百六十四話 嫉妬
「……起きそうに、ないな」
「いや、あの……コイツは昨晩殆ど寝ていないものでして……」
相変わらず舟を漕ぎ続けている界武を見ての会話だった。
何故自分が界武の居眠りを庇わないといけないのか、
そんな多少の理不尽を感じながらも羽膳はそう言うしかなかった。
勿論、羽膳ならば衛蒼の前でこうして眠りこけるなんて失態は犯さない。
侍所所司代としての任に就いている以上は衛蒼の前では常に仕事中である。
居眠りなんて以ての外だ。
「それを言うなら羽膳、お前も昨日はあまり眠れてなかったのではないか?
そろそろ新坂に着くとはいえ多少はここで休んでもいいが……」
「いえ、俺はこの程度で居眠りなどはしません」
だから、衛蒼の気遣いもこのように断る。
実際、まだ羽膳は眠気を十分に制御出来ていた。
何しろ徹夜が続くなんて事はこれが初めてではない。
乱暴者は昼夜問わず、好き勝手に狼藉を働くもの……
それに対応しなければならない侍所の役人として、
深夜に仕事へと向かい、朝日を背負って家に帰った事が何度もある。
(だが……界武はそういう訳でもない)
その歳も確か十三かそこらだった筈だ。
少年と呼んで差し支えない羽膳よりもまだ更に若い。
そして別に侍所の一員という訳でもない以上、
この程度の居眠りを責めるのは筋違いと言える。
(それに……こうして眠ってもらうのは別に悪い事ではないか)
界武の持つ得体の知れない影響力が敬愛する衛蒼にまで
及んでしまうのではないか……。
それが羽膳の悩みの種の一つだった。
事実、先の話し合いは途中参加した界武が
あっという間に主導権を持って行った。
あのまま界武が眠気に負ける事なく会話に参加し続けていれば
どうなっていただろうか……。
(正直予想が出来ない。
だけど……俺にとっていい結果に終わらなかったかもしれない)
「肝心な時にこんな醜態を晒させる訳にもいかないでしょう。
今の間ぐらいは眠らせておくべきかと」
だから、羽膳はそう言って界武を起こさぬよう促す。
どうせもうすぐ新坂に着くのだ。
その短い間ぐらいは界武に静かにして欲しい……そんな風に思っての言葉だった。
「なんだ、妙に優しいのだな羽膳。
この界武君には敵対心を持っていたように見受けられたが」
だが衛蒼は違った受け取り方をしたようだった。
どうも、羽膳が界武に気を遣って眠らせておこうと取り計らった、
そのように見えたらしい。
「や、優しい……御冗談を!
俺はコイツに何度も邪魔されて……!」
「分かった分かった。だが静かにな」
思わず声を荒らげた羽膳を、衛蒼はそう言って宥めた。
その楽しそうな様子から、羽膳はどうにも危機感が足りないのではないか、
と思ってしまう。
(多分……こうして直に会っても界武の持つ危険性が伝わっていないのだ)
であればどうするか。
どうやって界武の事を伝えればいいのだろうかと悩んでいた羽膳だが、
そこで一つ思い出した事があった。
「そういえば……衛蒼様。最初に界武を見た時、
『同族殺し』に近しい雰囲気があると仰いましたよね?」
「ああ、言ったが……」
「俺の目からは……その、コイツと『同族殺し』が
似たような雰囲気を持ってるようには見えなかったのですが」
羽膳からしてみれば、界武は直情的で言葉や態度から
その時の感情が容易に窺い知れる。
それに対して『同族殺し』は正直何を考えているのか全く分からなかった。
それ以外にも『同族殺し』はどこか浮世離れした雰囲気があるが、
界武はそれよりは俗な感じがする……等々、
この二人が似た者同士だという印象が無かった。
「そうだろうか……。だがな、その界武君が羽膳を見る目がな、
『同族殺し』が私に向けてきた視線とよく似ていたのでな。
それでついついそう言ってしまったのだが」
「『同族殺し』が、衛蒼様に……?」
「そうだ。他にも粗野に見えて不思議な程に思慮深い所などがな、
私の知っている『同族殺し』と重なったのだ」
「思慮……深い……?」
羽膳は更に混乱した。
界武が時折自分に向けてくる悪感情らしきもの……
そういうものは確かに羽膳は感じ取っていた。
だが生憎とそれが何かまでは分かっていなかったが。
(それと同じような悪感情を、『同族殺し』が衛蒼様に向けていた……?)
それは一体何なのだろうか。
他にもだ。羽膳は『同族殺し』が思慮深い等と感じた事は一度もない。
何を考えているかまるで分からない、という点だけを見れば
もしかしたら思慮深いとも表現出来るのかもしれないが、
どちらかと言えばあれはそんな肯定的な見方をするよりも
不気味だとか不可解だとか、そんな否定的な印象の方が強かった。
「納得出来ていないという表情だな」
そう言って衛蒼が小さく笑う。
「いえ、それがどうにも……衛蒼様と俺とで『同族殺し』の印象が
大分異なっているのではないかと……」
困惑したままの羽膳はそう返すしかなかった。
「ああそうか。羽膳は楼京での事件が『同族殺し』との初会遇だったな。
私はそれより前に『同族殺し』と会った事があるのだが、
恐らくその違いだろう」
「……初耳ですが」
「別に吹聴するような事でもなかったからな。
……ちなみに、その時何処で奴と会ったか分かるか?」
手掛かりも与えられずのその問いに、羽膳は適当な返事をする。
「さあ……喧嘩場とかでしょうか?」
あの『同族殺し』が顔を見せる場所などそのような所だろう。
そう思っての回答だったが、笑顔のままの衛蒼を見てそれが間違いだと悟る。
「違うな。正解は……大図書館だ。
あれは二年前の冬だったかな……所用で美作国に出張していた時だ。
幕府が管理する大図書館、そこで『同族殺し』はずっと本を読んでいた」
「ほ、本を……!?」
あの『同族殺し』が読書をする姿などは全く想像出来ない。
「そうだ。何度行っても大図書館でじっと本を読んでいた。
ここで冬ごもりをすると決めたかのようにな。
それで私は鬼人族でも書痴になるのだな、何が面白くて読んでいるのだ、
と聞いた事がある」
「えっと……何と答えたのですか?」
「面白くて読んでいるのではない、確かそう答えた筈だ」
ではどう言った理由で本など漁っていたのだろうか。
というか、今の話を聞いた後でも
『同族殺し』が文字を読めるというのが信じられない羽膳であった。
「他にも幾らか言葉を交わしたが……どうも相性が悪いらしくてな。
あの時は喧嘩別れのような形で終わった。
……最後に『同族殺し』が私へと向けていた眼差しをよく覚えている」
「それが、界武が俺を見る視線と重なったと?」
「そうだ。あの視線にこもった感情は、私の間違いでなければ多分……」
そこで衛蒼はその視線を羽膳から界武に移す。
「……嫉妬だ」
(嫉妬……!?)
界武が何故に羽膳を嫉妬するのか。
どちらかというと逆ではないだろうかと羽膳は思う。
界武はこの歳で伝説の英雄である『閃刃』にその実力を認められ、
新坂に籠るしかなかった羽膳を尻目に逆徒とずっと戦い続けてきたのだ。
(まさか直に何故俺を妬んでいるのかと聞く訳にもいかないだろうが……)
そう思いながら羽膳も界武を見る。
相変わらずかっくんかっくんと動くその頭はさも頼りなげに思えるが、
先の会議で妙案に辿り着けたのもこの小さな頭があってこそだった。
「……俺には妬まれる理由が分かりません」
この界武は鬼人族でありながら空まで飛んで見せたのだ。
これが決定打。今の羽膳は界武を対等以上の存在として見てしまっている。
それでどうして自分が妬まれねばならないのかと……
そんな愚痴のような言葉だった。
「何を考えているのかは知らないが……
羽膳、お前は十分に傑出しているよ」
そんな衛蒼の慰めすらも否定するかのように歯を食いしばる。
「ですがそれ以上に界武が傑出していれば……!」
そこで言葉を飲み込む。
揺れる頭につられてか、界武の瞼が少し開いたように見えたのだ。
……もしかしたら界武が起きているかもしれない。
そんな風に思ってしまったから、
羽膳はそれ以上を口に出す訳にはいかなかった。
「……衛蒼様。今のこの姿だけを見ればそうは思えないかもしれませんが、
界武は危険な男です。衛蒼様が『同族殺し』を警戒するのと同じように
警戒すべきだと……俺は思います」
結局、それだけを口にするのが精一杯だった。
「……他ならぬお前がそう言うのだ。肝に銘じておこう」
そう衛蒼が言い終わった時だ。
「管領様! 新坂が近づいてきました!
そろそろ到着しますよ……!」
御者台から声がした。
……どうやら、これ以上の話し合いは後日という事になった、
そう感じた衛蒼と羽膳は、ただ目配せのみでそれを確認し話を切り上げる。
「では羽膳、私は今から御者台に移ろう。
界武君を起こした後、馬車の隅で隠れていて欲しい」
「分かりました。
もしその時が来れば、どうぞ俺をお呼びください。
界武を連れて守護屋敷へと向かいます」
「心強いな。ではその時は頼む」
「界武……おい、起きろ!」
そう言って肩を三度ほど揺らすと、流石の寝坊助も目を覚ましたらしい。
「ん? ああ……俺、寝てた?」
まだちゃんと覚醒していないのか、瞼が半開きだった。
「……ぐっすりとな!」
背中を一叩き。勿論覚醒を促す為ではあるが、
それ以外の感情も少し混じっていたのは否めない……そんな一撃を見舞う。
「いってぇ……悪かったよ!
で……もしかして新坂に着いたのか?」
「そろそろだ。寝る前の話は覚えているな?」
「ああ……その右衛門佐? その人が新坂に入る邪魔をするようなら
無視して飛んで行けばいいってんだろ?」
「そうだ」
「了解了解……。
あ、ちょっと外の様子を覗いてもいいか?」
「駄目だ」
「いや、隠れてろって言われたのはお前だけだろ?
俺の顔なんて割れてないんだからちょっとぐらいなら……」
羽膳は絶対拒否、を意味する怒り顔を見せて回答とすると、
界武も流石にそれ以上は強弁しなかった。
「分かったよ……ここで、静かにしてるよ」
「それでいい」
そして羽膳は界武と反対側の壁の近くに腰を下ろし、
じっと御者台の方を見つめた。
(何事も……なければいいのだが)
待ち受けるは百を数える魔王軍。
それを率いるは王都では魔術の腕で鳴らした右衛門佐、臣錬だ。
それに対してこちらは四人。
衛蒼の強さには微塵も不安が無いとはいえど、
人数差を思えば諍いとなるとどう転ぶか分からない。
そんな思いから来る緊張が、羽膳の羽を強張らせていた。




