百四十八話 後一回
以前……俺があの黒樹林の牧場から逃げ出した直後の事だ。
人間が魔族にとっての食糧でしかないと知らされて
酷く憤った事を未だに覚えてる。というか……忘れるなんて出来ないだろう。
ただ……俺がそれを聞いたその場にもう一人、人間の少年がいた筈だ。
そいつは俺と同じ事実を聞いた筈だけど、
それに驚くでもなく俺に牧場へ帰ろうと訴えていた。
(あいつは確か……出荷後の事とかを考えるのは許されてないと、
そう言ってたよな……)
どうしてそんな反応になるのかは分からないけれど、
とにかく服従印という奴はそういう風に作用するらしい。
特定の事柄については考える事も許さず、
それに関する事実を聞き及んだとしても認識を歪めてしまうんだと。
それなら……今の『山嶽王』に本当の事を伝えたとして、
それを一体どこまで理解してくれるんだろうか。
「じゃあまず……『山嶽王』!
あそこにお前が魔王と呼ぶ巨人族の女の人がいるよな!?」
まずは『山嶽王』の認識能力を確認したいと思った俺は、
『山嶽王』の大きな眼を睨み返しながら言った。
「それが私を生かす理由と何の関係がある!?」
「いいから……あれは誰だ? 名前を知っているか!?」
舌打ちをしてから、『山嶽王』は不承不承に答えた。
「……聞いた事はある」
「その名前は?」
「……セキエイ」
「その名前に思い当たる節はないか?
えっと……その、馴染みがあったりはしないか?」
「知らん」
(つまり……『山嶽王』は石英さんを魔王と認識してはいるが、
自分の玄孫だとは認識出来てはいないって事か)
この辺りは岩童や石英さんから聞き及んでいたから
そうだろうなとは思っていた。
ただ……そうなると、どうしても不可解としか思えない事があった。
「なぁ……『山嶽王』、おかしいと思わないのか?」
「何がだ?」
「まず……アンタは仮にも巨人族の王だったんだろう?
だってのに魔王になる程の同胞を知りもしないっていうのは変じゃないのか?」
『山嶽王』の同族に対する仲間意識は強固だ。
であればこんな当たり前の事に気が付かない筈が無い。
と思ったのだが……。
「私とて同胞全ての名を知っている訳ではない。
そういう事もあるだろう」
と投げやり気味に返された。
「え!? い……いや、もしそうだとしてもさ、
魔王になるってのはおかしいと……」
「巨人族が魔王になって何が問題だ?
他のどの種族がやるよりも相応しいではないか」
「……そ、そうか」
『山嶽王』にしてみれば、巨人族が魔王である事はむしろ当たり前、
という事になっているらしい。
(これ、服従印でそうさせられてるのか、
それとも『山嶽王』自体がそもそもこんな考え方なのか……
よく分からねぇなぁ)
ただ、今の答えには不思議と服従印で歪められた印象は無かった。
『山嶽王』自身が本当にそう思ってると考えてもいい気がする。
もしこの予測が当たっていたとしてもだ。
今の問いだけじゃそこまで多くの事が分かったという事もなく……。
『山嶽王』は魔王の存在に疑問を持っておらず、
巨人族が魔王である事も当然だと認識している。
だけどその魔王が自分の玄孫であるとは露程も思っていない。
精々そんな所だ。
(この状態で俺が石英さんはアンタの玄孫なんだ……
なんて言ったところで信じてもらえはしねぇよな)
元々何か妙案があってこの問答を始めた訳じゃなく、
本当にただ勢いのままに『山嶽王』の前に立っている俺だ。
だからこうなると早くも手詰まりの予感がしてきて頭を抱えそうになる。
(いや……とにかく情報を集めるんだ。
俺の言葉の信憑性を少しでも上げるために……何か……)
「えっと……じゃあ次はだな……」
「待て、人間のガキよ」
なおも問答を続けようとした俺を『山嶽王』が止めた。
「何だよ?」
「お前との問答を続ける気はない。
ただ私を生かした理由を答えよ。
それ以上の何もお前には求めていない」
「え……? い、いやでもそれは……!」
「続けるというのならもうどうでもいいわ。
お前など捨て置いて私自ら命を絶つ」
そう言って痩せ細った右腕を自分の頭に持っていこうとする
『山嶽王』を俺は無理矢理に止めた。
「止め……止めてくれ!
分かった……じゃあ後一回でいい!
あと一回だけ質問に答えてくれたら、
次はアンタを生かした理由を話す!
それでいいか!?」
『山嶽王』の右手が止まる。
「……後一回だな?」
「ああ、後一回だ!」
『山嶽王』はお喋りが嫌いな質らしい。
そんなくだらない冗談の一つも言いたくなる。
だけどこの反応から察するに、
人間の……しかも子供と対等に話すというのは
『山嶽王』のような古い魔族にとっては
死にも等しい拷問であるらしい。
それでも……かつての延老さんとの会話よりも
まだ不快にならないのは、
『山嶽王』から感じるのが蔑みではなく敵意であるせいか。
人間が大嫌いではあるんだろうが、
同時に敵として警戒もしているような感じだ。
(……とにかく、俺はこれで後たった一回の問答で
『山嶽王』からの信頼を勝ち取らなきゃならなくなったのか)
ここに来て『山嶽王』からの申し出で質問回数を縛られるというのは
理不尽な気がしないでもない。
だからと愚痴を言っている余裕は無いのも確かで……
とにかく、俺は考えなきゃならない。
この一問……俺は何を問えばいいのか。
(『山嶽王』の事……岩童の奴はなんて言ってたっけか)
そこで思い返したのは岩童から聞いた『山嶽王』の話だった。
確か……岩童から聞いた限りではこんな奴だった筈だ。
老いを感じさせない程に強いが、
服従印のせいでその力を大きく制限されている巨人族の老人。
ただ呆けてしまったらしく、最近の事は全部忘れて昔の事ばかりを語る。
それでいつも決まって最後は泣いてしまうらしい……。
(……何だよこれ。目の前の巨人との共通点って
老いを感じさせない程に強いって所だけじゃねぇか……)
岩童がいい加減な事を言っていたように思えてならない。
ならないが……多分それは逆だ。
石英さんの反応なんかも見るに、岩童が言っていた事は間違っちゃいない。
間違っているのは今の『山嶽王』なんだ。
じゃあ何故今の『山嶽王』は間違っているのか。
どうして岩童が語ったような老人ではなくなってしまったのか。
(……服従印だ。鹿野戸さんが石英さんを魔王と誤認させる為に
書き換えたっていう服従印、それが『山嶽王』をこう変えてしまったんだ!)
岩童が言うには、鹿野戸さんが服従印を書き換えた事で
『山嶽王』は石英さんの命令ならば、
自由に魔術が使えるようになったのだという。
だけど……ただ魔術が使えるようになっただけで
人はここまで変わってしまうんだろうか?
更にだ……ここで考えなきゃいけないのは、
あの鹿野戸さんが『山嶽王』の服従印に手を加えたという事実だ。
(鹿野戸さんは……魔族の事を同胞などとは勿論、
同じ人とも考えちゃいないような人で、
『山嶽王』を捨て駒にするのに何の躊躇いも持たない筈だ。
そんな鹿野戸さんだから……ただ泣くばかりの老人を手駒として
引っ張り出す際に、石英さんにも知らせずに
何かしらの細工をしていたとしても何の不思議もない……!)
恐らくは、鹿野戸さんは『山嶽王』の戦士としての能力を底上げする為に、
魔王を誤認させる以外の細工を施していた筈だ。
「……なんだ、まだ何も言わんのか。早くせい」
質問が後一つと決まってから黙って考え込んでいた俺を急かす『山嶽王』。
本当に俺を相手にするのが嫌でしょうがないらしい。
「……分かってるよ、後ちょっとだけ待ってくれよ」
そして俺は質問をする……『山嶽王』にではなく石英さんに。
「石英さん!
『山嶽王』は鹿野戸さんが服従印に細工したのを知っているのか!?」
その唐突な俺の質問に、石英さんは狼狽えながらもきちんと答えてくれた。
「は……はい。先生が服従印を書き換えて、
石英……私が今の魔王であるという説明をしておられました。
その時の事は……多分、『山嶽王』様も覚えておられる筈です」
その言葉を聞いて俺は視線を『山嶽王』に戻す。
「……何だ、あの拘束魔術師の事を知りたいのか?」
「違うよ。ただ石英さんに確認したかっただけだ。
……あ、ちなみに今のは後一回の奴じゃないからな。
石英さんに聞いただけだし、俺はアンタに何の質問もしちゃいない」
「……だったら早くせい!」
苛立つ『山嶽王』。
その苛立ちに任せて俺をぶん殴りでもしそうな形相ではあるが、
多分、そんな事はしないだろう。
遠鬼が言うには掟に従う古い魔族の戦士の筈だから、
俺のような弱い奴は戦いの相手になんかしないだろうし……。
(とはいえ、流石にもう一回石英さんに何かを聞くのも無理だろうなぁ。
……だけど、これで光明が見えた)
今の『山嶽王』は鹿野戸さんが服従印に施した細工のせいで、
何かしらの古い記憶、もしくは一般的な常識への認識の一部が歪められている。
(その事を正確に指摘出来れば……
それで、『山嶽王』が自分の考えに疑義を抱くような事があったとすればだ。
俺の言う事もある程度は信じてくれるんじゃ……ないだろうか?)
分の悪い賭けもいいところだ。
俺が鹿野戸さんの考えを正確に予測しその細工の内容を伝えたとしても、
『山嶽王』がそれを信じない可能性は高い。
『山嶽王』に刻まれた服従印が何か悪さをして、
その細工に対する認識を邪魔する事だって十分有り得る。
……だとしても、だとしてもだ。
俺には少し自信があった。
それは『山嶽王』が俺の事を信用してくれるだろうという自信じゃなく、
鹿野戸さんの考えを正確に予測する事が出来るだろうという自信だが。
初めて鹿野戸さんに会った時に感じた印象は間違いじゃない。
(鹿野戸さんは……もう一人の俺なんだ)
ならば、その考えを読むのは俺にとって簡単に違いなく、
実際、俺の脳裏には既に一つの考えが浮かび上がっていた。




