百九十話 自尊心
「おいっ……おいっ! ダンナぁ!」
羽膳がまだ何か企んでいる。それを聞いて新坂に駆けてきた鋼牙だったが、
新坂の関を潜って真っ先に見たのは
倒れ伏す巨人の背中に乗って何やら描いている最中の鹿野戸だった。
「……何やってんだ?」
「服従印の描き直しだ。首のが破られてしまってるからな、
仕方なく背中に描いている」
「いや、それもそうだけど……そこで寝てんの、岩童って奴だろ。
巨人族の……それも、そんなごっつい奴がどうしてそんなにやられてんだ?」
鋼牙が言うように岩童は手酷く痛めつけられていた。
既に意識を失い地に倒れ伏している巨人……
元々の怪我で包帯が巻かれていたその右腕は
また傷が開いたか血の赤色でまだらに色付けされており、
顔はと見れば額は割られ、では足はとなると打ち身に裂傷だらけ。
おまけに服従印まで破られているというからもう惨敗直後という有様である。
(片手を怪我してたとはいえ巨人族だ。
この新坂の周りをたむろしてるような奴ならまず相手にもならねぇ。
それをよくもここまで……)
岩童にここまでの手傷を負わせた者に心当たりのない鋼牙は、
この惨状を見て恐怖よりも困惑の方が強く、
報告も忘れてただ首を傾げていた。
「……界武君だ。彼と戦ってここまでやられた」
その鋼牙の疑問に答えた格好の鹿野戸ではあるが、
それは鋼牙の困惑度合いをさらに増すだけに終わった。
「界武……!?
いや、俺はそんな奴知らねぇぞ!
そんな名前の奴は……!」
こうは言うが鋼牙は界武を知らない訳ではない。
衛蒼の部下として活動していた頃に
『同族殺し』に付き従う子供の話は聞きかじっていたし、
それに何より……こうして鹿野戸の駒となった直後に
界武についての情報は大まかながらに知らされている。
だが……それを知った直後、鋼牙はこう言ったのだ。
『いや……俺は知らねぇぞ。
あのガキは崖から落ちて死んだんだ。
それがまさか……まだ生きてて、
そんで『閃刃』と戦うような奴に……そんな馬鹿な話があっかよ!』
そうやって理解を拒んでからの鋼牙は
界武の話が出る度にそんな名前の奴は知らねぇとずっと逃げ続けてきた。
だがそうやって鋼牙が界武を無視している内に……
その名も無かった筈のガキは、
巨人族の戦士を打ち倒すまでに成長していたのだという。
「ねぇよ、有り得ねぇ……。
これをあのガキが……!?」
「別に不思議でも何でもない。
お前がどう思うかはともかく……彼は英雄の器だ」
鋼牙が理解を拒んだ理由の一つが、この鹿野戸の返答にも含まれている。
その界武と名付けられた少年、鹿野戸からの評価が異常に高いのだ。
それが尚更に罠にかけられてあっけなく服従印を刻まれた自分との対比となり、
鋼牙は界武を拒むしかなくなっていた。
「……こちらの事はいい。
それより管領との交渉はどうなったのだ?」
鋼牙が急に走って帰ってきた事から察するに、
あまりいい結果にならなかったのだと鹿野戸は感じていた。
交渉は決裂し、更に何らかの譲歩を迫られたのではないかと身構えてもいた。
だが……。
「交渉……? ああ、それは多分……上手くいった。
俺達がここから逃げたとして、騙し討ちのような真似はしてこねぇと思う」
そのように、交渉自体は成功したのだと鋼牙は言う。
「では……どうしてお前は慌てて戻ってきた?」
「それは……そう、羽膳……羽膳だよ!
アイツはまだ死んでねぇってよ!
まだ生きてて……それで、負けた後が怖い奴らしいって……」
鹿野戸は岩童の背に服従印を刻む手を止めずに
その曖昧な報告から要旨を聞き取った。
「それは……管領がそう言ったのか?」
「あ? ああ……そうだ」
「そうか……では、そうなのだろうな」
鹿野戸の知る衛蒼という男は、
ここで鋼牙を嘘で騙して翻弄するような策を用いはしない。
つまりは……。
その時だ。
鹿野戸達がいる新坂の関から離れた場所、
新坂の町の中央当たりから小さな喧噪らしき音が聞こえた。
後に続くは……凪の声と、それに別の誰かの声。
耳を澄ませても小さくしか聞こえぬその声に、
かなりの距離が離れているのを察した。
「ほら……ありゃあ多分、羽膳と凪のダンナが戦ってんだよ!
言いたかねぇけど一人で戦うには相手が悪ぃぞ!」
「……分かっている」
殺した筈の羽膳が復活して凪と戦っている。
今すぐにでも救援に向かいたいが岩童がこの有様で
服従印を刻むのも中途半端でここに放置するのは避けたい。
かといって再度鋼牙を差し向けたとして勝てるかどうか怪しい。
鋼牙自身が言ったように、羽膳が負けた後ほど怖い男だとすれば
凪一人は当然として、これに鋼牙を加えても
勝利には届かないと考えるべきだ。
(どうするか……)
鹿野戸は悩む。決定力に欠ける手札しかない。
というか交渉にて衛蒼の動きを縛れた以上は
もう新坂に長居する理由はない。
急ぎ仲間を集めて逃げてしまいたいのが鹿野戸の本音。
(鋼牙を向かわせて時間稼ぎ……させたとしてどれだけ持つ?
その間俺一人で岩童を治療し子供達を集めここを発つ準備を……
駄目だ、これは間に合うとも思えん)
そう鹿野戸が悩んでいる時だ。
関の向こう側……先程鋼牙が来た方からもう一人走ってきた。
一瞬敵かと身構えた二人であったが、
それが知っている男だと分かり警戒を解く。
「はあっ……はあっ……!
足が……速すぎるぞ貴様っ!」
「テメェ確か……臣錬だったか?
どうしてテメェまでこっちに戻って来てんだ……?」
息を切らしている男……
臣錬は鋼牙を睨み付けてからその理由を説明する。
「お前が護衛をしろと言ったのだろうが……!
というかな! ずっと思っていたのだが右衛門佐様と呼べ!
名前を呼ぶな!」
「……知らねぇよ。それに護衛の話はこれで終わりだ。
衛蒼のダンナを放っておくわけにいかねぇだろ、早く戻れ」
自分を守るために走ってきた男に帰れと言い放つ。
その鋼牙の態度を許せぬとばかりに臣錬が怒りに震えている。
急に始まった茶番じみた光景……それに和むような鹿野戸ではなく、
すぐに次の手を思い付いた。
「臣錬……丁度いい、お前なら打ってつけだ」
「打ってつけ……? 何を言っている?」
急に鹿野戸からかけられた言葉に、怪訝に思いながら臣錬は聞き返す。
「そうだ。お前なら凪を助け羽膳を倒せるだろう……。
そして鋼牙、衛蒼の監視はお前がやれ。
どうせあの男にあてるとなればだ、
多少の強さの差は問題にならんからな」
今はお互い鹿野戸の駒となっているからか
立場の差というものが存在しない臣錬と鋼牙。
だがこの二人が戦うとなれば、それは臣錬の方が間違いなく強い。
だから鹿野戸は考えた。
鋼牙と凪では羽膳に敵わないかもしれないが、
臣錬と凪であれば、まず間違いなく羽膳に対抗し得るだろうと。
「……あの鳥人族を倒せと、そう命令するのか?」
「そうだ、不服か?」
勿論臣錬が不服だと答えたとしても鹿野戸は命令を変更する気は無い。
だが臣錬の表情を見るに……意外とこの命令に乗り気のようだった。
「いいだろう。確かに衛蒼殿は私の手に余った。
だが……だがな! その部下にまで手こずる私ではない!」
その魔術の腕を買われて右衛門佐まで昇進した程の男だ。
その強い自尊心が衛蒼に心を折られたままではいられなかったのだろう。
半ば八つ当たりに近い闘争心が、新たなる敵の存在を薪として
臣錬の心を燃え立たせていた。




