四十四話 武士
ここまで優れた強化魔術を見たのはいつ以来だろうか。
延老はその長い戦歴を辿れる限り辿り、
自身が二十に満たぬ時の戦、その一場面に至ったのを驚いた。
(それほどに希少な魔術を……使えるまでになったのか)
その魔術の使い手……今眼前で赤銅色の魔力を纏い立ち上がった人間の少年、
名を界武といった。延老はその少年を、
会った当初から額の角を見て鬼人族と勘違いし、そのように接し続けた。
これはあの左衛門佐……遠鬼が側にいたせいもある。
勘違いした自分を責められまい。そうだ……責めるべきはあの遠鬼だ。
左衛門佐ほどの官位を受けておきながら、法などまるで意に介さずに、
服従印が破れた人間などを側に置いていたという。
(だが……もしや遠鬼も、この少年の潜在能力を分かっていたのか?)
共に過ごした十日に満たない日々を思い返せば、
そう疑わずにはいられない成長速度だった。
その少年は鬼人族としてはやや物足りない体躯であったものの、
特殊な原始魔術を駆使した独創的な戦い方は勿論だが、
何よりもその精神力の強さを気に入っていた。
武装した野盗の群れに堂々と歩み寄り、首魁のみを叩き伏せるその度胸。
自身の得意武器を封じたまま、十に届く野盗の群れに飛びかかる勇気。
そして……あまりに無理が過ぎたその少年を、
少し落ち着かせようかと引き受けた模擬戦。
そこで徹底的に力量差を見せつけた後ですら折れなかったその意志。
将来を期待せずにはいられなかった。何故ならば……。
(そうだ、私はこの少年に何を見たのか……?)
「行くぞ……『閃刃』!」
その宣言と共に繰り出された左右の拳打。速度はこれまでとは比較にならない。
辛うじて受け流せはしたものの、腕に伝わる衝撃に傷ついた両腕が痺れる。
「だが……まだ甘いっ!」
既に力と速度で凌駕されている。
ならばこれよりは経験と技術で対抗する。
残念ながらこの少年、まだ格闘術を身に着けたばかりのため、
連撃の繋ぎが遅く、攻撃の予備動作も大きかった。
だからまだいくらでも隙を突けると、攻撃の間隙を縫い数発の掌底を叩きこんだ。
痛い筈だ、苦しい筈だ。だが……その苦悶すら気合一つで押さえ込み、
なお連撃を続ける。経験と技量の差は如何ともしがたい……それは分かってる筈だ。
(それでも……止まらんのか……! ならば!)
延老の顎先を狙った右拳、その手首を取り捻り上げて投げ飛ばす。
模擬戦時は何度もこれで簡単に地を這わせた。
だが今回は……。
「なっ……!」
宙を飛ばされた少年が伸ばした左手が延老の襟元を掴む。
苦し紛れに伸ばしたその手が偶々掴んだだけかもしれない。
だがそうだとしても……その左手を強く引いて
空中で無理矢理に体勢を立て直し、背中ではなく足で
着地してのけたのは驚嘆に値した。
たまらずに着地直後の少年の顎を膝で跳ね上げ、飛び後ろ蹴りを叩きこむ。
距離を取りたかった。あのまま連撃が続いていれば、
銀の原始魔術で傷ついた両腕が持たない予感があった。
今の二連撃は流石に響いたか、少年は地に片膝をつき悶えている。
だがその目は……その瞳の奥で燃え盛る闘志は揺らいですらいなかった。
(勿体ない……)
少年を見下ろし、延老はそう思った。この少年が経験を積み格闘術を極めれば、
一体どれほどの強者になるのかと……
そこで、ようやく自身の心変わりに気が付いた。
(そうか、私はこの少年を……殺したくないのか)
それは、食糧に向ける感情ではない。有り得ない。
ならば何に向けての感情なのか……?
いや、そもそも最初の疑問の答えすらまだ得ていない。
(私はこの少年に何を重ねたのか……)
(見事な……強化魔術だ)
最初にそれを見たのは確か十二の頃だ。
親も行く当てもなかった少年は、ただ自分の居場所が欲しかったからと
反乱討伐に志願した。当時は魔族の数も少なかったからか、
元服前とはいえ志願してきた少年だからと、最前線に送り込まれた。
少年は一人そこで大人に混じり、人間と戦う事となった。
そうして送り込まれた周防国、そこでの三度目の戦だっただろうか。
少年は人間とは思えぬほどの強者と出会った。
その男は着込んだ鎧の重さも感じさせずに、
神速の太刀捌きで次々と魔族の戦士を斬り捨てていた。
その速さの理由が男の纏う赤銅色の魔力であると気付いたのは、
生憎とその刃先を喉元に突き付けられた後だった。
だが最後の生き残りになってしまった少年は、
それでも敗北だけは認めなかった。
「……どうした、斬らないのか?」
少年はその人間に問う。
「斬られたいのか?」
「ああ、斬られたついでにその刀だけはへし折ってやる……!」
その少年の闘志を見て、何故か人間の剣士は眩しそうに目を細めた。
「……お前、歳は?」
「歳……? 十二だけど、それが何の関係がある!」
「十二、か……。俺は、子供はやらん」
それだけを言い残し、剣士は少年を斬らずに立ち去った。
それから少年は執拗にその人間を追い続けた。
目に焼き付いた剣技を頼りに刀を得物に戦い抜いた。
当時……いや今もだろうか、魔族はとにかく不器用で
刀のような繊細な武器を扱える者など殆どいなかった。
だからだろうか……いつの間にかその少年は、
魔族最強の剣士と呼ばれるまでになっていた。
そしてあれは十八の時か。各地で燃え上がった人間の反乱も、
ようやく鎮火の兆しが見えてきた。
だから少年は急いだ。戦いの決着が……まだ付いてない。
「よお……やっと会えたな」
最後の戦場で、少年はついに仇敵を見つけ出した。
「またお前か……これで、何度目だ?」
「しつこくて済まんがこれで六度目だ。
だが喜べ。これが最後だ」
「そりゃあ……嬉しいなぁ!」
既に顔なじみを通り越し、戦友に近い間柄になり果てていた。
だからそれは凄惨な殺し合いとはいえ、楽しかったりもしたのだろうか。
剣術の極みに到達した人間と魔族の剣士の戦いは、
近況報告を含む談笑などを交えつつ、ただ極みのその先へ到達せんと
只管に刀を交わし続けた。
だが、その楽しい時間も終わる。
最後に勝敗を決めたのは……何だったのか。
その答えも分からぬまま、少年は横たわる人間を見下ろしていた。
「……聞きたい事があるんだけど」
「何でも聞け。勝った者の特権だ」
「最初の時だ。何で俺を斬らなかった?」
「……俺は、お前達に妻と息子を殺された。
だから……俺は、女と子供は殺さん。それだけだ」
「そうか……それは、同胞が悪い事をした。すまん」
その少年の言葉を聞いて、死の淵にいる人間はそれでも笑った。
「じゃあ……許してやるから頼まれてくれ。
武士の頼みだ、受けねば酷い事になるぞ……」
「ハッハッハッ……分かったよ、何だ?」
「お前の剣技……それは、俺の剣技だな」
「そうだ、お前から学んだ」
「そうだな……その剣技で……人間でも毛人でもどっちでもいい。
女子供をみだりに殺すようなくだらん奴がいたら……斬り捨ててくれ」
変な頼みだと少年は思った。
だが……いや、だからこそ受けない訳にはいかなかった。
「引き受けた。お前の剣技でこれからもそんなくだらん奴を斬り続けよう。
だから……だから……」
だから……何と言いたかったのだろうか? だが言葉は続かなかった。
それを伝える前に、人間の剣士が事切れてしまっていたからだ。
あれが少年、いや……延老の知る限り、最後の人間の反乱だった。
「武士、か……」
あの人間の剣士もそうだった。
かつて、人間の戦士の事をそう呼んでいたのだ。
そんな大事なことを……何故、忘れてしまっていたのか。
(そうか……そういう事だったか)
その追憶が全ての問いに答えをもたらした。
だから、界武が立ち上がるまで延老は何もせずに待った。
立ち上がる界武。恐らくは、魔力も限界に来たのだろう。
最後の攻撃の覚悟を決めたか、下ろしていた腕を上げ構えを取った。
(界武君は……自分の手の届く範囲では、人間は食糧ではないと言った)
では何か。延老は既にその答えを得ていた。後はそれを認めるか、否定するかだ。
「……待たせたなぁ。じゃあ……行くぞ!」
もう息も辛いだろうに、律義に攻撃の宣言をする。
「来なさい、界武君」
それに、延老はそう応えた。
残る全ての魔力を振り絞ったか、赤銅色の魔力の炎が界武の体から燃え立つ。
その炎を推進力に換え前に駆ける。牽制も何もない、本当に真っ直ぐな突進、
そしてそこからその日一番綺麗な縦拳が放たれた。
(ああ……これだ。得物は違えど、これは武士の一撃だ……!)
その一撃を、どうして蔑ろに扱えようか。
魔術を使わないという事は、自分の拳に意志を乗せないという事だ。
(そんな……魂の抜けた手で触れていいものではない!)
延老は強化魔術を発動し、瞬発力を倍加させた左手でその縦拳を受け止める。
血濡れた包帯に固められた拳から伝わる衝撃に、延老は身を震わせる。
そしてその衝撃を殺しきった拳を弾き飛ばし、腰に下げた刀を手に取る。
ならば次に放たれるのは神速の抜刀術だ。
それは五十年以上も前から戦い続けて来た男の、必殺の一撃だった。
「……素晴らしい一撃でした」
そう言って延老は刀を鞘に納めた。
「褒められるのは嬉しいけどさ……やっぱ届かなかったかぁ……」
界武はそう返すと、悔しそうに項垂れた。
抜刀術は……魔力の炎を吹き飛ばしただけで、界武の体を斬らなかったのだ。
その事に気付いた界武は、刀が通り抜ける筈だった胸元を撫でつつ聞いた。
「それでさ、なんで斬らなかったんだ?」
「……この剣技はですね。界武君のような素晴らしい少年を
斬るためのものじゃないんですよ。
それにですよ。おかしいじゃないですか……敗者が勝者を斬るなんてね」
そして、延老は笑顔で勝負の結果を伝えた。
「界武君、あなたの勝ちです。
認めましょう……いや、思い出せたとでも言うべきでしょうか。
……人間は、食糧なんかじゃなかったと」




