百六十五話 侵入
御者台と馬車の中を隔てるのはただ一枚の御簾。
だから静かに耳をそばだてていれば外の会話は聞こえるし、
そうなるとその雰囲気なんかも容易に窺い知れる。
だから羽膳はぼんやりと抱いていた不安が的中していた事を知り、
思わずため息をこぼした。
新坂の関にもまだ着いていない場所で止められた馬車。
その御者台に衛蒼が座っているのだから、
余程の事が無い限りはその馬車を止めるなんて事はしない。
だというのにこんな中途半端な場所で足を止められて、
御簾の向こうから聞こえる穏当とは思えぬ押し問答。
更に……。
(囲まれて……いるな)
正面からだけではない。馬車の側面や後方からも人の気配がする。
幕府管領の乗る馬車に対してこの所業、極一部の者にしか許されていない筈。
その極一部の一人であろう者の声がその時聞こえた。
「衛蒼殿。すまないな……このような場所で待たせてしまってな」
全くすまないと思ってなさそうな横柄な声、それは間違いなく臣錬のものだった。
「なに、非常時ではあるからな。多少の無礼はこの際不問だ。
しかしまた、どうしてこのような場所で馬車を止められるのだ?
寄越された使いの者に聞いても右衛門佐殿が来るまで待ての一点張りだ」
それに応対する衛蒼にしてもその口調は穏やかながら
対応への不満を隠しもしない。
「そうは仰るがな、早朝『山嶽王』討伐に出立したと思いきや
このいきなりの御帰還だ。こちらとしてもさも尋常ならざる要件かと
こうして気構えてしまっただけの事……。
まさかこうも早く『山嶽王』を討伐出来る訳もあるまいし、
一体何用で戻ってこられたのだ?」
あまりにも早く帰ってきたから過剰に警戒してしまった……
というのが臣錬の言い分らしい。
らしいが……管領を足止めする理由としてはあまりにも弱いと羽膳は思う。
「……その辺りの話は新坂に入ってからすればいいだけではないか?」
衛蒼も同じように思ったらしい。
百歩譲って早く帰ってきたのがおかしいとしても、
それを新坂に入れない理由にするのは無理があるのだ。
その辺のならず者ならばともかく、今ここにいるのは幕府の管領なのだから。
(……謀反の疑いがあるから入れる訳にはいかない、
ぐらいは言われるものと思っていたが)
主張の信憑性を無視するならばそちらの方がまだ理屈としては通る。
だけどもそれを避けているのは衛蒼の強さを警戒しての事か。
「い……いや! だが私は新坂の治安を預かった身だ!
いかに管領殿といえど不審な行動をとられるのは困る!」
「……貴方に新坂の治安を預けたのは私だが?」
「それは……そうだが!
それでもその行動が不審である事に変わりはないではないか!」
「そう不審と仰るなら、私が早く帰ってきた理由を道すがら話してもいい。
とにかくまず新坂に入らせてはもらえぬだろうか?」
「とにかく……とにかく今は駄目だ!
今は一刻を争う事態の筈だ! それなら新坂に戻るよりもまず
『山嶽王』を討伐するのが先ではないのか!?」
遂に理屈を捏ねるのを放棄した臣錬は、
それでも衛蒼が新坂に入るのを拒む。
それから先は不毛な押し問答が続くばかりであった。
「……あんな奴放っておいて推し通るって出来ないのか?」
外の茶番にうんざりしてか、界武が小声てそう聞いてくる。
「……向こうは朝廷、こちらは幕府。
迂闊に衝突を広げる訳にもいかんだろう……それこそ、逆徒の思う壺だ」
ついでに今立ち塞がる臣錬と魔王軍は衛蒼がわざわざ楼京から呼び出した者達だ。
それを新坂に到着してすぐ事情が変わったからと
邪険に扱うのは流石に非礼が過ぎる。
そういう理由が重なって、
衛蒼は可能であれば事を穏便に済ませたいと思っているのだろう。
「……でもさぁ、それを言ったらお前は遠鬼と喧嘩してんじゃねぇか。
駄目なんじゃないのか、朝廷と幕府の者が戦ったら」
「なっ……あ、あれは私闘だ。幕府と朝廷の関係に何の影響も……!」
痛い所を突かれたせいか、つい大きくなった声。
慌てて口を塞いだ羽膳ではあったが、
幸い外の口論もそれなりな音量だったらしく怪しまれてはないようだった。
「と、とにかくだ。外があの調子ならそろそろ俺達の出番だろう。
界武、準備をしておけよ」
その言葉が今の話題を誤魔化す為に出たものだというのは
界武も百も承知だろう。
だけど界武もそれ以上突っ込むような事は言わなかった。
「……だけどさぁ、どうしてここまで新坂に入れるのを拒むんだ?」
代わりに出てきた話題は、確かに羽膳も首を傾げる所だった。
「仮に右衛門佐殿がだ、逆徒に操られた厳容様に騙されているとして、
何を吹き込まれたらあのような対応になるのだろうな?」
羽膳としても分からない事しかなかった問いだったので、
逆に聞き返してみる。
「……その右衛門佐って人も理由を教えられずにとにかく新坂に入れるな、
っていう風に命令されたらああいう風になる……かなぁ」
「それは少し無理があるな。右衛門佐殿は自尊心の強い方だ。
そんな理由も分からぬ命令を守護に出されて素直に従うとも思えない」
「……えっと、守護と右衛門佐ってどっちが偉いんだ?」
「組織が違うのでどちらが偉い……という事はない。
だが基本的には幕府の者が朝廷の者を立てるよう振る舞うものだ」
「じゃあ確かに守護の命令とかは聞かないかもなぁ……」
そして界武は少し考えるような仕草をしてから言う。
「もっと単純に……その守護さんが隠しておきたい何かが
今の新坂にあるんじゃないのか?
で、右衛門佐さんもそれが何かを知ってるからああも頑ななんじゃ?」
「隠しておきたい……? 例えば、何だ?」
「えっと……そりゃあ……」
界武の返事を待っていたその時だ。
「羽膳。悪いがやはりお前の出番だ!」
馬車の正面から衛蒼の声が聞こえた。
「……よし、行くぞ界武」
何となく大事な事を聞き逃したような気がした羽膳だが、
命令とあらば仕方がない。
「おうよっ!」
界武としてもただ待つだけは退屈だったのだろう。
これ幸いとばかりに馬車の引き戸を蹴り飛ばした。
「ばっ……馬鹿! 引き戸は手で開けろっ!」
「いいから……急げ羽膳!」
そして二人の少年が馬車から飛び出した。
いざ外に出てみれば、臣錬が中途半端な位置で
衛蒼の乗る馬車を止めた理由を何となく察せた。
(人が……集まってきてるな)
馬車の周りに集まってたのは何も魔王軍だけではなかった。
近隣から庇護を求めて集まってきた人々が
新坂の外にも溢れているのは知っていたが、
その一部が衛蒼の乗る馬車を見て集まってきていたのだ。
羽膳と界武の登場で一斉にざわつく観衆に、
羽膳は妙な居心地の悪さを感じた。緊張と言い換えてもいい。
だが界武はその辺の事は気にしないというか、
それ以外の事が気になっているようだった。
「……不味い」
「何がだ?」
威勢よく飛び出した界武、
この外の光景を見てすぐ何か困った事に気が付いたようだった。
「周りに人が多すぎる。これだと助走距離が取れない」
「……助走?」
「翼が十分な揚力を得るために速度が必要なんだよ。
俺の場合は走ってその速度を稼ぐんだけど……こう囲まれてると、無理だ」
「それは……まぁ、確かに」
羽膳も飛び立つ際は多少の距離が必要だが、
それでも飛行魔術の恩恵で短い距離でもどうにかなる。
「あそこにいる奴等を退かせたらどうにかなるんじゃないかなぁと
思うんだけどな……」
界武の指さす方を見れば、見慣れた魔王軍の兵士がいた。
「いやちょっと待て!
さっき言ったように迂闊に衝突を広げるのは……!」
遅かった。
羽膳の返事を待つ気は微塵も無かったようで、
界武は一気に銀の腕を伸ばしてはその邪魔だと言う魔王軍に叩き付けた。
……流石に魔王軍もそんな分かりやすい一撃を
甘んじて受けるほど愚かではない。
だから皆それを避けてはくれた……が、勿論敵意ある視線が一斉に集まる。
「か……界武、貴様ぁ!」
「俺は幕府の関係者じゃないからなぁ……それより行くぞ!」
走り出す界武。確かに今の一撃で助走に必要な場所は空いたからだ。
こうなるともう羽膳も付いていく他ない。
「畜生……後で覚えておけ! これで起きる揉め事の責任は……!」
「そんな事より羽膳!」
「な……何だ!?」
「やっぱりまだ速度が足りない! 向かい風と……出来れば上昇気流も!」
この敵意集まる場で走りながらその風を吹かせろと言う。
ふざけるな……と強く思う。思うが……。
「注文が……多いぞぉ!」
羽膳ならば出来ない事はない。界武を追走しながらも左右の翼を一薙ぎする。
「うおっ! 上がったぁ!」
透明な翼を掲げて走っていた界武の身体が急に浮き上がる。
急に吹いた風に予想以上の揚力を得られたらしい。
「……行くぞっ!」
それを追って羽膳も空へと駆け上がる。
羽膳達の後ろからは、先程不意の攻撃を受けた兵士達の罵声と……
それと何故か、観衆の拍手や歓声が聞こえてきたのだった。
「本当に……後で覚えておけっ!」
新坂の関をかろうじて飛び越えられる程度の低空で、
眼下の人々を眺めながら二人は飛ぶ。
中途半端な場所で馬車が止められていたとはいえ、
飛んで行くのならそこから新坂の関などあっという間だ。
その僅かな間にも愚痴を言いたくなるぐらいに羽膳は憤慨していた。
「これではもう……共犯みたいなものではないか!」
「気にするなよ。今肝要なのは守護さんに刻まれた服従印だ!」
「それは……そうだがっ!」
「それよりもさぁ……さっきの話!
守護さんが隠しておきたいものは何かっていうのがあったじゃねぇか!」
「今度はお前が誤魔化すのか!?」
「いや……そうじゃなくてさ、思ったんだよ!
もしかしたら……って、あれ、何だ?」
界武の言葉にそろそろ飛び越えようかという新坂の関を見てみると、
何か……大きな旗のようなものが掲げられようとしていた。
「何だ……あれは?
何かの模様が描いてある旗が三本ほど立とうとしているが……」
何の模様だろうかと羽膳は考える。
少なくとも羽膳には見覚えがある模様ではない。
似たようなものを記憶の中から探すとすれば……。
「羽膳……駄目だ! あれを見るなぁ!」
「界武……それはどういう……」
その必死な声に事の重大さを悟る。
羽膳の記憶の中で最もあの模様に似通ったものは……。
(服従印だ!)
話に聞く逆徒の拘束魔術は、その服従印を相手に見せる事によって
効果が発動するという。つまりは……。
「一足遅かった! あの町にはもう……鹿野戸さんが入ってしまってる!」
つまりはそれが理由だったのだ。
潜伏中の逆徒が衛蒼のいなくなった隙を突いて新坂に侵入してしまっていた。
それを厳容は隠したかったのだ。
だがそれを知った時にはもう遅く、
羽膳の翼はまるで自分のものではなくなったかのように羽ばたくのを止めていた。




