百五十話 御武運を!
俺が『山嶽王』を生かしたいと思った理由は、至極単純なものだ。
単に、『山嶽王』の為にとありとあらゆるものを犠牲にしてきた……
そんな人達の努力が少しだけでも報われて欲しいと思っただけのこと。
俺自身これが珍しいだなんて考えちゃいない。
どちらかというと同情とか共感とか、そんなありふれた感情から出たものだ。
「そんな戯言を……どう信じろというのだ!?」
だというのに、それを聞いた『山嶽王』の第一声はこうだった。
「俺の話のどこがどう信じられないってんだ、『山嶽王』」
「……逆に聞くが、どうして信じられると思ったのだ?」
どうやら俺と『山嶽王』の間にはまだ、相互理解を遮る大きな壁があるようだ。
そうは言っても出来る事は全てやった俺だから、
今更何か理屈を捏ねる気もなく……
後はもう、勢いで押し切るぐらいの気持ちだった。
「今俺の言った事のどこに変な事がある?
まずだ、『山嶽王』……アンタの服従印は鹿野戸さんっていう拘束魔術師に
いじられた……そこまではいいよな?」
「ああ……もうそれはいいわ」
「え? いいって……どういう事だよ?」
「あの拘束魔術師が私に何をしたのかはよく分からん。
だが正直胡散臭い奴ではあったからな……
お前が言うような事をしたかもしれん」
「じゃあ……偽りの記憶を植え付けられたと認めるのか?」
「そうではない。その拘束魔術師が胡散臭かったからと言って、
お前が綺麗に見える訳ではない。むしろそれ以上に胡散臭いわ」
「ああ……そうかい」
つまりは、『山嶽王』は自身の記憶に疑問を持ち始めはしたのだが、
かといって俺の言う事も信じられない、という状態らしい。
(まあ……最初よりはそれなりに前進した、よなぁ)
そういう事にしておこうと思う。
「まあいいや。じゃあ次は……アンタが魔王って呼んでる石英さん、
あの人が本当はアンタの玄孫だっていうのはどうだ?
それも信じられないか?」
「……私が知るのは孫までだ。そこからさらに曾孫、
玄孫と言われてもどうして信じられる?」
『山嶽王』はちらりと石英さんを見るものの、
その視線に肉親の情らしきものは籠められてはいない。
「いや、よしんばあれが私の玄孫だったとしよう。
そうだとしてもだ、その玄孫の為に何故人間のお前が心を砕くのだ?」
「何故って……別に、そんなに大した事はしちゃいねぇよ」
「事の大小の問題ではない。
人間であるお前のどこにそこまでする義理がある?」
この『山嶽王』の物言いから察するに、
俺の言葉を多少は信じてきてるんだろうけど、
人間そのものに対する不信は全く払拭出来ていないらしい。
俺は正直、それにちょっとイライラし始めていた。
今までも人間でいて得をした、という事は皆無に違いなかったが、
それがこんな時にまで邪魔してくるんだ。
「……じゃあさ、『山嶽王』。
俺がもし人間じゃなかったら……
俺の言う事も信じてくれるっていうのか?」
だからもう、俺はそのイライラをぶつけるようにそう言い放った。
「もしも何も、お前は人間ではないか」
「いや、そうだけどさ……
それでもさ、もし俺が本当に鬼人族だったなら、
そんな疑問は持たなかったんじゃないのか?」
俺はそう言って角付きの額当てを撫でる。
最早そこにあるのが当たり前になりつつある額当て、
それを撫でるともう窮屈さよりも安心感が先に出てきてしまっている。
「……人間は騙し討ちも得意だったからな。
そうやって味方と偽って我等を誑かす事も……」
「騙す気は無いんだって!
だからちゃんと答えてくれ。俺が魔族だったなら……
それなら、信じてくれるって言うんだな!?」
言葉を遮られた事を不遜とでも思ったんだろうか。
苛立つ『山嶽王』の燃え立つような視線に
首筋が火傷したかのようにヒリヒリと痛み出す。
だがその痛みよりもまだイライラが勝っている。
だから俺は止まったりしない。
「この角が! 本当に俺のものだったのなら……
石英さんが玄孫だって認めるんだな!?」
「分かった分かった……それでいいわ」
「言ったな……?」
何故か俺はこれで勝ったと思った。
だから零れ出る笑みを抑えきれないまま両手を広げこう言った。
「じゃあ俺は今から魔族だ。
この角だって自前だから……鬼人族だ」
何を馬鹿な事を……。『山嶽王』はそんな表情をしていた。
多分……石英さんや、その傍で見ていた子供達とて同じだったに違いない。
「ふざけた事を……」
「ふざけた? どうしてそう思うんだ、『山嶽王』?」
「……お前は人間ではないか」
「そりゃ人間なんだろうけどさ。
人間が魔族を名乗っちゃ駄目だ、なんて誰が決めたんだ?
人間が鬼人族になっちゃ駄目だとアンタが決めたのか!?」
「……私ではない」
「じゃあ別にいいだろうが!
王と呼ばれた程のアンタだろう!?
それがどうして他の誰が決めたかも分からない決まりに従うんだ!?」
「……」
俺の言葉に思うところがあったのか、それとも呆れ果ててしまったのか……
とにかく、ここでは『山嶽王』は反論を止め、
ただ俺の言う事を興味深げに聞いていた。
「そもそも俺の周りは月陽とかを除いて皆魔族だったんだよ!
魔族と一緒に生きてきたんだ!
だったら……人間だとしたって魔族を名乗っていいじゃねぇか!?
……どうなんだ、『山嶽王』!?」
「……変な人間のガキだ」
「変で結構だよ!
いや……ちょっと待ってくれ、
『山嶽王』、アンタは今俺を変だって言ったな!?」
「言った」
「だろう!? アンタは今俺を人間にしては変だ……そう言ったんだ!」
そこで『山嶽王』は俺が何を指摘しているのか気付いたか、
目を大きく見開いた。
そしてその視線には……もう敵意など籠ってはいなかった。
「……ああ、確かにそうだな」
「だよな!? つまりアンタは俺が人間らしからぬ存在だと認めたんだよ!
だったら……人間らしからぬ俺が魔族を……鬼人族を名乗っても、
別に不思議でも何でもないだろう!?」
そう言われて、『山嶽王』は大きく見開いたその眼を閉じた。
そして……小さく噴き出すように笑った。
「……稚拙な論理だ」
笑顔のままの『山嶽王』がそう言う。
「……悪いかよ」
「良くはないな。だが……それ故に、お前の言葉に嘘は無い。
今の言葉に嘘を混ぜられるほど……賢しくもない」
ここまで言われると、流石の俺も気が付いている。
『山嶽王』は俺を煽ってるんじゃなくて……
俺を信じてもいいと、そう言ったんだ。
「つまり……石英よ。
お前は……いや、お前達は私などの為にまたも反逆を企てた、
そういう事なのだな?」
「はい……そう、です……。
ですが『山嶽王』様、私達は自ら望んでそうしたのです。
一度でも『山嶽王』様が戦士として戦えるならと……」
「そうか……分かった」
さすがにもう涙を流しはしなかったが、
石英さんは『山嶽王』から話しかけられる度、
それはそれは嬉しそうに微笑んでくれていた。
……あれから改めて事のあらましを俺から聞いた『山嶽王』は、
ああやって石英さんとずっと話し続けていた。
この家族の団欒に水を差そうなんて考える不届き者は
この場に一人もいなかったからか、
俺達は二人から少し離れた場所で会話が聞こえないふりをしていた。
「……ねえ、界武くん?」
「どうした、月陽?」
「これで……全部良くなったんだよね?」
その月陽の言葉に俺は少し考えこむが、
ひとまずは月陽を安心させようと考えてこう言った。
「鹿野戸さんの事はとにかくとして……
巨人族の件は、これで全部いい所に収まったと思うよ」
そう、まだ反乱の首魁に手が届いてはいなかったけど……
それでも、一つの事を俺達は成し遂げたんだと。
「……そっかぁ」
頷いた月陽は嬉しそうに笑う。
俺としてもここで嬉しいと思えない程冷めていたりはしない。
鹿野戸さんの反逆に巻き込まれてからずっと、
負けたり出し抜かれたりを続けてきた俺達がようやく掴んだ勝ち星だ。
手ごたえがあった。これを続けていけば……
そうしたら、いつかもう一度鹿野戸さんの前に立つ事が出来ると。
「では石英よ。岩童という私のもう一人の玄孫……
そして、里の者達にも伝えて欲しい。この『山嶽王』の感謝の言葉を」
「はい……皆も、これで報われると……思います!」
そんな、石英さんの一際大きな声が聞こえてきた。
……どうやらそれで『山嶽王』と石英さんの会話は一段落ついたらしい。
両名共に穏やかな笑みを湛えている所からもそれが窺える。
「では……そうだな」
ゆらりと立ち上がった『山嶽王』が、今度は俺達の下に近づいてきている。
さて一体何の用事かと眺めていたが、
その視線が俺ではなく遠鬼の方に向いていたから少し変だと思った。
(『山嶽王』は……今更遠鬼に何の用事が……って、
まさかまた自分を殺せ、とか言い出さないだろうな……)
折角これで全てがいい感じに収まろうとしてるんだ。
だというのにここでまた禍根を残しかねない事を仕出かさないで欲しい。
そんな思いで警戒しながら遠鬼と『山嶽王』の二人を見つめる。
「先程は……無様な戦いをしてしまったな、『同族殺し』。
それとも……遠鬼と呼ぶ方がよいか?」
「呼び方はどうでもいい。
そして……無様だったのはお互い様だ」
「そうか……?」
「そうだ。俺はお前のもう一つの戦い方を引き出せなかった」
遠鬼としても悔いの残る戦いだったからか、
勝ったというのに自分が敗者だと言わんばかりの不貞腐れっぷりだった。
「もう一つの……戦い方か」
そこで『山嶽王』は俺に……そして石英さんの方へと視線を移し、
そしてまた遠鬼を見やる。
「では『同族殺し』よ。
互いの無様を払拭するために一つ提案がある」
「何だ?」
「もう一度……私と戦ってほしい」
「え……!?」
それが、思わず出てきた俺の言葉だ。
何故だ、何故そういう話になる。
そもそも遠鬼にはもう戦意が無いし、
『山嶽王』に至っては魔力の一欠片も残っちゃいないだろうに。
「戦いから逃げる気は無いが……『山嶽王』よ。
その身体でどう戦うというのだ?」
流石の戦闘狂もここは俺の意図を汲んでくれた。
そう……遠鬼の言う通り、『山嶽王』は月陽が応急処置を済ませた程度の状態だ。
戦うどころか……明日死んでいたっておかしくもない。
「どう戦うかの問題ではないのだ。
我が同胞に残すべき最後の戦いがあれでは……
我が玄孫、石英に申し訳が立たん。それに……」
「それに?」
「お前には悪いが……
今の私はな、誰にも負ける気がせんのだ。
魔力の有無など問題ではなかったようでなぁ、
どうやら今が、私にとって最高の状態らしいのだ……!」
笑っている。『山嶽王』が戦鬼の笑みを湛えている……!
(ああ……駄目だ。あんな笑顔を見せられたら……)
遠鬼を見れば、やはり予感が当たっている。
遠鬼もまた……嬉しそうに笑っていたんだ。
「石英よ!」
「は……はい、『山嶽王』様!」
急にかけられたその声に、石英さんが驚きつつも駆けてくる。
「もう一度命令が欲しい。
この男と戦えと……『山嶽王』たる所以を示せと!」
「で……ですが、私は魔王ではありません。
ですからそんな命令は……」
効果がないのだと、そう言おうとした石英さんに『山嶽王』は笑って言った。
「何を言うか! 私はお前の声援が欲しいのだ!
さあ頼む、石英……我が玄孫よ!」
「はっ……はいっ!」
それを聞いて石英さんも満面の笑みだ。
(何故……そこで笑えるんだ?)
この辺の感覚は、やっぱりまだ俺は分からない。
でも……慣れていかなきゃいけないんだろう。
魔族を……鬼人族を名乗った以上は、いつかは……。
「『山嶽王』様……最後の戦い……どうか、御武運を!」
そして始まった二度目の勝負を、俺は生涯忘れないだろう。
事実、俺はそれから事ある毎にこの戦いを思い返す事になる。
俺が目指すべき戦いの……その理想の形として。




