百四十四話 不気味
遠鬼はよっぽどの事がないと怒らない男なんだと思っていた。
実際、人間の子供でしかない俺がどれだけ生意気な事を言っても
それを怒りのままに黙らせる事もなく……
というか、むしろ俺を賢いと言って好んで意見を聞いていたように思う。
自分を殺しに来たという春夜さんに対しても
怒っているような態度は見せなかった。
春夜さんを逆に怒らせる事は多々あったけど、
遠鬼自身はいくら挑発されようと涼しい顔だった。
そんな遠鬼だが……『山嶽王』に相対している間は常に機嫌が良くなかった。
勝負を挑みに来たという目的から喧嘩腰でいたのもある程度納得できるけど、
それ以上に今の『山嶽王』そのものに何かしら思う所があったようにも見えた。
そしてそれは……『山嶽王』が月陽を食べると言ったその言葉を契機に
怒りとなって爆発した。
……あの遠鬼の背中を俺は多分忘れる事は無いだろう。
そう……遠鬼は『山嶽王』との戦いが始まったその時から、
ずっと怒っていた筈だ。
だがそれでも俺と石英さんとの間に結ばれた、
『山嶽王』のもう一つの戦い方を引き出して戦って欲しいという約束、
それを守る為かこれまでは力を抑え、挑発を繰り返してたんだろう。
その遠鬼が、遂に怒りを抑えるのを止めたんだ。
その結果発動された魔術の荒々しさは、
普段のあのすっとぼけた天然鬼からは想像なんて出来やしない。
「月陽っ! 逃げるぞ……ここも駄目だ、危ない!」
湧き水が作り出した小さな水の流れ。
その流れが唐突に隆起した地面に遮られてあらぬ方向へと向かう。
その飛沫に月陽の着物が濡れるのを嫌い、
俺は承諾を待たずして月陽の身体を抱え上げた。
「ちょ……界武君!?」
「もうちょっと離れないと巻き込まれちまう!
行くぞ、いいな!」
ここから逃げるに際しても勿論確認なんて取らない。
もうそんな状況じゃないんだ。
これまではまだ巨人と小人の戦いだからそこまで派手にはなってなかった。
だけど今は……!
「むうっ……しつこい!」
四肢に絡みつこうとした荊を避けようと『山嶽王』の跳躍。
そしてそれを追い跳ね上がるように伸びる荊の蔦の一本がその足首に絡みつく。
「ぐうっ!」
片足の自由を奪われ中途半端な姿勢で着地したのだろうか。
次に続く地響きが殊更に大きい。
その戦況が気にはなるけれど、『山嶽王』を追う気には到底なれない。
俺は『山嶽王』は勿論、遠鬼にも背を向けてこの場を離れるしかなかった。
今ここで行われているのは、巨人と巨大植物の一大決戦なんだ。
その規模たるや俺が今まで見た事のあるどんな戦いも比較になんてならない。
この調子であの二体がここで暴れようものなら、
この鬱蒼とした森に囲まれた山腹などは
あっという間に荒れ地に早変わりだろう。
「……界武君、上っ!」
被害の大きさを憂慮していた俺の耳に刺さるような月陽の声。
「なん……うわっ!」
上を仰ぎ見た俺の視界を黒い大きな何かが横切る。
それは……足を止めた俺の前方に、木々を薙ぎ倒しつつ墜落してきた。
未だ魔力の残滓を吐き出すように悶え動く、魔術で作られた荊の蔦。
その切れ端が俺達のすぐそこにまで飛んできたんだ。
「と……遠鬼っ! あぶねぇぞ、おい!」
思わず後ろを向いて吠えてみたが、
そこには荒れ果てた山肌に膝立ちで座る『山嶽王』、
そしてそれを威嚇するように広がる何十本もの荊があった。
多分あの荊の中央に遠鬼がいるんだろうけど……ここからは見える筈もない。
「そんな気色悪いものを、よくも我が足に巻き付かせたものだ!」
『山嶽王』が膝立ちでいたのは足に絡みついた蔦を
千切り取っていたからのようだ。
絡まっていたと思わしき踝の辺りが黒く変色している。
で……千切り取った蔦をぶん投げた丁度その近くに俺達がいたって事らしい。
……危ない。あんなのの下敷きになったら俺と月陽もどうなっていたか。
(……ん? そういや『山嶽王』の身体に傷跡が残るような事って、
これが初めて……か?)
今までは殴られようが骨が折られようが
次の瞬間にはしれっとした顔で全快していた『山嶽王』。
その足首が……まだ、黒いままだ。
(一体何で出来てるんだ、あの荊は……)
好奇心から、ついつい今俺の隣で蠢いている
荊の切れ端を触りたくなってしまう。
「あれ、触らない方がいいよ……絶対」
「わ、分かってるよ……」
俺の伸びかけた手を月陽がそう言って制してくれた。
しかし……何だろうか。魔術っていうのは、
こんな生命を生み出せたりもするんだろうか……。
「……その荊、何の魔力だ?」
いつまで経っても消えない足首の痣を奇怪に思ったか、
『山嶽王』が荊の束の向こうにいると思われる遠鬼に
向かってそんな事を聞いた。
丁度俺の聞きたかった事だと耳を傾けたが……。
「その身に受けてもまだ分からない。
だから弱いと言っている!」
今の遠鬼は怒り故にか会話に応じる気がないらしく、
荊がまたも一斉に『山嶽王』へと襲い掛かった。
飛び交う荊が何本も何本も『山嶽王』に迫る。
ある一本は横薙ぎに、また一本は袈裟斬りにと……。
真紅の稲光を纏った『山嶽王』は良く避ける。
最早それに触れるのも嫌なのか、全ての攻撃を大きく間合いを取って躱す。
だがその大きな動作は俺からだって無駄が散見される。
一歩、また一歩と後ずさる『山嶽王』に対して、遠鬼の生み出した荊は
限界が無いかのように『山嶽王』が退く度にその長さと太さを増していく。
「遠鬼……遠鬼の後ろだ!
あっちの方まで逃げれば多分……大丈夫!」
「わ……分かった!」
月陽をしかと抱き上げて、俺は銀の魔腕を四方八方に伸ばす。
これを逃げるのに使うのも初めてだけど、月陽を抱いて安全に逃げるとなると
これまでもを使うしかないと思った。
普段のように木々の間を跳んでいくようなやり方じゃなく、
もっと荒っぽく……銀の腕を左右の肩から二本ずつ、
それをそれぞれ縦に一文字に伸ばすと一気に回転させる。
それで巨大な車輪をぶん回すかのように進んで進んで……遠鬼の後方へと向かう。
その間にも荊は本当に生き物のように不規則に『山嶽王』を攻めている。
……あれは無理だ。如何に『山嶽王』が瞬発力を強化したとして、
しかも熟練の格闘家であったとしても……
あんな植物の化け物を相手にするなど想定してないだろう。
「ぬ、ぬかったか……!」
一瞬の隙を突かれたか、『山嶽王』の右手首が絡め取られた。
引き千切ろうにもびくともしないその蔦を、
『山嶽王』は左手に拾った木の一本を振り下ろして断ち切った。
青白く燃え立つその木が凄まじく強化されている事を物語る。
「む……!」
断ち切ったと思われた蔦が、それ単体で右手首を締め上げ続ける。
流石に魔術で作った植物だからか、切れ端になってもお構いなしか。
「ええいっ!」
回避を諦めたか、ここで『山嶽王』は攻めに転じる。
更に迫りくる三本の蔦を左手に持つ木の即席剣で斬り捌く。
かと思いきや空いた右手でもう一本の木を拾っては遠鬼の下へとぶん投げた。
木を丸々一本飛び道具として使うってのは岩童もやっている。
だがその大きさが全く異なる。
『山嶽王』がその巨体を十全に活かして投げたのは、
岩童のそれを優に三倍は超えようかという巨木だったからだ。
銀の車輪を回しながら遠鬼の横を抜けている最中だった俺は、
その一撃をどうにか躱してくれないものかと祈ってみたのだが、
遠鬼……というかあの荊はそれを常識外の手で防ぐ。
あの強化された巨木を、あろうことかあの荊は空中で見事に絡め取ったのだ。
それだけじゃない。絡め取られた巨木は遠鬼のすぐ近くまで迫るも
そこで勢いを完全に殺されて……更に、荊に吸い取られるかのように
青白い魔力の炎が立ち消え、巨木もあっという間に萎びてしまった。
「それは、劣等感の魔力か……!」
その様にようやく『山嶽王』も遠鬼の魔術の正体を悟ったらしい。
「敵の魔力を吸い取りその力を増す卑しい魔術だ!
よくもまぁ、それをこの規模で使えたなぁ!」
右手首に絡む荊の蔦を振りほどいて『山嶽王』が吠えた。
その手首……黒い痣として攻撃の痕が残っているのに加え……。
(手首が……細くなっている!?)
遠目に見ても『山嶽王』の右と左の手首の太さが違う。
つまりは……あの言葉から察するにだ。
「巨大化の魔術の一部が……吸い取られたのか?」
「……そんな事が、出来るの?」
狙い通りに遠鬼の後方に移動できたからか、
そんな会話を月陽と交わす程度には余裕があった。
とは言っても、まだ四本の銀の腕は出しっぱなし……。
また何か飛んできた時の警戒の為だ。
「ああ、多分そうだ。
遠鬼の奴……巨大化の魔術に対抗する為に、
魔術の大本である魔力を吸い尽くすっていう作戦に出たんだ」
なるほど、確かにあの不死身の巨体が魔力によって維持されているのなら、
その魔力自体を奪ってしまえば『山嶽王』はただの老人に逆戻りか。
(だとしても……それを実現する為に、
あんな巨大な植物を作り出したってのか……!)
こうして見れば、確かに『山嶽王』は恐ろしい。
魔術を良く知らない俺が一目見ただけでも直ぐ理解出来るその破壊力。
不死身としか思えないその回復力もだ……。
あれに恐怖を感じない奴など魔族の中にだって殆どいやしないだろう。
それに対して遠鬼だ。あれは……怖いとか強いとかじゃない。
じゃあ何と言えばいいのかというと……不気味だ。
何をしてくるか全く窺い知る事が出来ない上、
いざ戦うとなるとその魔術の質も規模も滅茶苦茶だ。
戦う事自体を相手に忌避させるような……そんな不気味な存在なんだ。
恐怖の権化と不気味を体現した男……これは、そんな二人の戦いなんだと、
俺は今になって悟る。
そして……戦況がこれからどう傾くか、
この二人の魔術の質を考慮すれば俺にだってすぐに分かる。
遠鬼の魔術、あの敵の魔力を吸い尽くす荊の魔術は……
『山嶽王』にとって、防ぐも躱すも不可能な……天敵の類だ。
「なっ!?」
『山嶽王』の驚愕。
急に地面から生えてきた二本の荊に両足首を絡め取られたせいだ。
「地面の下から……!」
「植物を模したものだ。その程度は容易い」
「ぐうっ! ならばっ!」
両足から魔力を吸い上げられる感覚に焦ったか、
『山嶽王』は急いで蔦を斬ろうと
巨木の剣を地面ごと掘り起こすように叩きつけた。だが……。
「生憎とかなり地下深くを通している。その浅さでは斬れん」
回避の術すら縛られた『山嶽王』に、
今度は地上に伸びた蔦が一斉に襲い掛かる……!
「う……動くなぁ!」
叫ぶような『山嶽王』の恫喝。
……気迫って奴か。側で観戦しているだけの俺でも思わず四肢が固まる。
『山嶽王』に迫っていた荊の群れも一瞬空中で静止した、が……。
「陳腐な手だ。悪いが二度もかかってやれん」
それが遠鬼の勝利宣言。
それで何十本という魔力の荊が一斉に『山嶽王』の身体、
そのありとあらゆる部位に絡みついた。
……呆気ない、とでも言えばいいのか。
それでこの戦いは終わってしまった。
荊に囲まれていてその姿が全く見えなかった遠鬼が現れた。
荊の向こうにいた遠鬼はちょっと前に見せた姿のまま。
その全身を真っ赤な血で染め上げているにも拘らず、涼しい顔で立っている。
そして遠鬼を取り囲んでいた荊は今、
その殆どが『山嶽王』を縛り上げ、その魔力を吸い上げている。
苦悶の声を漏らす隙間さえも塞がれた荊の塊……
それが、かつての『山嶽王』だった。




