二十四話 揚力
野盗の襲撃だって三回目にもなればもう慣れたものだ。
親玉らしき魔族が二回目の野盗と同じような口上を垂れている。
俺は半ばうんざりしながらそれを聞く。
(鋼牙も殺されたっていう風に噂が広まっているんだなぁ)
嘘の部分までまるきり同じだったので、こいつもやっぱり
法螺吹きという事になる。捕らえて話を聞く必要もないだろう。
野盗達の多くが両手に長く鋭い爪を持っているが、
恐らくあの集落で見えない刃を飛ばしてきた奴等と同じ種族だろう。
(今戦うとなると……あの爪に布の原始魔術を張り付けられれば、
あの見えない刃を封じられねぇかな……)
そんな風に考えてはみるが、俺はあの刃に脇腹を斬られた事もあって、
正直苦手意識が強い。だが延老さんは怯える様子も見せない。
これはうかうかしてると獲物が全て狩られかねないと、
怖気づきかけた心に気合を入れる。
そして御者台から地に飛び降りて、誰から倒すか考える。
(やはり先頭から倒していった方がいいかな。
後ろの敵も攻撃しづらいだろうし)
そう思い魔術の布を左手から出したその時だ。全く予想してなかった事が起きた。
空から狼人族が降ってきたのだ。ずっと狼人族が管理する牧場にいた俺だ。
容易くその男が誰か見極める事が出来た。
(こ……鋼牙! 何でこんな所にいやがる!?)
まだ鋼牙はこちらに気付いていないようだが、
俺がここにいるとバレてしまえば非常に危険な状況に陥る。
鋼牙自身に狙われるのは勿論、人間と知られたら延老さんにも斬られかねない。
慌てて御者台を駆け上がり、荷台の上で身を隠した。
(さて、どうすっかねぇ……。ひとまず、今回の野盗は延老さんに任せて
どこかに隠れた方がいいか。でも、だ。万が一、あの鋼牙の奴も延老さんに
ついてきた日には……どうする?)
今の所はそうならないよう祈るしかない。
理想を言うならあの鋼牙を殺してしまうのが一番だが、
残念ながら俺の今の力じゃ、昏倒させる事は出来ても一撃で殺すのは無理だ。
その昏倒させるのだって、鋼牙が油断しているならどうにか、というだけだ。
崖からの逃走を含めれば、アイツの油断を突いたのなんてもう三度目だ。
流石にもう油断は期待できない。
「いっそ逃げちまうか……。何とか新坂にさえ行ければ、遠鬼には会えるし」
あの男に頼るのは正直癪だが、少なくとも一人で生きていける自信がつくまでは、
頼れる誰かがいないと心許ない。……ん?
いや、頼ってる訳じゃない。利用してるだけだ。
そうして新坂への逃避行に気持ちが傾きかけていた時、
上着の裾が引っ張られてるのに気づく。
あの少女だろう。俺の独り言を聞いたのか、俺の上着の裾をぎゅっと掴み、
ここから離れないで欲しいとその目で訴えていた。
「……ついでにお前も来るか? 新坂まで、一緒に」
何気なく出たその言葉。勿論、新坂まで逃げるとなると
この少女は間違いなく足手まとい。俺より早く走れるなんて事は無い筈だし、
連れて行ったら延老さんまで追ってきかねない。
そんな事は重々承知している。だから、本当に何となく、考えなしに出た言葉。
でも……それを聞いた少女は信じられないぐらいの喜色溢れる笑顔になり、
何度もブンブンと首を縦に振った。
だから……つい、その手を握ってしまった。左手から伝わる少女の熱で、
その手がとても暖かい事を知った。
街道を外れ森の中に入る。この付近は本当に森だらけなんで、
一度そこに足を踏み入れてしまえば、俺達を探すのはとても難しくなる筈だ。
そしてここに入ってしまえば、後は来た道を戻ればいい。
そうすれば遠鬼と別れた村に戻れ、それから遠鬼が進んだ新坂への道を
辿ればいいんだ。難しい事は何もない。荷台から拝借した少しの糧食と水、
これだけでも多分三日は問題なく歩める筈だから、
それでどうにか新坂まで辿りつけられればいいんだ。
しかし……少女の事を考慮してかなりゆっくり進んでいるが、
それでも手を引く左手から伝う少女の足取りは重い。
まあ、俺は裸足で歩くのも慣れてるから足裏の皮膚は堅く、
森を歩いても痛くもなんともないが、
少女はそうじゃないのかもしれない。村に着いたら足袋か何かを
履かせれてみようかとも思ったが……馬車から離れて五十歩程歩いただけで、
少女の足取りは完全に止まってしまった。
……これは本当に、足の裏が痛いとかそういう話なのか?
「おい、どうした……?」
振り返ってみると、少女は涙を流していた。その顔は苦痛で歪み、
息は荒く今にも倒れそうだ。
「ど……どうした!? どこが痛いんだ!?」
遂にしゃがみ込む少女のうなじに刻まれた服従印を見て、
俺は何が起こっているか悟る。
あれはいつだったか……。
そう、姉さんがまだ牧場からの脱出を諦めてなかった頃だ。
「私達は自発的に牧場の外に出られないじゃない?」
「……そりゃあ、そう命令されてるしね」
二人きりになると、時折姉さんの発言は過激になる。
姉さんはとにかく、してはいけない系の命令にあの手この手で逆らおうとした。
勿論いつも失敗する。命令された事には逆らえないからだ。
いや、正確には俺は少しだけなら逆らう事が出来る。理由は分からないけど。
ただ面倒だし、意味もないからやってない。
「でもさ、自発的じゃないなら出られるんじゃないかと思った訳よ」
じゃじゃ~ん、とか言い出して姉さんが引っ張ってきたのは……
「何これ、障子?」
何やら大きな木の骨組みに紙やら布やらが張り付けてある障子が二枚。
しかも何というか……骨組みが格子状ではなく放射状に広がってる奇怪な障子だ。
というか、良くもまあこんなものを作れるだけの木材やら紙やらを
ちょろまかせたものだ。
そういえば二月ほど前から部屋で紙張りをしてたけど、
あれは隣の長屋の修理じゃなくてこの為だったのか。
「違う。これはね、本来はこうやって組み立てて使うの」
「えっと……それで、何に使うの?」
「空を飛ぶの」
「……姉さん、頭大丈夫?」
言われてみれば鳥の羽にも見えなくはないが……鳥じゃあるまいし、
人間が空を飛べる筈が無い。
「正確には滑空、しかも数メートルだけでいいの。
あの忌々しい牧場の柵。あれを飛び越えられればいいの!」
「いやでも、空なんて……」
「飛べるの! ベルヌーイの定理があるの! 揚力が発生するの!」
「いや分かんないよ。何だよ、ようりょくって……」
「それは後で教えてあげる。とにかくね、作戦はこう……」
姉さんが言うには、二日後に遠方への出荷の護衛や他の用事とかで、
いつもは鋼牙と全牙のいる大きな二階建ての家に誰もいなくなるそうだ。
その日の夜、こっそり二人であの家の屋根に上り、
俺はあの羽を付けた姉さんを担ぎ、牧場の外へ向けて助走をつけ思いっきり
投げ飛ばせばいいらしい。
「……それさ、多分怪我じゃすまないよ?」
「やっぱり初速足りないかなぁ。でも、向かい風ならあるいは……」
「姉さん!」
「な……何?」
屋根から落ちて怪我をする姉さんなんか見たくない。
だから俺は真剣に姉さんを見つめる。
「そんなに牧場の柵から外に出たいんなら、俺に考えがあるよ」
「え……ほ、本当!?」
「ああ本当だよ。要は、姉さんが自発的に出なければいいんでしょ?」
そしてその日の夜、俺は目隠しをした姉さんを牧場の入口に立たせた。
ちなみに、牧場から出る人間なんていやしないから見張りも立ってない。
「じゃあ行くよ?」
「うん……で、でも、本当に大丈夫?」
「俺は大丈夫」
そう、俺なら多分、少しだけなら牧場から出る事が出来る。
命令に逆らうと後ろ首が痛くなってきついんだけど、
それでも耐えられない程じゃないから。
そう、俺の考えは至極単純だ。俺が手を引いて牧場を出るのなら、
それは姉さんが自発的に牧場から出たわけじゃないから、命令違反にならない。
そうして右手で姉さんの手を引いて牧場を出る。
……大丈夫。首や頭が痛くなってきたけど、姉さんが怪我するよりはずっといい。
俺に手を引かれた姉さんはおどおどとした足取りだったけど、
それでも牧場の外を数歩、歩く事が出来ていた。
満月が照らす夜の道を姉さんの手を引いて二人、内緒の散歩。
命令違反の不快感が無ければ、どれだけ素敵な事だろうかと思った。
「姉さん、もうここは牧場の外だよ」
「……そっか。ここが牧場の外……なんだ」
目隠しがあっという間に涙で濡れて、姉さんがその場にしゃがみ込んだ。
「ね……姉さん!?」
「痛い……痛いよ……頭が……とっても……」
弱々しい涙声を上げ、姉さんは頭を抱え苦しそうに悶える。
見ていられなくなった俺は、姉さんを担ぎ上げて急いで牧場に戻った。
「やっぱり……牧場から出ること自体が駄目なんだね」
涙目の姉さんの言葉。それがその夜の最後の記憶。
そして多分あれからだ。姉さんは大好きだった授業の時間を減らしてでも、
俺に魔力の鍛錬をするように言ってきた。
あの夜の姉さんの涙目にそっくりだと、少女の目を見て思った。
「服従印……! 馬車から離れるなって命令が刻まれてるのか!」
今なら分かる。この服従印が機能している内は、
人間は命令に逆らう事なんて出来ない。
まして少女の印はこれだけの大きさだ。与える苦痛もどれほどか……!
躊躇う時間すら惜しかったから無遠慮に少女を担ぎ上げて来た道を戻る。
無論少女はされるがままだ。
「馬鹿が……! 辛いなら辛いで、ちゃんと言って……」
そこで言葉を呑む。
(ああ……そうだった、畜生!)
「……ごめんな。喋れないんだろ」
担がれているからか、何の意思表示も出来ない少女。
だから俺は独り言を呟くかのように続けた。
「解除印だ。まず解除印を探す。それからだ。
それから……何処へなりと、好きな場所に飛んでいけばいい」
そう、揚力があれば、空だって飛べるらしいから。
ならばせめてそこまでは、少女を見守るべきじゃないかと……。
(……拙い。情が移ってきてる。姉さんの事を思い出したからだ……!)
こみ上げてきた怒りは、一体何に、誰に対してのものだったのか……。
ともかく、馬車に戻るまでには何とかこの怒りを収めておかないと、そう思った。




