百八十四話 好きなように
鹿野戸は自分の強さはともかくとしても、
相手の強さを測る目については自信があった。
そんな鹿野戸がその強さの底を測れなかった者が二人だけいる。
一人は『同族殺し』の通り名を持つ鬼人族の戦士、遠鬼。
この男は少し特殊で、その時その時の強さの底ならば測れる。
だがその成長速度が異常だった。
戦いを経る度にそれ以前とは比べられぬ程に強くなるのだ。
故に次会った時にはせっかく作った専用の服従印が役に立たないかもしれない。
そう思わせる程にその強さが変わるものだから測るのを諦めたのだ。
そしてもう一人はこちらも鬼人族の戦士、衛蒼。
この男は遠鬼と違って鹿野戸が初めて見た時には既にその強さが完成されていた。
それならば強さの底が測れようものだが、
前者とはまた違った事情でそれが出来なかった。
……とにかく、強過ぎるのだ。近しい比較対象もなく、
その為本気で誰かと戦う姿を見る事も出来なかった。
(……そうだ。楼京を根城にする無頼漢共も、
朝廷から派遣された右衛門佐も、
将軍の拉致を企んだ腕自慢の兵役崩れも、
そして多分……世界を二分する反乱を企てた『山嶽王』ですらも、
管領の強さの全てを曝け出す事は出来なかった)
拘束魔術は強い魔力を持つ者程効きにくくなる。
それは鹿野戸が編み出した拘束魔術の最高傑作ともいえる
集積服従印とて例外ではない。
つまりは強さを正確に測れない相手の意志を拘束する為の服従印というのは、
ちゃんとは作れないものなのだ。
そんな中、予想と願望を織り交ぜて作った服従印だ。
これが効果を発揮する可能性は……しない可能性よりもずっと小さかった。
「……そんなだから、今からお前に任せる仕事、
成功する見込みは笑える程に小さい……正直な」
……追随してくる鋼牙に向けての愚痴だった。
それは衛蒼との交渉の為に新坂の関へ向かう際の一幕だ。
新坂の大通りを鹿野戸が鋼牙を率いて進んでいる。
この通りをもうしばらく歩くと関に着く。そしてその先に……衛蒼がいる。
大通りは今も物言わぬ群衆が彫像のように立ち並んでいる。
道の隅にずらりと並ぶそれは異様な光景ではあるが
鹿野戸も鋼牙もそれらには見向きもしない。
ただ、関の方を向いて普段と変わらぬ速度で歩を進めている。
「まぁ……分からんでもねぇよ。
俺も昔アイツに木槍一本でいいようにあしらわれた事があるからな。
俺よりずっと強かった兄貴も一緒にだ……畜生」
まだ喉が痛いのか、喉元をさすりながら鋼牙が言う。
ついさっきまで羽膳に全体重をかけて締め上げられていたからか、
時折苦しそうにえずいたりもしている。
そう、この鋼牙とて万全とはとても言えない状態だ。
これでどうやってあの化け物を拘束出来るというのか……。
「……気にすんな。
この怪我がなかったとしても衛蒼相手じゃなんも変わんねぇよ」
気休め、なのだろうか。
罪人が処刑台に赴くような面持ちで歩いていた鹿野戸に
鋼牙はそんないい加減な事を言って笑った。
「実際、そうだろうな」
「あっさり肯定されるとそれはそれでムカつくな……」
鋼牙は情け容赦ない鹿野戸の返事にそんな不服を示す。
だが実力の違いを痛感しているのかそれ以上に食いつく事はなく、
難しそうな表情をしては別の話題を出した。
「変な話だなぁ……。
俺はな、兄貴の敵討ちに来ただけなんだよ、最初は。
だってのにいつの間にやら衛蒼に協力させられて反乱鎮圧の手伝い、
それが今じゃテメェに操られてその反乱に加担して
あろうことか衛蒼の奴と戦わなきゃならねぇってなぁ……」
「波乱万丈だな」
そんなしみじみとしたぼやきに対し鹿野戸はすぐに皮肉を返す。
「……でもまぁ、テメェ程じゃねぇがな」
鋼牙はそれを聞いてもそう言っては笑った。
皮肉を流せるぐらいには鋼牙には余裕があったのだ。
いやそれは比較的、と言うべきか。
鹿野戸の方に余裕が全く無い。
鋼牙もそれと分かっていたからそんな風に流せたのだ。
でなければ……。
『テメェのせいでこうなってんだよ! 分かってんのか!?』
等と言って激昂していただろう。
そして、皮肉を軽く流された事を知った鹿野戸は
もう鋼牙と会話する気を無くしたのか、
返事をせずにただ押し黙って歩を進めた。
傍目にも機嫌を悪くしたのが分かる。
鋼牙も別に鹿野戸と会話をする義務がある訳じゃないから
同じく黙ってついていけばいいものを、何故かまだ口を開く。
「……当然分かってるだろうけどな、
俺は服従印があるからテメェなんかに従ってんだ。
そうでなかったらこんな風に笑ってねぇよ」
鹿野戸は何も語らない。
そしてそうと分かっているかのように鋼牙は言葉を続ける。
「ずっと牧場を管理してたからな。
テメェの言う事も戦う理由もさっぱり理解出来ねぇ」
「……」
「でもなぁ……テメェを見てるとな、
俺って奴はちっちぇなぁ……なんて風にも思えたのよ」
「……小さい?」
鋼牙の言っている事が分からなかったのか、
そこでようやく鹿野戸が反応を示した。
「そうだよ。兄貴がいた頃はなぁ……
世界最強の兄弟になるって野望があった。
そうなる自信もあった。鍛錬も重ねた。
楼京に着く前まではなぁ……気持ちだけは実際そうだったのよ」
「……管領にその自信をへし折られたか」
「ああ。まああの頃はただの小役人だったんだけどな。
とにかく、俺ぁただの世間知らずだったのよ。
最強に届くと信じた俺の腕っぷしなんてのは、
アイツにしてみればガキの細腕と変わんなかったのさ」
鋼牙の自虐的な言葉に鹿野戸は怪訝な顔をする。
鋼牙の服従印を作る際にこの男の事を調べ上げた事があるが、
少なくともこんな事を言うような男ではなかったからだ。
「俺と兄貴はあの時から小さく生きるようになった。
山奥の牧場の管理を任されてな、
それをこなして静かに過ごすようになった。
兄貴はそんなにだけど、
俺の方はそういった管理の適正が実はあったらしくてな、
誰にも文句を言われずにこなす程度にはやっていたのよ」
鹿野戸にとっては食用の人間を育てる牧場なぞは唾棄すべき存在だ。
だからそんなものの管理に適性があったと言い出した鋼牙へと
無意識に鋭い視線を向ける。
だが……その視線に気付いてもまだ鋼牙は笑う。
「その視線で分かるよ。
テメェはあんな牧場を全部ぶっ壊そうって考えてんだろ?
どうしてそんな事をするのかはさっぱり分かんねぇけどな、
それでも……やってる事は大きいよな、俺なんかよりもずっと」
「……何が言いたい?」
「少しだけだがな、尊敬する気持ちもあるって事だよ。
俺だって昔はならず者だったんだ。
魔族の法なんて知った事かといきがって暴れてた事があんだ。
まぁ……すぐ折れちまったけどな」
尊敬している……。服従印を刻んで捨て駒のように扱ってる男に
そんな事を言われるなどとは全く想像していなかった鹿野戸は、
小さな笑顔で付いてくる鋼牙を見つめてただただ驚くしかなかった。
「そんな俺に比べりゃテメェは大したもんだよ。
俺なんかよりもずっと衛蒼の強さを知ってる筈だ。
それでも折れずにこうやってどうにか戦おうってやってんだ。
俺はそれを無理だ無謀だと笑わねぇよ」
「お前を捨て駒にしようとしてるだけだ。
それをどうしてそのように言える?」
鹿野戸はたまらずそう言ってしまう。
誤解というのは、悪い方向でも良い方向でもされて嬉しいものではない。
だが鋼牙は、それを誤解ではないと表情で示す。
「……もう一度、あの時の気持ちのままで衛蒼と対峙させてくれるってんだ。
しかも操られてるっていう完璧な言い訳付きでな。
多分これが……俺が大きな事をやれるかもしれない最後の機会なんだよ。
だからそれならそれで、精々楽しませてもらうって言ってんだ」
捨て駒を承知で楽しませてもらうと、鋼牙はそう言って笑ったのだ。
「……そういうつもりなら、それでいい。
こちらもお前に愛着なぞ全くない。容赦無く使い潰させてもらう」
「それでいい。それで少しでも勝率が上がるってんなら
好きなようにやるがいいさ」
(……好きなように、か)
鹿野戸はここで鋼牙という男の評価を少し改めた。
鋼牙は彼自身が言うように小さい男だった。
だが……その小ささを嫌って大きくなろうとした時があったのだ。
よくよく考えれば、若い頃は誰しもがそうなのかもしれない。
身の丈を弁えぬ大望を抱き、
ただ前だけを向いて生きていた時代というものが誰にもあるものなのだろう。
(俺には……そんなものはなかった)
ただ才能があったからと拘束魔術師になり、
目立たぬように平凡な魔術師と偽って生きてきた。
……今にして思うに、大望を抱くには早熟過ぎたのかもしれない。
そうして……何の夢も抱かずに生きてきた鹿野戸の意志は、
生きる事すらまともに許されない人間の子供達と出会い、
その儚い希望を知り、そして彼らに待ち受ける惨い現実を直視した事で……
決定的に歪んだ。
(そう……俺は歪んだのだ。
でなければどうして人間を救おうとする?
反逆を企てようとする!?
そして……あの化け物に挑もうとするのだ!?)
界武の言っている事が正しいと認めていたにも関わらず
その手を取れなかった根本的な理由も恐らくはこれなのだ。
(どうして、あのような真っ直ぐな意志に縋れるというのだ。
……こうまでねじ曲がった意志の持ち主が!)
「鋼牙」
この鹿野戸の声はゾッとするほど力強く聞こえた。
「お……おう、どうしたよ?」
怖気を隠そうとしたか、鋼牙は無理に陽気な返事をする。
「好きなようにやれと言ったな?」
「いや、言ったけどよ……」
何をする気なんだ、と聞こうとした鋼牙は
鹿野戸の只ならぬ雰囲気に押されて口を閉ざした。
「ならば俺の好きなようにやらせてもらう。
いや……違うな。俺は自分のやり方を好きだと思った事は一度もない。
だがそれでも俺がずっと選んできたやり方だ。
結局これが俺にはお似合いという事なんだろう……」
詳細は窺い知れぬが、
間違いなく碌でもないやり方だという事ぐらいは鋼牙にも想像がつく。
「鋼牙、大きめな馬車が必要だ。
関に行けば何台かはある筈だからその内の一つを使え」
「そりゃあいいけど……」
何に使うんだ、と鋼牙が聞こうとしたその時、急に鹿野戸は立ち止まる。
「……こういう子供だ」
そして道の隅に立ち並ぶ彫像の一体、小さな子供を指差した。
「これぐらいの子供なら十人は詰めるだろう。
必要な数を担いでいけ。で……関にある馬車に積んでおくんだ」
「……どうするんだ、それを?」
「管領の前まで連れていって……で、一人ずつ殺していけ」
「なっ……!?」
その言葉に鋼牙は鹿野戸の正気を疑った。
それで思わず敵意まで含んだ視線を鹿野戸に向けたが……
眼前に立つ鹿野戸は、普段と変わらぬままだった。
「あまり大袈裟にやると犠牲覚悟で突っ込んで来るかもしれんからな。
その辺は加減をしつつ見せつけてやれ。
暴走はさせるな。あくまでお前が奴を制御するんだ」
相槌を打つ事も出来ず、鋼牙は押し黙って聞くしかなかった。
そんな鋼牙の方を向き、鹿野戸は幼子に言い聞かせるような
優しい口調で指示の続きを伝える。
「分かるか? これは管領の判断力を奪う為の策だ。
まず奴がまともな判断を下せないようにさせる。
その後でなければ奴との交渉事など成功せんだろうからな」
そう語る鹿野戸の目にはしっかりと理性の光が宿っている。
だというのに、それが鋼牙には狂気よりも禍々しく思えてならなかった。




