百七十三話 奥の手
負けた、そう俺に宣言された鹿野戸さんは
相当に打ちのめされているように見えた。
そりゃあそうだと思う。
俺のような奴に企みをこうまで滅茶苦茶にされたのだ。
そう……鹿野戸さんにとって都合の悪い事に、こうまでやったのが俺なんだ。
本来は庇護すべき人間の子供が。
「なあ……どうするんだ、鹿野戸さん?」
いかに鹿野戸さんとは言えど、流石に引かざるを得ないだろう……
少なくとも俺はそう思った。
こうまで企みが露呈した挙句に
鹿野戸さん側の最大戦力であろう『山嶽王』まで倒されている。
ここからの挽回は不可能な筈だ。
「……なぜ、そうまでして邪魔をするんだ、界武君」
不思議と……そんな恨み言が鹿野戸さんの口から出てきた時、
言われて当然だと自覚していたにも拘らず違和感があった。
「えっと……俺がそうする理由は知ってる筈だろう、鹿野戸さん」
「俺だってこの手段が最善だなんて微塵も思ってなんかいないよ。
人間にもっと力が残っていれば、毛人の支配がここまで長く続いていなければ、
そして……俺がもっともっと強ければ……それならもうちょっとどうにかと、
そう思わなかった日は一日だってなかった」
「でも実際、鹿野戸さんのやり方だと酷い事にしか……」
「それしかなかったんだ!
一介の拘束魔術師でしかない俺に他にどんなやり方があったって言うんだ!
縋るものが絶望の魔力しかなかった俺に他にどんな戦い方があったと……!」
「それは……」
感情の昂るままに吠える鹿野戸さんに対して、
俺はかける言葉なんて持ってなかった。
「界武君から見ればそりゃあ残酷で無謀な作戦だっただろうね!
俺の目から見てもそうなんだからそれは当然だ!
だけど俺はそれに命を懸けたんだ! それしかなかったから!
それで……何人も、何人も死なせてしまっているんだ。
それを……今更……!」
崩れ落ちるように地に膝を付き、地を殴りつける。
二度、三度……そして四度目には殴りつけた石畳を叩き割った。
右拳から流れる血をも絞り出すかのように強く握り、
掠れるような声で鹿野戸さんは呻く。
「俺は、あの子達に何と言って詫びればいいんだ……」
その姿を見て、言葉を聞いて、俺の心は更にギリギリと痛み出す。
鹿野戸さんはそれでも俺を悪し様に罵るような事はしない。
いや……出来ないんだ。鹿野戸さんだって俺が心から子供達を救いたいと、
そう思って行動しているのを知っているからだ。
「界武君、君はこんな事は止めろと言う。
残った子供達を連れて逃げろなんて言うんだろう。
それが出来ないのは戦いを求める俺の弱さのせいだと……
そう、言っただろう」
最初に会遇した時の事だろう。
俺は鹿野戸さんと止めようとそんな事を言ったんだ。
「……言った」
「あれはね、図星だったんだよ。
俺は俺の意志でこの戦いを止める事だって出来たんだ。
だって俺が始めた事だからね……。
そうすれば目の前にいる子供達だけでも助けられるかもしれない。
その界武君の考えは全く正しい」
両の握り拳をきつく握りしめたまま鹿野戸さんは立ち上がる。
そして顔を上げ俺の方を向く。その目から涙が流れてなんていないのに
俺には慟哭しているようにしか見えなかった。
「でも俺には界武君の言葉を受け入れられるだけの度量なんてなかった。
そもそも俺は弱くて馬鹿だからこの程度の企みしか思いつかなかった。
そして、犠牲を強いた子達に報いる方法を戦い以外に見つけられなかった」
「鹿野戸さん、俺は……!」
鹿野戸さんが弱い人だなんて思っちゃあいない。そう言いたかった。
だってこんなになるまで孤独に戦い続けた人だ。
今回の騒動でも鹿野戸さん自身が真っ先に延老さんに勝負を挑みに行ったし、
俺と戦った時も満身創痍の状態だったのに
それでも服従印を利用して勝ってのけたんだ……そんな人が弱い筈が無い。
だけど……言えない。
俺だけは今の鹿野戸さんを肯定するような言葉を吐いちゃいけない。
だから吐きかけた言葉をぐっと飲みこんだ。
だけどそれを受け付けないのか胃袋までもが痛みを訴えてくる。
「最初から君のような英雄と一緒に歩みたかった。
そうすればこんなに惨めな戦いをしなくて済んだだろうに。
凄惨な騒乱が続いたとしても、その果てには必ず明るい未来があるんだと、
そう信じて戦ってこれただろうに……」
鹿野戸さんのこの言葉も当然俺への称賛なんかじゃない。
もう既に道は違えているのだと、そう宣言したに過ぎないんだ。
その証拠に、鹿野戸さんの瞳が暗い絶望の炎に燃えている。
……まだあるんだ。戦いを継続するに足る何かが、鹿野戸さんにはあるんだ。
「まだ続けるのかい、鹿野戸さん」
「続けるよ。弱く馬鹿な者にも矜持がある。
積み重ねた犠牲に報いたいという責任感がある。
何より……まだ奥の手が残っている。
幸か不幸か今の状況はその手を採るのにうってつけだ」
「奥の手!? それは……」
「言うと思うかい? それはないよ。
界武君、今や君は俺にとって最も強大な敵だ。
だから当然考えを漏らす気は無いし……
何より、ここから生かして帰す気は無い」
鹿野戸さんの視線が突き刺さる。
その瞳の灯る火は敵意や憎しみなんかよりも遥かに暗い光を放っている。
(……あの眼だ。あの真っ暗な眼をしてる時の鹿野戸さんは、
本当に手段も何も選ばない人になる)
「……鹿野戸さん!」
俺の言葉には答えずに、鹿野戸さんは後ろに控える岩童の方を向くと
俺にも聞こえる程度の声でこう言った。
「界武君を倒せ。気を失わせる程度で済ませられればそれが最善だが、
無理と見たなら殺して構わない。
その後は屋敷にいるであろう厳容も殺せ、いいな」
「……ああ」
そう頷く岩童の表情が渋い。
従いたくなるような命令ではないんだろう。
ただ当然逆らう事も出来ない。服従印とはそういうものだ。
岩童の返事を聞き届けると、鹿野戸さんは俺には興味も無くしたかのように
そのまま後ろを向いて壊れた門の方へと向かう。
……その、奥の手とやらを試しにいくんだろうか。
「鹿野戸さんっ! もしその奥の手って奴も俺が止めたなら、
その時こそは俺の勝ちでいいなっ!
この反乱を止めてくれるんだなっ!」
それでも俺は鹿野戸さんを止めたかった。
だから聞いてもらえるとは思えないけどもそう吠えた。
鹿野戸さんは暫し足を止めはしたが……
振り返る事もなくそのまま守護屋敷を後にした。
「テメェを倒す前に聞いておきたい事がある」
二人残された俺と岩童。しばらくはただ睨み合うだけだったけど
戦いの契機を作りたいが為か岩童がそう聞いてきた。
「……何だよ?」
「『山嶽王』様は……俺の事を何か言っていたか?」
「さっきも言わなかったっけか……?
ありがとうと伝えてくれと、そう言ってたと思うよ」
「……それだけか?」
「何だよ……何か言って欲しい言葉でもあったのか?」
「いや、それならいいんだ」
岩童は左手一本でここまで担いできた巨大な旗を振り上げて俺を睨む。
「殺さねぇようにはしてやる。抵抗はするなよ」
どうやらあの旗を武器にするつもりらしい。
旗ではあるが巨大な棒だと思えば武器として使えなくはないんだろう。
岩童の巨体であれを振り回すとなると、確かに厄介そうに思えた。
「ちょっと……ちょっと待てよ岩童!
こっちにはこれがあるんだよ、お前の姉さんから預かった破壊印が!」
そう言って懐から再度布切れを取り出しては振り回す。
「これがあればお前に刻まれた服従印も破ってやれる!
俺達が戦う必要なんてなくなるんだ!」
岩童とて本心では俺なんかと戦いたくなんてないだろう。
そう思った俺はまず説得しようと試みる。
だが……岩童から戦意が消える事はなかった。
「そりゃお前みてぇなガキと戦いたくなんてねぇよ。
俺だってな……魔族の戦士、自分の事をそう思ってるんだ」
「だったらそれを下ろしてくれ!」
「それは無理な話よ。だってなぁ……この服従印は、
俺から先生サマに頼んで刻んでもらったんだからな」
「なっ……」
意外な話だった。
てっきり鹿野戸さんが手駒を補充する為岩童を騙すなりして
服従印を刻んだものと思い込んでいた。
「それ……本当の話か?」
「本当だ。俺にはこれが必要だったんだよ、戦士になる為にな……!」
俺の返事を待たず、岩童はその巨大な旗を振り降ろす。
あんなもの、防ぐも受け流すも俺には無理に決まってる。
だから俺は体を強化して大きく後ろに跳ふ。
……だが、そんな俺の行動を予想していたのか、
岩童は旗が振り下ろされる前に一歩踏み出し、
上体を前に伸ばして旗の射程を無理矢理伸ばす。
(……駄目だ、当たる!)
ちょっと後ろに跳んだぐらいで岩童の一撃を躱せると見た
俺が油断していたのか……。
その迂闊さを反省する前に自分の身を守らないといけない。
咄嗟の判断で俺は原始魔術の布を広げ自分の眼前に強大な枕を作る。
厳容の頭突きも防いだ魔力の枕の応用……魔力の巨人用枕とでも言おうか。
その枕に対してやや斜めの角度で叩き付けられた旗。
枕のお陰で俺の身体が直接その一撃を食らう事だけは避けられたが、
その衝撃に俺は自分の作った枕に弾き飛ばされて横方向に吹っ飛ばされた。
……次は吹き飛ばされた後の事も考えておこう。
そう思う程に吹き飛ばされた衝撃が大きく俺を打ち据えた。
地を二度ほど跳ねて屋敷の外を囲む塀に叩き付けられたんだ。
体を強化してなかったらそのまま昏倒してたかもしれない程の一撃に、
俺は歯を食いしばって根性でこらえきる。
「……どうやって躱したんだ、今の?
話に聞く凄い原始魔術って奴か?」
「うるせぇ、誰が教えてやるかよ……!」
油断は駄目だ。この岩童、遠鬼には散々に痛めつけられて
右手はもう使い物にならないのかもしれないが、
それでも今の俺よりはずっと強い。
(それに……今の一撃……)
ああやって無理矢理射程を伸ばす技、遠鬼との戦いでは使ってなかった。
ただ力任せに木を振り回していた印象しかなかった岩童だが、
こういう技も持っているんだ。
「岩童……そんな技も使えるんだな」
「技? ああ……今の奴か。片手で武器を使う時はこんなやり方もある。
小さい頃に『山嶽王』様に教えて頂けたのよ」
何やら嬉しそうだ。
だけど人を殴りつけておいてその表情はどうなんだ、と思わなくもないが
死んだと、そして遠鬼に負けたと聞かされた後も、
岩童の中では『山嶽王』はずっと変わらず敬慕の対象なのだろう。
「……『山嶽王』様はな、労役するしか許されちゃいない俺の事だってな、
そうやって……戦士として育てようとしてくれていたんだよ」
緩みかけた表情が一瞬にして戦士のものに変わる。
……俺は気付く。岩童は遠鬼と戦っていた時もあんな表情になった事はない。
服従印を刻まれた事で、岩童の中の何かが変わったんだ。
「それを俺はぁ! 労役に慣れきっちまってなぁ……!
戦う技なんて忘れちまっていたのよ!」
次に迫るは横薙ぎの一撃だ。
今の俺は塀を背にしているから後ろには下がれない。
となると縦よりは横の方が当たりやすいという判断か。
(そして……跳んで躱そうものなら途中で軌道を変えてくるかもしれない)
一度そういう攻撃を見せられたからには次も警戒しない訳にはいかない。
つまりは、この一撃を後ろと上、どちらに躱す事も出来ない事になる。
ならばと透明の腕を伸ばす。
岩童の一撃は俺が背にする塀を掠めるような軌道で俺に迫る筈だ。
ならばこっちに引っ張ってやればいい、
そう思って岩童が持つ旗をこちらに引っ張った。
「んっ!?」
岩童が振る旗は塀に衝突しそれをなぎ倒しつつ俺に迫る。
だけど当然その速度は大きく落ちている。
「岩童っ!」
そんな遅い攻撃を待ってやる義理などなく、
その旗の下を潜り抜けて岩童へと迫る。
ああいう長い武器は懐に入ると対処に困る筈だ、
賊とやりあった時の経験からの行動だ。
岩童の奴は頑丈だ。だけど俺の強化した拳ならどうだろうか。
懐に入りこんだ俺は岩童の腹目掛けて飛び上がって拳を突き上げる。
岩童は左手で旗を持ち、右手は以前の負傷で包帯にくるまれたままだ。
(ならば腹を守る手段はないだろう……!)
そう思って力を込めた俺の左拳は……遠鬼に砕かれた筈の右腕に止められた。
「なっ……!?」
大怪我した筈の腕で……そっちの方が痛いんじゃないか、と驚く。
だけど……それで終わらなかった。
岩童は骨を砕かれた筈の右腕で、俺を払い飛ばしたのだ。
怪我した腕を使われた際の動揺で魔力の枕を使えなかった俺は、
その一撃をまともに受けた。
……痛い。包帯まみれの手で叩かれた右頬も、
地に叩き付けられた際の背中もだ。
「この右腕……使えないとでも思ったか?」
仰向けに倒れる俺を見下ろしながら、岩童は怪我した筈の右腕を振り回す。
「普通思うだろうが……この野郎……!」
体が痛むうちはまだ大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせながら俺もどうにか立ち上がる。
「この右腕はな、実はもう痛みも全く感じない。
だから振り回しても全く問題ねぇのさ」
そう言って太々しく笑う岩童には、
遠鬼の前で命乞いした時の印象など残ってはいなかった。
「俺はなぁ……もう一度『同族殺し』と戦う為にだ!
服従印を刻んでもらって……この腕の、痛みを消したんだよ!」
ここにいるのは、あの時よりも遥かに手強い魔族の戦士なのだと、
俺はこの時思い知った。




