百四十五話 魔力だまり
「遠鬼……もうそっち行って大丈夫か?
月陽が治さないとってうるさくて……」
「うるさいって……!」
月陽が何か言いたそうだったが、
人差し指を口に当てひとまず言葉を制する。
「戦いはもう終わったんだろ?
お前の怪我も心配だし……行っていいよな!?」
未だ蠢く繭のような荊が気色悪くはあった。
でも確かにもう戦いは終わっている……
少なくとも俺にはそんな風に見えた。
「構わない」
伝説の巨人と一戦交えた後だというのに、
遠鬼の声色には戦いの後のほてりのようなものは無く、
いつもと変わらずの淡々としたものだった。
いや、遠鬼にとっては心躍る戦いではなかったのかもしれない。
その伏せた目には失望感のようなものが見えた気がした。
(遠鬼は……そういえば、『山嶽王』との戦いに
何を求めていたんだろう……?)
少なくとも今実際に行われたものじゃあなかったようで、
駆け寄った月陽が無理矢理に座らせて治療をし始めたというのに、
遠鬼はどこか上の空でいた。
「……『山嶽王』、これで死んだのか?」
遅れて歩み寄った俺の言葉に、遠鬼は自分の足元で蠢く荊を見る。
「まだ吸っている。だから生きている」
「え……死んだら、吸わなくなるのか?」
吸っているというのは……『山嶽王』から魔力を吸っている、
という事なんだろう。
そう思うと足元の太い荊の蔦がとんでもない危険物のように思えて、
俺はそれに触れないようにと迂回して遠鬼に近づいた。
「そうなる前に魔術は解く」
「あ、そう……」
遠鬼はどうやらまだ『山嶽王』を殺す気はないらしい。
しかし……そうなると、この魔術は『山嶽王』を殺さずに捕らえる為に
編み出したものなんだろうか。
「これ……なんて魔術なんだ?」
魔術に関しては、遠鬼は聞けばすんなり答えてくれる。
今回もその期待に甘えてみた。
「……巨人捕縛魔術。劣等感の魔力で生み出した巨大な魔力の荊。
ああ、劣等感……灰緑色の魔力は他者の魔力を吸い取る特徴がある。
これはその特徴を更に強化させて、巨人用に規模を大きくしたものだ」
遠鬼が魔力の霧を生み出すのに使うのも主にこの魔力らしい。
敵の魔力を吸い取って勝手に霧を維持してくれるので都合がいいそうだ。
「魔術って……こんな事も出来るのな」
この荊に形だけ似たような物なら俺の原始魔術で作れなくもない。
ただそれには当然魔力を吸うような力はないだろう。
そう思うと、こんな魔術を扱える遠鬼がちょっと羨ましい。
「……前にも言ったが、魔力は意志の力だ。
その意志が強ければお前も自ずと色々使えるようになる」
羨ましがっている俺の視線を感じでもしたのか、
遠鬼がそんな事を言った。
「ついでに言えばな、これは強そうに見えて使いづらい。
植物を模しているからな……発動には大量の土と水が必要になる。
ここが湧き水流れる場所で助かった」
「へえ……そんな縛りがあるのか」
「そうだ。基本的に大規模な魔術を使う場合は
それ相応の制限や代償が必要になる。これもその類だ」
「制限や……代償」
とすると、かつて『山嶽王』の身体に刻まれていた見えない傷、
あれももしかしてその代償とやらだったのだろうか。
そんな事を思ってみても、それに答えられるであろう『山嶽王』は
あの蠢く荊の繭の中だ。
「遠鬼……怪我、一杯だけど……痛くないの?」
月陽が座る遠鬼の背中に両手を当て、
治癒魔術を全開に発動させながら聞いている。
治療している月陽から見れば、
今の遠鬼の身体は相当に傷だらけらしい。
それこそ、普段俺の治療で怪我を見慣れてる筈の月陽が心配するぐらいには。
「……もう痛い場所はない。ありがとう、月陽」
「そ、そう……? なら良かった!」
機嫌を良くした月陽はもう過剰とも言える勢いで治癒魔術を使っている。
座って休んでいるだけの遠鬼が変に輝いてるんで見ててちょっと面白い。
(しかし……本当に遠鬼の言う通りになっちまった。
そして……)
勝負の結果自体を不安視していたちょっと前は
考える事すら出来なかった事案が頭に浮かぶ。
(……このままだと石英さんとの約束も果たせないままだ)
『山嶽王』に石英さんが知る戦い方を思い出してもらって、
その上で戦いを行う。それが俺と石英さんが結んだ約束だ。
勿論遠鬼もそれを果たそうと頑張ってくれていた。
それは俺の目から見ても明らかだけど……その努力は実らなかった。
俺は『山嶽王』であった筈の荊の繭を見る。
不気味に蠢くような挙動は収まり、
今は蔦の幾つかが思い出したかのようにゆらゆらと動いている。
「……吸いきった、らしい」
その遠鬼の言葉に振り向けば、
遠鬼は月陽の治療を中断してもらうとすっくと立ちあがる。
血だらけのままの恰好ではあったが、治癒の効果か痛みはもうないらしい。
「吸いきったって、『山嶽王』から魔力を、か?」
「そうだ界武。荊を動かすから後ろに退いておけ」
動かすって事は……『山嶽王』をあの繭から解き放つのだろうか?
だとしても、あの荊は魔術で作ったものだから、
魔力を使わなければ消えてしまうのでは……
と思いつつ俺は荊の繭を眺める。
遠鬼が軽く手を一振り。
それであの荊は生き物のようにざわざわと蠢き繭が解ける。
その中にいたのは……巨大化する前の年老いた『山嶽王』だ。
遠鬼の見立て通りに魔力が吸い尽くされており、
意識を失ってしまっているようだ。
じゃあ残った荊の方はどうするのかというと……
遠鬼はそれを一か所にまとめ始めた。
あっという間に出来上がる巨大な荊の塊は、
『山嶽王』の巨体を覆いつくしただけの事はあり、
あの隠れ家にあった巨木で作った円錐屋敷に比するほどの大きさだった。
どうしてそんな事をするのかと興味深く観察していたら、
その魔力の荊が何というか……蒸発するかのようにその姿を消し始めた。
(魔術を解いたのか。でもどうして一まとめにしたんだろうな?)
その疑問の答えはすぐに出た。
荊がその姿を消していく。立ち上る薄暗い緑色の蒸気が、
遠鬼の言う劣等感の魔力なんだろう。
となると魔力が消えた後には何も残らない……と思っていたら、
荊の塊の跡地に巨大な泥の山が現れた。
「……遠鬼。何で泥の山が出来上がるんだ?」
少なくとも原始魔術は使って消してもあんなものは生まれない。
「言ったろ。植物を模したから水と土が要る」
その簡素な説明を俺が付け足すとするならばだ。
どうもこの荊を作る魔術はその形を作るのに土を使っているらしい。
言われてみればあの荊、どう見てもかなりの質量があるように思えた。
むしろそうでなければあの『山嶽王』の巨体を捕縛なんて出来ないだろう。
その質量を地面の土で補っていたんだ。
つまりは、この魔術の残滓である泥をそこら中にばら撒かないために、
荊を一まとめにしていたらしい。
それに……今眼前にあるのはただの土ではなく、泥の山だ。
大量の水を含んでいるからか、その泥の色は山肌よりも更に黒い。
……確かあの荊、『山嶽王』が投げた木を絡め取り、
干からびさせるなんて事もやっていた。
遠鬼の言葉とこの湿りきった泥の山から察するに……。
(あの荊、魔力もそうだけど水分まで吸い尽くす……のか)
……恐ろしい魔術だと思う。こんなのは『山嶽王』だけじゃない。
魔術で戦う生物全てに対して効果があるんじゃないだろうか。
ちょっとこれから遠鬼を見る目が変わってしまいそうだ。
なんて思って警戒しつつ遠鬼の方を見れば、
その遠鬼は何故かその泥の山の上の方に視線を向けていた。
「あれを見ろ」
遠鬼の指差す泥山の上空には……荊から蒸発するように漏れ出た
あの灰緑色の魔力の霞が、今だ色濃く残ったまま空を漂っていた。
「魔力だまりだ」
「魔力……だまり?」
「普通は魔力が開放されればすぐに雲散霧消と消え果る。
だが……解放された魔力の量が多く濃密であったなら、
すぐには消えずにああして多少の間、空を漂う事がある」
「それが魔力だまり……と。
その反応から察するに、珍しい事なのか?」
「少なくとも一対一の戦いでこれが現れるのは稀だ。
そして百人が争った戦場でもこうまで濃く魔力だまりが残るのは……
珍しい、だろうな」
それだけ言うと遠鬼は惜しむような視線を倒れ伏す『山嶽王』へと向けた。
「この男は弱かった。だから負けた。
だが……挙げられる敗因はただ一つ、戦い方を間違えた」
そう言う遠鬼の物悲しげな表情を不思議そうに見つめる月陽。
戦い自体に忌避感を持つ月陽には、今の遠鬼の気持ちを察する事も出来ないんだ。
「戦い方さえ間違えなければあんなものより更に素晴らしい戦いになった。
そもそも俺よりも強かったかもしれんのだ。
俺が負ける事だって十分有り得た……」
「で……でも遠鬼! 遠鬼が勝ったから……
遠鬼の方が強かったんだから……それでいいじゃない!」
勝ったというのに何故か悲しそうな遠鬼。
そんな不可解な男を勇気づけようとでもしたのか……。
月陽が遠鬼の言葉を遮った。
「……そうか、それでいいのか」
「いいよ! 遠鬼が負けて死んじゃうよりずっといいよ!」
「……そうか」
月陽の言葉に勇気づけられた訳ではないのだろうが、
これ以上月陽を心配させない為か、
それとも今の言葉に何か思う事でもあったのか……
とにかく、遠鬼の中では何か決着がついたようだった。
物憂げな表情は立ち消えて、いつも通りの仏頂面が戻ってくる。
「……それでだ、界武」
「何だよ、遠鬼」
「一つ、頼まれてくれ」
「頼み? えっと……何だよ」
遠鬼からの急な頼み事。
そもそもこいつは人にお願いをする事自体が稀だ。
一体何事かと思っていたら……なんて事は無い、
遠鬼にしては極めて常識的な、ただのお使いだった。
「あの巨人族の女、石英だったか……アイツを呼んできてくれ。
謝らねばならん。約束を果たせなかったと……
もう一つの戦い方を思い出させる事は、出来なかったと」




