十五話 自己嫌悪
野盗の獣人達と老人の声はひた走る俺の下にも届くが、
何を言っているのかまではよく分からない。
彼等は少しの言い争いの後、獣人達は棍棒を構え、
老人はすっくりと立ち上がった。
老人の腰には長い棒らしきものが二本ぶら下がっており、
その内の一本を手に取り、何かを引っ張り出した。
記憶にあるもので一番近いのは、遠鬼が猪の皮を剥ぐのに使っていた小刀だが、
それに比べると長すぎる。その長刀と呼ぶべき物が陽を反射し閃いたのと同時に、
獣人三人が一斉に老人に襲い掛かった。
(まずい、間に合わなかった!)
血潮が飛び散り、腕が吹き飛び、胴が断たれた。
瞬きよりも短いかもしれないそのほんの一瞬で、三人の獣人が、老人に殺された。
(あ……あれ?)
凄惨な情景は予想していたが、加害者と被害者が逆だ。
獣人達も面食らったのだろう。怯んだのか後続の襲撃がない。
そしてその隙を見逃すはずもなく、老人の刀が更に二人の首を刎ね飛ばした。
とても敵わないと見たのか、獣人の一人が標的を老人から少女に変えた。
老人が他の獣人を牽制してる間に、荷台に向かって走る。
だがその獣人の足に、何とか俺の魔術の腕が届いた。
「届いてしまえばっ!」
荷台に乗り上げていた獣人の足を掴んで思いっきり引っ張り下ろす。
獣人の手が娘に届かず空を切り、ずり落ちた拍子に荷台の側板に胸を打ちつけた。
胸の痛みからかうずくまる獣人の足を魔術の腕が更に引き、俺の体を加速させる。
(速度は得た。後は……重さっ!)
馬車の荷台へ後五歩程の距離、魔術の腕を二本地に叩きつけ、
反動で大きく跳躍する。原始魔術に重さが無い以上、自重を使って重さを稼ぐ。
うずくまる獣人の後頭部、その急所を思い切り踏み潰した。
(まずは一人……次は!?)
少女の後ろに獣人が見えた。右手には棍棒を持ち、
左手は少女の襟首を掴まんと迫っていた。
「しまっ……!」
もう一人、反対側からも獣人が来ていたんだ。
ここからだと少女が邪魔で決定打を放つ事も難しい。
それならせめて少女の方を引っ張り寄せようと半透明の腕を伸ばす。
届くか……届かないか! 先に襟首を掴まれ引っ張られてはどうしようもないと、
懸命に伸ばしたその腕は……少女に届かなかった。
というか、少女はまた別の誰かに抱えられ宙を舞っていた。
俺も、反対側の獣人も呆気にとられたその三人目は……
見覚えのある浅黒い肌の大男だった。
遠鬼だ。獣人に拉致される前に先手を打って少女を小脇に抱え、
そのまま後ろに大きく跳んだんだ。その行為の意図はやっぱり分からないが、
そんな事、今はどうだっていい。
跳んで離れる少女を目で追う獣人。その隙だらけの顎に向けて、
左手に乗せた魔術の拳を打ち放った。
「……お前、野盗には手を出さないんじゃなかったのか?」
怪訝な視線を遠鬼に向ける。
「手は出してない。この小娘を避難させただけだ」
俺は遠鬼の小脇に抱えられて手足をぶらつかせている少女を見る。
少女は状況がよく分かってないようで、ぽかんとした可愛い顔を晒している。
……なんか、一番いい所を取られた気がする。
「お前がそんな事しなくたって、俺の魔術が先に届いてた」
「そうか」
俺の不服もどこ吹く風だ。あからさまに聞き流している。
普段ならその態度でもう少し怒りが増すところだが……少女がこっちを見ていた。
あの紅い眼。不吉なほどに紅く、諦めに染まった空虚だったはずの瞳が、
今は歳相応のあどけなさに加えて好奇心の火が灯っているかのように輝いている。
それなのに一言だって言葉を発しないのは……驚いているからだろうか?
(そうだ、この子にも言っておきたい事があったんだ)
「お前も……お前だ」
八つ当たりっぽくならないよう、努めて優し気な口調で話す。
あの諦めたような眼。食べられる運命を享受して
魔族の御機嫌取りをするかのような儚い笑顔。
あんな眼を、表情をして欲しくなかったから、俺は言葉を続けた。
「あいつらはただの野盗だ。殴り倒していいんだ。
されるがままにしている必要なんてない。
ちょっとぐらい……抵抗してみても……」
それ以上は言葉が出なかった。出せなかった。見えてしまったからだ……
少女の後ろ首に刻まれた赤い印が。それは後ろ首だけに収まらず、
全体像が白い薄手の着物から透けて見えていた。
それはあたかも少女の首筋から始まり、
背骨に沿って伸びる幹から枝を広げる大樹のようで……。
そのあまりの大きさと禍々しさに、俺は言葉を失った。
(服従印……この大きさの!?)
何故ここまで大きなものが刻まれてるのかまでは分からない。
だけど……俺にだって分かる。この俺より少し幼いように見える少女は、
この痛々しい背中の印に縛られて今まで生きてきたんだ。
それはきっと、あんな眼になるまでに何もかもを諦めざるを得なかった、
悲痛な人生ではなかったのだろうか。
「……ごめんな、勝手な事言って」
遠鬼に向けられた怒り、少女の諦めへ向けた苛立ち……
その全てが、自己嫌悪となって俺の下に返ってきていた。
たまらず少女から目を背けて辺りを見渡す。
するとそこには、俺が倒した二人の獣人に淡々と止めを刺す老人がいた。
「助かりました……。いや、見事な手並みでしたよ少年」
笑いながらそう言った老人、その手に持つ長刀は血に塗れて赤く輝いていた。




