百四十話 羽膳の不安
「これはこれは……管領様が直々に出迎えに来られるとは。
多忙とお聞きしていたが、私などに割ける時間があるのは知れて良かった」
やや引き攣った笑みに棘のある言葉。
それが楼京から来た幕府軍を指揮する臣錬のものだ。
受け取ったのは新坂の関まで出迎えに来た衛蒼。
その衛蒼は……満面の笑みである。
腹芸なんて出来もしない衛蒼なのだから、これは心からの笑顔。
百を数える魔王軍の猛者とそれを率いる右衛門佐を前にして尚の笑顔だ。
「そう言いなさるな、右衛門佐殿、そして魔王軍の方々。
貴方達が来てくれるのを一日千秋の思いで待っていたのだ」
「そ……そうか。それは、それは……」
冷や汗を浮かべる臣錬。心なしか臣錬の後ろに並ぶ魔王軍の面々の表情も
引き攣っているように羽膳には見えた。
(まだ衛蒼様に苦手意識があったりするのだろうか……)
かつて模範試合の名目で行われた臣錬と衛蒼の力比べ。
彼等はそこで衛蒼の常識外れの強さをまざまざと見せつけられているのだが、
それ以降はずっとこんな感じだ。
「見ての通り今の新坂は治安を維持するので手一杯でな。
管領の職責も満足に背負えぬ自身の無力を恥じ入るばかりだ」
だが衛蒼にとってはそんな反応はいつもの事。
気に掛ける様子もなく話を続ける。
そして衛蒼が言うように……
この新坂の関所を見れば今が非常事態だと容易に知れる。
この関所の周り、至る所で野営をする民達がいる。
その数も百や二百ではきかない。
新坂に入る事が出来ずに仕方なくここに留まっている者達だ。
辺りを見渡して状況を察した臣錬が、
引き攣った笑いを誤魔化すように手で口元を隠し衛蒼の言葉に答えた。
「人手が足りぬと聞いていたが……確かにこれは、
援軍を求めるのも分かる」
「そうなのだ。
何しろここ数日、ありとあらゆる噂が錯綜していてな……」
「噂?」
「そうだ。付近の村が襲われた。人が爆発して何人もの死者が出た。
果てには隣の村が全滅した……などとな」
「その……真偽は?」
「全てが偽の方であったよ。
この羽膳に調べてもらったのだから間違いはない。
……そうだな、羽膳」
「はい。被害のあったとされる村を見て回りましたが、
いずれも死者はおろか襲撃の一つもありませんでした」
話を振られた羽膳であったが、
事前にそういう事もあると聞かされていた事もありそつなく答える。
「そういう訳だ。この噂の出所は分からない。
人々の恐怖から自然発生したものかもしれぬし、
もしくは逆徒がこちらの混乱を狙って流した噂の可能性もある」
「……なるほど。それで近隣の村から避難民が」
「そうだ。入れる限り新坂に入ってもらったが、
その限界に来たというのにまだ近隣から人が来る」
「……この状況については分かった。
では私は何から始めればいい?」
「ここと新坂内の治安維持をお願いしたい。
今は私が見ているから騒動の数も少ないが、それとて時間の問題だ。
だから一刻も早く逆徒と『山嶽王』を討たねばならないというのに、
ここがこのような状況で私が動けていない」
羽膳としては不甲斐ない思いもするが、これも認めねばならない事実である。
『同族殺し』にも敵わなかった羽膳が一人で『山嶽王』と戦える筈もなく、
逆徒討伐に向かうには衛蒼の力が必要不可欠だ。
だがその衛蒼が新坂を出ていけば、羽膳一人ではここの治安を守れない。
(……鋼牙の奴が戻って来ていれば、また違ったのだろうか)
『閃刃』からの報告を聞きに向かった狼人族の男、
鋼牙が未だ新坂に帰って来ていない。
どれだけ遅れたとしてもとうに戻って来てもよさそうなものだが、
寄り道でもしているのか、それとも逆徒に襲われたのか……
便りの一つもこの新坂に届かないのだ。
(鋼牙はそれなりに腕が立つと聞いている。
だから、逆徒に後れを取る事も……ないと信じたいのだが……)
災難ばかりが続いている今のような状況だから、
どうしたって悪い予感ばかりが浮かぶ。
そして……何よりもだ。
羽膳にはもう一人、その安否がどうしても気になる男がいる。
(界武……アイツは結局逆徒を説得できたのか?
それとも……まだこうして逆徒が潜伏している事から察するに、
説得に失敗したのか、それとも逆に取り込まれたか、もしくは……)
もしくは……殺されたのか。
そう思うと焦燥感に心が支配される。
まだ界武に死なれては困るのだ。まだ勝負を預けたままなのだ。
そこで羽膳は、自分よりも弱いと知っていても尚、
界武との再戦を望んで止まない自身の心に気付く。
(……何故だ? 界武との勝負の結果など知れている。
これで二度俺が完勝している。故にアイツは俺より弱い。
次があったとしても間違いなく俺が勝つ筈だ。だというのに……)
「……ぜん、羽膳、聞いてるのか?」
「あっ……はい、何でしょう!? 衛蒼様……」
界武の事を考え過ぎていたからか、
衛蒼の声にまで気付いていなかったらしい。
「これ以上の立ち話もなんだ。
私は右衛門佐殿を連れて守護屋敷に向かおうと思う」
「分かりました、衛蒼様。
では俺はどうしましょうか?」
「羽膳は魔王軍の方々を案内して欲しい。
この新坂と近隣の地理に慣れてもらい、
すぐにでも治安維持の任に取り掛かってもらう」
「了解です!」
その日は結局魔王軍の相手に忙殺される事となった。
忙殺と言っても魔王軍の面々の世話を焼くのに疲れた、という事はなく、
彼等はむしろ協力的であり、単に案内する場所の多さが羽膳の体力を
奪ったというだけの話だ。
近衛軍や王都軍には勿論劣るのだろうが、
それでも魔王軍の面々は羽膳の目から見ても
十分に武力を供えた益荒男達であり、
衛蒼が抜けた後の新坂の治安を守るのに不足は無いだろうと思えた。
後で衛蒼に聞くには、臣錬は明日にでもここ新坂の治安維持、
その任へとあたるらしく、百を数える魔王軍はその手足となって
働くのだと言う。
つまりは、明日遂に衛蒼がここ新坂を発ち、
逆徒討伐へと赴く事が出来るようになるのだ。
(そして俺は……衛蒼様に付き従い、
主に衛蒼様と新坂との連絡係として働く事となる)
守護屋敷にてあてがわれた自分の部屋で一人、
羽膳は床に就きながら明日の事を考える。
待ちに待った出陣である。
これでようやく今回の騒乱に決着がつく……筈だ。
御手杵を持った衛蒼は今度こそ『山嶽王』を粉砕せしめるだろうし、
あの破壊力ならば『偏愛逆徒』の奸計とて、
その力が及ぶ前に消し飛ばされる……その予感に疑いはない。
(だが……この不安は何だ。
……いや、原因は知れてる。あの二人……特にアイツだ。
アイツの事が、俺にはどうしても分からないんだ……!)
眠れない。そう感じた羽膳はその身を起こす。
松明の類は無いその部屋が、それでも薄らと見回す事が出来る。
羽膳の部屋は守護屋敷の東端に位置し、
その窓から差す月明りが白く屋内を照らしているからだ。
羽膳は窓に目を向けるでもなく、
ただその何も無い屋内をじっと凝視する。
そしてその虚空の奥に……二人の男の幻を見た。
一人目は、羽膳に手痛い敗北を味あわせた魔術師、『同族殺し』。
……あの男の底が知れない魔術ならば、
衛蒼の比類なき武力にすらも届き得るのではないか?
そして……界武。あの少年の諦めを知らぬ強い意志ならば……。
(衛蒼様も……そこに何かを感じ取るのではないだろうか?
界武の言葉であれば、衛蒼様の心にも届き得るのでは……ないのか?)
それが何かは分からない。
だが……羽膳にはどうしてもそれが不穏なものだと思えるのだ。
その所在も、生死すらも分からぬこの二人の鬼人族。
だがもしこの二人……もしくはその内のどちらかでもだ。
彼等が羽膳達の前に姿を現すような事があれば……
それは今度の逆徒討伐への悪影響を齎すだろうと、
羽膳にはそう思えてならなかった。
その不安が翌朝の羽膳を動かした。
「……偵察に、出たいと?」
「はい。それも出来れば……少し遠くまで」
出立の準備に忙しく動き回っていた衛蒼を呼び止めて、
羽膳は衛蒼に自身の考えを伝えた。
此度の逆徒討伐は必ず成功させねばならない。
そしてその為には……それがどんなに小さなものであろうとも、
不安要素を全て取り払っておきたいのだと。
「だからこそ、『同族殺し』とその……界武という少年の所在、
それを何としてでも事前に把握しておかねばならない……
そう言うのだな、羽膳」
「はい、衛蒼様」
衛蒼は羽膳の眼をじっと見つめる。
羽膳の眼の奥にある意志の炎は、衛蒼の圧を前にしても微塵も揺らがない。
「……そうまでする必要があるのか?
今は御手杵が我が手元にある。己惚れる訳ではないが、
これを持った俺ならば『山嶽王』と『同族殺し』を同時に相手にしたとて、
後れを取るとは思えぬのだが」
「そうかもしれません。いや……きっとそうなのでしょう。
ですが……衛蒼様。貴方はまだ界武には会っていない」
衛蒼は知らない。界武という少年が持つ、得体の知れぬ影響力を。
「その少年についても羽膳、お前の口から何度も詳細に報告は受けている。
その原始魔術や全強化魔術は確かに珍しいとは思うが……」
魔族は人をその力でしか評価しようとしない傾向が強い。
だから衛蒼と言えど、何度報告を受けようと界武を警戒しようと思わない。
「ですが衛蒼様。界武は何か……違うのです。
行動理念……とでも言うんでしょうか。
それが俺達とは全く違う。だから予想がつかない」
逆徒も、『山嶽王』も、『同族殺し』もその意図を読むのは難しくない。
だが……界武だけが、羽膳にその意思を掴ませないのだ。
「その界武は確実に『同族殺し』の行動に影響を与えてます。
だから実際、ここ丹波国で『同族殺し』は俺達の予想もしなかった
行動を何度もしているんです。
そして……あの界武の奴なら、
逆徒の行動にもそういう影響を与えかねません!」
もし本当にそうなったとしたら、
人間の為に戦う魔族という奇怪な存在である『偏愛逆徒』が、
今度は何に化けるというのか。
それは本当に……討伐が可能な存在に落ち着いてくれるのか。
それが羽膳には……分からないのだ。




