二十五話 解除印
「おや、界武君……」
延老さんは少女を担いで街道に戻ってきた俺を、
何事もなかったかのように迎え入れた。服従印があるからか、
逃げるなんて全く考えてなかったんだろう。
御者台に座る延老さんを一度視界から外し、辺りを見渡す。
……馬車の前方に広がる血の海は見なかった事にして、
鋼牙の奴がまだここにいないかと何度も左右に目を向けるが、
あの狼人族の巨躯はどこにも見つからなかった。
「あの狼人族は……どこかに行ったのか」
「ですね。何やらお忙しい様子でした」
「へえ……」
鋼牙がいなかったのは好都合だった。
正直、いたとしても怒りに任せて喧嘩を吹っ掛けてたと思うし、
その手間が省けたのはいい事だ。
少女を荷台に降ろし、何とか気を落ち着かせる。
荷台に降ろす時も、敢えて少女とは視線を合わせない。
そんな事をしたらまた怒りが湧いてきてしまうからだ。
「……あの狼人族、鋼牙の奴を俺は知ってるんだよ。
向こうも多分こっちを覚えてる。で、会いたくなかったから隠れた。
それでついでにあの子も避難させた」
「そうでしたか」
御者台に戻った俺は延老さんに隠れた理由をそう伝えておいた。
殆ど嘘をついてないからか、すらすらと言葉が出てきた。
御者台から前方の眺めはまた凄惨だった。
野盗共が文字通りバラバラに成り果てている。
勿論見てていい気分になんてなれない。
「野盗の討伐……手伝えなかったな。悪い」
「いえいえ、少女を避難させてくれて助かりました」
それで今回の野盗討伐はお終い、
次に向けて気持ちを切り替える、という雰囲気になった。
「そういやさ、延老さんって今回の仕事終わったらどうするんだ?」
野盗の襲撃を退けた日の夕食後だ。食器の後片付けも終わり、
焚き火を囲んで寝る前に少し雑談を楽しもうかという時に、
俺から話題を誘導しようとそんな事を聞いてみた。
当初の目的である、魔族の事をもっと知っておく為にも
延老さんとの会話は必要だが、今はそれよりも大事な意味がある。
(解除印の場所を聞きだす。直接聞くのは無理かもしれないけど、
それならその手掛かりだけでも喋らせるよう誘導するんだ)
「守護様から別の命を受けるまでは、
新坂を観光でもしようかと思っております」
「えっと……その辺よく分からないんだけど、延老さんはここの守護様に
仕えてるのか?」
「はっきりそう決まっている訳ではありませんよ。
隠居者の道楽で、若者の頼みを聞ける範囲で聞いているだけです」
それはまた大層な道楽だ。こんな強者を使い倒せるとなると、
守護様とやらもそりゃあ頼りにするだろう。
「それならさ、もしかして俺の頼みも聞いてくれたりするのか?」
ただ今分かる事は……多分、この老人は若者に対して甘い。
頼られるのを良く思っているという事だ。……これは利用できる。
「界武君がですか? 何か私にして欲しい事でも?」
俺は考える。直接的に解除印の場所など聞いても怪しまれる。
ならば、自然に会話の中で出てくるような話題を作るんだ。
「えっと……そうそう、俺さ、延老さんが今やってるような護衛の仕事、
やってみたいんだ。だからさ、今の仕事の段取りとか教えてくれないか?」
そこで考え付いたのは、今回の仕事の段取り丸ごと聞いてしまう、という手だ。
これならどうにか解除印の話に繋がるんじゃなかろうか。
「段取りですか……? と言いましても、難しい事など何もありませんよ。
野盗を狩れる程度の武勇があれば誰にだって出来ます」
「でもさ、人間の扱いとか……牧場で何か聞いたりしなかったのか?」
「特に何も。ただ、餌は指定されてますので、それを与えてはいますが」
「えっと……け、怪我とか病気になったりしたときの対処とかは?」
「常識的な範囲でしょう。放置してれば治る程度なら放置、
重篤なようなら処分」
この辺りの話は、聞いてるだけでもイライラしてしまう。
だが今は我慢……。とにかく解除印の場所だ。その話題に繋げるんだ。
「でもさ、あの子の服従印……ちょっと他と違って凄く大きいよな。
あれについては何か注意されなかったのか?」
「服従印……? ああ、最高級品ですからね。
どうしても服従印が大きいものになるんでしょう。特別製だそうですよ。
でも扱いは普通のものと大差ありません」
「え? 最高級品だと服従印が大きくなるのか?」
これは初耳だった。
「はい。魔力が大きい者には服従印の効きが悪くなりますからね。
どうしても特別な服従印になってしまうんでしょう」
「それは遠鬼から聞いてないな……」
「自分の事すら碌に話してないようですからな」
そう言って延老さんが笑う。
……うん、やっぱり笑ってる人と話してるとこっちも気分が楽だ。
話題が話題だけにその笑顔に随分と癒される。
「遠鬼から服従印について聞いたのって、解除印っていうのがあって、
それがあれば服従印が解けるって事ぐらいだな。
後は……そうだ、人間には服従印を刻む義務があるって事か」
「そうですな。大抵の牧場では年に数回拘束魔術師が訪ねるようになってまして、
そこで新しく生まれた人間に服従印を刻む事となっております。
それを怠ったり、解除しようとした者は法により罰せられます」
という事は、俺も何回かその魔術師を見た事があるんだろうか?
残念……でもないが、今の俺にそんな記憶は残っていなかった。
「ん? じゃあその時解除印も一緒に牧場に渡されるのか?」
「渡しませんよ。まあ、一部例外はありますが」
「例外?」
「ええ、あの少女がいた牧場などがそうです。専属の拘束魔術師がいるのですよ。
そういった牧場だから特別な服従印を刻むことが出来る訳でして。
当然、その魔術師が必要に応じ解除印も作ります」
「解除印を作る必要って何だ?」
ふと気付いたが、そういえばそれはよく分からない。
解除する事が重罪ならば、解除印なんて作らない方がいいじゃないか。
「悪用を防ぐ為ですよ。あの少女のものほど強力な服従印ならば、
弱い魔族の意志ならば簡単に拘束してしまうのですよ。
だからそれを模倣され悪用されないために、解除印も作ってその魔術師、
それと牧場の管理者が預かります。
後は……王都にも送る手筈になっていたと思います」
「なるほど……」
すました顔で相槌を打っているが、心の中では勝利の雄叫びを上げていた。
(よっしゃあ! 聞きだせた!
少女がいた牧場、もしくは王都にあるって事か!)
かなり遠いし長門国とは逆方向だが、僅かながら希望が見えた。
聞きたい事は十分聞けたんで、俺は感謝の言葉で会話を締めようとした。
だがその後の延老さんの一言で、今まで必死に保っていたすまし顔が
完全に崩されてしまった。
「ああ、私も持っていますよ。この少女の服従印が出荷先で悪用されるのを
防ぐ為ですね」
「なっ……え、延老さんも持ってるのか!」
これまですまし顔で話をしていた男が急にこんな反応をすれば、
誰だって怪しく思うだろう。
延老さんもその俺の反応に驚きつつも、胡乱な視線を向けてきた。
「界武君、何故ここでそんな反応になるのですか?」
「えっ……あ、ああ、そんな危険なものを持ち歩いてるなんて、
思っても……みなかったから……」
咄嗟に出た言い訳だが、誤魔化せただろうか……。
流れる冷や汗、思わず飲み込む唾。恐る恐る上目遣いで延老さんを見つめると、
延老さんは思わず吹き出していた。
「ハッハッハ……。解除印は危険なものではありませんよ。
別に急に爆発したりもしませんし、
誤作動して界武君に勝手に服従印を刻んだりもしませんな」
……まだ笑っている。ちょっとイラっとはしたが、何とか誤魔化せたようだ。
胸を撫でおろしつつ、俺は次の作戦を練る。
(延老さんから解除印を盗む……いや、物だけあっても使い方が分かんねぇ。
となると……延老さんを倒して、解除印を奪い、使い方を聞きだす)
俺の全人生を数倍して漸く届く、そんな長さの戦歴の持ち主、魔族の生ける伝説、
無双の刀の達人……そして、普段は優しいおじいさんだ。
そんな男に、戦いを挑んで勝利する。
複雑な感情を胸に秘め、俺はその絶望的な発想に密かに体を震わせていた。




