百八十三話 口を滑らせる
こと魔術に関しては衛蒼は不器用な方である。
管領となった今でさえ基礎ともいえる魔術の一つ、
武装強化しかまともに扱えない。
当人も勿論気にしていたからか、若い頃は他の魔術も身に付けようと
鍛錬を積んだりもしたのだが、結局芽が出ずに諦めたという経緯もある。
ただ……諦めた理由は単に不器用であったから、という訳でもない。
子供でも扱えるほどに易しい魔術、武装強化……
ただその一つを扱えるというだけでも十分過ぎる程に強かったから。
それが衛蒼が他の魔術の習得を諦めた……いや、自制した最も大きな理由だった。
今の火柱からの生還にしても、衛蒼は武装強化の魔術しか使っていない。
強化したのは袴の下に着込んでいた薄手の鎖帷子。
勿論……常人がそれを強化した所で炎を防げるようにはならない。
精々、刃物による攻撃に対して多少の耐性を得られる程度の効果となる。
だが……ただの鉄槍ですら衛蒼が強化すれば空を突き抜け雲をも穿つ。
ならば鎖帷子であればどうなるのか……。
火柱より出でてからも、衛蒼は普段と変わらぬ鷹揚とした仕草で
袴の裾を直したりしながら臣錬を見つめている。
袴にすらも焦げ跡一つ残っていないその姿に、臣錬はただ怯え竦んでいた。
……この衛蒼の姿こそが答えだ。
生半可な魔術ならば衛蒼に届く前にかき消え、
鉄槌による一撃であろうと軽く弾き返し、
炎であれば衛蒼の周りの空気を焼く事すら出来ない。
ありとあらゆる攻撃に対し絶対に近い耐性を得てしまうのだ。
『山嶽王』の一撃のような常識外れの破壊力であるならばともかく、
臣錬の狐火の魔術などは衛蒼の言うように蛍火も同然。
なれば今この場に衛蒼に危害を加えられる者など居ないも同然だった。
そのように傍目には余裕たっぷりに思える衛蒼ではあったが、
衛蒼自身は自分が追い詰められていると感じていた。
(……何も出来んな、この状況だと)
今この場で臣錬を殺す事は可能だ。
だがその臣錬は服従印を刻まれ操られているだけ。
それを殺すのは道義上も良くないし、
何よりこの後で朝廷との仲が拗れる原因にもなりかねない。
ならば事態がこれ以上悪化しない限りはだが、
界武が戻ってきてから服従印を解除してもらうのが最善手となるだろう。
(いっそ右衛門佐殿を倒して新坂に押し入る手も考えたが……
やはりこれも無理だ)
界武と羽膳から逆徒の魔術について大まかな報告は受けている。
それによれば一度でもその服従印を目にしたものを好きなように操れるのだと。
だとすれば、今この場で操っている民全てに自害を命じる事も可能という事だ。
そして、何故それをしないのかも衛蒼にはよく分かっている。
(……人質なのだ。俺の行動を縛る為の)
これでは衛蒼が少し乱暴な手段を取るだけでも多くの民が殺されかねない。
もし人質が一人二人なら衛蒼でも多少乱暴な対処をするかもしれないが、
このように町一つ丸ごと人質となると……流石に迂闊に動けない。
更に言うと、今衛蒼が武器として持ってきているのは
馬車の御者台に置いてある御手杵だ。
『山嶽王』を殺める為にと楼京から持ってきたそれは、破壊力に特化した巨槍。
衛蒼が強化して一振りでもしようものなら
新坂の町全てを文字通り吹き飛ばす程の破壊力を生む。
そんなものを気楽に振り回せる訳もない。
つまりは、この避難民であふれる新坂周辺では
槍を軽く振るう事すらも許されない。それが衛蒼が今置かれている状況だった。
(この状況も逆徒が狙ったものなのだろうか。
……だとすると、やはり難しいな)
衛蒼自身が最強で無敵であったとしても問題の解決には何ら寄与しない。
この状況がただもどかしかった。
(であれば右衛門佐殿が暴走して周りの兵や民を傷つけたりしないよう、
適当に相手をしてやらねばならないか……)
止む無く衛蒼はそう考えた。
だからしばらくは臣錬と問答でもして時間を稼ごうとしたのだ。
そんな八方塞がりとも言える状況だが光明もある。
たった今新坂に潜入した羽膳だ。
衛蒼は羽膳の強さを信頼している。その羽膳であれば、
きっとこの状況を打開してくれるに違いないと信じているのだ。
(それに……その羽膳が強さを認めた界武君もいる。
あの二人ならばきっと……)
羽膳がああまで誰かを警戒するというのは衛蒼の記憶になかった。
そしてそれが羽膳よりも更に若い少年だというのだから密かに驚いてもいた。
傍目には相性がいいようにも見えたし、
あの二人が協力すればきっと大きな相乗効果が生まれる。
……もし、羽膳が撃ち落される姿を目撃していれば
そのように楽観的に考えなかったのかもしれない。
だが衛蒼は見ていないのだ。羽膳が撃ち落されたその時、
火柱に包まれていたのだから。
だから羽膳と界武が窮地に陥っているとも知らず、
衛蒼は羽膳達を信じ、ただ朗報を待つ事にしたのだった。
「問いに……答えろだと!?」
「ああ。元々足止めを命ぜられていたのだろう?
ならばそれに付き合ってもいいと言っているのだ。断る理由はあるまい?」
衛蒼が嫌ったのは臣錬に窮状を悟られる事。
だからあくまで衛蒼が臣錬を取り調べているという体を装う。
「前の話を聞いていないのか!?
この首には服従印が刻まれている!
お前が望むような話なぞ……」
「そこよ、右衛門佐殿」
「そ、そこ……?」
「そうだ、その服従印の効果を知りたい。
どこまで喋れて、どこまでが喋れないのだ?」
それを聞いて臣錬は衛蒼に戦意が無い事を察する。
魔王軍の幹部であるという自分の立場がそうさせている事も同時にだ。
(つまり……朝廷との関係を考慮して私を害するまではしないが、
であれば操られているこの状態でも
せめて右衛門佐であるという矜持を示せと……言っているのか?)
衛蒼に嫉妬心を抱いたままの臣錬であればその問いを無視し
更に攻撃を加えたかもしれない。
だが余りの実力差にそんな感情すら消え失せていた臣錬は、
衛蒼の問いに素直に答えた。
「……喋るなと命令された事は何があっても喋れない。
それに関する事も同様にだ。
だが命令されていない事は……そうだな、
口を滑らせたりはするかもしれん」
「なるほど。では聞くが……逆徒がこの町に来た目的は?」
臣錬は答えない。つまりは喋れないという事だ。
そう察した衛蒼は次の質問に移る。
「……新坂には逆徒の手の者がどれほど潜入している?」
「詳しくは分からん。ただ子供が何人かはいた」
この質問には回答が来た。
曖昧なものであり大した情報は含まれていない。
だが返事があった事自体が有益な情報だった。
(知らない事は知らないと言えるのだな。
そして……重要な情報ではないと右衛門佐殿が判断したのであるなら
言ったとおりに口を滑らせる事も可能なのか)
ならば次の質問は何にすべきか。
少し悩んだ衛蒼の次の言葉はこうだった。
「羽膳であれば逆徒の拘束魔術に抵抗出来ると思うか?」
「分からん。だが隙を突かれてなければ
私とてこんな無様は晒さなかった」
「……そういえば右衛門佐殿が服従印を刻まれた経緯を聞いてなかったな」
「おま……いや、衛蒼殿が発ってすぐの事だ。
守護殿が聞きたい事があると言われてな。
それでのこのこと寝室に尋ねてみればそこにあの男がいたのだ……」
言葉の節々に悔恨の情が見える。
臣錬は自尊心の強い男だ。この言葉も嘘ではないだろう。
「対策は聞いていた。魔力の霧である程度は防げるのだろう?
だがな、敵地でもない新坂の中心地、
守護の寝室でそんなものを使えたと思うか?」
「心情は察せられる。右衛門佐殿には悪い事をしたな」
悪意のない言葉ではあるのだろう。
だがその衛蒼の返事を聞いた臣錬は顔を歪める。
「……以前はそのような物言いにも虫唾が走ったのだがな。
同情なぞは私が何よりも嫌うものだ」
「それは……」
「いや、いい。私と衛蒼殿の力の差はもう思い知っている。
何と言われようがもう何も思わん」
「……そうか」
「だが敢えて言わせてもらえばだ。
最初の模擬戦……あれでしっかりと力の差を見せて欲しかった。
いい勝負をしたがまだ力が及ばなかった……
火球が当たりさえすれば勝てたのだと、
私はそんな風に己惚れてしまったのだ。
それでお互いにすれ違いが生まれた」
「それは……間違いなくこちらの落ち度だ」
「いや……もういいのだ。これもただの逆恨みだ」
操られている今の方が素直に衛蒼と会話が出来ている。
そんな皮肉に臣錬は自虐の籠った笑みを浮かべる。
「次の問いは……何だ?」
「ああ、そうだな……」
思いの外協力的な臣錬を見て、
衛蒼はもう少し踏み込んだ問いを投げてみる事にした。
「逆徒は今何処にいる?」
「……それも詳しくは分からん。
新坂の何処か、という所までだ」
「逆徒が新坂から出てくるという事は……ないのか?」
「あの男を新坂から引き剝がしたいのか?
まあ……目的を達成すれば出てこざるを得んとは思うが」
「目的……か」
この問答を始めた時、一番最初に聞いた事だ。
その単語がここでも出てきたというのなら、
これは逆徒の目的を推測させる為に敢えて臣錬が口を滑らせたのだと
衛蒼は気付く。
(目的を達成すれば出てこざるを得ん……右衛門佐殿はそう言った。
出てくるではなく、出てこざるを得ない……
つまり、新坂には居られなくなるという事だろう)
その理由については幾つか思い浮かぶが、
その中でも一番考えたくないのは……。
(新坂の町自体が人質としての役割を果たせなくなる。つまりは……)
「逆徒が新坂に来た目的……それは、新坂の町を破壊する為ではないのか?」
臣錬は何も言わない。つまりはそういう事なのだろう。
「なるほど……『山嶽王』をけしかけても果たせなかった目的を、
逆徒自らが達成する為にやって来たというのか……」
不味い事になったと衛蒼は思う。
尚更に動きにくくなったからだ。
逆徒は新坂の町を破壊しに来た。恐らくはそれを朝廷の仕業と誤認させ、
同士討ちを更に煽り立てるつもりだったのだろう。
では何故、今新坂の町が破壊されていないのか……。
(俺がここにいるからか。だから逆徒は町を破壊出来なくなった。
そんな事をされれば俺は当然犠牲を躊躇わずに町へ押し入る。
そうなっては困るから逆徒も動くに動けないのだ)
この推測が正しければ、今の新坂には何かがある。
朝廷の仕業と誤認させて町を破壊できるだけの何かがあるのだ。
それが何かも分からぬ内に乱暴な手は取れない。
「……やはり、ここで状況が動くのを待つしかない、という事かな?」
それを聞いた臣錬は何故か少し嬉しそうに笑ってはこういった。
「衛蒼殿もそう思うか? 私も同意見だ。
衛蒼殿が動かぬ限りはあの男も手荒な手段は取るまい。
同じ理由で、羽膳が新坂でいくら暴れようと
あの男は新坂の民を盾にする事は出来ない。
であれば……」
「全てを羽膳と界武君に託して状況を見守るより他ないか」
衛蒼は祈るような気持ちで臣錬の後方にある新坂の町を眺める。
いつの間にか三本あった大きな旗が二本に減ってはいるが、
その二本の旗は忌々しい紋章を見せつけるようにはためいている。
「その……界武というのは羽膳と共に飛んだ少年か?」
同じように新坂を眺める臣錬がそう聞く。
「そうだが……知っているのか?」
「詳しくは知らん。
だがあの男の部下がそんな名前の者について話していたのを耳にしたのだ」
逆徒の部下が界武についてどのような事を話していたのか、
それが気になった衛蒼は黙って次の言葉を促す。
「界武という者はな……危険、なのだそうだ。
計画を全て台無しにしてしまいかねない程にな」
臣錬は何を思ったか、そう呟いてからしばらく俯いていた。




