三十三話 残り香
「お初にお目にかかります、『閃刃』様」
次の日、野盗の襲撃が予定されている日の早朝の事だ。
旅中の俺達の事をどこで知ったのか、馬に乗って鬼人族の女性が訪ねてきた。
勿論俺の客である筈が無いんで正直どうでもいいっちゃあいいが……
現れたのは、凛々しくも美しい若い女性だった。
その事に変な意味で驚いてしまったのが妙に気恥しく、
俺は荷台に隠れて様子を見る事にした。
まあ、何というか……ただ強くなる、
その為に必死に鍛錬を積んでいる筈の自分が、まさか若い女性の容姿に
心惹かれてしまった……とか、そういうのは嫌だったんだ。
軽装とはいえ籠手、脛当て、鎖帷子を纏っているのに厳つさを感じさせないのは、
それ以外の個所で露わと言いたくなるくらいに素肌を晒しているからだろう。
俊敏さを身上とする戦い方なのか……とにかく、
何故かその全身を視界に収める事に強い抵抗感を覚える。
これは……戦うとなると難儀しそうだ。
「私は春夜と申します。唐突な申し出で驚かれるかもしれません。ですが、
『閃刃』様の御高名に縋り、何としてでも成し遂げたい儀があるのです」
春夜と名乗る女性は、仰々しい台詞回しで延老さんと話している。
流石に延老さんは女性の容姿には特に興味がないようで、
ややつまらなそうに聞いている。
「そのような言葉遣いは不要ですよ。どうぞご気軽に、
ご用件をお話しください」
「……はい。ではお願いしたいのは……実は、敵討ちなのです」
「敵討ち」
「はい……。今より五年も前の話となります。
一人の男が私の故郷にて暴虐の限りを尽くし、
その場に居合わせなかった私のような者を除き、全てを殺しつくしました。
広く噂にもなったので存じておられるかもしれません。男の名は遠鬼。
通り名は『同族殺し』。この男を、『閃刃』様のお力で、殺して欲しいのです」
「村人……皆殺し!?」
敵討ちの対象が遠鬼だっていうのは特に驚く事じゃない。
色んな所で恨み買ってそうだし、以前軽く耳にした遠鬼の通り名が
あの春夜、っていう女性も言っていたけど『同族殺し』だ。
そんな奴が誰かに命を狙われてない筈が無い。
とはいえ、やった事の規模が予想を大きく超えていた。
「鬼人族の子供……? 『閃刃』様、この子は一体……?」
「知人から訳あって預かってる子でして……界武君といいます」
「界武……ああ、まだこんなに若い鬼人族がこの地にもいたのですね」
春夜は何やら感動して涙ぐんでいる。
その反応にちょっと重たいものを感じてたじろぐ。
(ただ今の物言いだと、もしかして鬼人族って滅びかけてたりするのかね……)
もしかしてあの遠鬼の野郎は目にした同族を、
片っ端から殺しまわっているんだろうか?
そんな邪推すら真実味を帯びかねない、春夜の反応だった。
「界武君は遠鬼殿から何も聞いてないのですか?」
「アイツは自分の事は全然話さねぇからなぁ……
というか、延老さんは知ってたのか? 遠鬼が村一つ滅ぼしたって事」
春夜にではなく延老さんに聞く。
「せ、『閃刃』様? 今遠鬼……殿……と仰いましたか?
それに界武君も遠鬼と……」
延老さんから、実は旅の途中で遠鬼と既に会っており、
頼まれるまでもなく新坂で戦う予定だと聞かされて、
春夜は呆気に取られていた。だが立ち直った後は、
そういう事ならと喜色を浮かべ、遠鬼のこれまでの戦績や戦い方などを
延老さんに伝えている。延老さんもそれを興味深げに相槌を打ちつつ聞いている。
遠鬼の戦い方は聞いておきたかったが、まだ気恥ずかしさが残っているからか、
俺はどうにもあの場に加われそうになかった。
それならその間にやること済ませてしまおうと、野営道具を片付ける。
少女も手伝いたそうにしていたが、
これも鍛錬だからと言ったら不満そうに俯いた。
頬を膨らませて拗ねている少女を見て、ただ単純に子供っぽいとか、
愛らしいとか……そんな感情を抱けない俺がいた。
(多分……自分が今死の瀬戸際にいるって事、分かってねぇんだろうな……)
以前牧場から逃げ出した先の集落で見た、人間の少年を思い出す。
自分が食べられる為に育てられた、そう聞かされてなお、
愚直に牧場に戻ろうと言ってきた。あの時感じた肌が粟立つ程の恐怖、
そしてその後に訪れたかつてない憤怒、どれも忘れる事なんて出来ないだろう。
恐らくは、この少女もそうやって食べられる事に疑問すら持てなくされてる筈だ。
そう思うと殊更に不憫だった。
そして、俺の後ろ首に刻まれていた服従印にもそんな効果があったんだろうかと、
思わず首巻きで隠された印を手でなぞる。
「界武君、どうしたの?」
「うわっ!」
いつの間にか話を終えた春夜が、俺の後ろに立っていたのだ。
「きゅ、急に後ろから話しかけんな!」
「あ……ごめんね、驚かせちゃった?」
多分言葉だけで謝ってるんだろう。春夜は笑顔だった。
助けを求めて延老さんを探すも、どうやら馬車を馬に繋げてるようで、
こっちを向いてすらいない。
「えっと……何の用だ?」
救援を諦め、自分で対応する。だが……正直、放っておいて欲しい。
「用は無いんだけど……ちょっとお話ししない?」
「片付けの最中だ」
「あ……手伝おうか?」
「自分でするから」
「……そう」
その春夜という女性の寂しそうな表情に、何故か後ろめたい気持ちになる。
(何だよ……どうすりゃいいってんだ)
どう反応すればいいのか分からない。親しげに対応できる訳もなく、
かといって邪険に扱うとこの後ろ暗さだ。
……小さなため息を一つ。
認めよう、俺の対応が悪かったからこの春夜って人の表情が暗いんだ。
だからこその後ろ暗さだ。なら態度を改めよう。
なに、綺麗な年上のお姉さんだ、などと意識するからこうなるんだ。
もっとこう……例えば、姉さんと接していた時のように。
「お姉さん、遠鬼を殺したいんだって?」
「え……!? う、うん、そうだけど……」
そう、姉さんもそうだった。どれだけ臍を曲げてても、
俺がずっと笑ってればその内機嫌が良くなるんだ。
「奇遇だね、俺もアイツに勝ちたいんだよ」
そう言って俺は笑った。いつか、姉さんに見せたように。
「……それでさ、アイツ折角猪を見つけたってのに、俺を大声で呼ぶんだよ」
「ふぅん……それでどうなったの?」
「俺が声のした方に行くとな、やっぱり猪を逃がしてんだ。
俺がなぜ逃がしたって聞いたら……さっきの大声で、と来た。
捕まえてから呼べってんだよ……」
「なぁにそれ……。アイツまだそんな馬鹿な事してんだ」
春夜さんは愉快そうにケラケラと笑う。
遠鬼の話はこの人にとても受けが良く、今はもうすっかり上機嫌だ。
今は走る馬車の中、延老さんと俺と春夜さん、
三人がやや窮屈そうに御者台に並ぶ。
俺はいつものように鍛錬として馬車との並走を希望したが、
春夜さんの是非に、という頼みに折れて荷台の上で話し相手になっている。
互いの持ち寄る話題は似たり寄ったりで、遠鬼がいかに碌でもない男か、
という事だった。
「でも……あの遠鬼がねぇ……」
ひとしきり笑った後、そう言って遠くを見つめる春夜さんの表情、
その複雑そうな憂い顔にそこはかとなく交じる色気にドキリとする。
「なんか……複雑そうだな?」
「遠鬼……アイツが私達の村を滅ぼしたってのは間違いない。
それからもアイツはこの世界の至る所で戦いばかり繰り返して、
だからさっさと殺さないといけないっていう使命感まで持って
追いかけまわして来たの……もう五年間も」
(五年間は……ちょっと長いな)
まあ、生まれ育った村を滅ぼされたりもすればそうなってしまうか。
一人納得してると、いつの間にか春夜さんの目がこちらを向いている。
「それが……界武君みたいな男の子を世話するようになったんだ」
「いや、世話された気は……無いけどさ……」
「ああ、ごめんごめん。でもねぇ……あの馬鹿、
暴れて回るしか能が無いと思ってたけど、そっかぁ……」
その言葉の端々に優しさ……みたいな感情が混じっている。
「……何だ、殺してやりたいって割には、
心配でもしてたような物言いだな」
だからそんな事を言ってしまったが、これが失言だった。
「心配!? 私が!? 遠鬼を!?」
「お……おう」
「無いから! 絶対無いから!
あのねえ、界武君は知らないの、あの男がどれだけ残虐非道かを!」
俺の両肩を掴み、それはもうぶんぶんと揺らしながら春夜さんは語る。
春夜さんは何というか……悪い人じゃあないんだと思うんだけど、
俺を見る目に熱がこもり過ぎてたり、妙に体に触れてきたりする。ちょっと怖い。
今だって何かの拍子に額当てが外れたりしたらと思うと気が気じゃない。
そこから始まった春夜さんの独演会。まあざっくりと纏めるとすれば……。
今から五年ほど前、春夜さんがとある用事で故郷ではない別の町にいた時だ。
今まで村から一度も出た事の無かった筈の遠鬼が
何故かその町にやってきた……しかも、全身傷だらけの凄惨な状態で。
何事かと話を聞いてみれば、遠鬼はこう言ったそうだ。
「掟に従い戦って、村人を全員倒してきた。もうあの村には誰もいない」
質の悪い冗談だとは思ったが、不安になって急いで村に戻ってみれば、
確かに村には誰もいなかった。その代わりか三十を超える、
遺体を埋めただけの簡素な墓が作られていた。
春夜さんはその後遠鬼を探しては村で何が起きたのか、
その詳細を聞こうと試みた。
だがいつも遠鬼の返事は変わらない。掟に従った……それだけだ。
それでいつしか何が起きたか知ることを諦め、ただ村の皆の仇を取ろうと、
遠鬼を討てるだけの戦士を探し旅をしてるらしい。
「……まあ、理由がどうあれやったのが遠鬼なのが間違いないなら、
そりゃあ仇も討ちたくなるよなぁ」
その気持ちはわかる。俺だって姉さんを殺されたなら、
仇の一つも討ちたくなっただろう。
そこで思考が止まる。
(姉さんの……仇、か)
姉さんは出荷された。ここまでは間違いない……と思う。
そうなると、やっぱり既に殺されてるんだろうか。
だとすれば、俺は仇を討つべきなんだろうか。
いや……だとして、俺は誰を殺すべきなんだ?
(牧場の責任者だった全牙はもう死んでる。なら鋼牙か?
それとも実際姉さんを食べた奴か。それも違うのなら……
やっぱり魔王って奴になるのか?)
「界武君……大丈夫?」
考え込んでいた俺に掛けられた春夜さんの言葉。
「え……何が?」
「だって……何か凄い深刻そうに考え込んでたから」
「ああ……そっか」
どうやら心配されていたらしい。無用の心配だと言いたかったが……
言葉を濁す事しかできなかった。
「……ごめんね」
そんな俺に掛けられた謝罪の言葉。勿論春夜さんからだ。
「えっと……何が?」
「界武君にはちょっと辛い話だったかもしれないな、と思って。
一緒に旅してきた相手がさ……そんな酷い奴だった、とかね」
「ああ……それは……」
別にいいよ、とは言えなかった。春夜さんは実際に親類縁者を殺されてる訳だし、
何より……俺は人間だから、魔族がいくら死のうがどうでもいい、
そう言ってしまうようにも思えたからだ。
「なあ……春夜さん」
「何、界武君?」
「俺、鍛錬に戻るわ」
御者台から飛び降りる。着地時にややふらつきながらも、
すぐに体勢を立て直して馬車との並走を始める。
「いつかさぁ! 俺が遠鬼より強くなって、
その時遠鬼がまだ生きてたら、俺が仇を取ってみるよ!」
視線は前を向けたまま、そう叫ぶ。
そうだ、目的は何であれ、俺はまず強くならなくちゃいけない。
遠鬼ごときを倒せないで、どうやってこの世界で生きていけるっていうんだ。
体に付いていた甘い匂い、春夜さんの残り香を振り払うように速度を上げる。
あれが付いたままだと、誰と戦っても負けてしまいそうだったから。




