百六十三話 鬼謀
衛蒼が乗ってきた馬車は普段は守護が使うものだとあって
豪奢な作りとなっていた。
漆仕上げの黒い板張りの屋根が付いており、
側壁も漆の黒を基調として金や銀で華美な装飾が施されている。
内部はどういう訳かそういった装飾は控えめにはなっているが、
それでも床に敷かれた畳に肘置き、他にも座布団などが備え付けられており
男三人が間をおいて座っても窮屈にならない程度の広さもある。
その馬車の御者台にて手綱を握るは体格のいい役人の男だ。
後に聞いたのだが、この男は衛蒼が『山嶽王』を追い払った際に
側で控えていた者だという。
その馬車の中で異彩を放つ少年が一人、誰に臆する事もなく堂々と座っている。
異彩を放つとは言うが……悪く言うのなら浮いている。
何しろ衛蒼は勿論、羽膳とて白く上品な袴に身を包んでおり、
この豪奢な馬車の乗客として不足の無い格好をしている。
だがその少年、界武はぼさぼさの頭髪に荒い作りの額当て、
赤黒いぼろぼろの首巻に土汚れに塗れ草臥れた袴という、
田舎のやんちゃ坊主も同然の出で立ちであったのだ。
そのみすぼらしい格好を恥じ小さくなっていればまだいいのかもしれないが、
それで堂々としているものだから異彩を放つと言うしかない。
「思うんだけどさぁ……今から鹿野戸さん、
アンタ達が言う逆徒の事を知ろうとしてもあんまり意味ないんじゃないか?」
その眠たそうな表情が呆れている風にも見えたが、
この発言から察するに間違いでもなさそうだった。
「意味が無いとは何だ? お前が言うように逆徒が俺達の事を調べ上げて
先読みをしているというのならだ、こちらも対抗する意味で奴の事を知るのは
悪い事ではないだろうに」
その羽膳の言葉を聞いても、界武の表情は眠たげなままだ。
「俺が言いたいのは時間の問題だよ。今から調べ上げるとして、
その考えを読めるようになるまでどれぐらいかかるってんだ?
向こうは何年も前からじっくり時間をかけてやってるんだ。
ならばこちらもと今から数日調べたところで追いつける訳がねぇだろ」
「ぐっ……」
言われてみれば反論しづらい。
そもそも逆徒が鵺族だという事もあってだろうか、
幕府にはその情報が殆ど揃っていなかったのだ。
「だ、だったらだ……!
お前ならばこれからどうすればいいと考えるのだ?」
現状では羽膳も認めざるを得ない。今回の反乱に限って言うのなら、
この界武という少年は自分達よりも多くを知り得る立場にあると。
民を守る為とはいえ、ずっと新坂に張り付いていた羽膳と衛蒼に対し、
界武は『閃刃』に会いに行ったかと思えば説得の為に逆徒の下へも足を運び、
更には『同族殺し』と共に『山嶽王』討伐にも貢献している。
……こうして事実だけを列挙してみれば不思議な事に、
界武は逆徒討伐の一番槍をずっと務めてきた事になるのだ。
(業腹ではある、業腹ではあるのだが……!)
そういう訳で羽膳はこうして界武の助言を聞く側に回らねばならなかった。
その界武、羽膳の腹の内を知ってか知らずか、
今の羽膳にとっては挑発にも等しいぐらいに真剣みの薄い表情のまま、
のっそりと言った。
「さっきから話を聞いてるとさぁ……あの時の事を思い出すんだよ」
眠たげな瞳を擦りながらの言葉だった。
残念ながらこれだけでは界武が何の事を言っているのか分からない。
今界武と会ったばかりの衛蒼は勿論、
羽膳ですら何の事か分からぬまま次の言葉を待っている。
「……あの時、とは?」
だから衛蒼はそう聞き返した。
界武はちらりと衛蒼を見るが、その視線をすぐに羽膳に戻して言う。
「ほら羽膳、あれだよ。遠鬼と『山嶽王』の格闘戦」
話を振られた羽膳だが、あの格闘戦と今の話が
どう結び付くのかすぐには思いつかない。
そんな羽膳の表情から何かを察したか、
返事を待たずに界武が言葉を続ける。
「お前が教えてくれたんじゃねぇか。躰々の先って奴……」
「それは教えたが……それと逆徒の話とどう繋がる?」
「繋がるっていうか……似てるって思ったんだよ。
あの時も遠鬼がさぁ……俺から見たら理想的なぐらいの
格闘術で攻め立ててたのに、それが全部綺麗に返り討ちにされてた」
その格闘戦について一応の報告を受けていた衛蒼は、
そこで界武の言いたい事を理解した。
「なるほど……。つまりは今の逆徒との闘いもそうであると。
最善の対処を選んでいた筈が、それを読まれて綺麗に返り討ちにされている」
そう言う衛蒼の表情を見るに、界武の意見に釈然とはしていないようだ。
「『山嶽王』は魔術から読み取れる術者の僅かな意図を感じ取って
その攻撃を読んだというが、
逆徒は事前に調べ上げた私達の情報からその意図を掬い取っている……と」
衛蒼は誰に同意を求めるでもなく、自分に言い聞かせるかのようにそう呟く。
「……その話が本当なら、逆徒は謀略に関していうのなら
格闘術における『山嶽王』に匹敵する強者という事になりますが……」
「その『山嶽王』が鹿野戸さんの部下みたいな感じだったんだろ?
じゃあ別にそこまで現実離れした考えじゃないと思うんだけど」
羽膳がその衛蒼の言葉を補強し、界武が更に言葉を続ける。
……この場の三人共、逆徒についてこれ以上言葉を並べても
意味が無いのは重々承知している。
羽膳が憂慮するように逆徒の情報が少なすぎるし、
界武が言うように逆徒を調べるには時間が足りなすぎる。
だがそれでも今出た考えをすぐに受け入れ難いその理由は、
一つの懸念があるからだ。
(もし、今の推測が正しかったとするとだ。
そのような鬼謀の持ち主に対抗出来る者などこの世界にいるのか……?)
そもそも、このような企みを巡らせるような者自体が相当に珍しい。
格闘術なら修めようと思う魔族は山のようにいるが、
謀略を学ぼうなどという魔族など今まで見た事もないし、学べる場所もない。
太平の世が続き力を重要視する風潮が弱まりつつあるとはいえだ、
じゃあ力の代わりに知恵を付けようとは
ならなかったのが魔族という生き物であった。
謀略においては逆徒の方が遥かに上手だとするのなら、
このままではズルズルと逆徒が思うままに事態が流れてしまうのではないか、
そんな懸念が判断を躊躇わせているのだ。
だが、もしそれが現実だとするのなら目を背ける訳にいかないのもまた然り。
「逆徒にそこまでの事が出来るというのは信じ難い。
だが……実際後手に回るどころか、
こちらの打った手までもが逆に利用されているとなると……」
衛蒼は界武の言う事に聞くべき所はあると判断したのだろう。
それを察したか、後の言葉を羽膳が代弁する。
「……実際そうであるかどうか確認するのは後回しにして、
そうであると仮定してこれからは動いた方が良い、という事でしょうか?」
衛蒼は首肯する。
「逆徒がどういう者であるのかなどは捕まえてから調べればいい。
それよりも我々の考えは読まれているものとして対策を練った方がいいと、
界武君は言いたいんだね?」
「ああ……うん、まあそういう事」
本当にそこまで考えていたのか怪しまれるようなその曖昧な返事。
だけども衛蒼はそれで信頼に足る助言であると判断したらしい。
「ではここからは多少冒険をする必要がある。
今まで通り私達の考える最善を選んでいくだけでは勝ち目などない」
「……最善ではない対策を選べと仰るのですか?」
「そうではないな。逆徒がこちらの最善を読んでいるというのならばだ、
こちらはそう弁えた上で行動すればいい。
……幸い、今は『同族殺し』と界武君のお陰で
多少は逆徒を出し抜けた好機でもあるからな」
つまりは、逆徒がこちらの手を読んで打ってくるであろう返しの手を、
更に読んで反撃をする、という目論見らしい。確かに今に限っては、
衛蒼の言うように逆徒もまだ知らぬであろう情報がこちらにある。
(『山嶽王』が既に討伐されており、
その玄孫である石英も界武と協力体制にある……)
……起死回生の反撃を狙う機会が訪れたのだ。
「……この状況でこちら側が取る最善の行動とは何だろうな?
いや、より正確には逆徒が予想するであろう私達の次の手だ」
肘掛けから体を離し、背筋を伸ばした衛蒼がそう話し始める。
その表情からここから先が何よりも重要なのだと察し、
羽膳は気を引き締めつつも答える。
「逆徒はまだ『山嶽王』が討伐された事を知らないでしょう。
であれば……衛蒼様であればまずその御手杵にて『山嶽王』を討ち、
後顧の憂いを断った後で逆徒を本格的に捜索するであろうと思います」
「よし羽膳。であればこの行動を逆手に取ろうとすれば逆徒はどう動く?」
「逆徒の目的は俺達幕府と朝廷との同士討ちです。
であれば……厳容様を操り衛蒼様が反逆の軍を率いて王都へと向かった、
といった偽情報を送り、今後来るかもしれない
朝廷からの討伐軍との同士討ちを狙うかと」
「なるほど、説得力があるな……。
であればだ、その逆徒の策に対抗するには何とする?」
衛蒼自身は既に何かしら考えがあるのだろうが、
まずこうして質問形式で羽膳の考えを聞く事から始める。
部下の成長を期待しての行動だと知っているから、
こういった問答は羽膳の好むところでもある。
「……やはり、厳容様の服従印を解除して朝廷との誤解を解くところから
始めるのがいいかと考えます。
今ならその……界武とどう……左衛門佐殿の働きもあって
それが可能な状況にあります!」
本当は界武や『同族殺し』を褒めるような事は言いたくないのだが、
羽膳はその気持ちを振り払うかのように声を上げる。
「だが右衛門佐殿はどうする?
場合によっては私達を新坂に入れてくれないという事も有り得るが」
「……厳容様が逆徒に操られていると訴えたとして、
聞き入れてもらえるでしょうか?」
「自尊心の強い方だ。自身が騙されて敵の思うがままに操られているのだと、
そう言われたとすれば更に態度を硬化させるかもしれない」
羽膳はそこで言葉に詰まる。
(衛蒼様は説得出来ない可能性の方が高いと考えているのかもしれないな)
もしそうであればどうすべきか。
そこで少し羽膳は考えて、一つ重要な事を思い出した。
この場には、空を飛べる者が二人もいるのだと。
「いっそ、右衛門佐殿は衛蒼様に引き付けて頂いて、
その間に俺と界武で空から直接守護屋敷に向かうのはどうでしょうか?
そうして先に厳容様の服従印を解除してしまうのです。
いかに右衛門佐殿とはいえ、服従印が解かれた厳容様に説得されれば
聞かざるを得ないと考えます」
「……悪くないな。
確かに今回の件、厳容殿さえこちらの手に戻れば状況は大きく好転する」
そうして衛蒼は大きく頷く。
その表情からは少し前の陰鬱な雰囲気は消し飛んでいた。
「その手で行こう、羽膳。
新坂が近づいて来たらこの馬車の中に潜んでおいてくれ。
もしすんなりと新坂に入る事が出来ればそれで良し。
右衛門佐殿がそれを拒むようなら、隙を見て空から守護屋敷に向かって欲しい」
「はい!」
羽膳としても尊敬する衛蒼の表情が明るくなるのを見るのは嬉しい。
更には自分の意見が採用された事もあって
今朝からあった鬱屈とした気持ちが大いに晴れていた。
「……このやり方で上手くいくと思うかい、界武君?」
最後の確認にと界武の考えを聞こうとした衛蒼だが、
いつの間にか馬車の隅で舟を漕いでいた界武を見て苦笑するのだった。




