百五十二話 不運
思えばあの時欲をかいてから運に見放されてしまったような気がする。
男は荷台に載せたままに任せている衣服や武具を見ては
鬱屈した表情でため息をついていた。
その男はどこにでもいる商人であった。
山奥にある狸人族の村から伝手も無いまま王都に出て、
十年近くずっと王都で羽振りのいい商人達の小間使いばかりを続け、
昨年遂に自分だけの馬車を手に入れたばかりだった。
それからは王都で買った雑貨品の類を近隣国に売り歩くのを
主な商いとしており、その稼ぎも自分一人食っていく分には
十分といえる程度には大きくなっていた。
今回の旅も装飾品を幾つかに食器の類を仕入れておいた。
たとえ中古であっても王都で使われていた品は
高く売れるのが常であったから、利益は十分見込める筈だった。
(それが……賊が大暴れしているとかで何日も足止めを食らった……)
山城国から関所を通ってしばらくしての事だ。
何やら丹波国の至る所で賊が跋扈していると役人に言われ、
足止めを余儀なくされた。
つまりは旅費が嵩むという事であり、それは当然利益を圧迫し、
ともすれば足が出てしまう。
そんな焦燥感に煽られながら数日。
ようやく賊が退治されたという事で西方への旅を再開し、
その旅路の途中で拾ったのがその衣服や武具だ。
今はしっかりと洗ってあるからか、多少のしみが目立つ程度で
全体的には小綺麗に見えはするが、
拾った当初はそれはもう血に染まって酷い有様であった。
最初は話に聞く賊にやられた旅人か何かだと思った。
だがそれにしては上物の衣服や武具がそのままになっているし、
何よりもただの賊の襲撃にしては凄惨に過ぎた。
(普通ならこんな曰く付きの代物に手を出す事は無いんだが、
しかし……今回は嵩んだ出費を取り返そうと欲をかいてしまった)
そうして残った死体から引っぺがした衣服や武具を
荷台に載せて旅を再開した。多少後ろめたくはあったが、
男とて食べていかねばならず、そうなると金は色々と入用だった。
だが……そこから男の運勢はさらに坂を転がり落ちるかの如く
悪くなっていく。
まず、いきなり厳つい鬼人族の偉丈夫に
血の匂いを嗅ぎ付けられて無理矢理馬車を止められたのだ。
その止め方というのがもう恐ろしかった。
馬車を引く馬に走って追いつくといきなりその首根っこを押さえ、
その足を止めてしまったのだ。
(あの時は肝が冷えた……。
あんな恐ろしげな怪力男、誰がどう見たって賊だと思うだろう)
結局その鬼人族は賊の類ではなかったから命を拾いはしたものの、
その後追ってきた鬼人族の少年に血濡れの拾い物について
色々と調べられる事となった。
……罪にはならぬと知ってはいたが、
それでも後ろめたさの残る戦利品についての詰問に、
それはもう心が痛む思いをした。
ただそれでも、怪力の鬼人族は見かけよりは理性的であり、
少年の方も物分かりは良いようであったから、
何を咎められる事もなく速やかに開放してくれた。
(やはり金の為とはいえ意に沿わぬ事はすべきではなかった。
こんな武具など捨て置いて、あの場を立ち去ればよかった……。
いやでも、本当に……殺されなくて良かった)
そう安堵したのも束の間、
その後に訪れた村で再度足止めを食らう事となる。
何やら昔話に出てくるような大悪人、
『山嶽王』が暴れているという噂が流れていて
どうにも旅を続ける雰囲気じゃなくなっていたのだ。
再度の嵩む旅費に頭を抱える事となったが、
ここまで不運が続くとなるともう商売を続けるどころの話じゃない。
もういっそ今回は商売を諦めて、
しばらく王都に引っ込もうかと考えていた時である。
これまた昔話でしか聞いた事のない種族と会遇した。
その種族とは鳥人族。未だ魔王に服従せずに山奥に隠れ住む
偏屈な種族と聞いていたが、その鳥人族の少年が人を探しにやってきたのだ。
少年は羽膳と名乗り、嘘か真か自分を幕府の役人だと言った。
そしてその探し人が、どうやら先の話に出てきた鬼人族の二人組だという。
そう……以前自分の積み荷を嗅ぎ付けて、
色々と聞いて回ってきたあの厳つい鬼人族と少年の二人組だ。
そういう事ならと情報を提供した。
ただでさえ色々と調べられると困る物が荷台に残っているのだ。
幕府の役人を名乗るような者には、たとえ少年であったとしても
心象だけは良くしておきたかったのだ。
「……死者の遺品をさらうのは罪とは言わんが程々にな」
だがそれが少年の捨て台詞であった。
少年は男の卑しい所業を全て見抜いていたのだろう。
そうと知った男は荷台に残る心労の元凶を
すぐにでも放り投げてしまいたい思いに駆られた。
(……もう、この武具は新坂に着いたら二束三文で売り払ってしまおう。
いや……あの羽膳という少年の物言いだと、
どうやら新坂にゆかりのある者の遺品らしいし、
いっそ遺族を探して引き取ってもらおうか……)
そうすれば今の落ちに落ちた運勢も上向くのではないだろうか。
そう思いながら西の空を眺め、ふと荷台を見てはため息をつく。
それが今の男の日常となっていた。
そうしてとある村で腐っていた男に再度の転機が訪れる。
「すまぬ……! 今から書を認める。
それを今すぐ新坂の衛蒼様に届けて欲しい!
至急……とにかく、大急ぎでだ!」
羽膳だ。別れてから数刻と経たぬ内に再度男の下に訪れたのだ。
「え……いや、そう言われましても、
今は『山嶽王』がどこかに潜んでいるとか……」
「その問題は無い! 『山嶽王』は別の場所で見つかった!
だからすぐに幕府管領、衛蒼様を呼んで欲しいのだ!」
『山嶽王』討伐の片棒を担がされるなど
一介の商人には荷が勝ちすぎている。
金にならんだろうし、それ以上に命の保証など全く無いからだ。
だからと断りたくはあったのだが、
羽膳の剣幕はそれが許されるような雰囲気でもない。
結局、男は半分泣き出すような体でその頼みを引き受けたのだった。
(遺品漁りなど……二度とするものかぁ!)
狸人族の男は、そうして自分の不運を嘆く。
これから新坂まで行くとして、その旅路が安全である保障は無いのだ。
いや、もし新坂まで辿り着けたとして、
その新坂が安全である保障もまた無い。
普通ならば半日ほどしかかからない旅路の筈が、
その半日が途方もなく長い時間だと今の男には思えてならなかった。
羽膳としても市井の者を巻き込む事を本意としてはいなかったが、
今回ばかりは仕方がないと諦めるしかない。
ただそうは言うが、申し訳なく思う気持ちが湧いてきてしまうのもまた、
仕方がなかった。
(流石に……無理を言ってしまったか?)
立ち寄った村に偶々面識のあった旅人がいたので、
その男に新坂への使者の任を託した。
男は流石に嫌そうな表情ではあったが、
断る事も出来ないと踏んだか泣く泣く承諾していた。
あれからすぐにでも護衛を雇って新坂へと急ぐというが、
だとしても衛蒼が羽膳の下に辿り着くのは早くても二日、だろうか。
(まさか、あの二人が二日間ずっと戦い続けるという事は……
ないだろうが……)
本当にないのだろうか?
あの二人ならば二日程度は戦い続けるのではないのか。
そんな不穏な予感に肝を冷やしもしたが、いざ戦場へと戻ってみれば
そこは不思議なほどに静かだった。
壮絶な戦いの痕と思わしきへし折られた木々、
地面は所々えぐられていたり隆起していたりで
二人の強大な力の持ち主が激突した直後であることが窺える。
だが……それにしては静か。
まるで全てが終わって世界に平和が戻ってきたかのような
和やかな風が漂っているようにすら思えるのだ。
(戦いは……終わってしまった?)
もしくは中断でもしてるのか……どちらにしろ、予想外と言うしかない。
そして、そうなると羽膳としては困ってしまう事になる。
(あ、あの二人を見失っては……不味い。
生きているとすれば居場所を、死んでいるとすれば遺体ぐらいは
探し当てておかねば……!)
衛蒼を呼んだはいいが『山嶽王』も『同族殺し』も取り逃がしました、
では流石に無能と謗られても言い訳もできない。
いや、衛蒼がそうは言いはしないだろうが、
羽膳自身の誇りがそれを許さない。
探さねば……そう思い慌てて上空から辺りを見渡すと、
山腹に一際目立つ黒い突起があるのに気づく。
それはどうやら土……というよりも泥が積もっているように見えたが、
一体如何なる所以で出来上がったものだろうか。
(いや……あの二人の戦いの後だ。
何が残っていても不思議なものか……!)
この場にはもう何があっても不思議ではないのだ、
そう意識を改めてその泥の山をじっと見つめる。
(山の近くに動いているものが……ある!
あれは……子供か? 逆徒の率いているという、子供達……)
ふと脳裏に界武の姿が映る。
羽膳にはまるで理解が及ばないが、
界武はああいった子供達を庇うように羽膳を一騎打ちへと引きずり込んだ。
そうしてあの廃砦で拳を交えたのだ。
(であれば、あの近くに界武の奴もいるのでは……ないのか?)
まだ不用意に近付くのは危険だと感じた羽膳は、
しばらく遠く離れた上空から目を凝らし続ける。
そこで……見つけた。
羽膳は真っ先にその少年を見つけた。
忘れる筈がない、そんな事が出来る筈がない。
たとえ遠く離れ、小粒のようにしか見えなかったとしてもだ、
その姿を羽膳が見間違える筈がない。
(いた……界武だ! 見つけたぞ……!)
流石に何をしているのかまでははっきりとは見えない。
何やら誰かと口論をしているように見えるが、
その誰かが……よく分からない。
(こう遠くからでは……少し、近づいてみるか?)
そう思いはするが、羽膳を徹底的に打ちのめした挙句、
命も取らず……恐らくは治療までして去っていった『同族殺し』、
その男がこの場にいるかもしれないと思うと、
どうしても近づくのは躊躇われた。
(というか……界武の近くにいるあの赤い頭、
多分……『同族殺し』だな)
見つけた。羽膳が所在を確認すべき三名の内の
二人までもがすぐに見つかった。これは僥倖と言える。
しかし、あの二人はいつも一緒にいるのだろうか。
羽膳はふと考える。
(……もしかしたら、界武は『同族殺し』の歳の離れた
弟だったりするのだろうか)
そんな重要なのかどうでもいいのかもよく分からない疑惑が浮かび上がる。
その疑惑の真相を探るのもいいが、それよりも先にする事がある。
そう思って界武が口論している人影の方に視線を移す。
(大きい……な。遠目からも『同族殺し』よりも更に大きく見える。
とすれば……もしや、あれが『山嶽王』の……強大化する前の姿か?)
だとすればここで一体何が起きているのだろうか。
『山嶽王』と『同族殺し』の戦いは羽膳がここに戻ってくる前には
終わっていたのだろう。それはいい。
だが……その結果戦っていた両名が共に健在で……
更にどうして『山嶽王』と界武が口論する事になるのだろう。
(界武……お前はどうしてそう訳の分からない事をする!?
お前が俺の前に現れてから、お前の事を考えぬ日は無いというのに、
どうして俺はこうもお前の考えも行動も予測が出来ないんだ……!?)
恐らく羽膳の眼下では、
あの界武がまたも思いもよらぬ事をしているに違いないのだ。
そうと知って羽膳が感じるのは、苛立ちというよりも悔しさであった。




