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和風魔界の反逆者  作者: 猫もしくは犬
一章 界武
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三十話 感情表現

「あのさ、姉さん……」


「何?」


あの時も確か物理の授業だったか。

というか、読み書きと基本的な算術を身に付けた後は、

この物理って奴の授業が多かったと思う。


「位置えねるぎーっていう奴と運動えねるぎーって奴については

 何となくだけど分かったよ。高い所にあるやつは、

 落ちる時に位置から運動えねるぎーに変わるんだよね?」


「そうそう、大体そんな理解でいいんじゃない?

 公式までしっかり覚えると、その時の速さとかも計算出来て……」


「それでさ……これ、一体何の役に立つんだ?」


「えっと……それは……」


露骨に視線を逸らす姉さん。つまりあれだ、姉さんも薄々気づいてるんだ、

今教えてる物理って奴が、実はあんまり役に立たないって事に。


「……姉さん?」


「いや……でもね、私が学んだ事で、辛うじて役に立ちそうなのが

 これぐらいだから……そう、しょうがないの!

 他に私が得意だったのって英語だよ!? 教えてもいいけどさ、

 断言するけどここじゃ絶対役に立たないからね!」


自信たっぷりな姉さんだが、役に立たない事を自慢されても、

教えられてるこっちが困る。


「じゃあ今やってる物理だって役に立たないんじゃないの!?」


「役に立つ筈だから……そう、例えば……悪い奴を倒す時にさ、

 重たい物を高い所から落としてぶつける、とか……」


「いや、それ位ならえねるぎー保存則だっけ?

 そんなの知らなくても分かるから……」


「うっ……」


「それにさ、そりゃ高い所から物を落とせば威力が凄いだろうけど、

 その高い所に物を持っていくのも時間がかかるじゃないか。

 悪い奴が襲って来てる最中にそんな時間無いと思うよ」


「いや、ポテンシャルを稼ぐのに、高く持ち上げる以外の方法もあるの。

 弾性エネルギー……そう、ばねとか!」


「……ばね?」


「ばねは無いのか……そ、そうだ!」


姉さんが取り出したのは細い木の棒のようなものだ。

この間の紙張りの端材か何かだろうか?


「こう、この棒みたいに、世の中には力を加えて変形させても、

 勝手に元に戻る性質を持つものがあります」


姉さんがその棒を少し曲げてから手を離すと、びょ~ん……という音が鳴って

棒がしなり、やがて元の状態に戻った。


「例えばこの棒がしなってる状態……これはね、物が高い所にあるのと同じ事。

 だって手を離せば動くんだから」


またびょ~ん……という音が鳴る。少し間抜けなその音にさえ、

何か凄い力があるように感じられるんだから不思議だ。


「つまり……世の中にはその棒みたいに、

 えねるぎーを貯め込める素材があって……?」


「そう! それを使えば高い所に登らなくたって、

 強いエネルギーを持った攻撃が出来るって寸法!」


「でもそれ、直接殴ったりした方が早いんじゃない?」


「うっ……」


重なる論破に涙目になる姉さん。

そんな姉さんを見て俺は思わず笑ってしまった。


(……ああ、姉さんは本当に感情表現が豊かだなぁ)


コロコロと変わる姉さんの表情は、本当に見てて飽きなかった。

牧場にいる他の人間達は、何が起きたってここまで大袈裟に

表情を変えたりしない。やっぱり、姉さんだけがこの牧場で特別だった。







目を開けて最初に飛び込んできたのもやっぱりあの涙目だった。

……いや、違う。姉さんの目はあんなに赤くないし、こんなに真っ白な……


「うわっ!」


それが誰か気付いて思わず跳ね起きた。

あの紅い眼、白い肌は間違いなく少女のものだ。

深みに嵌るのを嫌って接触を避けていた少女の、

膝を枕にして俺は横たわっていた。

そして体を起こしてみれば、どうやらここは動いていない荷台の上。

空は既に陽が沈みつつあり、綺麗とも怪しげとも言えそうな

赤紫色が広がっていた。


(えっと……俺は確か、野盗と戦って……それから……)


そこで気付く。疲労に魔力の使い過ぎも重なり、

戦いが終わり張り詰めた気が抜けた瞬間に気を失っていた訳か。


目立った怪我は確か……右と左の肩、それに左腕からも血が出ていた筈だが、

今は殆ど痛みを感じない。血だらけだった両腕は綺麗に拭き清められており、

右肩と左腕には赤く滲んだ包帯がしっかりと巻いてある。

ちなみに右手に固く巻かれていた包帯は解かれていて、恐らくはどちらかの傷の

止血用に使われたんだろう。


(痛みが無いのは……治癒魔術か)


少々気まずいものの、治療してもらって礼の一つも言わないのは流石に無い。

あの鋼牙の襲撃から意識して避けていたあの紅い眼を見つめる。

その目はまだ涙ぐんでいる。俺の傷の心配をしてか……それとも、

もしかして今まで避けていたのを気取られてでもいたのか。


「治療……助かるよ。もう痛くなくなった」


たまらなくなって視線を逸らす。恥ずかしいやら心苦しいやら……

とにかくこれでいいだろうと、荷台から降りようと腰を上げた。


「うわっ!」


完全な不意打ちだった。少女が俺の胸に飛びついて来て、

そのままもう一度荷台に押し倒された。


「なっ……なっ……何やってる!?」


顔が押し付けられた胸の辺りが湿って来てるのを感じる。

泣いているのか……?

というか、この子は泣く時ですら声を出せないのか。


「ちょ……止めて、離れてくれ……」


胸の辺りに傷を作ってないんで痛みは無い筈なんだが、

何故か変な感じに胸の奥が痛みだしてきた。いい加減どいて欲しい。


「界武君、目を覚ましましたか?」


先程の俺の声を聴いてか、延老さんが荷台の外から声を掛けて来てる。


「えっと……目は覚めたんだけど……」


視界一面に広がる赤紫の空をぼうっと眺めながら、

俺はそんな気の抜けた返事をした。

延老さんの足音が近づいて来て……止まったのを確認してから

その辺りに振り向くと延老さんの怪訝な視線があった。


「何をさせてるんですか?」


「いや、俺がさせてる訳じゃねぇよ! 何故かこいつが掴みかかってきて……

 俺もどうしてこうなってるのか分からねぇんだよ!」


あらぬ疑いをどうにか払拭しようと真摯に訴える。


「ふむ……では娘、界武君から離れなさい」


延老さんが少女に命令する。だが……少女は額を俺の胸に付けたまま

首を振るばかりで手を離さなかった。


「……抵抗されましたな」


「抵抗……? どうしてだ?」


延老さんからの命令に逆らうには服従印による拘束、苦痛に耐えねばならない。

そうまでして何故俺から離れないのか?


「さあ。人間の考える事など分かりません」


仕方なく、といった様子で延老さんが少女に手を伸ばした。

延老さんの力で、この少女を引き離そうというのだろうか……。


「や……止めてくれ、延老さん! いいよ!

 落ち着いたらこいつも多分離れるよ! 今は放っておいてくれ!」


この少女を乱暴に扱われるのは嫌だったから、俺は必死にその手を止めた。


手は少女の帯を掴む寸前で止まり、

延老さんは俺の様子を見てから、やや呆れた、という感じで手を引いた。


「……食事の用意が済むまでまだ時間があります。

 それが離れたらまた鍛錬を再開しましょう」


そう言って荷台から離れる延老さんに、俺は空を見上げながら分かった、

と返事をした。そして、延老さんが離れていった事をその足音で確認してから、

胸の上の少女のつむじを見ながら語りかけた。


「……鍛錬をしないとだから……いや、今はいいか」


命令はしたくなかった。服従印を刺激しないように……

少女の意図を確認し、ちゃんと納得してから離れてもらった方がいい。


「喋れねぇのは分かるからさ。俺が今から質問するから……

 返事がはい、ならそのままでいいから頷いてくれ。

 いいえなら、さっきみたいに首を振ってくれ」


……しばらく待つと、少女の頭が僅かに縦に動いた。

はい、という事だろうか?


「じゃあまず……俺の怪我の手当てをしてくれたのはお前か?」


頷く。


「包帯を巻いてくれたのもお前か?」


首を振る。


(ああ……包帯は延老さんがやってくれたのか。

 後で感謝しとくか……)


「えっと……なら、お前は治癒魔術を使ってくれたんだな?」


頷く。


「そっか……じゃあ、今こうやってくっついてるのは、

 俺の怪我が心配だからか?」


頷くが……暫くして小さく首も振られた。


(怪我も心配だけど……それだけじゃないって事か?)


何となく意図を掴む。

そこで漸く少女が顔を上げた。俺の胸に乗ったままの少女の顔、

その涙目を見て何となく分かるのは……何かすまなそうな、

申し訳なさそうな……そんな感情だ。

この少女が俺に謝る事なんて何もないだろうに……と訝ったが、

もしやと思い聞いてみる。


「……もしかして、もしかしてだけどさ、

 お前……俺が新坂に逃げられなかったのを自分の責任だと思ってないか?」


そう聞いたら、少女はまた額を俺の胸に押し付け……小さく頷いた。


そこで俺は漸く事の次第を理解する。

この少女はあれからずっと謝る機会を探ってたけど、

俺が避けてたもんだから二日も何も出来なかったんだ。

それで漸く訪れたこの機会を逃したくないと、こんな事をした訳だ……。


「悪かったな。お前の考えすぎだ。俺はあの時の事、全然怒ってなんかねぇよ」


それを聞いた少女はまたも顔を上げる。俺の真意を確かめるようなその瞳は、

『……本当に?』とでも聞いているかのようだった。


「本当だ。全然怒ってねぇよ。だからさ、謝る必要なんかない。

 ……分かったらさ、そこをどいてくれ。鍛錬に遅れる」


ぎこちなかったかもしれないが、何とか笑顔を作ってそう伝えた。

それで少女は俺から離れた。何やら恥ずかしそうだが……

少し嬉しそうでもあり、両手で自分の頬を押さえながらそわそわと動いている。


(感情表現が……豊かだなぁ)


少女に何かを重ねている事に、俺はもう完全に気付いてしまっている。

でも……あの時とは立場が違う。俺の服従印は既に破られており、

この子を守るための力も少しずつだが手に入れつつある。


(後……三日か。それまでに俺は……)


延老さんを倒せるだけの力を手に入れられるのか。


荷台を降りて鍛錬へと向かう。

その目標の高さに対して、残る時間はあまりにも短かった。

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