三十八話 思索の旅
(牧場荒らしか……)
その夜、目が冴えて眠る事など出来なかった俺は野盗の根城をうろつき回り、
最終的には川の畔に落ち着いた。
牧場から出た事なんか無かった俺は川なんて話半分にしか知らなかったから、
この絶え間なく流れる水が未だに物珍しかった。
広場から持ち出した松明を足元の岩の間に立てかけ、俺は腰を下ろす。
松明はまだあと半刻程は持ちそうだったから、
この明りが怪しくなるまではここで物思いに耽るつもりでいた。
川のせせらぎとかいう奴が耳に心地良く、それをより楽しもうと目を閉じた。
脳裏に浮かんできたのは、最初に目を覚ました牧場の一室。二人の狼人族の死体。
(あの時殺されたのが全牙とかいう、鋼牙の兄。
強かったらしいが……確かに争った形跡は殆ど無かったな。
何も出来ずに殺されたんだろう……)
あの時は俺も混乱していて、とにかく逃げるので精一杯だった。
だが、こんな事ならもうちょっとあの場を調べておきたかった。
もしかしたら、俺の服従印を破った誰かの手掛かりでもあったかもしれないのに。
(それであの集落に逃げ込んだんだよな……。
そして、俺は鋼牙の言葉でこの世界の事を知ったんだ)
『「馬鹿はテメェだガキ! ……百年以上も前からな、
お前等はずっとそうして生きてきたんだ。
俺達魔族に食われるために生きてきたんだよ。それがこの世界の理だ。
何も馬鹿げちゃいない。人間が食べ物なのは、ただの常識だ」』
あの言葉を聞いた時、俺はそんな常識って奴が許せなかった。
魔族って生き物自体が憎かった。もしあの時俺に力があったら……
間違いなくあの集落の魔族全員殺していたと思う。
幸か不幸かそんな力が無かった俺は逃げ出す事しか出来ず、
何とか崖から飛び降りて命を拾った。
その後……遠鬼だけが何故か俺を追ってきた。
『「小僧、お前は?」
「何が?」
「名前だ名前。牧場にいた人間でも、名前か……もしくは、
お前を他の奴らに認識させるための呼び方的なものは無かったのか?」
「ちょっと聞きたいんだけどさ、牧場の人間って名前付けられたりするのか?」
「知らん。多分管理者によるんだろ」
「なるほど……じゃあ俺の場合は、皆無だな」』
それで界武という名が俺についた。
元々皆無だと言ったつもりが名前だと勘違いされたんだ。
もう慣れてしまった今となっては特に違和感は無いけど、
当初は名前を呼ばれる度に自分の安直さを後悔したもんだ。
(遠鬼……あの野郎が俺を助けたりするもんだから……)
あれからだ。俺は魔族をただ単純に憎めなくなった。
最初はそれが嫌だった。当然だろう? 昔から今までずっと俺達の敵であり、
今は服従印で意思を縛って食糧にしてるんだ。
そして……多分、姉さんも既に殺されている。
そんな奴等とどうして仲良く出来る? 憎むしかないじゃないか。
だから、どうにかして遠鬼から離れたかった。
憎しみのままに魔族を殺すだけの人間でいたかった。
(それで……あの少女と、延老さんに会った)
遠鬼が延老さんと戦いたいからと、一緒に旅をする事になった。
事情を知る今なら分かるが、延老さんは野盗討伐の任務中であり、
あの少女は野盗を釣るための餌だった。延老さんは恐ろしく強かったから、
俺は早々にあの少女を助ける事を諦めた。
(……悔しかった。あの少女以外にも、今この時も至る所で人間達が
食べられているんだと。それが分かっているのに、何をする力も無かった)
だから一刻も早く魔族に匹敵する力と仲間を手に入れる。
それが俺の目標となった。その為に一日でも早く長門国に行き、
人間の反乱に合流したいと思ってた。
だがすぐに迷いが生じた。元々あの天然鬼のせいで魔族そのものを
憎み切れなくなっていたし、延老さんも悪い人じゃなかった。
そして……道中立ち寄った貧しい村で、俺は善良そうな魔族やその子供を見た。
(あんな魔族も野盗と一緒くたにして皆殺しにする……
それが、本当に俺の望みだとは思いたくなかったんだよなぁ)
だから遠鬼と別れ、延老さんと少女と一緒に旅をする事にした。
魔族に食べられ続けるんじゃなく、魔族を皆殺しにするのでもない、
第三の道なんてものがあるのだと……それを見つけるための思索の旅だった。
『「解除印だ。まず解除印を探す。それからだ。
それから……何処へなりと、好きな場所に飛んでいけばいい」』
その旅の途中、少女と一緒に逃げようとした時だ。
少女は服従印に縛られ馬車の荷台から離れられなかった。
それを知った俺は少女にそんな事を言った筈だ。
涙目の少女に姉さんを重ねてしまった俺は、当初の目的などそっちのけで
少女を助けようと躍起になっていた。
今思えば……あの時の俺は少女の命に責任を持ってしまったんだ。
そんな事が出来る力なんて無いくせに。
そうして鍛錬を積んだ俺は無謀にも一人で野盗に勝負を挑んだ。
しかも……あの時は強くなるために遠距離攻撃を縛ってた。
今思えば酷い無茶だ。延老さんが控えてるとはいえ、
殺されても不思議じゃなかった。
『「違うんだよ、延老さん」
「違う……とは?」
「こんな奴等五人倒せる程度じゃ駄目なんだよ。
俺が戦わなきゃいけないのは……遠鬼や、延老さんみたいな……
とにかく、もっと強い奴なんだ」』
それでもどうにか野盗を倒しきった後に延老さんに言った言葉だ。
多分あれで、俺が実は延老さんを標的にして強くなろうとしている事を
悟られたんだ。俺はもう少し言葉に気を遣うべきなんだろうな。
そして、それを知った延老さんに模擬戦で散々に痛めつけられた。
思い知った。今の俺じゃあ延老さんに勝てる筈なんて無いと。
その延老さんを倒して少女を助け出すという望みが断たれ、
俺は自身の無力を許せずに、半ば捨て鉢になりながら強さを求めた。
(あの時はもう……何もかもがごちゃ混ぜになってた。
長門国の反乱、少女の命、食糧か愛玩かしか道の無い人間、
魔族を皆殺すしかないのか……そして、俺自身の無力感)
俺は何も手にする事が出来てなかった。魔族に匹敵する力も、仲間も、
少女を助ける事も、第三の道も。
だから苛立ちに任せて遠鬼の仲間の野盗達を、遠鬼の目の前で殺してのけた。
だが遠鬼は俺を憎まなかった。それどころか、そんな俺の苦悩を察したんだろう。
『「界武、お前は俺よりも頭がいい。だから色々考えすぎてるだけだ。
会って数日と経ってない奴や、会った事すらない奴……
そんな奴等の事までお前がどうにかしようと気を揉んでどうする」
「……そんなのは分かってんだよ。だから俺だってな……」
「難しく考えるな。守りたい奴を守って、戦いたい奴と戦えばいい。
主義主張、信念理念、愛や正義に夢と希望、法と権威も含めてだ……
それ以外の全ては、ただの雑音だ」』
遠鬼なりの助言がこれだった。
乱暴な言い方だけど、要は色んなものに縛られるのを止めて、
本当に自分のしたい事だけをしろって言いたいんだと思う。
(俺の、本当にしたい事……)
別に魔族に匹敵する力が欲しい訳じゃない。
仲間だって無理に集めるもんじゃない。
元々牧場じゃあ親しい人は姉さん以外いなかったんだ。
そして魔族に食べられず、魔族を皆殺しにもしない第三の道。
そんなもの俺一人でどうにかするもんじゃないだろう。
つまりは、こんなのは俺が本当にしたい事じゃあない訳だ。
「……今日の夕食、楽しかったなぁ」
ぽつりと出た言葉。
……そうだ、楽しかった。本当に楽しかった。延老さん、遠鬼、少女に俺。
多少ぎこちなかったとは思うけど、それでも何というか……。
「家族、みたいだったのか?」
家族。知ってはいる言葉だ。確か姉さんが教えてくれた言葉。
ただ……言葉の意味するところ、そのあまりの現実味の無さに意図して
忘れようとした事だってある。その意味は確か……。
「……なんだ、そういう事だったのか」
俺が本当にしたい事……それは……。
「こんな所にいたのか」
その言葉に思索を遮られた。ゆっくりと目を開けると、
いつの間にか持ってきた松明は消えており、辺りは真っ暗だった。
その暗闇に差すたった一つの光は、今俺に声を掛けて来た男が持っている松明だ。
「……遠鬼か」
「探したぞ、なぜこんな場所にいる」
この男が何故俺を探していたのかは分からない。
というか、今までも遠鬼が何を考えてるか分かった試しなんて無い。
でも……俺は知ってる。遠鬼は何も考えてない訳じゃなくて、
遠鬼なりに色々と思いを巡らしているって事に。
そして……いつか、その思いを察する事が出来るようになりたいと、そう思った。




