三話 常識
俺はあの群衆が集まった広場の中央に近い位置に立ち尽くしている。
前には俺をここまでふっ飛ばした蜥蜴男。後ろには俺をここまで追ってきた鋼牙。
そして左右には人間以外の群衆が取り囲み、もう逃げ場なんて無い、
と言っていい状況だ。
「あのさあ……鋼牙さん?」
「何だよ?」
俺は鋼牙の方を振り向く。
そう、ついさっき思いっきり顔を殴ってしまった蜥蜴男は無視しよう。
どうやって俺をここに吹っ飛ばしたかは少しは興味があるけど、
命を危険に晒してまで確認する事じゃない。
それより今はまず、身の安全を確保しないといけなくて、
それには鋼牙の協力が不可欠だ。
「まずは昨日起きた事を話そうと思うんだけどさ……聞いてくれる?」
暴力で状況が好転する未来が見えない以上、友好的にいきたい。
「おう、そうだな……聞いてやるよ」
自分が完全に状況を支配している優越感からか、鋼牙は今の所寛容で、
素直に俺の言葉に耳を傾けてくれそうだ。
(良かった。これで鋼牙が話を聞いてくれる間は一応安全か)
「助かるよ。あ……言っとくけどさ、昨日もちゃんと話そうとしたんだよ。
だけど全然話を聞いてくれない雰囲気だったからさ、仕方なく……」
「いいから話せ」
「……ああ、分かったよ」
さて、どういった言い訳をするべきか。
正直に言っても信用されない可能性が高いし、逆に信用されたとしても、
今度は俺を生かす理由も無くなる。だって何も知らないんだから。
ならそれっぽい話をでっちあげて、犯人の顔は俺しか知らない事にすればいい。
これなら俺の価値も残り、生きてこの場を脱する事だけは出来るだろう。
「それじゃあまず、昨日俺があの部屋に行った時の事なんだけど……」
でっちあげる犯人の容姿を誰から拝借しようかと、周りの群衆を眺める。
(鋼牙と同じ狼人族を犯人にすると心証が悪くなるかな。
それなら狼人族よりも強そうな感じの種族で……)
そう思ったがなかなか狼人族より強そうな容姿の種族が見つからない。
ならいっそあの蜥蜴の種族に罪を擦り付けてやろうかと、
後ろをチラリと振り向いた。
そんな自分の小狡い思考に感謝すべきか、ここであの蜥蜴男が、
後三歩で俺に手が届く程度の距離まで近づいている事に気付けた。
慌てて前に飛びつつ反転。距離を取って蜥蜴男と対峙する。
奇襲がバレたせいか不快感に顔を歪ませた蜥蜴男は、俺の後ろの鋼牙に叫ぶ。
「ちょっと待て鋼牙! 俺はこいつに顔殴られてんだ!
まずそのお礼をさせてくれ……話はそれからでもいいだろ!?」
ふざけないで欲しい。
あの時お前が昏倒してくれれば俺はちゃんと逃げられたんだよ。
「もう十分だろうが。俺はお前にここまでふっ飛ばされたんだ。おあいこだろう?」
だから何としてでもそのお礼とやらを突き返す。
今からお前のお仲間を犯人にしてやるから、
暫く黙って見てろと心中で悪態もついておく。
「ふざけるな、貴様のような人間のガキに殴られたんだぞ!
腕の一本も食ってやらなきゃ釣り合わんわ!」
「お前の顔はどんだけ価値があんだよ! 言わせてもらうがな、現時点で
お前人相最悪だからな! 俺が多少殴った程度じゃそれ以上悪くならねぇよ!」
「おう分かった、死にたいんだな貴様。望み通りぶっ殺してやる!」
「おい鋼牙聞いたか!? こいつ俺を殺すってよ!
止めた方がいいんじゃねぇか!?」
「うるせえ止めろ!」
俺達の口喧嘩は鋼牙の一言で止まった。
蜥蜴男がここで言葉を止めるのを見るに、鋼牙の方が強いと見ていいか。
それでも喧嘩が止まって良かった。もしここで殴り合いにでもなろうものなら、
恐らく俺の勝ち目は薄い。やれやれといった体で構えを解こうとしたら……。
「腕でいいんだな?」
鋼牙がそんな酷い事を言ってきた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
慌ててその蛮行を止めようとするが……。
「おう、腕一本でいいぞ。流石鋼牙だな、話が分かるわ」
「ただし絶対に殺すな? 一本食ったらすぐ止血してここまで連れてこい」
話が決まってしまった。
こちらの返事も聞かずに掴みかかって来る蜥蜴男の両腕を、
慌てて左右の四本の魔術の腕で止める。
「ちょっと待てコラ! こっちの話も聞いたらどうだ!?」
「何だ……? やっぱり見えにくいがなんかあるな」
蜥蜴男もようやく俺の力に気付いたようで、空中で止められた自分の腕を
不可解そうに見ている。
「だがなぁ、こんなもん全力だしゃあ……!」
「ぐっ!?」
魔術の腕が力負けしたか、徐々に押し潰されて行く。
こっちも精一杯四本の腕に魔力を込めて対抗するが、
それでもこちらの力不足だ。
空中で止められた蜥蜴男の両腕が徐々に俺に迫り、
遂にその長い爪が俺の前髪に触れた。
(力じゃかなわないか……!)
それなら次に頼るのは技。しゃがみ込むと同時に魔力の腕をかき消した。
「何っ!?」
急に抵抗が消えたせいで蜥蜴男の両腕が空を切って体が前のめる。
その懐に飛び込んで急ぎ新たな腕を作る。
「ちょっと黙ってろこの蜥蜴野郎!」
その新しい太い腕で、昨日鋼牙に打ったような突き上げを、
その顎目掛けて打ち込んだ。
蜥蜴男は腕を組むような姿勢で、そのまま前に倒れ込む。
また起き上がられてはたまらないんで、
再度四本の腕を作って男の両肩と両足の付け根を押さえ込んだ。
(これで、この腕がある内は立ち上がる事も出来ねぇだろ……)
安堵からの一息が口から洩れる。その俺の耳に届くのは群衆から響く騒めき。
予想に反して俺が勝った事への驚きだろうか……ちょっと気分がいい。
(えっと……これで、さっきまで蜥蜴男がいた場所から逃げ出せそうか?)
蜥蜴男を倒した戦利品とでも言おうか、逃げ道も無いかと思われた包囲に
穴が開いている。消費した魔力の余波か多少の疲れが残りはするが、
その穴へ向かって駆け出そうとしたその時だ。
四肢を封じられて動けない筈の蜥蜴男が何かを動かし
俺の四本の腕を吹き飛ばした。
その風圧が巻き上げた砂埃にせき込み、目に砂が入って涙がにじむ。
その涙を拭って蜥蜴男を見てみれば、
なるほどこれは人間の俺には予想がつかなかった。
蜥蜴男はその太い尻尾を振り回して拘束を解き放ったんだ。
恐らくは、俺をここまで吹き飛ばした一撃もこの尻尾で打ったんだろう。
「腕二本だ、ガキ。その両手を食らってやる」
衆目の前で恥をかかされたせいか、
立ち上がる蜥蜴男の目が怒りで血走っている。
しかしまだ人を食らうと抜かすのか。その理不尽な言動に、
俺は思わず大声でここに集まる全員に訴える。
「ちょっと待てやテメェら!
さっきから人を食べる食べると抜かしやがるが、
まさか本当に食う訳じゃないんだろ!? 比喩かなんかだよな!?
それならもう止めてくれよ! 子供っぽい上に気持ち悪いんだよ、その喩え!」
その大声が広場に響いてしばらくは、完全な沈黙が辺りに残り、
誰も何も話さなかった。怒りに我を忘れんばかりだった蜥蜴男ですら、
呆気にとられた顔をしている。その急に訪れた静寂を怪訝に思っていると、
周りから失笑とも冷笑ともいえない、乾いた笑いが聞こえてきた。
「服従印が破れた人間ってのは、こんな事を言うんだな」
失笑交じりの鋼牙がそう呟いてから言葉をつづけた。
「何を言うかと思ったらよ……比喩でも何でもねぇよ。文字通り食うんだよ。
お前達は食べられる為にあの牧場で育てられてんだ。
俺はな、人間をお前ぐらいの歳まで育ててから出荷してんだよ……食用にな」
何を言っている……鋼牙は何を言っている?
(出荷が食用……? 俺達は食べられる為に育てられてた……? 馬鹿な!?)
「ふざけんのも大概にしろ! なんで俺達を食うんだよ!?
おかしいと思わないのか? 馬鹿げてるって思うだろうが!?
人間だぞ……人間なんだぞ!? それをどうして食べるってんだ!?」
「馬鹿はテメェだガキ! ……百年以上も前からな、
お前等はずっとそうして生きてきたんだ。
俺達魔族に食われるために生きてきたんだよ。それがこの世界の理だ。
何も馬鹿げちゃいない。人間が食べ物なのは、ただの常識だ」
怒り心頭の俺と裏腹に、鋼牙にとっては余程つまらない事を聞かれたせいか、
口調は徐々に冷静になり……
最後の方はもう、無知な子供に教え諭すようだった。
「ちょっと待ってくれよ……! じゃああの牧場から出荷された奴等は、
皆テメェらに食べられたってのか!? もう生きてないってのか!?
そんな馬鹿な話……あり得ねぇだろ!?
だってさ、そんな事してたらこの世界の他の人間が……」
「だから言っただろ。百年以上も前、お前達人間は俺達魔族に負けたんだ。
他の人間……? そんなの、牧場の外には殆どいないんだよ。
この世界は俺達魔族が支配してるんだ……分かるか?」
「嘘だ!」
「……言ってろ。もう興が醒めた。後は俺がやる。」
もう諭すのも諦めたようで、鋼牙は壇上から飛び降り、
ゆっくりと俺の下に向かってきた。
動揺に怯えが重なり俺は思わず後ずさるが、
何者かがその俺を後ろから羽交い絞めにした。
拘束する腕には濃緑色の鱗。間違いなくあの蜥蜴男だ。
その腕を解こうと足掻く俺の首を鋼牙の右腕が掴む。
じわじわと力がこめられるその首の感触に、恐怖のあまり言葉を失う。
「さあ言え、昨日、あの場所で何があった?
誰が兄貴を殺した? 誰がお前の服従印を破った?
お前が知ってる事を正直に全て話せ。
分かるか? もうくだらん嘘は不要だ」