百九十四話 屠殺場跡地
最初に放たれた火の玉は三つ。
速度はそこまででもなく……凪の放つ矢の方が余程早い。
だがこの火の玉の警戒すべきは速度ではない。
臣錬の放つ狐火の魔術は、その軌道を自在に変更出来るし、
一度触れてしまえば信じられない程に大きく燃え盛る。
それを羽膳はよく知っている。
楼京で目にしたことがあるからだ。
心許なげな小さい火の玉が人ひとり丸呑みする程の炎に化けた光景が
酷く印象的だった。
あれと似たような事が今の羽膳の近くで起これば守る術など無い。
そうと理解していたからか、自分に向かってくる火の玉から感じたのは
生き物が火に対して持つ根源的なものに近い抗いがたき恐怖だった。
それに任せて凪を踏みつけにしているのも忘れ二度三度と跳んで後退する。
「臆病な……」
こちらを嘲るような臣錬の声にもどう反応すべきか羽膳は迷う。
「そうは言うが……この町中でその魔術を使われたらたまらない。
火が家屋に燃え移りでもしたらどうする?」
どうにか絞り出せたのはそんな言葉だ。
火の玉が怖くて退いたのではない、周りの被害を恐れて退いたのだと……。
「なるほどなるほど……物は言いようだな」
パチパチと鷹揚に手を叩いて臣錬は笑う。
その様が油断しているようにも見えるが……そんな事はない。
笑う臣錬の周りには先程羽膳に放った三つの火の玉がゆらゆらと漂っている。
羽膳が少しでも近づこうものならあれをまたけしかけるつもりなのだろう。
(本当に……嫌になるぐらい優秀な魔術だ……!)
自在に操作出来る火の玉をああやって何個も出せるのが狐火の魔術だ。
妖狐族の種族特性は火に関する魔術が上手い事だというが、
あれはその中でも一級品だと聞いている。
あのような火の玉なら十や二十は余裕で作り出せるし、
火柱のように形を変えて敵を焼き尽くしたり、
炎の壁のようなものを防壁代わりに生み出せるともいう。
(どうした……ものか……)
実際に臣錬と戦った事はないものの
普段の状態であればそれでもいい勝負にはなるのではないか、
そう羽膳は思っていた。あの火の玉は確かに厄介だが、
要は火なのだ。風で吹き飛ばしてしまうなどの対策は取れそうに思えた。
(だが今は……)
まともに体を動かそうと思えば
持てる魔力を総動員して魔力の霧を濃くしなければならない。
魔術で風を起こすなんていうのはこの状況では到底無理だ。
それに……さっきは臆病だと笑われもしたが、
実際この町中で火遊びをされると大いに困る。
新坂の町並みの殆どは人間が建てた木製の家屋を流用している。
火事など起こってしまえば、その被害想像するのも恐ろしい。
(たとえ勝てぬにしろ、場所は移すべきか……)
いや、もし勝負に勝てたとしても
結果町を焼かれたとあっては実質羽膳の負けである。
「……場所を移す。右衛門佐殿もここでは戦いにくいだろう」
返事の可否を問わず移動するつもりではあったが、一応声を掛ける。
「気が利くな。確かに少々窮屈に感じていた」
だが臣錬はあっさりと承諾した。操られているとはいえ、
民を守護する軍人としての最低限の倫理観は保っているらしい。
なればと羽膳は近場の屋根へと駆けのぼっては辺りを見渡す。
幸いと言えばいいのか、臣錬との戦いには打ってつけの場所がすぐ近くに見えた。
「近くだ、右衛門佐殿」
簡潔に告げる。
今から殺し合う相手との会話、それ以上語るは蛇足に思えたからだ。
そうして羽膳は次の戦場へと視線を向けようとした。
その時……少しだけ、凪の顔が視界に入った。
凪は地に跪きながら羽膳の方を見上げていた。
その凪の目が……怒りか、それとも憎しみか、
そんな感情に満ちて血走っているように見えた。
(弓は砕いた。もう敵ではない……筈だ)
羽膳はそう思う。
だが……それでも、ここで凪を自由にさせてしまったのは
致命的な失敗ではないのかと考えずにはいられなかった。
「ここは確か……屠殺場跡地……だったか?」
「ああ……右衛門佐殿が新坂に着いた時に紹介したと思う。
逆徒が人間の子供を使って破壊した場所だ。
近くに水場があり開けているし……
何より、ここにあった建屋は完全に破壊されている。
火が燃え移ろうが問題ない」
臣錬を先導して到着したのがここ。
逆徒に目の敵であるかのように破壊された屠殺場跡だ。
子供達が破裂した衝撃で大きかった家屋は吹き飛び、
当初辺りは血の池のような様相を呈していた。
流石に今は清掃が済んで血の跡は目立たなくなってはいるが、
がらんと開けてしまっているこの一角は
まだ家の壁だったものと思わしき木片が辺りに散らばり人の気配もない。
ここを破壊された理由についてはその時ははっきりとは分からなかった。
人間を偏愛する逆徒であるから、こんな場所はただ破壊したかっただけなのでは、
などと考えてもいたのだが……今になって考えるとそれは違う。
(全ては……計画に織り込んであったのか)
ここが破壊されたから衛蒼は新坂に留まらざるを得なかった。
そして、楼京にいた臣錬達魔王軍を援軍に呼ばざるを得なかった。
更に巷に溢れかえった恐怖のせいか、
一帯の民が安全な場所を求め、ある者は新坂から逃げ出そうとし、
またある者は新坂に逃げ込もうとした。
結果、羽膳達は新坂の人の出入りに干渉出来なくなってしまったのだ。
恐らくは……そんな人の流れに紛れて
逆徒の手の者が入り込んでもしまっていたのだろう。
(その結果が……この惨状か)
人質同然となってしまった新坂の町に、羽膳自身の負傷も含めて……
惨憺たる有様だった。
(どうにかして……ここで食い止めねばな)
そう決心し羽膳は改めて臣錬を見据える。
服従印で操られているからか、臣錬は仲間である筈の羽膳を前にして
なお不敵に笑っている。
それはあたかも……
これから行われる同士討ちを待ち望んでいたかのように見えたのだ。
「……楽しそうだな、右衛門佐殿」
自分の顔を自分で見る事は出来ないが、
羽膳は今の自分が悲壮な表情をしているのだと思っている。
だから余計にその臣錬の表情が気に障った。
「楽しい……? 当然だ、お前は楽しくはないのか、羽膳?」
「楽しくなどない。
仲間である筈の我々二人が命の取り合いをする事になってしまったのだ。
どうして楽しく思えるのだ……!?」
「仲間か……。私とてお前が仲間だというのに異論はない。
だがな……仲間同士とて、どちらが強いかは気になるだろう」
羽膳はその言葉に思わず口を噤んでしまう。
肯定したくなかったからだ。
同士討ちを楽しいと言い出した臣錬に同調したくなかったからだ。
だが臣錬はそんな羽膳の反応からその本心を察し、嬉しそうに笑う。
「そうだろう、そうだろう……!?
それを何を偉そうに講釈を垂れていたのだ!?
お前とて私と同類よ! 状況が許せばどちらが強いか確かめたかった筈だ!」
「右衛門佐殿……」
「そうだ羽膳! 私は右衛門佐だ……従五位上右衛門佐!
魔術の腕だけでここまで上り詰めたのがこの私、臣錬だ!
なれば侍所所司代のお前に負ける筈など無い……そうだろう!?」
会話はここまでとばかりに臣錬は両腕を広げる。
その左右の掌から生み出されるはそれぞれ四つずつの火の玉だ。
「燃えろ、燃えてしまえ幕府の木っ端役人がぁ!」
臣錬がその手を振り下ろすと同時に、
八つの火球が羽膳を文字通りに四方八方から襲い掛かってきた。
機先を制された形にはなったが、今の羽膳にはそれが逆にありがたかった。
(攻め気が溢れんばかりだ。
躰々の先を身に付けた俺の体術ならばやりようはある……!)
『山嶽王』の体術を見て覚えた躰々の先、
それは敵の魔力の流れを読み攻撃の手を看破する技だ。
(左からの一つ目、二つ目は真っ直ぐ向かってくる。
三つ目は急に上昇してから落下、四つ目は……このまま左に逸れる、
退路を断つつもりか……?
そして右は……初球は近付くとすぐに爆破……目くらましか。
二、三、四は時間差でこっちに来る……!)
集中して魔力の流れを見れば読めるのだ、
臣錬がどう火の玉を操作しようとしているかが。
そして羽膳は動く。
まずは最初に迫ってくる火の玉が爆破する直前に目を閉じて後ろに跳ぶ。
「これは目くらましだっ!」
勝ち誇ったように臣錬は叫ぶ。
羽膳が今の瞬間に視覚を失ったと確信しながら。
だがそうと知っていた羽膳は当然目を守っている。
故にこの後に襲い来る七つの火の玉もよく見えていたのだ。
二つ、三つ、四つと時間差で迫る火球を華麗に避け、
五つ目が急上昇して空いた隙間に身体をねじ込み直進する。
「なっ……!?」
臣錬にとっては必勝の一撃だった。
だというのに完璧に対応され更に距離まで詰められようとしている。
臣錬は慌てて右手を地に付ける。
それと同時に地から燃え立つ炎の壁。
(これは……流石に知っていてもどうにもならんか……!)
臣錬の四方を守るように立ち並んだ炎の障壁は、
確かに羽膳の反撃を完璧に防いだ。
「なんだ右衛門佐殿。威勢が良かった割には
俺が少し近付くだけで炎の中に逃げ込むのか」
悔し紛れに挑発を返す。
「……黙れいっ!」
巨大な火柱の中から声が聞こえる……勿論それは臣錬のものだ。
それと同時に十を超える数の火球が飛び出してくる。
(避けられるが……これは距離を詰められないか)
連続で飛んでくる火の玉は何の工夫もなく羽膳へ向けて真っ直ぐ飛んでくる。
だが……その数が尋常じゃない。十を躱し、
二十を避けてもまだ連射が止まる気配がない。
たまらず羽膳は大きく距離を取って逃げ回る事になる。
折角詰めた間合いがまた最初からのやり直しだ。
そう悔しがりながらも跳んで屈んでと火球を躱し続ける。
その回数が五十に届こうかという頃になってようやく連射は止み、
臣錬を取り囲んでいた火柱が引っ込んだ。
「……勘がいいのだな、羽膳。よくもそうまで見事に避けた」
火柱から出てきた臣錬はさっきまでとは変わって
余裕の失せた表情で羽膳を睨んでいる。
流石にあの火柱と火球の連射は魔力を消耗したのか、
金色の体毛に隠されたその顔色が青白くなったようにも見えた。
「幕府の木っ端役人だからな。
現場での経験ならば右衛門佐殿にも勝るだろうさ。
分かるか……その差だ、右衛門佐殿」
「差、差だと……!?」
差、その言葉に激昂する臣錬を見て、羽膳は一つ気が付いた。
「まさか貴方と俺に圧倒的な力の差があるとでも思っていたのか?
それは流石に……自信過剰というものだ、右衛門佐殿」
臣錬は恐らく、羽膳を下に見ていたのだ……それも、かなり大きく。
「俺の見立てではな……俺達の間にはそれ程の差は無いよ。
まぁ……たった今、思い知ったであろうがな」
それは、臣錬にとって許しがたい言葉だった。
「その口を……噤めいっ、羽膳!」
臣錬は顔の前で手を組んで魔力を練り始めた。
それは羽膳にも……そして衛蒼にも見せた事がない、
魔術師臣錬の奥の手を発動する合図でもあった。
「衛蒼殿はともかく……
その部下であるお前などに私が劣る筈が……
そんな事がある筈が、無いだろうがぁ!」




