百七十四話 血族の矜持
『同族殺し』……というか、その男と一緒にいる筈の少女を探し
隠れ家を出てから数日ほど経ったぐらいだっただろうか。
岩童は鹿野戸と遭遇する事となった。
あれは山道をただ東へと向かって歩いていた時だ。
急に茂みの中から名も知らぬ人間の少年が出てきたかと思えば、
付いてこいなどと言ってきた。
もはや旅人一人通らなくなったこの丹波国ですら、
あの男は隠れるように移動しているらしい……。
(誰かに見つかる事なんてまずねぇだろうに、どんだけ臆病なんだよ……)
岩童はそんな風に呆れながらも
言われるままに子供の後を付いていった。
あの男……姉である石英や人間の子供達が先生と呼ぶ男は、
その右眼を筆頭に会った時から傷だらけだったが、
この時もまた新しい傷を作っていた。
まず目立つのは両手に巻かれた包帯だ。
指が切り落とされた訳ではないのだろうが、黒い筈の体毛が隠れる程に
びっしりと巻かれているその様から傷の深さが窺える。
更に羽織るだけの上着の下も包帯と厚めの布らしきものが巻かれている。
刺し傷というより打ち身か何かなのだろうか、
だとしても胴全体が治療対象というのなら、
相当に痛めつけられたという事なのだろう。
……昔はこの傷だらけの男を内心侮っていたと思う。
そもそも戦いで傷を作るのは弱者の証だ。
つまりはこうも戦傷に塗れているのはこの男が弱いからなのだと……
岩童はそう考えていた。
だが勿論今は違う。
岩童自身も『同族殺し』との戦いを経て、
その右腕を壊されてしまったからだ。
あれは、これまでの労役の合間に起きた喧嘩などとは完全に異なっていた。
(喧嘩じゃあ……負け知らずだったんだ)
『剛腕』の通り名もその頃に付いたものだ。
戦士に相応しい響きだとそれを聞いて一人気分を良くしていた。
だが……あんなものは所詮相手が弱すぎただけだったのだと痛感する。
本物の魔族の戦士である『同族殺し』が相手であれば、
その剛腕とやらは見るも無残に砕かれる程度のものでしかなかったのだ。
(この男……『偏愛逆徒』は、
あんな化物同然の戦士達を相手に何度も戦ってきたっていうのかよ)
「ん……どうした?」
自分に注がれる視線に何やら普段と異なるものを感じたのか、
鹿野戸が岩童にそう聞く。
「いや……別に何もねぇよ」
「ならいい。『山嶽王』の状態についてまだ確認が残っている」
鹿野戸の方は岩童になどさして興味など無いのだろう。
そう言って会ったばかりの岩童に状況報告を求める。
「ああ……さっきも言ったけどな。
『山嶽王』様は管領を追い詰めはしたんだがな、
勝てないと見た管領の奴に文字通りに吹き飛ばされたらしいんだよ。
その後俺と姉貴でどうにか飛ばされた『山嶽王』様を
見つけられたはいいんだけどな……
その……戦いの傷が深くて、まだ隠れ家で療養中だ」
だからと今『同族殺し』を探している最中である事までは伝えなかった。
聞かれてもいないし、もしそれを知られたら止めるように言われる危惧もあった。
「そうか……やはり管領の強さは底が知れんな。
『山嶽王』であっても新坂に迫る事すら出来んのか」
「な、何言ってんだよ!
今言っただろ! 戦い自体は『山嶽王』様優勢だったんだよ。
それを管領の奴が……うっ」
先の言葉に『山嶽王』の強さを否定された……
そう感じた岩童が反論しようとしたが、
鹿野戸がそれを一睨みして止めさせた。
「……別に『山嶽王』の強さを疑っている訳ではない。
今回の件に関しては俺が管領の強さを読み間違えた、それだけの話だ」
「……な、ならいいけどよ」
これまで岩童は鹿野戸の眼光に恐れを抱いた事などなかった。
だが今は恐ろしい。鹿野戸の強さがではなく、その精神性がである。
岩童はたったの一戦でその右腕と共に戦意を粉々に砕かれた。
情けなくも泣きながら命乞いまでしてしまった。
戦士との戦いというのは、そうまでも恐ろしいものだったのだ。
だがこの鹿野戸という男は岩童のような立派な四肢がある訳でもないから、
単純な戦闘力なら岩童は勿論、姉である石英にも及ばないかもしれない。
それ程の弱者がだ、あのような化物共と戦い続け、右眼を抉られ、
全身を血に染めても尚、戦意を微塵も失ったりはしていない。
これがもう、今の岩童にとっては信じられないのだ。
理解不能の狂人……そうとしか考える事が出来ない。それが故の恐怖である。
「そうなると、やはり俺自身が新坂に向かわねばならないか」
「それならば私もご一緒します。
今の先生一人で『山嶽王』の真似事が出来るとは思えませんので」
「……凪、そうは言うが山城国側にも子供達を指揮できる者がいないと
いざという時にな……」
「先生にもしもの事があったらいざという時も何も無いんですよ!
どうあってもお供いたします……いいですね!」
「……分かった、そうしよう」
それからはそんな風に、鹿野戸は弟子である人間の男、
凪と何やら話をしていた。
どうやら新坂に向かうらしいが、『山嶽王』ですらも一度退けた化物を
どうやって攻略する気なのだろうか。
「……なあ、おい」
「どうした?」
興味があった。岩童はここに来て、自分が一体何に巻き込まれているのか……
それを知りたいと思ったのだ。
『山嶽王』の為にと深く考えもせず姉に付いてきた岩童ではあったが、
初めての敗北が岩童に自分を省みる契機を与えたのだろう。
「『山嶽王』様ですら吹き飛ばすような化物だろ?
それをアンタ等だけでどうしようっていうんだ?」
「……何故それを聞く?」
「いや……ちょっと、興味が出たんだよ」
そうやって言い淀む様子を見て、鹿野戸は初めて岩童に関心が向いたようだった。
「……その右腕、『同族殺し』にやられたそうだな」
「だ、だったら何だよ……!」
「別に何でもない。ただ……『剛腕』の岩童などと嘯いていた時のお前ならば、
そんな事は聞かなかっただろうと思ってな」
(見抜かれて……やがる)
岩童は急に恥ずかしくなった。
よくよく思い出してみれば鹿野戸の眼力は異常に鋭かった。
こちらが何を考えているかを一目見ただけで当てるような事は何度もあった。
だから今回も、たったこれだけの会話で今の自分の心情も、
情けなく命乞いした事さえも見透かされてると思ってしまったのだ。
「『同族殺し』と幕府管領……そうだな、
『同族殺し』に合わせて『楼京の守護者』とでも呼ぼうか?
あの二人の強さは傑出している。お前などは勿論だが、
『山嶽王』といえど勝てるかどうか分からん程にな」
自分は論外だと切り捨てられた事にイラつきもしたが、
実際その通りだったので岩童は反論も出来ず黙って聞くしかなかった。
「だがな、あの二人もそうだが、どんな強者にも弱点というものは必ずある。
それさえ知っていれば如何様にも戦い方というのはあるのだ」
「……何だよ。あの『同族殺し』や『楼京の守護者』にも
そんなものがあるってのか?」
「ある」
鹿野戸は即答する。
そうまで言うからには鹿野戸には腹案があるのだろう……。
だが……本当にあんな化物達がだ、弱点を突いた程度で倒せたりするものだろうか。
「でもよ……もしその弱点を攻めても勝てなかったらどうすんだよ?」
「勝てなかったとしても現状それ以上のやり方が無い。
だからそれが危険な賭けだとしても全力でやり遂げるしかないんだ」
岩童の不安に対しても迷いのない返事がくる。
勝算の立たない強者と戦わねばならないという状況に追いやられてもだ、
鹿野戸からはその事に対する恐怖の感情が全く感じ取れないのだ。
(……やっぱりコイツはおかしい)
いや……どうなんだろうか?
『山嶽王』にしても、『同族殺し』にしてもだ、
戦いへの恐怖などは欠片たりとて持っていなかったように思う。
(もしそうなら……おかしいのは、俺の方なのか?)
岩童の悩みに呼応するかのように破壊された右腕が痛み出す。
そして、その痛みが尚更に戦いへの恐怖を増幅させるのだ。
「アンタ等は……戦うのが、傷つくのが怖くねぇのかよ?」
だから岩童は、聞きたくなかったその問いを遂に口に出してしまう。
知られたくはなかった。自覚したくはなかった。
『剛腕』の岩童などと呼ばれてはいい気になっていた、
歴戦の戦士気取りだった自分が……戦いを恐れているなどと。
『山嶽王』の血族として、幼い頃は直々に戦闘の手解きを受けた事もある自分が
弱者と内心嘲っていた鹿野戸よりも惨めな存在でしかなかったのだと。
そんな岩童の弱い心を見透かすかのように鹿野戸は笑う。
「少なくとも、お前が敬愛する『山嶽王』ならば
戦いを恐れたりなどはしないだろうな」
「そりゃあ……そうだろうけどさ」
「……そうやって震えるお前を見れば、
『山嶽王』は一体どう思うのだろう?」
その鹿野戸の言葉に、岩童は自分が無様にも震えているのを知る。
「ああ……畜生……」
なんて情けないんだろうかと、そんな自虐心からか目に涙までもが溜まっていく。
「俺は……俺はなぁ……戦士だったんだ!」
精一杯の虚勢を張って、岩童は叫ぶ。
「違うな。お前はただずっと労役を続けてただけの、
奴隷も同然の矮小な毛人だ」
一応は仲間の筈の岩童に対してさえ、鹿野戸はまるで情けをかける気が無い。
この男の中にある魔族に対する憎しみは、それほどに深い。
「違う! 俺は……『山嶽王』の血……けつ……ぞ……」
それ以上の言葉が出なかった。
『同族殺し』に一度負けた程度でこうまで臆病になった自分などは、
『山嶽王』の血族を名乗る資格が無いのではないかと考えてしまったからだ。
「そうだ、戦いに怯えるような男に『山嶽王』の血族は名乗れん。
そんな矜持など捨て、隠れ家に戻って震えていればいい」
それすらも見抜いて、鹿野戸はそう言い捨てた。
「駄目だぁ! それだけは駄目だ! 『山嶽王』様は俺にとっちゃ……
俺達にとっちゃあ全てなんだよ! そこだけは捨てられねぇんだ!」
だが岩童は吠える。
……その矜持だけは捨てきれないのだと。
今までの自分は戦士などとはとても呼べない矮小な者だったとしても、
せめて『山嶽王』の前でだけは誇り高き魔族の戦士として振る舞いたいのだと。
岩童はそんなギリギリのところまで追い詰められながらも、
どうにか自分を奮い立たせていた。
だがその叫びに鹿野戸は何とも答えない。
その沈黙は多分、もう何も言う気がないという意思表示なのだろう。
「オイ、この……先生サマよぉ! 何か言ってくれよ!」
「……俺はもうお前の問いには答えた筈だが」
「じゃあもう一度教えてくれよ! 俺は何をしたらいいんだ!?」
「それこそ自分で考えるしかない。お前の矜持の問題だ、
人に意見を求めるな」
そして鹿野戸は岩童の事など捨て置いて、
凪と新坂潜入の手順について話し始めた。
もう岩童などには興味すらも無いのだと、お前はその程度の存在なのだと……
そう言われているようにしか思えず、岩童はただただ悔しかった。
(勝負から、決して逃げるな、か……)
思い出したのは『山嶽王』から何度も聞かされた魔族の掟。
戦士としての生き様がそこには刻まれているのだと、
呆ける前の『山嶽王』がそう言っていた姿が脳裏に浮かんだ。
戦うしかない。結局は戦うしかないのだ。
魔族として生まれた以上は、『山嶽王』の血族としての誇りを取り戻す為には、
もうそれしか残された道は無いのだと、岩童は思い知る。
そしてそれには……この痛むばかりの右腕が邪魔だ。
「先生サマよぉ!」
「……何だ?」
凪との重要な会話を妨げられたからか、不機嫌そうな視線が岩童に向けられる。
「アンタの力で、この右腕をどうにかしてくれねぇか!?
もしそれが出来るんなら……俺はアンタのどんな命令にも従う!
服従印を刻んだっていい! だから、だから……」
戦うのだ。自身の矜持を奪った相手から、戦って取り戻すのだ。
「俺を……もう一度『同族殺し』と戦わせてくれっ!」




