三十二話 時代
結局、俺は天に唾を吐こうとしてただけなんだろうか。
まあ……客観的に見ればそういう事なのかもしれない。
だが、自分の弱さ……なんて客観的に理解する事に意味などあるのか。
自身の無力を……その残酷な現実とやらを受け入れる事が、
その後の成長に繋がるっていうのか。
(ふざけるな! 負けを認めた上での成長に意味なんてあるか!)
敵が強すぎるのは分かった。三日じゃ届かないのも分かった。
だが、胸に燻ぶる怒りの炎が消えない以上、
それを受け入れる事なんて出来るものか……!
「食らえっ!」
今回は右手がしっかりと包帯で固められ、握り拳となっている。
その右拳を振るい延老さんの顎を狙うが、
そんなものは当然のようにあっさりと躱される。
返礼の左掌打を脇腹で受け止めた俺は、苦し紛れに左の拳撃を振り回すが、
それは軽く軌道を逸らされたのみならず、その手を取られて投げられた。
「があっ!」
昨日も散々投げられた気がするが、別段受け身が上手くなったという事は無く、
背中からの衝撃に悶え苦しむ。
「今日初めての敗北ですかな。悶えている間に喉を踏み潰せますよ」
「……じゃあ踏み潰せばいいじゃねぇか」
延老さんの言葉を受けて苦しさを堪えて跳ね起きた。
そうだ、模擬戦とはいえ無様な姿をさらしちゃいけない。
延老さんを正面から見据え、拳を構える。
「ハッハッハ……そんな事をすれば本当に死んでしまいますよ」
「だけどさ、どんな理由があれ延老さんは喉を踏み潰さなかった」
「まあ……そうですが」
俺の言葉の意味を探ろうと向けられた延老さんの視線を振り払い、
俺は再度踏み込んでからの左右の連打を叩き込む。
(顎は多分駄目だ。距離があるから避けられやすい。
狙うなら最短距離、胴体だ……!)
急所を狙うなんて事もしない。とにかく速く、多く拳を叩きつける。
それだけを意識してとにかく両手を突き出すが、
全て右手一本で打ち払われてしまう。
連撃が二十を超えて流石に腕の引きが遅くなってきた、
そこを狙ってまたしても腕を取られる。
「……む」
だが、腕を取られる事が分かってさえいれば……。
自分の腕が逆に何かに掴まれてる事に、延老さんが気付いたか。
「今はまだ明るいからな。
見えにくいだろうけど魔術の腕だ」
「……なるほど」
互いの手首を繋ぎとめてしまえば、たとえ俺が体勢を崩したとしても
延老さん自身が俺の体を支えてくれる。
「これでそう簡単に投げられ……うおっ!」
軽々と、身体ごと持ち上げられた。
「投げ方が変わるだけですな」
そのまま放り投げられる。こうなると手首が繋がってようが関係なく、
再度背を地に打ちつけた。
だが今回はすぐに起き上がる。別に受け身が成功したって訳じゃなく……。
「ほら、今も喉を踏み潰せていねぇな」
怒りによる心の高揚が、痛みを凌駕する闘志をもたらしている。
だから、気を失うまでは絶対に隙を見せたくなかった。
「なあ、延老さん」
「……何ですか?」
痛みに耐えつつも構えを解かない俺を見る延老さんから呑気な表情が消える。
「昨日俺が十四回負けたって言ったよな?」
「言いましたが……」
「あれ、間違ってるぞ。だから訂正しとくわ。
よく考えればさ、頭を踏み砕くとか、心臓を貫くとか言ってたけどさぁ、
俺は実際は一度だって殺されちゃいなかったじゃないか。
だからな……」
「なるほど。つまり界武君は……」
延老さんの表情に、戦士の笑みが戻る。
「そうだ。一度だって負けちゃいない。
今日だってそうだ。全然殺されちゃいねぇ、ピンピンしてるよ」
「殺されぬ限り、負けを認めないと仰いますか?」
「そうだ。延老さんは確かに俺よりずっと強い。三日じゃ追いつける筈もない。
それでもだ、俺はアンタに一度だって負けた事は無いし……
これからも、負けるつもりなんて無いんだよ!」
二本の魔力の腕を作り出し、再度延老さんの懐に飛び込む。
両腕の連撃じゃ全て捌かれてしまうってんなら、腕を増やせばいいだけだ。
昨日の屈辱的な模擬戦を経て、延老さんに勝つ事を諦めた俺が選んだのは、
再度の模擬戦だった。
その日は野盗の襲撃も無く、ずっと馬車と並走していただけで
余力は十分残っていたから、野営の準備はさっさと終わらせすぐに延老さんに
再戦を挑んだ。
あれだけ打ちのめされた昨日の今日という事で、
真剣勝負じゃなく指導を望んでいるのだと勘違いしたと思われる延老さん、
最初は笑いながら相手をしていたが、すぐに昨日と同じ戦士の顔になった。
「……昨日の倍は時間があったんだけどなぁ。
結局一度だって攻撃が当たらねぇ……畜生」
夕食の粥を啜りながら、俺は今日の戦果に愚痴を漏らす。
あれから陽が沈むまで戦い続けたが、結局攻撃を掠らせる事すら出来なかった。
「ハッハッハ……。しかし、何度か危ない場面はありました。
最後の連撃などは捌くのに私も両手を使わざるを得ませんでしたしな」
そうだ、最後は残った魔力を総動員して魔術の腕を六本まで増やした。
それで両手も合わせて八つの拳による連打だったが……全て捌かれた挙句、
魔力の使い過ぎで気を失ってしまった。
「いやぁ……しかし、負けず嫌いなのは大事ですよ。
強い戦士はそうでなくてはいけません。
そして、今日も昨日よりずっと手強かった。
これは本当に将来が楽しみですな……!」
延老さんは……この人は何でこんなに嬉しそうなんだろうか?
子供とはいえ模擬戦と言い張って、殺すつもりで襲い掛かっているのにだ。
「……なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
ちょっと不気味とすら感じてしまうそのあまりの価値観の違いに、
つい理由を聞いてしまった。
「嬉しくない筈が無いでしょう!
界武君と戦っていると、昔の感覚が思い起こされるのですよ。
そう……あの懐かしい戦場の記憶です。
ああ……あの強敵との度重なる死闘、本当に楽しかった……」
うっとりとした延老さんが固く拳を握りしめながら力説する。
(……うわぁ、やっぱり価値観全然違うな。
死ぬかもしれない勝負が楽しいって感覚、多分一生理解できないわ)
そう思いながらも、俺は何故かそれを聞いて笑っていた。
「何だよ、やっぱり『魔王の懐刀』なんて通り名より
『閃刃』って奴の方がずっと延老さんに似合ってるよ。
やっぱ刀は懐にしのばせてるより使ってこそだろ」
「違いありませんな。左近衛中将に任じられる際に、
くれぐれも暴れるな、と魔王様に釘を刺されてしまいましてな。
それからはずっと使われない刀こそが最高の刀だと考えていました。
いえ……その事自体は正しいと思います。
ただ、私は最高などではなく、ただ敵を斬るだけの刀であったのでしょう。
いやぁ……これは界武君に教えられてしまいました」
哄笑する延老さん。
その言葉の中に面白そうなものがあったので詳しく聞いてみる。
「ん? 使われない刀が最高ってどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。最高の刀とは敵を斬るものではなく、
その戦意を断ち、戦わずして勝つ為のものだと……そういう意味です」
「へぇ……確かに、そんな刀があるなら最高かもなぁ」
「でしょう?
四代魔王様がご教示してくださった金言として、心に刻んでおります」
(なんだ、魔王って奴もいい事言うんだなぁ……)
人間の俺がそんな風に考えるのは馬鹿げてる、俺だってそう思う。
だけどこの時は、本当にそう思ってしまっていた。
延老さんの陽気な雰囲気に流されてしまったのか……それは分からない。
夕食を終えた後、俺は荷台を押す鍛錬をしたいと延老さんに言った。
いつも荷台の上で眠る少女には悪いが、ちょっとだけ寝床を借りて、
もう少し全身の鍛錬をしようと思ったのだ。
度重なる酷使による四肢の痛みは少女の治癒魔術で
痛みだけは取れてしまうので、少女が側にいる間だけは
無茶を繰り返してでも鍛錬は続けられるのだから、
ここで出来る限り強くなっておきたかった。
「……そろそろ、荷台が空では軽くなってきたのではありませんか?」
延老さんはそう言って、空の荷台に飛び乗った。
どうやら、荷台の重りとして鍛錬に参加してくれるようだった。
昨日と同じく雲も少なく、煌びやかな夏の夜空が広がっていた。
その空の下を延老さんと細々とした雑談をしながらも、力を入れて荷台を押す。
「しかし……これだけ強い若者が育ってきてるのであれば、
私などが道楽で戦士の真似事を続ける事も無かったですかなぁ……」
延老さんが言う若者、これは多分遠鬼の事じゃなくて俺の事なんだろう。
何というか……随分と気に入られたものだ。
まぁ……かく言う俺も、この人の事、実はかなり気に入ってたりするけど。
「褒め過ぎだなぁ、延老さん。
今日だって一撃も当てられなかったのにさ」
「そういう事ではないのですよ。その精神の強さ。
力の差を認めても折られない心。死ぬまで諦めないその闘志。
そういうものをその歳で身に着けている。
私は新たなる魔族の英雄の出現を知って心が落ち着きません!」
(魔族の……英雄ねぇ)
俺が一番貰っちゃいけない賛辞だと思うが、突っ込まないでおこう。
俺がそうして黙っていると、延老さんは軽いため息の後、
思い出すような口調で俺に語りかけてきた。
「……もう四十年近くは太平の世が続きました。そうするとですね、
何と言いますか……魔族らしからぬ事を言い出す輩も増えたのです」
「魔族らしからぬ?」
「はい。彼等が言うには、食べられるばかりの人間達が可哀想だと。
それで、食用ではなく愛玩用に飼うべきではないか、などと言い出す始末です」
「あ、愛玩……?」
(何だその……上から目線)
「彼等が何の憂いもなく人間を食べられる世界を作るために、
どれだけの戦士が散っていったのか、
この刀で教えてあげたくもなりましたが……これも時代なのでしょう」
俺は沈黙で答える。何とも言い難い。食べられるよりは随分マシかもしれないが、
それでも服従印を刻まれて、気まぐれに愛でられ、要らなくなったら捨てられる。
そんな命にどれほどの価値があるのか。
(食べられなきゃそれでいいって訳じゃねぇだろう……)
なのに、それでもただ殺されるよりはずっといいのではないかと、
悪戯に思考が堂々巡りし続ける。
「それでも私は思うのですよ。近頃の魔族は弱くなったと。
魔族の掟を信じ、ひたすらに戦い続けた古き戦士達。その気高さ、
力強さが今のような時代だからこそ必要とされているのではないかと」
(魔族の掟か……)
思い出すのはあの集落、魔族の群れを前にしての傲慢不遜な遠鬼の言葉。
人間の俺には、あの掟の意味する所全てを理解できないと思うが……
それでも、あの掟に助られた部分もあるのは確かだった。
「魔族の掟、俺も嫌いじゃあないな。」
「そうでしょうとも。勿論法を蔑ろにする気はありませんが、
それでもやはり強さに重きを置く魔族の掟こそが、
本来我々には相応しいのだと……そう思わずにはいられません」
だからこそ、是非とも俺にはそのまま強さを追い求めて欲しいと、
惰弱な若者に迎合しないで欲しいと……そんな事を延老さんは言っていた。
それにどんな返事を出来たのか、よく覚えていない。
ただ俺は、食用か愛玩か……そんなふざけた選択肢しか残ってない事に、
一人怒りを募らせていた。




