百五十八話 破壊印
「どうする、一旦戻るか、しかし……」
色々考え込んでいるんだろうが、
その考えが時々口から洩れてる事に羽膳は気づいていない。
結局俺の提案に首を縦にも横にも振らなかった羽膳は、
考える時間が欲しいとかで今もそうやって一人頭を抱えている。
そんな羽膳に呆れた視線を向けつつ、俺は石英さんと話を続ける。
「えっと……じゃあ、解除印は石英さんでも完全なものは作れないんだ」
「はい。拘束魔術師としては先生は真の天才です。
その技術を完全に模倣する事は……多分、誰にも出来ません」
そういえば鹿野戸さん自身も言っていた気がする。
拘束魔術に生まれついての適性があったと……
だけど誰よりも魔術に精通した後も目立つのを嫌い、
凡庸を装っていたらしいけど。
「これは先生から聞いた話になりますが、ここの守護である厳容様は
行政能力に優れたものを持ってはいたのですが、魔力は弱かったそうなのです」
「へえ……そうなんだ」
「そのせいか自分の能力が過小評価されているとずっと考えていたそうで、
それで……ですね。その……人間を、よく食べるようになられたとか」
言葉を慎重に選ぶように石英さんは言う。
人間である俺に気を遣ったんだろうけども、
そういった話には正直慣れてしまっていた。
だからそんな残酷な話にも俺は態度を変えずに相槌を打てた。
「その守護が美食家だって話は遠鬼から聞いた事があるよ。
でさ、それが解除印の話とどう結び付くんだ?」
「……聞いた事はありませんか?
魔族が人間の肉を食べると、その魔力を吸収する事が出来ると」
「ああ……それも、知ってる」
急に始まった守護の話だが、それが今の話題にどう結び付くかそこで気付く。
「つまり……今の守護は魔力も強くなっているって事で、いいのか?」
「そうです。その魔力だけならここ丹波国でも有数の強さであるとか」
「……他人事みたいに言ってるけど、
石英さん達はその守護を襲撃したんじゃないのか?」
そんなに強いのならば手こずりそうなものだろうにと思って聞いてみる。
「界武さん、守護様は魔力が強くなったとはいえ戦士ではありません。
『山嶽王』様の眼光一つで抵抗の意志を無くしてしまいましたから……」
それでその強さを実感する事はなかったらしい。
「ああ……怖かったもんなぁ。気持ちは分かる」
あんなのに勝負を挑もうとする遠鬼みたいな奴がおかしいんだ。
だから俺はその守護の醜態を笑おうとは思わなかった。
それに……戦士ではなくとも、その魔力が強力なものであるのは変わらない。
「つまりはだ。その強い魔力を持つ守護に刻む服従印も当然……」
「はい。それは非常に複雑なものでした」
石英さんは傍らに置いてあった布袋から一切れの麻布を取り出す。
そこには見た事もない程に精緻に描かれた、
翼を広げた蝙蝠のような形の印があった。
「これが守護様に刻むように言われた服従印です」
異質、その一言に尽きる。
今が真夜中という事もあって
焚火の明かりに照らされた部分しか確認出来ないけれど、
この服従印が見慣れたそれとは根本からまるで違う事が容易に知れた。
「何だこれ……どうやったらこんなに細かく描けるんだ?」
普通の服従印に使われる線とはその太さが違う。多分十分の一程しかない。
そんな細い線がもうびっしりと描き込まれているのだ。
「魔力の強い者に刻む服従印はどうしても大きくなってしまいます。
そんなものを刻んでいては直ぐに露見してしまうだろうと考えた先生が
独自に編み出した集積服従印……というものらしいです」
なるほど、確かに鹿野戸さんは拘束魔術の天才なんだろう。
門外漢の俺でも容易にそう実感出来てしまうぐらいのものが眼前にあった。
「これを完全に解除出来るような解除印は先生以外の誰も
作ることは出来ないでしょう。私も当然無理と言うしかないのです」
「……そう、か」
こっちの会話が聞こえていないのか、いまだ考え込んだままの羽膳を見る。
(となると……羽膳に提示した協力の条件の一つ、
守護に刻まれた服従印を解除するってのは……実現出来ないって事か)
その場の勢いで言ってしまったが、
どうやら俺は出来もしない報酬を提示していたらしい。
「界武さん、
解除する事は無理でも解除に拘らなければ他にやり方はあります」
「え!? でも解除出来ないんなら……」
「服従印を破ってしまえばいいのです」
その石英さんの声を聞いた俺は思わず自分の後ろ首を触る。
……俺の服従印も、誰かに破られたものだ。
これが破られたお陰で俺は自分の意志で生きていられるんだけど、
服従印を破るっていうのは危険な事だった筈だ。
「石英さん、
服従印を破ると死んじゃう事もあるって聞いた事があるんだけど……」
「……そうですね。
普通に破るだけであれば守護様の命は
まず間違いなく助からないと思います」
石英さんはそう言ってもう一枚麻布を取り出した。
そこにも服従印らしき紋様が描いてあったが……
それはさっき見た集積服従印とも、
他の子供達に描いてある普通の服従印とも違う。
俺の馴染みがある服従印はその紋様を構成する一本一本の線が長い。
それが途中で途切れているようなものはあんまりなかった。
だけど今石英さんが取り出したそれは、線の殆どが所々で途切れている。
中途半端な印象のある服従印だった。
「これはですね……私が描いた印、私は破壊印と呼んでいます。
これを刻まれた服従印に重ねて魔力を流し込むことで、
その印を破る事が出来ます。そして……ここからがこの印の肝なのですが、
この破壊印を使って服従印を破ると、
その際にかかる負担を大幅に和らげる事が出来るのです」
「えっと……つまり、それを使うと守護の服従印を破っても
死ぬ事はなくなるってのか?」
「そこまでは……ただ、そのまま破るとほぼ間違いなく助からないでしょうが、
これを使えば……五割、いえ、守護様のような強い魔族であれば、
七割程度まで助かる可能性が上がると思います」
『山嶽王』の為に過去作り出したものだが、
当の『山嶽王』にはそれでも負担が大きすぎて使用出来なかったと、
後で石英さんは悲しそうに笑った。
(七割で助かる……だとしても、三割は死ぬ。そして多分……)
「なあ石英さん。それでもし死ななかったとしてもさ、
後遺症の類はあったりするのか?」
心当たりがあったんでその事を確認する。
「……恐らくは。印が刻まれていた時の記憶を失ったり、
もしくは……体の一部が動かなくなったりするような、
そんな症状が残るかと思います」
「やっぱり……そうか」
俺自身服従印が破られた後に記憶を失ったり、
そして右手が動かなくなったりもしている。
「それでもさ……守護の服従印をどうにかしようと思ったら、
今の所はその破壊印しか手段は無いんだよな?」
「もしくは先生に解除印を作ってもらうかです。ただそちらは……」
「分かってる。鹿野戸さんがそんなものを作る訳が無い」
あれだけ魔族を憎んでいる人が、
どうしてその魔族を助けるような事をするものか。
俺はその小さな左手を差し出す……破壊印を受け取るために。
「やるよ、石英さん。それしかないんなら、それをするまでだ」
鹿野戸さんの陰謀を阻止する。
それだけを目的とするならこんなものは多分必要ない。
だけど……俺は石英さんや子供達をも守らないといけない。
彼女達の処刑なんて悲惨な結末を回避する為に、
どうしてもこの破壊印は必要になると俺は確信していた。
「俺は一刻も早く新坂に戻らねばならない」
そろそろ朝日が昇ろうかという時だ。
流石に眠気に勝てなくなってきたから、
毛布にくるまってうつらうつらとしていたのだが、
そんな俺をそう言って乱暴に叩き起こした奴がいた。
言わずもがな、羽膳だ。
「そこの石英の話を聞いて色々と思い当たるところがあったのだ。
幕府から臣錬という者を援軍として呼んだのだが、
この者の態度が新坂に着いてから不思議な程に硬化していた。
今思えばあれは守護様の手の者に何かしら吹き込まれたのかもしれん」
「……だから?」
叩き起こされてすぐに羽膳の事情をそうまくしたてられても、
率直な感想としては、そんな事知るか……だった。
「だから……じゃないだろう!
このままだと衛蒼様とその臣錬が新坂の町で争うような事になりかねん!
幕府と魔王軍がだ!」
今の話、一体どこから魔王軍が出てきたのか。
察するにそのシンレン、とやらが魔王軍の者なんだろうが、
それを今の話を聞いたばかりの俺に理解しろ、というのも無理な話だ。
普段の羽膳ならばその程度の事なら考えが及ぶんだろうけど、
そうならないぐらいには狼狽と睡眠不足でおかしくなっているらしい。
「あっそう……だったらお前だけで報告しに戻ればいいだろう」
「無論そうしたいのだ! 俺だけなら飛んで行けば数刻程度で新坂に戻れる!
だが……そうすればお前達はどうする!?」
「俺達……? ああ、そういう事か」
羽膳としては俺達をここから逃がしたくはないんだ。
だけど俺達はここでのんびり管領とやらを待つ理由は全く無いから、
羽膳の奴が発てばそれに合わせてここから逃げ出すだろう。
「石英さん達を処刑するなんて言ってる奴をのんびり待つ気は無いなぁ。
当然、ここを離れて雲隠れだ」
「ぐっ……!」
悔しそうだ。いい気味だとも思うが今はコイツの協力が不可欠なのも事実。
出して困らない程度の助け舟は出しておく。
「お前が協力するって言うんなら待っていてもいいんだけどなぁ」
「……信用できるか!」
直ぐに突っ返された。挑発半分だったとはいえこれはこれで少し気分が悪い。
「じゃあどうするっていうんだ……って、まずい!」
俺は半分眠っていた意識を無理やりに覚醒させ、
跳ね起きては羽膳と子供達の間に立ち塞がる。
(羽膳は空を飛べるんだ。
子供を一人攫って飛んで行かれたら俺達にはどうしようもない……!)
そんな事に今更気付いての行動だった。
子供達を攫うつもりなら俺が相手になると、態度で示したつもりだった。
「何をそんなに慌てて……ああ、俺が子供を攫うとでも思ったのか?」
俺の反応を見た羽膳の呆れ気味の声。
「お前ならやりかねないと思ったんだよ……!」
「やらん。というか……やれん。
俺が飛んで運べるのは赤子が精々だ。それ以上は重すぎて無理だ」
弱点ともとれる事実を羽膳はあっさりと吐く。
嘘という事も考えたが、多分そういう感じじゃない。
単に隠してないだけなんだろう。
「それはな、揚力がそこまで大きくないからそうなるんだよ。
その翼の大きさを倍ぐらいにすりゃあ
俺ぐらいの子供なら掴んで運べるんじゃねぇのか?」
「よう……なんだったか、それは。
確か最初に戦った時にも言っていたな」
「覚えてたのか……まあいいや。
とにかく、大まかな話だけど揚力は翼の大きさか速度の二乗に比例する。
子供を掴んで飛ぶとなるとあんまり速度は出せないだろうから……
翼を大きくするのが手っ取り早いな」
……羽膳が自分の能力について隠し事をしなかったからだろうか。
それとも俺が何となく出した言葉をずっと覚えていてくれたからだろうか。
俺もそうやってついつい自分の知識をひけらかしてしまう。
別に、コイツにこんな事を教えても何の得にもならないのにだ。
「翼を……? まあ、翼が大きければ重いものを運べる。
それは感覚的に理解出来るが、翼が大きくなるという事は
当然それ以外の身体の部分も大きくなるものだ。
そうなると逆に上手く飛べなくなる。
そのせいか鳥人族は皆揃って小柄だ」
「翼だけを大きくする事は出来ない、か……」
俺はその言葉に少し違和感があった。
……何故なら、俺ならば翼だけを大きくする事が出来るし、
もっと言えば新たに翼を作り出す事も出来るだろうから。
「あ……」
そこで思い付いた。いや、思い出してしまったというべきか。
もしかしたら出来るかもしれない。
一刻も早く新坂に戻りたいが、俺達を逃がしたくもないという羽膳の為に、
俺も新坂まで一緒に飛んでいく……その方法が脳裏に浮かんでいた。




