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和風魔界の反逆者  作者: 猫もしくは犬
一章 界武
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二話 狼と蜥蜴

「米?」


姉さんがまた変な事を言い出したと思っていたら、食べ物の話だそうだ。


「そう、今の畑は麦に蕎麦、粟や稗とかの雑穀に、

 芋類がちょっとって感じだけど……米、つまり稲も育てられる筈でね」


「稲……? 聞いた事無いけど……それ美味しいのか?」


「そりゃあもう、精米まで出来ればとっても美味しいから!

 だけど……何故かここでは稲が無いの。多分他の地域に行けば……」


「他の地域って……この牧場から出荷されて何処かに行くって事!?」


それは嫌だという思いが言葉に現れた。姉さんがいなくなったら……。

それを思うと、俺は不安でしょうがなくなる。


「出荷は駄目。絶対に嫌、嫌だけど……私、魔力が無いからさ。

 だからまだ大丈夫」


そうやって自分を卑下してる時の姉さんの目は嫌いだった。

何もかも諦めているような、それでいて何かに縋っているような……。

とにかく、優しくて頭のいい姉さんがそんな目をする必要は無い筈だった。

しかも出荷が嫌だというのも意味不明だ。

この牧場では高い魔力を発揮して若くして出荷されるのは、

とても名誉な事である筈なのに。


「あ~あ……。何でこんな世界なのかなぁ」


俺と同じく、この牧場しか知らない筈の姉さん。

その姉さんが世界について語るという不可解さを、

俺は果たしてどれだけ理解できていたんだろう。







目を覚ました。


今まで見ていたのは姉さんの夢だ。

夢の中の姉さんはぼさぼさの長い黒髪に焦げ茶色の瞳。

牧場では珍しいくらいに健康的に育った体に小奇麗な着物を着た、

少し陰があるもののとても賢い少女の姿だった。


牧場を抜けて飛び込んだ森の中、倒木に背を預けて休んでいたら、

どうやらそのまま眠っていたらしい。

その間に日が昇ってしまっており、どうやら今は朝か昼前のようだ。

腹時計からの予測ではあるけど、巳の刻辺りじゃないかなと思う。


(起きた時はちょっとヒヤッとしたけど、寝てる間に見つかっては

 いないみたいだな……良かった)


俺が逃げたと思われる方向とは全くの逆から逃げたんだ。

流石にこんな所で寝ているなんて思ってもいないだろう。


自身の無事に安堵しつつ起きて体を動かす。

自分の手を繋いで前に伸ばし、次は背中の後ろで繋いで手を思いっきり伸ばす。

右手が動かないからやりにくくはあったけど、左が動くんで問題は無かった。


「というか、これずっとこのままじゃなかろうな……」


かなり不安だ。片手が動かないとなると、鍬もまともに扱えない。

農作業で役に立てないとなると、周りから白い目で見られるに違いない。


(……あ、そういや俺、牧場から逃げ出したんだっけ)


その不安が杞憂であった事で平常心を取り戻せたか、

俺はその後背伸び、肩寄せ、前屈といった体操を手順良く済ませた。


(さて、次はどうやって姉さんを探すかだ)


鋼牙に殺されかねないからと牧場を抜け出したはいいものの、

勿論外の世界に全く伝手なんかない。

更に言うなら水も食料も無く、

持ってる物は今着ている上着にその帯、後は猿股だけだ。

後は……。


動かない右掌から自分のそれと同じぐらいの魔術の手首を作り出す。

半透明の掌は俺の意志に従い自在に動きはするが、

細い指を五本作ってそれぞれを動かすような精緻な造形と操作はできないようで、

二本の太い指で作った掌擬きを握ったりするのが限界のようだ。

とは言っても、勿論動きもしない俺の右手よりかはずっと働きものだけど。


(そう、この原始魔術。多分あの牧場にいる人間の誰よりも

 俺の魔術は強い筈だ。これがあるなら多少の荒事も問題はない……筈……)


そこで鋼牙が木の壁をふっ飛ばした昨日の一場面を思い出す。

あれは無理だ。俺の魔術じゃあんな強い攻撃は出来やしないだろう。


(荒事も多少は大丈夫だろうけど……鋼牙とだけはやりあうのは避けよう。

 あの時も幸運が重なっただけで、一つ間違ってたら普通に殺されてたな)


思わず出る身震い。その恐怖を何とか誤魔化そうと、

牧場とは逆の方向に歩き始める。

ちなみに方向に関しては地面の傾斜で判断してる。

この森……というか牧場も含めて、山の斜面にでもあるようで、

緩やかに傾いているんだ。だから牧場から離れたいなら、

ただ傾斜を下っていけば問題は無いという寸法だ。


(まあ大丈夫だろ。牧場でも狼人族はほんの数名で、残りは全員人間だった。

 他にも色んな種族がいるとは聞いているけど、人間程は数が多くない筈だ。

 となると……この外の世界も多分殆どが人間ばかりで、それ以外の種族と

 会う事なんて殆ど無いだろう)


ならばそういった人間達から姉さんの出荷先を聞いて周ればいい。

あの牧場でも変わり者だった姉さんだ。外の世界でもその変人っぷりで

有名になってるかもしれない。もしそうだとしたら、

意外と会えるのもそう遠い未来じゃないだろう。


(じゃ、とにかく人里を探してみますか……)







馬車が通れる程度の細い林道を見つけたのは、歩き始めて数刻経ってからだった。

周りには誰もおらず、普段からよく使われてるようにも見えない。

この場所も森と同様緩やかな傾斜があり、恐らくはこの道を上っていくと牧場に、

下っていくと何か別の場所があるのだろう。願わくは、人里があって欲しい。


そう思っていた俺であったから、道を下って進んだ先の、

初めて見つけた集落に飛び込んだ。遠くから見る分には何故か廃屋が多めの

不気味な集落ではあったけど、人影もいくつか見えたんで

人がいるのは間違いなかった。


(姉さんの出荷先の情報が優先で、ひとまずそれを聞いて周ろう。

 後は、出来れば食べ物と水も分けてくれないかな……)


それが笑えるまでに甘い考えだと、すぐ知る事になった。なってしまった。







「今言ったとおりだ! 

 こう……これくらいの小さな人間のガキが俺の牧場から逃げた! 

 見つけてもすぐ食っちまわずに俺の所に連れて来てくれ! 礼は弾む!」


集落の中央付近だろうか。少し開けた広場のようになっている場所、

その隅にある木製の壇上で、鋼牙が大声を張り上げていた。

その側には、俺と同じ背格好の人間の子供を連れている。あれは多分、

あの牧場で俺を起こしてくれた少年だろう。

声を張り上げる鋼牙を怯えてか、顔を青くしている。


しかし何という事か。どうやら鋼牙は俺があの森をうろうろしている間に、

馬車か何かでここに先に着いていたんだ。


「おいおい鋼牙。服従印が刻まれてる人間が牧場から逃げるものか!

 誰かがこっそり食っちまったんじゃねぇのか~」


近くで話を聞いていた毛むくじゃらの小男がそう言って笑う。

見た感じだと恐らくあれは人間じゃない。それもそれで問題だが、

何よりも話の内容が穏当じゃない。


(人間を食らう? 何を言ってんだ? 牧場にはあれだけ人間がいたのに、

 俺の知る限りは誰も食べられてなかったぞ……? 

 それになんだ、あの広場に集まってる奴等……全員、人間じゃねぇ!)


そう、俺と壇上の少年以外は、どう見ても人間じゃない。

鋼牙と同じような狼人族が少し、他にも獣人とでも呼ぶべきか、

獣と人の特徴を併せ持つような者だらけだ。


獣人達は鋼牙と小男のやり取りが面白かったのか、

その群衆のあちこちから笑い声が聞こえてくる。

辺りから漏れる笑いに少し気を悪くしたか、鋼牙が声を荒らげる。


「誰がやったか分からんが、そのガキの服従印は破られてる!

 それにな、牧場じゃ俺の兄貴含め二人殺されてる! 

 何があったか知ってんのはその逃げたガキだけなんだよ!」


その怒号に怯えたか、横の少年の顔色は青を通り越して白くなりつつある。

俺と背格好が似てるから連れてこられたんだろうが、お気の毒だ。


「おい鋼牙、全牙の野郎が殺されたってのか? 人間のガキに?」


集まっていた群衆からは笑い声が消え、

その中にいた狼人族の男の一人が訝しげな声を上げる。


「分からん。この付近じゃ聞いた事はねぇが、牧場荒らしが来たかもしれん。

 ただ、そのガキは人間としては大きめの魔力も持ってたから、

 もしかしたら隙を付いて二人を殺ったのかもしれねぇ……。

 とにかく何にも分かんねぇんだ!

 だからそのガキをもし見つけたら俺の所に引っ張って来てくれ!」


「牧場荒らし……。こんな場所に出るのかよ……」


「王都からそこまで離れてねぇぞここは。

 こんな所まで人間の反乱者が来たのか?」


「いや、去年ぐらいに新坂の辺りに魔族の牧場荒らしが出たらしいぞ。

 そいつが来たのかもしれん」


ざわざわという雑音に混じって飛び交う群衆の会話は、

聞き取れるものだと大体こんな感じだ。色々と気になる単語はあったけど、

今は気にかける余裕はない。食べても休んでもいないのはつらい。

でもこの場所に少しだって長く居たいと思わない。速やかに逃げるべきだ。


「おい鋼牙ぁ! そのガキっていうのはこいつの事か?」


急に響く後ろからの胴間声にびっくりして後ろを振り返ろうとしたが、

それより早く背中の服を掴まれ吊り上げられた。

不甲斐ない事に前方に意識を集中しすぎていて、

後ろから近付いてきた大柄の男に気付くことすらできなかった。


宙に吊るされながら、限界まで首を捻り後ろを見る。


「うわっ!」


思わず上げた声はその男の容貌のせいだ。

牧場で見かけた中で近いものを捜すとなると、蜥蜴と蛙の中間のような顔と体。

俺を釣り上げている剛腕は濃緑色の鱗を纏っており、

こっちが体全体で暴れてみても小揺るぎもしない。


ならばと原始魔術で背中から太い腕を生やし、男の腕に思い切り叩きつけてみた。


「……ん? 何だこれ?」


どうやら魔術の腕が見えていないのか、蜥蜴男は不思議そうにそう呟く。

何をされたのかよく分かってないらしい。

ただ、多分俺自身が吊られた状態で殴ってもあまり痛くは無いんだろうか、

効果が全く見受けられない。なんとなくだけど、

地に足を付けて振りかぶってから殴らないと痛い殴打にならない気がする。


「ならまずは降ろしてもらわないとなっ!」


もう一本腕を生やして、男の腕ではなくその手が掴んでいる俺の服を、

左右から引っ張るようにして思い切り引き裂いた。

昨日、夜の寒さから守ってくれた上着が無残に剥ぎ取られ、

俺は地面に倒れ込む。勿論すぐに立ち上がったが。

これでもう下に履いてる猿股以外に纏うものが無くなってしまったが、

命には代えられない。


この蜥蜴男を殴り倒してここから逃げてしまおう。

その為に作りだした魔術の腕は四本、左肩から二本、右肩からもう二本だ。

とにかくそれを勢い付けて振りかぶり、蜥蜴男の顔、胸、腹、股座に叩きつけた。


「があっ!?」


相変わらず何をされたか分かってない蜥蜴男だが、特に顔の一撃が堪えたらしく、

顔を抱えてうずくまった。


(よし、今の内に……!)


うずくまる男の横を通り過ぎようと走り出す。

だが丁度その右隣に並びかけた瞬間、

何やら太くて長いものが俺に叩きつけられようとしてるのに気づいた。


慌てて生やしたままにしておいた右肩の二本の腕で防ぎはしたものの、

恐らく俺の体が軽すぎたせいか、そのまま後ろに大きくふっ飛ばされた。


咄嗟に左肩の二本で地面を押さえ、

どうにか飛ばされる速度を落とそうとしたが、

そのまま砂ぼこりを上げながらも十歩近い距離を飛ばされた。


そして何とか着地。


「いってえなぁ……! 何しやがったこの蜥蜴野郎!」


折角の逃走経路を潰された腹いせの怒声を上げたが、

はっきりしてるのは、状況がさっきよりもはるかに悪くなったという事だ。


「……よぉ、また会ったな」


後ろから聞こえる声に、引いた笑いを浮かべながらも俺は振り向く。


壇上に、ゴミか何かに向けるような冷たい視線で見降ろす鋼牙がいた。


「えっと……き、昨日は……ご苦労さんでした」


とりあえず、徒労に終わったであろう昨日の彼の努力を労わってみた。

これが友好的な交渉の一助になる事を祈りながら。

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