三十九話 本当にしたい事
「で……何の用だよ?」
松明の眩しさに目を細めながら遠鬼を見る。
遠鬼はこちらに近寄るそぶりを見せず、声さえ届けばいいとでも思ってるようだ。
「聞きたい事が一つ、言っておきたい事も一つだ」
「……じゃあまず、聞きたい事って何だ?」
「新坂についた後、お前はどうする気だ?」
「ああ……それなぁ……」
遠鬼に言っていいものかどうか、多少迷いはしたものの結局全て話す事にした。
俺が人間だという一番大きな秘密を共有してる訳だから、今更な話だ。
「あの少女がいたっていう牧場に行くつもりだ。
だから……東に戻る事になるのか?」
「何故だ?」
「……解除印だよ。あの子の解除印を取って来る。
で、また新坂に戻ってきて服従印を解除する」
これもまた今更な話かもしれないが、要は俺のやろうとしてる事は
牧場荒らしだ。で、その後に少女の服従印を解除するつもりだ。
どちらも魔族の法だと重罪らしい。追手がかかるかもしれないが……
それがどうした。
……さて、遠鬼はどう言うだろうか?
まさかコイツが法に触れる行いを咎める筈も無いだろうが、
黙認して済ますのか、危ないからと止めるのか、
それとも……手伝ってくれたりするのか。
「お前が解除印を取りに行ってる間、あの娘はどうする気だ?」
(あ、今度は俺の事じゃなくて少女の心配か。
……相変わらず、どっち向いて話してるのか分からない奴だな)
少し奇妙には感じた。さっきの延老さんの話が
頭の片隅にあるからかもしれないが、確かに遠鬼はこれまでもあの少女に
甘かったような気がする。
「あ、ああ……その辺は守護の所で治療役になってくれるのを期待する」
ただ、あの治癒魔術の効果を日々実感してる俺としては、
あんな便利な能力をむざむざ一度の食事の為に捨てる、
なんて事はしない気がするんだが……どうだろう。
「それは期待しない方がいい」
「え……いや、お前は知らないだろうけどさ、あれすっごい便利だぞ。
効果が分かれば誰だってな……」
「そういう事じゃない」
「……じゃあどういう事だ?」
「最初に言った、もう一つのお前に言っておきたい事がその理由だ。
俺は新坂で噂を聞いた。この国の守護、名を厳容という……その男の為人だ」
「あのさあ……あんまりあっちこっちに話を飛ばさないでくれ。
追っかけるのも大変……ちょっと待て、その守護って確か……」
「そうだ、『閃刃』に今回の野盗討伐を依頼した男で、
あの娘をここまで取り寄せた張本人だ」
「……そういう事か。何が言いたいのか何となく分かった」
この話の流れならば次の展開は大体予想できる。
勿論、予想できてもちっとも嬉しくはない。ふざけた話だ。
「つまりはこういう事だろ? その守護様とやらは酷い奴で、
あの少女も碌でもない目に遭うってやつだ」
「酷い奴ではない。部下には公平、民には公正、
守護としての評判はすこぶるいい。誰に聞いても人格者だと言っていた」
なんだ……悪い話を警戒してたせいもあって、少し脱力した。
「あれ……予想が外れたか。でもまあ、それなら別に問題無いんじゃないか?」
「俺達が皆魔族であれば何も問題は無い」
「……何だそれ?」
「その厳容はな、美食家だという噂だ。
特に人間の少女の肉が……大好物、らしい」
吐き捨てるように、遠鬼は言った。
俺も、今聞いた事をそのまま痰に絡めて吐き捨てたい気分だったが……
そういう訳にもいかないんだろう。
「……うんざりだ」
さっきまではこの川の畔の清らかな雰囲気に洗われたかのように
澄んでいたんだよ、俺の心中はな。
それをまあ……良くもこんな胸糞悪くなる話を持ってきてくれたもんだ。
「そうだな」
さっきまでの遠鬼の口調から察するに、どうやらこれは空返事じゃなさそうだ。
理由は分からないが、遠鬼も明らかにそれを不快だと感じている。
「遠鬼、どうすりゃいいと思う?」
だからだろうか……俺はそんな風に、遠鬼に相談を持ち掛けた。
「……ここなら三ヶ月は籠城できる」
「ん? ああ……そんな事言ってたよな。
でもそれがどうしたよ?」
「あの二人をここに閉じ込めておいて、その間に解除印を取って来る」
「……いや、そりゃ無理だろ。延老さんが許しちゃくれねぇよ」
「そうか」
やっぱ相談相手としては適当じゃないな、遠鬼は。
だけど、遠鬼なりにあの少女を助けようと思ってくれてる事が、
俺は嬉しかった。
「……解除印はさ、もう一個あるんだよ。それもすぐ近くに」
「どこだ?」
……これは言っていいものかどうか。いや、これも今更だ。
「延老さんが持ってる。俺はそう聞いた」
「なら話が早いな」
「……なんでだ?」
「明日俺が『閃刃』に勝負を挑む。それで勝てばいい」
……ますますこの男の意図が分からない。
ちょっとした同情とかじゃない。どうやら本気であの少女を助けようと思ってる。
「……延老さんはどうなる?」
「死ぬか……そうでなくともただでは済まんな」
「逆にお前が負ければ?」
「俺がそうなる。だがどの道、俺達は新坂で戦うつもりだった。
少し予定が早まっただけだ」
「ああ……そういや、そうだったな」
俺は空を見上げる。今日は残念ながらの曇天で、月はおろか星すら殆ど見えない。
(道理で……暗い訳だ)
その天気すら明日起こる不幸な出来事を暗示してる気がしてくる。
……駄目だ、気が滅入ってくると何を見てもこんな風になる。
「……しかし界武、随分と冷静だな」
「俺が、冷静?」
「ああ、この事を聞いたらお前なら必ず怒ると思っていた」
遠鬼は……俺が薄情だとでも言いたいんだろうか?
「……怒ってるよ、これ以上無いほどにな。
だけどな、お前に怒ってもしょうがないだろ。
その矛先を向ける相手が来たら、ちゃんとこの怒りをぶつけてやるさ」
「そうか、それならいい」
それだけ言って遠鬼は後ろを向いて歩きだした。
「待て遠鬼。話終わってなくないか?」
「終わってる。明日俺が勝負を挑む。それで全てが決まる。
その後の事は、その後話し合えばいい」
「まあちょっと待て、それじゃ駄目なんだよ」
「……何故だ?」
ここでようやく遠鬼が振り向く。
ちょっと前までは、あの顔を見上げるのも抵抗があった。
子供っぽい反抗心もあるが……
何というか、思い知らされるんだ、力の差って奴を。
でも……今は違う。
「なあ遠鬼、今日の夕食どうだった?」
「……夕食?」
「そうだ。俺はな……楽しかった」
返事はない。ただ俺の意図を探るような真っ直ぐな視線があるだけだ。
「だけどさ、延老さんがあの少女の事を良く思ってなかったからか、
ちょっとぎこちなかったのは残念だったよな」
「……だから何だ?」
「だからさ、次やる時は延老さんにもあの子の事を認めてもらってさ、
それから四人で食事を楽しめばいいと思うんだよ。
間違いなく今日よりもずっと楽しくなる筈だ、保証するね」
「……馬鹿か、お前は? 『閃刃』が人間の小娘など、認める筈が無い」
それを聞いて俺は笑う。ああ……遠鬼も肝心な事を見逃してる。
「馬鹿はお前だよ、遠鬼。だってさ、あの延老さんはもう人間の俺の事を
認めてるんだよ。あの人が言うにはさ、俺は新しい魔族の英雄だとさ」
「『閃刃』が……そんな事を?」
「そうだよ。それにさ、お前は俺に言ったじゃないか。
守りたい奴を守って、戦いたい奴と戦えと」
「それは言ったが……」
「俺の守りたいものは、今日の夕食なんだよ。お前と俺、延老さんとあの子。
四人で楽しく食事をする事……それだけなんだ。
それぐらいなんだ、俺の守りたいのは」
随分とちっぽけだ。だけど……だからこそ俺らしいと思う。
「人間がどうとか、魔族がどうとか……そんなのはどうだって良かったんだ。
俺は自分が食べられるのも嫌だけどさ、それと同じぐらい……
俺の手の届く範囲にいる人達が傷ついたり殺されたりするのも御免だ!
だから俺はそれを守るために戦う!
それを邪魔する奴は誰だってぶちのめす!」
「そうか、それがお前の本当にしたい事か」
遠鬼は笑ってた。優しい笑みだ。だから俺も笑って宣言する。
「そうだ! そしてそれにはな、お前と延老さんの勝負が邪魔だ!
どっちかが死んだりしてみろ……次の夕食が楽しくなくなんだよ!
だから……俺は遠鬼、お前と延老さんを守る! どちらも殺させない!」
大笑い……見た事のない表情で遠鬼が笑っている。
「ハッハッハッハ……! そうか、お前は俺すら守るのか!」
笑いすぎて涙すら零れてきたようで、左手で目尻を必死に押さえている。
右手に持つ松明も落としそうな勢いで、遠鬼は体を震わせていた。
笑い終えた遠鬼は、今までとは違う視線を俺に向けていた。
守る対象に向けるものではない、仲間……戦友に向ける視線だと、俺は気付いた。
「俺達を守りたいのは分かった。
……だがな、『閃刃』を殺さねば小娘が死ぬぞ、それはどうする?」
どうするか? 勿論決まってる。延老さんに少女を認めてもらう為に、
どうしてもやらなきゃいけない事がある。
「勿論あの子も守る! そしてそれを邪魔する奴は俺がぶちのめす!」
それは、俺が延老さんと戦うという宣言だ。
「お前に出来るとは思えん」
「やるんだよ、出来る出来ないじゃない」
「信用ならん」
「じゃあ信用させてやる」
俺は延老さんから教えてもらった構えをとる。
最速の縦拳を討ち込むための、格闘術の構えだ。
「そうだな、俺を守るというからにはそうでなくてはならん!」
遠鬼は持っていた松明を放り投げた。
その明かりが描く放物線は、丁度俺と遠鬼の中間辺りで地面と交わるだろう。
……そして、それが勝負の合図。
コンッと軽い音が、川のせせらぎに紛れながらも確かに聞こえた。




