百九十二話 全幅の信頼
「なあ……ちょっとだけ冷静になって考えてみてくれ。
お前がさっき言った事……ちょっと、おかしくないか?」
急に冷静な素振りで話し始めた俺を、少年は疑心を孕んだ瞳で睨む。
「おかしいって……さっき言った事のどこがそうなんだ?」
でも……そうやって疑いを持ったとしても
ちゃんとこうやって付き合ってくれるのはこの子が優しいからなのだろう。
その優しさは美点だろう。
だけど……人は綺麗なだけじゃあ生きていけないんだ。
(それを……今から思い知ってもらう)
俺は優しい笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「どこが、って言われると色々あるんだけど……
まず、分かりやすい所から行こうか。
さっき、人間の世界の為になら、
破裂するのも厭わない……みたいな事を言ったよな?」
「それは……言ったと思うけど……なんでそれがおかしいんだ?」
「いやだってさ、人間の世界の為に何かするんならさ、
破裂するより生き残った方がずっと貢献できるんじゃないか?
破裂……死んだらそれで終わりだ。
でも生き残れたらこれからもっと色んな事が出来る」
「え? い、いや、そうかもしれないけど……
でも、その一回の破裂で凄い成果が出せるんなら
それでもいいんじゃないか?」
「凄い成果?
ここで破裂したって普通のひ弱な町民が少し犠牲になるだけだ。
成果としては大したことがない気がするけどな。
それよりも……ここを逃げ出して、生き残って……
後は勉強するなり訓練するなりして今よりもっと成長すれば
もっと人間の世界の為に貢献出来るだろうに」
「成長……そりゃ、それが出来ればそうかもしれないけど……」
少年は早くも俺の理屈に揺さぶられ始めていた。
まあそれも仕方ない。この子達は鹿野戸さんから理屈を教えられただけ。
そしてその理屈は……鹿野戸さんの凄惨な経験を基に生まれたものだ。
そんな悲惨な体験を経ず、鹿野戸さんに愛情惜しまず育てられたこの子達が
根っこの所でそれに共感出来る筈がないんだ。
「そもそもだよ。どうして人間の世界の為に
その人間であるお前達が犠牲にならなきゃいけないんだ?」
「え……?」
「だってそうじゃないか。
これから魔族を追い出して人間の世界を作ろうってんだろ?
だったらその為にはお前達みたいな若い人間がもっとずっと必要になる。
だっていうのにどうしてお前は死ななきゃならないんだ?
むしろ生かして育てていくのがもっといいやり方なんじゃないか?」
目的に対して手段がまるで逆だと大袈裟に伝える。
少年の方はそれを聞いて……。
「た、確かに……」
なんて呟いてしまっている。
(……駄目だぞ。人を疑うという事をちゃんと学ばないとな)
そう心配したくなる位に、この子は素直だった。
「で……でもさ界武さん。俺達は先生にいざという時は……その、
先生の命令に従ってそうするようにって教えられてきたんだ。
他にも……先生は俺達の為に色んな事をしてくれた。
だから今更先生の言うのと違う事をしようっていうのは……」
理屈では丸め込まれそうだと思ったか、
この少年は鹿野戸さんへの情に縋る事を選んだ。
……俺が、それも十分想定していた事を知らずにだ。
情に縋ったというのなら、
理屈の上では俺の言う事に理解を示してしまったという事なんだ。
この少年には悪いが、そうなったら後は如何様にも攻めようはある。
「その……先生、鹿野戸さんの事なんだけどさ。
鹿野戸さんはどうしてお前達に死ぬように命令するんだ?
お前達が死ぬ事を嬉しく思うような人なのか?」
「嬉しく……そんな訳あるか!
先生は誰かが怪我したり……死んだりした時はいつも、
俺達の内の誰よりも悲しそうにしてた!」
教えられた理屈を揺さぶられようと、鹿野戸さんへ寄せる信頼は絶対だ。
俺の言葉が少しでも鹿野戸さんに対して攻撃的になれば、
この子達はこうやって感情を露わにする。
(そうだ……お前達はいつもそうだったよなぁ……)
青、咲、鉄。それに澄もそうだったし、
石英さんが保護していた子供達にも同様の傾向はあった。
だから俺は最初から、この子を説得するのに
この絶対の信頼を利用するつもりだった。
「そうだろう?
だからもしお前が死んだとしたら……鹿野戸さんは絶対に酷く悲しむよ。
可哀想だと思わないか? 痛ましいと思わないのか?」
「いつも……そう思ってたさ。
先生だってこんなやり方絶対に嫌に決まってるんだ……!」
「だったらさ……お前達が死なずに元気でいたらさ、
鹿野戸さんは逆に喜ぶんじゃないか?
よく生き残ってくれたって褒めてくれるんじゃないのか?」
俺のこの言葉を聞いて少年はその目をハッと見開く。
「そう……だと思う。誰も死ななければ先生はきっと喜んでくれる」
そう呟く少年は嬉しそうに笑っていた。
(そうだ……! 今、この子は逃げ道を見つけた!
自分が死ななくて済む、仲間も無事……そして、鹿野戸さんも喜ぶ!
後はただそこに誘導してやればいい……)
俺は心中ほくそ笑む。
……後は畳みかけるだけだ。その逃げ道がちゃんと避難所に繋がっているか、
そこに疑問を持たれる事すら許さない。
「そうだろ!?
鹿野戸さんだけじゃあそうやって皆を生かすのは難しかったかもしれないけどさ、
今は俺がいる……俺はな、外に仲間がいるんだ!
魔族ではあるけど、人間に優しくて……
お前達を守るのに協力してくれる仲間が!」
嘘は言っていない。石英さんは勿論、延老さんもそうだし……
遠鬼も……多分、強く反対はしない筈だ。
「ほ、本当なのか、それ?」
「本当だって! 嘘じゃない!
……というかさ、この俺の身体を見れば分かるだろ?
鹿野戸さんやお前達を助けるために死ぬような思いで魔族と戦ってきたんだ。
その成果って奴かな、俺にも仲間がちょっとずつ増えてきた。
だから言えるんだ、これは絶対に……嘘じゃない!
俺なら皆を助ける事が出来るんだ!」
まあ……これも嘘じゃあない。
戦ってきた相手は鹿野戸さん当人やその仲間である岩童、凪さんであるという
都合の悪い事実に目を瞑れば。
「そういやその傷……前に会った時には無かったよな?
あれから先生と話をしていたと思うんだけど……その時に何かあったのか?」
あ……俺の傷に意識を向けさせたのはちょっと失敗だったか。
鹿野戸さんと喧嘩別れして戦ってました、とは口に出せない。
「あったっていうか……今みたいな話を鹿野戸さんとしてる時にな、
魔族に襲われたんだ。鹿野戸さんには先に逃げてもらって、
俺は残ってどうにかその魔族を追い返したんだけど……痛み分けだったんだよ」
苦しいが……これも嘘じゃない。
だけど俺がそうやって言葉を選ぶのに苦慮する様を
傷が痛んで苦しんでいると好意的に誤解してくれたのか、少年はこう返した。
「そうか……毛人とそんなになるまで戦って、それで追い返したっていうのか。
やっぱり聞いてた通りに凄い強いんだな、界武さん」
尊敬の眼差しが痛い。痛いけど……俺はこの痛みにも耐えなきゃならない。
全ては鹿野戸さんの最後の企みを挫き……
それで、子供達を助ける為なんだと自分に言い聞かせながら。
「そうだ。少なくともこの傷はここ新坂にいる子供達を
助ける為に付けられた傷だ。
俺の言った事全ては無理かもしれないけど……
せめて、それだけでも信じて欲しい」
そう言って頭を下げる俺に、少年はあたふたと慌てた。
「え!? いや、最初から疑ってなんかないよ。
界武さんは人間だから……疑う訳がないじゃないか!」
その言葉を聞いてから、俺は頭を上げた。
少年はそんな俺に謝るかのように小さく頭を下げてから、こう言ってくれた。
「信じるよ。界武さんは俺達を助ける為に来てくれたんだろ?
それがちょっと手違いがあって凪さんが撃ち落しちゃったんだよな?」
俺が新坂に侵入した時の話か。
どうやらこの子も羽膳が射抜かれた様を見ていたらしい。
「ああ……そうだけど、俺はその事は全然怨んじゃいないよ」
「それも知ってる。最初に会った時さ、凄い……優しそうな感じだったし」
空から落ちた俺が怒っているとでも思っていたんだろうか。
(そういえば最初に会った時はおどおどしていたっけなぁ……)
その時の様子を思い出して、
俺はもう一度警戒を解く為の優しい笑みを浮かべてみた。
「ありがとう。信じてもらえて嬉しいよ。
それならさ……後は時間との勝負だ。分かるか?」
「分かってる。管領っていう人がここに攻めてこないように
先生が頑張っているんだよな?」
「ああ……俺はそう聞いてる。
だからその管領様が何かする前に子供達を集めて、
急いでここを逃げ出す必要があるんだ」
そこで少年は少し考える。
「簡単に逃げ出すって言うけどさ、
何かいいやり方はあるのか、界武さん?」
「それは……いいやり方かどうかは分からないけど、
俺は一応その管領様と顔見知りなんだ。
もちろんその人には俺が人間だって知られてはないけどな……」
「管領と顔見知りっていうのもちょっと凄いな……。
凄い強くて偉い人だって聞いてるんだけど」
「ああ、それはそうなんだけど……話も分かる人だよ。
だから逃げる時に俺が何かそれっぽい理由を付ければ、
お前達がここを離れるのを見逃してくれるとは思う」
例えば……街中で破裂されたら大変なので、
一度新坂から離れてもらっている……みたいな感じのそれっぽい理由を。
そんな取ってつけたような理由を口に出そうとする前に、
少年は力強く頷いてくれた。
「信じるよ。それに……どうせこのままだと俺達もそうだけど、
先生も危ないんだろ。それなら急いで行動した方がいい……そうだよな!?」
この返事から察するに、どうやら……この子からの全幅の信頼を勝ち得た、
そう考えて間違えなさそうだ。
「ああ……ああ、そうだ!」
「分かった! それなら俺達で皆を説得してまわろう!
大丈夫……二十人近くいる筈だけど、人が増えたら手分けしてまわればいい!
多分……あっという間に皆を集められるよ!」
そう言って俺を先導してくれる少年に、俺は気付かれぬように小さく頭を下げる。
そうして、俺は少年の背中を追って新坂の路地を進んだ。




