そこにも足を運んでみた。結果はやはり当たりである。
似たような事があって、栃野屋が人間を高く買ってくれたとの事だ。
「右目が潰れた凄腕の拘束魔術師か……」
考え込みながらもそう呟く虎鎧に、羽膳はやはり奇妙な心持になる。
所司代になってから事ある毎に突っかかって来た虎鎧であったが、
今は何故かそんな刺々しい雰囲気を感じない。
(衛蒼様の前だからかな? いつもこうなら俺も助かるのに)
そう心中で愚痴る。年長の部下にずっと突っかかられるというのは、
正直それなりに疲れる事だったのだ。
さてこの報告を受けた衛蒼様はどう思われているのだろうか。
もしかして……褒めてくださったりするのだろうかと期待の視線を向けてみると、
そこには深刻な表情で考え込む衛蒼の姿があった。
「え、衛蒼様……?」
「羽膳……大儀だった。お前の報告のお蔭で首謀者が見えたが、
これは……恐らく今回の件で思いつく限り、最悪の男だ」
「知って……いるんですか?」
「ああ。確か四年前、出雲国で牧場荒らしが起きた。
それだけでも大変な罪ではある。
だが何よりもその牧場荒らしが特筆されるべきは、首謀者の犯行理由と手法だ」
「……そう言うからには、人間を売るだの食べるだのじゃあないんですね?」
その花南の言葉に衛蒼は頷く。
「その首謀者は、牧場の人間達を操って牧場に火をかけて、
その混乱の最中に牧場の管理者を皆殺しにした。
出雲国の役人達が総出でその反乱じみた暴挙を収めはしたが、
その際に首謀者が言った言葉がこの幕府にまで報告されている」
場の全員が次の言葉を聞き逃すまいと息をのむ。
「曰く、人間を食べるのを禁止しろと。
全ての飼育されている人間を愛玩用に限定し、慈しみ愛でるべきだと」
「あ……愛玩!?」
その驚く声は誰のものか。とにかく衛蒼の言葉は続く。
「この牧場荒らしの鎮圧時に首謀者は右目を抉られたという。
だが確かに逃げおおせ、今もどこかに潜伏しているとされている。
幕府内での通り名は……魔王様への反逆すら辞さぬ
その異常な人間への愛情からか、『偏愛逆徒』……そう呼ばれている」
それが、この後二国に跨り巻き起こった騒乱の首謀者の正体だった。




