百六十二話 喧嘩仲間
界武は羽膳が思いもよらない手段を用いて華麗に着地するのではないか。
何となく、そんな事を期待しながらその様を眺めていた羽膳であったが、
界武が用いたのは強引極まりない力業だった。
下がり続ける高度、しかしどうしても落ちない速度に業を煮やしたか……。
「ええいっ!」
界武は翼から手を離すとその掌を地面へと向ける。
その直後に宙に浮く界武の少し手前の地面から大いに上がる砂埃。
(……まさか、棒状の原始魔術を地に刺して、無理矢理減速する気か!?)
傍目にも危険な行為である。
ある意味界武の能力を信じ切っていた羽膳が背筋を凍らせる程の。
界武が両手から放ったつっかえ棒は、地に斜めに突き刺さりながら
ズルズルとまだ前へと進む。
「止まれえええええっ!」
必死に叫ぶ。大げさに振る舞っている、といった雰囲気ではない。
間違いなく、界武は着地に必死になっている。
そうしている内に界武の身体もみるみる地に近付いていく。
ただ無軌道に落ちているのか、それとも狙った通りに降下しているのか、
それも分からないままただハラハラとしていると、
界武はどうにか地に足を付け、それからゴロゴロと草原を三、四度転がった。
(……だ、大丈夫だったのか?)
ちょっとした思い付き程度の意地悪を後悔しかけたその時だ。
大の字に寝転がっていた界武がその上体をむくっと起こした。
「し……死ぬかと思った。まさかこれをもう一回やることになるとか……」
意外な程元気そうだった。しかもその言葉から察するに、
似たような事を既に一度やった事があるらしい。
「……俺が言うのもなんだが、怪我が無さそうでよかった」
その界武の横に軽やかに降り立った羽膳は、一応そう声を掛けてみる。
ほんの小さな悪戯心で人を殺しかけたとあっては
流石に心配せずにはいられなかったからだ。
そんな羽膳の言葉に対し界武は……なぜか楽しそうに笑っていた。
「いや……そういやあの時もそうだった。
崖から落ちて満身創痍だってのに、遠鬼が似たような事を聞いてきやがったよ」
「『同族殺し』が……?」
「ああ……何だったっけな……
そうそう、生きてると思った……とか言ってやがった」
何が面白いのか、界武はそう言ってまたも笑う。
「なっつかしいなぁ……でもあれからそんなに経っちゃいねぇのに、
今は守護様を助けるために空を飛んで新坂に向かっていたってのか俺は」
遠い目をして独り言ちる。
その界武の目が何を映しているのか羽膳には分からない。
……ただ何となく、今の言葉は『同族殺し』との初会遇の事を
いっているのではないかと、そう思った。
「崖から……その、落ちたのか。一体いつの話だ?」
草原に座りっぱなしの界武へ手を差し伸べてそう聞く。
「いつだったか……まあ、この夏の始めの頃だったかなぁ」
「この夏……か」
(『同族殺し』は丹波国に来るまではずっと一人で旅をしていた、
確か鋼牙がそんな事を言ってたな……)
少なくとも、黒樹林の牧場で鋼牙と揉め事を起こすまでは
ずっと一人であったらしかった。
とすればやはり、ここ丹波国でこの二人は出会ったのだろう。
そんな僅かな期間しか共にいない筈の二人が、
これまた随分と仲良くなったものだ……。
そのような事を考えていると、
羽膳の手を引いて立ち上がった界武が
その手を思い切り強く握り返してきた。
「痛っ!」
思わず手を振りほどく。
何をしてくれると界武を睨みつけると、
年相応のいたずら小僧の笑みをしている界武がいた。
「テメェに酷い目に遭わされたのはこれで二度……いや、三度目か?
ならこれぐらいの仕返しは甘受すべきだと思うけどなぁ」
「し……仕返し!? 今のがか!?」
「そうだよ」
そう言うと何事も無かったかのように界武は一人馬車へと向かう。
(空から落とした仕返しが……これだけ?)
いや、今の言葉をそのまま受け取るのなら、
これまでの戦いで与えた負傷の類も含まれているらしい。
……変な感じだった。
羽膳にとっては倒すべき敵である筈の界武だったが、
その界武にとっての羽膳はどうも違うらしい、
というのがこの反応で知れたのだ。
そこにある齟齬がどうにも……むず痒く感じた。
(界武にとっての俺は……
いけ好かない、喧嘩仲間みたいなものなのか?)
楼京でよく喧嘩をしている虎鎧が言うにはそんな感じなのだという。
どれだけ全力で殴っても、三日は立てないようにしてやってもだ、
その次の日には笑って話しかけてくるという……喧嘩仲間という存在。
今までそんな者は羽膳の側にはいなかった。
侍所の面々とも喧嘩じみた模擬戦はするものの、やっぱりそれとは違う。
虎鎧が言うにはそういう類の者は同年代である必要があるらしく……。
『「その歳でそんなに強くなっちまうとなぁ……
お前には喧嘩仲間って奴は一生現れねぇかもな」』
模擬戦で羽膳に負けた後の虎鎧がそう呟いていたのを思い出す。
羽膳はそれを惜しいなどと思った事はなかった。
喧嘩仲間などという怪しげな者は必要ないと。
ただ自身が誇り高き戦士であると
この世界中に知らしめる事が出来ればそれで満足だと……。
「まっ……待て、界武!
衛蒼様と会わせる前に言っておく事がある……!」
急に湧いてきた喜楽に近い感情を振り払い、羽膳は慌てて界武を追う。
(お……俺をこうまで振り回すのだ!
同じような思いを衛蒼様にさせてはならない……!)
そんな妙な義務感に駆られながら、羽膳は界武と共に馬車へと向かった。
「羽膳! 先程お前の報告を携えた商人と会ってな。
到着を待たずしてこうして新坂を発ったのだが……合流出来てよかった」
馬車の方でも羽膳達を既に発見していたようで、
衛蒼は馬車を降りて羽膳達を出迎えてくれた。
「ちなみに……その少年程度の大きさの者を連れて飛べる、
そんな話はこれまで聞いた事はないのだが……どうなのだ、羽膳?」
羽膳の後ろへと目配せして衛蒼が聞く。
その目配せの先にいるであろう界武は何も話さない。
ここに来る前に不必要に衛蒼と言葉を交わすなと
羽膳が言いつけていたからだ。
「それに関しても……すぐに報告します。
ただ今は、一刻も早く馬車を新坂へと向けて走らせてください。
報告は馬車の中にて致します」
立ち話で済ませられるようなものではないし、
その立ち話をしている時間も惜しかった。
だから羽膳は失礼を承知で上司をすぐに馬車に戻るように促す。
「馬車で……分かった。そこの少年も一緒に乗せていいのか?」
「はい。そして衛蒼様……この者こそ、
以前からお伝えしていた界武という鬼人族です」
その羽膳の報告に態度を変える事もなく、ただ……。
「なるほど、この者がそうか。
確かに……『同族殺し』に近しい雰囲気を感じるな」
本当にそう思っているのかどうか、
それすらも分からない感情の薄い声でそう返した。
馬車に乗ってからは重要な報告が数珠つなぎに羽膳の口から飛び出てくる。
『山嶽王』の発見、『同族殺し』との闘い、そして至高の格闘戦が続き……
それが石英から聞いた情報の数々に差し掛かると、
流石の衛蒼も一時の休憩を申し出てきた。
「……大変な報告が多過ぎてな。
不甲斐ないがこのまま続けられても消化しきれん」
「申し訳ありません。出来る限り簡潔に報告しようと思っていましたが、
逆に必要な情報まで省略してしまったかもしれません」
「いや……そういう事はなかった。
簡潔で聞きやすかったと思う」
そう言うと衛蒼は眉間を押さえてじっと考え込む。
それはそこまで長い時間ではなく、
羽膳の報告を聞き飽きた界武が欠伸を一つし終わる頃には終わった。
「厳容殿へのちゃんとした身体検査は行われていない。
傷深く意識も朦朧としていると聞かされていたからな……。
いや、正確に言うと医者殿に確認してもらったのだ。
で、服従印などは無いとの報告を受けていた」
独り言のように、衛蒼は羽膳の方へと視線を向けずに呟いた。
衛蒼は新坂に着いてすぐ、今回の件に関係ありそうな者達を対象に、
一斉身体検査を行った。服従印の刻まれた者を探し出す為だ。
だがしかし、そのような理由で重傷者である厳容に対しては
しっかりとした検査が行われていなかったのだ。
「ちなみにそのお医者様は身体検査の結果どうだったのですか?」
「服従印は無かったと聞いている。
これは複数の役人達が確認している事から間違いないだろう。
つまりは……医者殿は逆徒に操られた厳容殿の舌先三寸に騙されて
嘘の報告をした、と考えるべきだろうか」
「新坂に戻ってみなければわかりませんが、恐らくは……」
そこまでを聞いて衛蒼は陰鬱な表情を隠さずにため息をつく。
自身が指示した仕事に瑕疵が見つかった、などと考えているのだろうか。
「屋敷にいた鳩の報告との辻褄も合う。
あれも恐らくは厳容殿の指示で王都へと文を飛ばしたのだ。
その内容は……どうだろうな、幕府管領が反逆を企図し新坂を占領。
守護を軟禁した挙句に兵を募っている、といったところだろうか」
「……そのような作り話になるでしょうか」
「まあ、大きく外れてはないだろう。
更にこうなると、幕府から呼び寄せた臣錬殿に関しても難しいな」
百名を超える魔王軍とそれを率いる右衛門佐臣錬。
援軍として呼んだ筈の者達が、
揃って厳容の口車に乗せられてしまう可能性を衛蒼は憂慮していた。
「可能性はあると思います。
右衛門佐殿は新坂に来られてから不思議な程に
態度を硬化させていたと覚えています。
あれは恐らく、厳容様かそれに連なる誰かの
悪意ある作り話を聞いてしまったのではないかと……」
「なるほど……」
衛蒼は再度眉間を押さえる。
「右衛門佐殿の聡明さを期待するしかないが……」
そう呟く衛蒼自身がその期待が儚いものであるだろうと理解していた。
普段の臣錬であればそのような作り話に騙される事はないかもしれないが、
衛蒼への嫉妬を募らせている今の臣錬であれば
その判断を狂わせるのではないだろうかと、そう考えているのだ。
「……こうして考えると、我々が常に最善の対処をと考えて選んだ行動、
その全てが裏目に出ているように思えるな」
逆徒に完全に出し抜かれていると認めるような発言。
衛蒼にしてみれば随分と弱気なものだと思うが、
それを羽膳は口に出来なかった。
羽膳自身が自分の考えを完全に読まれているような、
薄気味の悪さをずっと感じていたためだ。
「……最善の対処をと考え続けていたからじゃねぇかなぁ」
この報告の直前に不用意な発言は避けるように言い含められていたからか、
ここまでずっと無言だった界武が
馬車内の陰鬱な雰囲気に耐えかねたかのようにそう呟いた。
「……どういう事だ、界武?」
羽膳が聞き返すと、界武は眠たそうな表情のままゆっくりと喋りだした。
「あの人……鹿野戸さんは頭がいいっていうより勉強が得意って人だ。
特別要領がいい訳じゃないけど、調べた事はしっかり頭の中に入る感じのな。
そんな鹿野戸さんだ、楼京にいた頃に羽膳や……そこにいる衛蒼さんの事は
調べ尽くしたんじゃねぇかな。そりゃあもう徹底的にな」
「……そうやって俺達の為人を調べ尽くしたから、
逆徒は俺達の思考が読めるというのか?」
そのような事は有り得ない、羽膳はそう考えた。
人はそう単純な生き物じゃない。
一年やそこら調べた程度で自分達の全てが分かられてたまるかと、
誰しもそのように思うだろう。
「いや、その為人の全てを調べる事は出来ないだろうなぁ。
だけど……何かしら問題が起きたとしてさ、その問題への対処法なんて
何百とある訳じゃないだろ? 精々現実的には二つとか三つとか……
そんなもんだろうさ。その内のどれをお前や衛蒼さんが選択するか、
といった事を調べ尽くしたんだと思う。
それこそ……適当な揉め事を鹿野戸さん自身で起こしてでもな」
だがそれに対する界武の返答には思い当たる節があった。
「揉め事……か」
衛蒼もその適当な揉め事にあたる事件に思い当たったのだろう。
そう、かつて楼京では将軍様が拉致されかけたという大事件が起こっていた。
その事件の裏に潜んでいたのもまた、『偏愛逆徒』である。
「界武君……だったかな。君は何故か見てきたように逆徒の事を語るね」
「ん? いや、実際見てきたんだけど……」
……報告が漏れていた。いや羽膳には報告する意思はあったのだ。
ただそれがちょっと遅れていただけ、なのである。
衛蒼の報告を促すような視線を受けて、
羽膳は仕方ないといった風に口を開く。
「はい。報告が遅れましたが……
この界武は、逆徒に実際に会っているそうです。
ですから、衛蒼様が逆徒についてより多くを知りたいのであれば、
界武に話を聞く方が……早いかもしれません」




