二十六話 師事
「……強くなりたい、ですか?」
次の日の朝だ。朝食を済ませ野営道具を早めに片付け、
空いた時間に延老さんに戦い方の指導を願った。
「ああ。少なくともあの遠鬼をぶちのめせる程度まで」
「それは……剛毅ですな」
延老さん自身を倒したいとは言えないんで、遠鬼を仮想敵とした。
まあ、実際アイツが戦闘狂でさえなければとっくに戦闘を挑んでた筈だし、
そこまで間違っちゃあいない。
「時間が惜しい。とにかく新坂に着くまで、強くなるために出来る事、
全部やっておきたいんだ」
「……遠鬼殿には、何か教わったりしてましたか?」
「アイツに? 魔術の簡単な講釈以外は何も」
「使える魔術は?」
「原始魔術だけ」
「……得意な武器は?」
「この通り、昔の怪我で右手が全然動かない。だから武器も使った事が無い」
右手をブラブラ動かして、手首から先が全く動かない事を伝える。
思わず腕組みをして考え込む延老さん。多分そうだろうと思ってはいたが、
延老さんの見立てじゃ、今の状況から遠鬼をぶちのめす程に強くなる、
というのはかなり無謀な試みらしかった。
「何だ……やっぱそんな無謀か?」
「ですね、勝ち筋が一つたりとてありません」
「……それほどか?」
「そうです。せめて武器の一つも使えれば……失礼」
俺の右手を取って、揉んだり押したりしてくる。
「やっぱり動かない感じですか?」
「だね。感触はあるし指を逆方向に曲げられると痛い。
でもちっとも動かせねぇ」
「分かりました。では……ちょっと失礼。体を触りますね」
そう言うと今度は腕、胸、背中、足と……両手で揉んだり撫でたりしてきた。
少々むず痒いが……一体何の儀式だ?
「分かりました」
「えっと……今のは何なんだ?」
「結論から言いますと、鍛錬が全く足りておりません。
何を伝授するにしろ、身体づくりから始めませんと」
もしかして、身体の鍛え具合を調べていたんだろうか。
一応、これでも牧場を逃げ出してからそれなりに腕が太くなったと思ってたが、
全然足りてはいないようだった。
「そんな悠長な事言ってられねぇんだけど……
新坂まではあと何日残ってるんだ?」
「野盗が釣られるかどうかで多少のずれはあるでしょうが、
五日程度、でしょうね」
「五日間体を鍛えたぐらいで強くなれる気はしねぇけどさ……。
いや、基本が大事、ってのは分かってるつもりだけど」
どうしたって気が急いてしまう。後五日で延老さんに勝てる程度まで強くなる、
それが出来なければ……あの少女を救う手段は、
守護の下で治療役になれるかどうかの賭けに委ねるしかなくなる。
それならば、無理だ無謀だと分かっていても、
せめて俺が結果に納得出来るよう、出来る限りの努力はしておきたかった。
今のまま何もせず新坂についたとして、結局少女の命が助からないと
なったとしたら、俺は絶対に自分を許せないだろう。
「それなら……多少過酷になるでしょうが、身体づくりと戦い方の指導、
両方を同時にこなしてみますか?」
延老さんからの折衷案は、俺にとっては願ったり叶ったりのものだった。
「過酷上等……。とにかく、なんだってするから残り五日間、
徹底的に鍛え上げてくれ!」
その日から、移動中は馬車の横を並走するように指示された。
しっかりとした体力を身につけるためには、とにかく走るのが一番だそうだ。
疲れたら御者台に乗って休んでいいとも言われたが、そんな気は毛頭無かった。
(強くなる。今はそれだけでいい。それ以外考えない方がいい)
あれから少女と視線を合わす事すら出来てなかった俺は、
御者台の前、馬車を引く馬と並走するように走っていた。
……多分、今あの少女の目を見てしまったら、
姉さんを重ねずにはいられないからだ。
記憶に残る姉さんは丁度あの少女ぐらいの歳で、どうしたって重なってしまう。
それが辛かった。
その日は結局野盗が襲撃してくることも無く、俺は結局朝から夕方まで、
ひたすらに走り続けた。
今日の行路が終わり、野営をする段になると漸く休憩時間が訪れる。
ここまでの無理が祟ってか、体中から悲鳴のような痛みが襲ってきていたが、
それを無理やりに押さえ込んだ。
軋む体を引きずりつつも、荷台から荷物を降ろし、焚き火を熾した。
野営の準備にかかる時間が短ければ短いほど、鍛錬に使える時間が増えるからだ。
「野営の準備は終わらせた。今から戦い方の指導をしてくれ」
延老さんにそう訴える俺は、野営の準備程度でも随分と体力を消耗してる。
肩で息をしてる自分の姿が少々情けなくも感じるが、
今の体調で何事だろうと急いてやるとこういう風になる訳だ。
なるほど、これは確かに鍛錬が足りない。
延老さんは俺の闘志を好ましくとでも感じたのか、何故か嬉しそうだ。
「いやぁ……最近の若者は貧弱だとばかり思ってましたが、
界武君は何より精神が強靭でありますなぁ」
「世辞はいいから、遠鬼をぼっこぼこに出来る秘策とかさ……」
「ハッハッハ……そう急ぎなさるな、指導は夕食後にしましょう。
それまでの時間は……そうですね。
あの空っぽの荷台なら界武君でも押すなり引くなりして
動かせることが出来るでしょう。それでこの辺を一周してきてください」
「荷台……か」
(こういう時に必要な力って……
質量と重力加速度に摩擦係数を掛けるんだっけ?)
平面上で重たいものを押す、と聞いた時、姉さんの授業が思い起こされた。
意外と覚えているもんだ。しかし摩擦係数って分かってるようで分からない。
荷台は……そうだ、車輪があるからかなり少なめなんだろう。
「ちなみにこの時にね、力の方向が水平じゃなくて斜めだったりすると、
ベクトルを分解して、Fcosθ分の力しかx方向には……」
「姉さん、止めて! その三角関数って奴、まだよく分からない!」
サインとかコサインとか、とにかくあの変な文字が出てくる度に
悲鳴を上げてたのを思い出して、思わず笑みが零れた。
「どうしました?」
その笑みを不思議に思ったか、延老さんが聞いてくる。
「いや……何でもない。
じゃあ、さいんしーた分の力を無駄にしない為に、
なるべく水平に押してくるよ!」
その言葉の意味を延老さんが知ってるかどうか、
そんな事はどうでも良かった。とにかく水平、だ。
そう思いながら何も乗ってない荷台に向かった。




