百四十九話 偽りの記憶
『山嶽王』は悪名高き無双の戦士だったが……それとて四十年以上昔の話だ。
鹿野戸さんが出会った時には服従印で魔術を失い、
老いた身体は衰え、頭は呆けてしまっていて
ただ過去を思い出しては泣くだけの老人となっていた。
そんな老人をだ、全幅の信頼を置けるような戦力と考える鹿野戸さんじゃない。
だから鹿野戸さんは服従印を書き換えた。
まずは魔術を使えるようにと……そしてその結果、
意図したかどうかは分からないが『山嶽王』の身体の衰えも解決した。
(巨大化した時の『山嶽王』……あれは、とんでもない体躯をしてたからなぁ)
今眼前に立つ『山嶽王』は細く老いさばらえた身体をしているが、
巨大化の魔術を使っていた時は遠鬼に負けず劣らずの太い四肢をしていた。
多分、あれが全盛期の『山嶽王』の姿なんだろう。
あの姿で戦えるのならば、今から体を鍛え直す必要なんてない筈だ。
とにかく、これで『山嶽王』を駒として扱う際に問題となる二点が解決した。
となれば、鹿野戸さんは残るもう一点も解決しようとした筈だ。
そしてそれは事実解決しているように見える。
(今の『山嶽王』は……記憶が怪しい所はあるけど、
反乱に負けた記憶を思い出しては泣いて暮らした老人の面影なんて
全く無い……)
王としての威厳とそれに相応しい実力を備えているように、俺には見えたんだ。
(それなら……そうさせるだけの記憶、認識操作の細工を
鹿野戸さんは『山嶽王』に施したんだ……!)
「なあ……『山嶽王』」
「何だ……ようやく決まったのか?」
「ああ、決まった。後一回の……質問」
そして、今一度俺は『山嶽王』の瞳をまざまざと見る。
迫力がある……これは、その意志の強さ故のものか。
その類まれな意志を以て巨大化の魔術を編み出した『山嶽王』は、
古き魔族としてか、それとも戦士としての矜持からか魔王に反逆し、
それからずっと同胞と共に戦い続け……
全てを失った後も石英さんや岩童といった新たな同胞に慕われ続けた。
(俺が……これぐらいの歳まで生きていられたとして、
こんなに誰かに慕われるような老人に……なれるんだろうか?)
分からないけれど、それはとても難しい事のように思えた。
だから……俺はせめて、『山嶽王』がどんな悪人であったとしても、
敬意だけは忘れないようにしないといけないと……そう思った。
「なぁ、『山嶽王』……アンタ、ずっと昔に反乱を起こしたんだよな」
「……その問いに答えればいいのか?」
「いや違うんだ。これは質問じゃない、だから聞き流してもいいよ。
……それでさ『山嶽王』、アンタはその戦いに負けて、
その身体全体に服従印を刻まれた」
その全身に刻まれた奇怪な模様の印。
それが『山嶽王』が戦いに敗れた証。
だからこればっかりは……呆けたとしても忘れる事は出来なかったんだろう。
「……私を、愚弄したいのか?」
怒りを露わにする『山嶽王』。王を名乗る自分が負けた、
というのは拭い難き失態としてその記憶の中に残っている。
そう、そこが違和感の元だった。
『山嶽王』は魔王と誤認している石英さんへの応対が穏やかだったんだ。
如何に服従印があるとはいえ、
負けた過去を指摘しただけでこうも怒るのであれば、
当然自身を負かした陣営の長であった魔王に怒号の一つも飛ばしていい筈なのに。
「違うよ。本当にそんな気は全く無い。で……ここからが質問なんだ。
ちゃんと偽らずに答えてくれよ」
「誰が嘘などつくものか……いいから言え!」
「ああ、ありがとう。
じゃあ聞くけどさ……その反乱、
アンタはその過程で油断したとかで負けたのかもしれないけどさ。
反乱全体としてはどうだったんだ?
最終的にはその反乱……どういう風に終わったんだ?
失敗したのか……それとも、成功したのか」
「……そんな事を聞きたかったのか?」
「そう、そんな事を聞きたかったんだ。ちゃんと答えてくれ」
「当たり前の話ではないか。何故そんな事を聞くのだ?
……まあいい、答えてやる」
そして、『山嶽王』は何の迷いもない瞳のまま言った。
「私個人は確かに負けた。だがな……我が同胞達は何者にも劣る事はないのだ。
反乱軍は勝利し、そして私は仲間に救出された。
だが、負けた時に刻まれたこの服従印が災いし
それからはずっと隠居の身だがな」
忌々しそうに……
そして、少し悲しそうに身体に刻まれた服従印を撫でる『山嶽王』。
その脳裏にはどのような記憶が浮かび上がっているんだろうか。
そして……その記憶の、どこまでが本当のもので、
どこまでが偽りのものなのか。
「えっ……!?」
俺はある程度予想していたこの答え、
石英さんには思いもよらないものだったらしい。
思わず上がったその声に、『山嶽王』は怪訝な眼差しを向ける。
「何を驚く、魔王よ。
我々は勝った……だから巨人族であるお前が魔王なのではないか」
「それは……」
石英さんは困惑したままで『山嶽王』の問いに答える事も出来ない。
(……やっぱり、鹿野戸さんは石英さんにも教えていなかったのか)
その理由、本当の所は分からないけれど、何となく察する事は出来る。
鹿野戸さんが植え付けた偽りの記憶……反乱が勝利に終わったという幻想は、
石英さんに岩童といった、反乱に負けた後に会った同胞達と紡いだ絆を
完全に否定するものだ。
そして『山嶽王』がこの幻想に縋ろうとすればするほど、
その僅かに残る記憶の中からも
石英さんのような玄孫達の存在を消していく事になる……。
(だから鹿野戸さんは石英さんには何も知らせなかった。
多分……記憶の混濁があるから過去の事はあまり語らないように、
程度のあいまいな注意をするに留めたんだろう)
そうして、鹿野戸さんが望む強力な駒としての『山嶽王』が作られた。
かつての反乱で敗北はしたがその誇りと尊厳の全てを失う事はなく、
同胞を守る王としての威厳を保ったままその力を振るう戦士が。
服従印を刻まれてしまった影響で魔王に命じられるままに
戦う事しか出来ない筈の『山嶽王』が、
それでも戦意を失わずにいられたのも全て、この幻想に囚われていたからだ。
「石英さん、本当の事を言っていいよ……言ってくれよ」
「……界武、さん」
石英さんはそうやって俺の名前を呟いたのみで、口を閉ざしてしまった。
今この場で起こってる事の全てを悟った訳じゃあないと思うけど、
それでも本当の事を言ってしまえば
『山嶽王』の全てが壊れてしまうという予感でもあったのか。
「じゃあ……遠鬼、お前に聞くよ」
「……反乱の話か?」
「ああそうだ。お前が殺したっていう『悪鬼王』もいたんだろ?
その反乱の後……『悪鬼王』はどうなったんだ?」
「反乱は鎮圧された。あの男も全身に服従印を刻まれ魔術の全てを奪われた」
「……何を、言っている?」
『山嶽王』はその遠鬼の言葉に明らかに動揺していた。
迷いなど微塵も無かった『山嶽王』の瞳が、
今は迷いと疑念に濁っているように見えた。
「じゃあ反乱の後、鬼人族はどうなったんだ?」
追い打ちをかけるように俺は遠鬼に問う。
「里の鬼人族は元服後の男と出産後の女の殆どが兵役を課され、
死ぬまで戦地を行ったり来たりだ」
「『同族殺し』……一体何を言っている!?
反乱は……我らの勝ちで終わったではないか!」
「『山嶽王』……何故そんな戯言を言うのだ?
そこまで耄碌したというなら教えてやるが、
お前達の起こした反乱は、全てが鎮圧されて終わったのだ」
「嘘を……言うなぁ!」
「俺は、嘘など言わん」
食って掛かろうとした『山嶽王』を、遠鬼は冷めた目で眺めている。
もう戦う相手としては全く期待していないんだろうか。
その冷え切った視線に議論の余地など無いと悟ったか、
『山嶽王』はもう一度石英さんに問いかける。
「魔王よ……では巨人族はどうなった!?
我が同胞達はどうなったと……いうのだっ!?」
あれほどの号泣から、とうに涙が枯れ果てたと思わしき石英さんの眼が、
何かを堪えるかのように揺らいでいる。
「……石英さん。言ってくれよ。
これはどうしても必要な事なんだ」
「……巨人族は元服後の全ての者が労役を課されました。
『山嶽王』様、私の両親……貴方の曾孫夫婦もその労役の事故で……」
「もういい!」
あれ程せがんだ石英さんの答えを、そう言って黙らせた。
それが『山嶽王』の望むものではなかったんだろう。
……それでも、もう十分自覚出来た筈だ。
自分が鹿野戸さんに何をされたのか……。
「『山嶽王』、アンタの服従印を書き換えた拘束魔術師はな、
今言われたようにアンタの記憶を書き換え、
認識を歪めるように細工したんだ!」
その理由は『山嶽王』を戦士として使えるようにする為、
というのが一番大きいんだろうけど、
多分……もう一つ鹿野戸さんらしいものがある。
(あの人は……その生き方が完全に反逆者としてのそれだ。
だからこそ……反逆に敗れ、その罰であるかのように
同胞が疲れ果て死んでいく様を見せられ続けた『山嶽王』を……
同じ反逆者として生きた先達を、どうにかしたかったんだ)
だから鹿野戸さんは『山嶽王』に勝利の幻想を与えた。
そして『山嶽王』は……その幻想に縋った。
それは自身の判断が齎した同胞の不幸を忘れたいが為だったのか。
それとも……。
「人間の……ガキがっ!
お前にどうしてそのような事が分かる!?」
『山嶽王』が今度は俺を見据えて脅すようにそう言った。
これは多分、『山嶽王』が初めて自分から俺に向かって投げた言葉。
人間の子供の言葉に聞くべき何かがあると認めた証に違いなかった。
「違うだろう『山嶽王』。
アンタが次に俺に聞くべきはそうじゃない筈だ」
「な……なんだと!?」
「さあ……ちゃんと聞いてくれ!
私を生かした理由を答えよ……そうだったよな、『山嶽王』!」
だからこそ、俺はここで言わなきゃならない。
何故俺が『山嶽王』を殺さないよう遠鬼に頼んだのか。
かつての反逆を起因とする巨人族を見舞った数々の不幸……。
その帰結には、せめて誰かが報われるべきだと……そう強く思ったからだと。




