四十二話 切り札
「……どういう事だ遠鬼。貴様がこれを知らなかったとは言うまいな」
遠鬼を呼ぶのに敬称が無くなっていた。
「知っていた」
「まさか……貴様、左衛門佐でありながら服従印を解く大罪を犯したか!」
隠居したとはいえ左近衛中将まで上り詰めた延老さんだ。
服従印の解除という大罪をよりにもよって魔王軍に連なる者が犯すとなると、
許せるものではないんだろう。
「あまり失望させるな、『閃刃』」
だが遠鬼の答えはやっぱりズレている。これで真剣なんだから手に負えない。
「失望してるのは私だ! 答えろ、遠鬼!」
「まず一つ。官位は押し付けられたもんで正直どうでもいい。禄ももらってない」
(……禄もらえてないのは結構気にしてんだろうか?)
まあ、遠鬼の懐事情は今は果てしなくどうでもいい。
「二つ。界武の服従印は俺と会う前からこうだ。俺が破ったんじゃない」
「その言い訳を信じろと……?」
「三つ。今のお前の相手は俺じゃない。いつまで俺と駄弁るつもりだ?」
その言葉に延老さんが俺を睨む。侮蔑が混じった視線が突き刺さる。
今まで延老さんから受けた事のないもので、
これが本来人間が受けるべき視線だと思うと本当に悲しくなる。
「遠鬼の言う通りだな。こっちはもう準備出来てんだ。
いい加減さっさとやるぞ」
侮蔑よりかは敵意の方がずっとマシだ。だから俺は早く戦いたかった。
だが……そもそも人間の子供と戦わされるというこの状況自体が、
延老さんにとっては我慢がならないものだったらしい。
「……ふざけるな」
腹の底から絞り出すような声。
「人間のガキ相手に本気で戦えと……馬鹿を言うな。
そんな事が知られれば、私は私を知る者全てから嘲り罵られるだろう」
「……そうかい」
(やっぱ延老さんの知り合いともなれば、強い奴ばっかだろうから、
そんな風になるのかねぇ)
俺はまるで他人事のように、引くも進むも得るものが無い
延老さんの境遇に僅かだが同情する。
「故に……お前相手に刀はおろか魔術も使わん。
それでもお前に万に一つも勝ち目など無い。
人間の無力さを思い知り、悔恨の内に死ね」
だからだろうか、延老さんは自身に縛りを課した。
それで一瞬沸いた希望を慌てて振り払う。
刀も魔術も無ければ延老さんはただの老人か? ……断じて否だ。
これでも俺達の力の差は覆しがたいものに違いなかった。
だが、そんな事はもうどうでもいい。今回も昨日のそれと同じだ。
勝ちを拾う為の戦いじゃなく、俺を認めてもらう為の戦いなんだから。
「すぐに魔術を使わせてやるよ、『閃刃』!」
そして俺は飛びかかる。
「黙れ」
構えも取らぬまま、ただ一言。それが延老さんの反応だった。
彼我の戦力差は過去二回の模擬戦ではっきりしてる。
まともにやりあうのなら、たとえ延老さんが魔術を縛っていようと
一撃だって当てられないだろう。
俺の狙いはただ一つ。唯一延老さんに届く可能性のある銀色の腕……
あれを最大限に活かせる場を整える。
「はあっ!」
まず、魔力は出来る限り温存しないといけない。
透明の腕での攻撃はまず通用しないんだから、そっちは身を守る際に
偶に使う程度に留める。
とはいえ、生半可な攻撃は全て受け流されるのは学習済みだ。
だから初手に選んだのは全体重を掛けた飛び蹴り。
幾らなんでもこれは受け流せないだろう。
想定通り延老さんは横に飛んで躱す。
拳の届く距離に近づけた俺は、間髪容れずに左右の拳打を振り回す。
容易く躱されはしたものの、まだ連撃は止まらない。
(ここからだ……ここからが大事!)
狙うのは……延老さんの拘束。
切り札の銀の腕でも延老さんなら受け流すかもしれない。
そうなるとこの勝負、完全に詰んでしまう。
だが……腕が使えない、そうでなくとも使いづらい状況ではどうだ。
(せめて……片腕だけでもいい、どうにかして格闘術のみで
延老さんの腕を封じるんだ……!)
四発目の右拳がようやく延老さんを捉える。
その後の左の拳打に右の回し蹴り、どちらも防がれたものの、
確かに延老さんに届いてはいた。
(おかしいな、延老さんの動きが鈍いというか……)
攻撃が受け流されない。次に打った顎への掌底は流石に躱されたものの、
その後の体重の乗った強烈な右の縦拳も受け流されずに防御された。
「どうした、調子悪いのか!?」
勿論受け流されるのを警戒して手足の引きを速くしてはいる。
だけど自分が強くなったとは思わない。
たとえ魔術を使ってなかったとしても、延老さんに対して
俺がここまで一方的に立ち回れるわけがない。
「調子……?」
その声色にゾッとする。
最初にいくら言っても俺の言葉が届かなかった時と同じ。
今自分に打ちつけられた拳にすら何の興味も沸かないかのようだった。
「このくだらん戯事に私の調子が関係あるのか?」
そこで初めて延老さんから動く。
これまでの模擬戦では見た事のない……延老さんらしからぬ荒々しい膝蹴り。
大きく取った予備動作でどんな攻撃が来るかすら事前に察知できる、
ただのならず者が打つような膝蹴り。だから当然防御もできる。
魔術の腕を自分のそれに重ね、厚い防壁を作った……筈だった。
(え……!?)
その防壁ごと打ち上げられた俺の体は、大きく後方に吹っ飛んでいた。
以前蜥蜴男に尻尾を振るわれふっ飛ばされた時と似たような衝撃に、
俺はその時と似たような対応を咄嗟に選んだ。
腰から二本の腕を生やして地を捉え、衝撃を殺しつつ緩やかに着地する。
それでも、膝蹴りで受けた衝撃が胸を突き抜け背中に刺さってるかのようだった。
(今の膝蹴り……格闘術の指導で習ったものと全く違う!)
技の極致にあったかのような延老さんの格闘術。
こめる力は最小限、だが放たれる打撃は全て一級品。
模擬戦の際はそんな風に感じたものだが……それとは似ても似つかない。
そうして動揺する俺の顔を、今度は無造作な右拳が襲った。
「なっ……!」
着地が上手くいったんで油断してしまったか……
いや、模擬戦の時より更に素早く間合いを詰めた延老さんに、
俺が対応できなかった。
すんでで右手の防御が間に合いはした。
だが、防いだその手ごと顔を殴られ後ろにのけぞる。
自分の腕で鼻を打ち、その痛みに血が流れだしたのが分かった。
崩れかけた態勢を立て直さんと魔術の腕を地に着け、
それを支点に側転して距離を取った。
右手で鼻を拭うと、包帯が血で赤く染まった。
かなり強くぶつけたからか、すぐ止まる程度の鼻血じゃないらしい。
(速さもそうだが、力強さも模擬戦の時の比じゃない……!)
昨日考えたあらゆる攻撃手段、その全てを模擬戦時の延老さんの体捌きを
想定して組み上げていた。その自分の目論見の甘さを恨む。
だが、どうにかこの勝負の内に適応しなければ……!
そしてこっちに休む暇を与える気も無いのか、
俺が取った距離はあっという間に詰められる。
先と同じような雑な前蹴りが今度は腹に飛んできた。
両手で腹を守るものの、その衝撃を受け止めきれず
蹴りは俺の腕ごと腹に突き刺さる。
「ぐうっ!」
僅かにだが体が浮き上がるほどの威力で後ろに飛ばされ、
倒れそうになりながらも何とかたたらを踏んで持ちこたえる。
「軽い体だ。蹴った感触すら無かったわ」
延老さんの挑発だ。この人は本当に、
俺が人間であること自体に絶望させるつもりなのか。
次の攻撃は……もう格闘術でも何でもない、
羽虫を払うように右手の甲で俺の頬を叩く。
魔術の腕で守ろうとしたが……思うに、延老さんの攻撃を止めるには
俺の体が軽すぎるんだ。どう防ごうとふっ飛ばされてしまう。
「そして……脆い」
倒れ込む俺への追撃は、今度も路傍の石を蹴飛ばすかのような、
ただの荒々しい蹴りだった。そこで知る。延老さんは刀や魔術のみならず、
格闘術すら使う気が無いらしい。
ふっ飛ばされた際の痛みで反応が遅れた俺は、
仕方なく体を丸くして蹴られるままに転がる事にした。
とっさの行動ではあったが、むしろ良く転がった方が
蹴られた衝撃を受け流せるのではとも思ったからだ。
運良く……と言っていいのか、右肘と右膝の重なった、
一番防御の厚い箇所に蹴りが入った。それでもその痛みに悲鳴を上げる。
軽く宙に上がった俺の体は、二度ほど地面を弾んでから
ゴロゴロと地面を転がり、うつ伏せの状態で止まった。
更に追撃が来る前にと、急いで四肢を伸ばして跳ね起きる。
特に右膝に強い痛みを感じる。あの蹴りがまともに入ったからだろう……
動かせるには動かせるけど痛みを伴う。言われた通り、本当に脆い。
(あの速さと強さに慣れるのを待ってる間に殺されそうだ……!)
「あああああっ!」
ならば受け流されるのを恐れて縮こまってても意味が無い。
右足の痛みを無視して強く踏み込み、こちらから一気に間合いを詰める。
昨日の夜、遠鬼に見せた連撃は確か二十を超えた筈だ。
そしてその時とは違い今は右拳だって使える……三十は優に届くはずだ。
「受けてみろおっ!」
防御に回るとどうにもならない事を悟った俺の、決死の連撃が始まった。
今の右の突き上げで連撃は三十を超えた筈だ。だが……。
(……化け物かよ)
その全てを防御もせず、受け流しもしない。
というか、そもそも触れる事すら出来てない。
肘打ちすら届く程に至近距離にありながら、全ての打撃が空を切っていた。
七十九の老人が、ここまで素早く動けるものなのか。
しかし、ここまで来ると受け流す方がよっぽど簡単だろうに、
意地でも格闘術を使う気が無いらしい。
なるほど……俺は勘違いをしていた。延老さんが魔術を使わないと宣言した時、
俺は僅かに勝機が見えた気がした。だが……その希望こそが罠。
希望を持たせた上で、格闘術すら封じて圧倒するつもりだろう。
この勝負が俺にとっては俺を認めさせるものであるのと同様に、
延老さんにとっては俺の心を折るためのものなんだ……。
(分かっちゃいたけど、こんなにも差があるもんか……!)
攻撃が空振る度に、体ではなく心に痛みが蓄積されているような気がしていた。
息も上がってきて、動きが遅くなってきている。
恐らくは、後十も連撃を続けられない。
(このままじゃ駄目だ、このままじゃ……!)
焦りに突き動かされ、俺は延老さんの細い胴に向けて体当たりを試みた。
そのまま両手で抱え込み、腕を拘束するつもりの行動だった。
だが、勿論こんな動きは延老さんに習った格闘術には無い。
稚拙な挑戦は空振り、俺は前方の地面に飛び込む格好で激しく倒れ込んだ。
上がる土煙。それを二、三度手で振り払ってふらつきながらも立ち上がる。
汗だくだった体中に土が張り付いて気持ちが悪い。
今の連撃で体力も尽きかけ、構えを取るのすらきつい。
だからせめて目だけでも抵抗の意思を示そうと延老さんを睨む。
その視線が……延老さんのそれとぶつからない。
延老さんはこちらを確かに向いている。目だってこっちに向けてある。
なのに視線を感じない。それが不気味でしょうがなかった。
「時間の無駄だ、さっさと切り札を使え」
「……え!?」
「ここに至ってまだ魔術を使わない。という事はあるのだろう、切り札が。
使えばいい、止めはしない。だが……通用するとは思わぬ事だ」
戦い方から切り札の存在まで読まれてしまっていたようだ。
(……どうする、使っていいのか? 万全の状態で迎え撃たれては、
銀の腕でも受け流されるかもしれない。
だけど……このまま戦ってもどうしようもないのも確かだ)
……ふらふらと右手を目の高さまで上げ、その手首を左手で掴む。
「分かったよ、どうせこのままじゃあ俺を……人間を認めてもらえそうにない。
だったらやるよ、やってやるよ……!」
温存した魔力を右手首に集中する。思い描くは昨日の河原。
触れるもの全てを破壊してのけた、銀色の稲光……!
「があああああっ!」
動かない筈の右拳すら、より固く握られたかのような……
そんな極限までの力の集中に、俺の原始魔術が応えた。
万雷の怪音、破裂音。それを従え現れたのは銀色の魔腕。
右手と共にそれを振るい、延老さんに向かって叫ぶ。
「これが俺の切り札だ、銀色の原始魔術だ!
人間の力を……なめるなよ、『閃刃』っ!」
そして振り上げた右手が……振り下ろされた。




