四十一話 勝負
その日は昨日から引き続き生憎の曇り空だった。
湿気を帯びた早朝の風は真夏とはいえ少し肌寒くもあり、
むき出しの腕を手でさする。今の状態だと、右腕はともかく、
左腕を上手くさする事が出来ない。
右手が包帯できつく締めあげられ、拳を形作っているせいだ。
見よう見まねで巻いてみたから随分と不格好だが、
それでもこの右拳があればこそ、俺は自分の力を十全に発揮できる。
そして、それこそが今から必要だった。
「おや、界武君……おはよう、今日は早いですね」
延老さんは起きたばかりで身だしなみを整えている。
長い髭を櫛で梳かしながら、その触り心地を確かめている。
いつも整ってるとは思っていたが、ちゃんと気を遣っていたようだ。
「……おはよ、延老さん」
さて、どう切り出したものか。やる事は決まってるのに……
その切っ掛けをどう作るかまでは考えてなかった。
(別にいっか……畏まるようなもんじゃねぇし)
「延老さん、朝早くで済まないけどさ、頼みたい事があるんだ」
「さて……何でしょうか?」
「昨日の夕食さ……俺、凄い楽しかったんだよ。
だからさ、昨日の面子でもう一回やりたいんだけど、どうかな?」
朝から何を頼まれるものかと少し警戒していたのかもしれない。
その警戒が杞憂だと知り、延老さんは哄笑した。
「ええ、いいですとも! 新坂につけばもう一度豪華な夕食にしましょう。
知ってますか? あれぐらい大きな町になると
飯屋なんてものがありまして、なかなか美味しい料理を出すのですよ。
案内いたしますから、是非そこで……」
「いや……それ駄目なんじゃないかな」
「はて……どうしてでしょう?」
「だってさ、そこって人間は一緒に食べていいのか?」
あの少女が一緒に食卓を囲むことなんて出来ないだろうに。
まあそうでなくとも、何の肉が出てくるか気が知れない。
調理過程の見えない料理は食べたくない。
「無理ですよ、当然です。……まさか、界武君」
眉をひそめる延老さん。
俺はそんな反応を変えたかった。だから怯む訳にはいかない。
「昨日の面子って言っただろ。あの少女も入れてだ。
じゃないとちっとも楽しくならないね」
「……あのですね、界武君」
「まあ……聞いてくれ、延老さん」
小言が長くなりそうなんで、もう最初に言いたい事を言ってしまおう。
「俺はさ、もう人間も魔族もどうだっていいんだよ。
人間であれ、魔族であれ……それがいい人なら一緒に楽しく生きたいんだよ。
逆も然りだ。それが俺や俺の大事な人を害するようなら……容赦なく倒す」
延老さんは聞き役に徹しているが、その表情は曇ったままだ。
「それでさ、そりゃあ俺はあの少女の言葉を聞いた事は無い。
だけど……きっといい奴さ。今までの態度から分かるんだよ。
延老さんも、昨日の夕食の時見てなかったか?
あの子さ、美味しいものを食べるとすっごい嬉しそうな顔するんだよ。
それで噛む力も弱いのに、頑張って焼肉を噛み切ろうとしてさ、
口を涎でぐしゃぐしゃにして……それで凄い恥ずかしそうなのに、
それでも焼肉は食べたいらしくて……言っちゃあ悪いが、面白かった」
思い出し笑い。そんな俺を見てもやはり延老さんの表情は晴れない。
「それでさぁ……あんな態度を見ててやっぱり不思議に思ったわけよ。
あの子……何で喋れないんだ? こっちの言ってる事は勿論伝わってるし、
あっちの伝えたい事も分かりやすいように表情とかで教えてくれる。
感情表現が豊かなんだ。ただ、言葉だけがあの子にはない。
怪我とかが原因にも見えない。そうなるとさぁ、やっぱり疑うのはあれだ」
「背中の……服従印、ですか」
延老さんの胡乱な視線が突き刺さる。
これ以上は止せとでも警告しているかのようなその視線。
だが……勿論俺は止まらない。
「そうそう……それだよ。延老さんさ、何か牧場から聞いてない?」
「……牧場で問題を起こして、喋れなくしたと、聞いてますが」
「やっぱり……そうか。そう命令されてたんだな」
ずっと不思議に思ってた。だってさ、姉さんはあんなにお喋りだったんだ。
その姉さんと同じぐらい感情表現が豊かなあの子が喋らない、喋れない。
そこには絶対服従印が関わってると睨んでた。
「それなら話は簡単だ。
延老さん……あの子の解除印を俺にくれよ」
「界武君……」
「だってさ、何も喋れないままじゃ延老さんだって
あの子が本当にいい子かなんて分からないだろ。
それなら一回ちゃんと喋れるようにしてさ、
それでしっかりあの子を見極めてくれ。
それでも延老さんがあの子を嫌だって言うんならそれはしょうがないさ。
でも……それであの子がいい子だって思えたんなら、
もう一回、一緒に食事をして欲しい!」
「服従印の解除は……重罪ですよ」
「さっき言っただろ。俺はそんな事はどうだっていい。
魔族か人間かでその人を評価するな。しっかりとあの子自身を見て、
話を聞いて……それで評価をして欲しい」
「あれは人間ですよ、ただの食糧です」
「ふざけるな! 服従印で意思を縛って言葉も奪って……
それで無理矢理食糧にしてるだけじゃないか!
なら服従印が無かったらどうなんだ!? 食糧じゃなくなるのか!?
そういう事だ! 魔術で縛ってそっちの勝手にしてるだけだ!」
そこで延老さんは口を閉ざした。
その視線からは怒気までも感じるようになってきた。
だけど……それがどうした!
「あの子をどう認識するにせよ、あの子自身を見たらどうだ!
それとも何だ? あんな小さな人間の少女が怖いのか!?
だからわざわざあんな大きな服従印を刻んでるのか!?
延老さん、アンタも魔族の英雄だっていうんなら、
そんな訳ないんだろ? それならさ……卑怯な事は止めたらどうだ?」
「卑怯……とは?」
「何度も言ってるだろ! あの子を好くにせよ、嫌うにせよ……
いや、食糧として見るのだってこの際いいよ!
でもそれは全部あの子をしっかり見てから判断しろよ!
服従印で縛ったまま、あの子に何もさせないままに食糧に仕立てて
消費する……そんなのは卑怯だと思わないのか?
魔族の英雄のするような事か!?」
「……なるほど、界武君の言いたい事は分かりました」
「……そっか」
「で、だから何だというのです?」
「な……」
そう言った延老さんの表情からは最早怒気すら感じない。
というか何の感情も見えやしない。俺が今言った事全て、
どうでもいいと言わんばかりの態度だった。
「何故食糧をしっかり見る必要があるのです?
何故それを食べる事が卑怯なのです?
界武君、貴方が今言った事はまるで要領を得ない。
服従印があろうがなかろうが人間は食糧です。
それ以外の何かでは有り得ない」
それを聞いて、俺はもうこれ以上言葉を重ねても意味が無いと思い知った。
駄目なんだ……もうこれは百年も続く常識なんだ。
それを延老さんに考え直してもらうには、言葉だけでは足りないんだ。
「何だ? まだ始まってないのか……」
そんな切羽詰まった状況の中、あくびを挟みながら遠鬼が近づいてきた。
昨日の今日なのに、どうやら今まで眠りこけていたらしい。
そのボサボサの頭を見るに、ついさっき起きてきたようだった。
「まだ……!? まさか遠鬼殿、これはあなたの差し金ですか!?」
子供相手にはなかなか感情的になれなかったのか、
延老さんは遅れてきた遠鬼にはここぞとばかり怒声をぶつける。
「耄碌したか、『閃刃』?」
「な、何と……!?」
「そいつの覚悟を見てどうしてその感想になる?
どんな思いでそこに立っていると思っている?
今の界武は俺の舌先なんかで操れるもんじゃない」
遠鬼にはその気は無いのかもしれないが、
誰かを煽る事にかけては稀有の才能の持ち主だと思う。
いきなりの耄碌発言に延老さんの眉が見た事のない角度まで上がる。
「であれば止めようとは思わぬのか!? 今界武君がしようとするは
死をも問われる重罪ぞ!? 分かっているのか遠鬼殿!」
「だから耄碌していると言っている」
「……まだ、言うか」
「男がそうすると決めた事だ。
法がそれを止められるのか? 権威がそれを押さえられるのか?」
「無理……だと?」
「語るまでもない」
そう言うと遠鬼は荷台に飛び乗った。
その衝撃にビクッと驚く何かが荷台の陰に潜んでいた。
勿論あの少女だ。その白い髪が僅かに揺れている。
どうやら、俺達の口論のせいかちょっと前から目を覚ましていたらしい。
荷台からゆっくりと這い出てきた少女の顔が見える。あれは心配の表情だ。
「界武も……そろそろ思い知った頃か」
「何がだ!?」
俺の言葉が微塵も延老さんに届かなかったそのせいで、
遠鬼への返事も荒くなっていた。
「お前が成し遂げたいと思ってる事はな、拳しか物言わん世界にある。
というかな……そもそも魔族とは、そういうものだ」
「掟通りと言いたいのか?」
「そうだ、魔族が求めるのは力。それ以外は不純物だ」
「……なるほどね」
俺は延老さんを見据える。そして……包帯で固めた右手を前に出し、
左拳を引き絞る。延老さんから習った、縦拳を打つための構えだ。
「なら勝負だ延老さん。勿論模擬戦じゃない、本気の勝負だ……。
延老さんが勝ったらさっきの俺の言葉は全部取り消すよ。
だけど……俺が勝ったら、解除印を寄越せ。そして、
あの子をもう一度、今度は食糧と決めつけるんじゃなく、
あの少女として見て欲しい」
それを聞いて満足したか、遠鬼は荷台の上に座った。
勝手にそこを観客席と決めつけて、少女と観戦するつもりらしい。
少女は遠鬼のボロボロの上着を掴み、俺の方を指さしながら何かを訴えている。
只事ならぬ雰囲気を察したか、遠鬼に止めに入って欲しいようだ。
ただ、勿論遠鬼にその気は全く無い。
「馬鹿げてる……。この私に、界武君を手にかけろと?
それも明日には食べられるかもしれぬ人間なんぞのために」
もう何度目だろうか、延老さんの口から人間を蔑む言葉を聞くのは。
俺に良くしてくれた延老さんだからこそ、
その人の口からもうそんな事を聞きたくなかった。
いや、正確には俺はそれを他人事として聞いていたくはなかった。
実際そうじゃないんだから。
「延老さん、それなら手にかけるのが魔族の少年じゃなければどうだ?」
「何を言っているんですか、こんな時に……」
俺はもう随分と絞めっぱなしだった額当てに手をかける。
ちょっと力を入れた程度じゃびくともしなかったけれど、
何とかそれをずり上げた。
「界武君、君は……」
「俺は人間だよ。アンタが食糧と蔑む人間のガキだ。
どうだ、これで戦いやすくなったか……『閃刃』!」




