百三十七話 延老と澄 その二
「……先生に聞きたい事があるんです」
それが何かとまでは澄も言わなかった。
延老も無理に聞こうとはしなかった。
だから……こうして山城国と丹波国の関所に着いた後、
この澄という少女が何を語ろうとするのか、
延老は何も知らなかった。
勿論それは少女を信頼していたとかそういう事ではない。
魔族というのは元来そうなのだ。
自分以外の誰かが何をしようがどうでもいい。
そんな適当でいい加減でありながらも力に頼る傾向が強く、
たとえ周りで何か予想外の事が起こったとしても、
それが何であろうがどうせ最後は力で解決するから構わないと考えている。
魔族の中では思慮深い方である延老ですら、この時まではそうだった。
「さて、関が見えましたが……」
あれから一晩休み、早朝に野営を引き払って馬車を進め、
今は関を視界に収める所まで近づいた。
「準備はよろしいですか?
と言っても私が正面から押し入って鹿野戸を斬ってしまいますので、
澄君は後から来てくれれば」
「え!? いやだから、先生に話があるので……」
「ああ、大丈夫です。会話が出来る程度に加減して斬ります。
あの魔術は脅威なので……そうでもしなければこちらとしても
安心して澄君を呼べません」
「いや、でもそれじゃ……」
「ただ……正直舌は斬っておきたいんです。
でないと鹿野戸が命令すれば澄君は拒否できないでしょう?
ですから……手足は最低でも一本、それに舌、後は両目も……」
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
延老の右袖の裾を両手でぎゅっと握りしめて、
澄はどうにかしてこの過激な老人を引き留めようとする。
「……どうしましたか?」
「そんな簡単に……先生に勝てるんですか!?
聞いた話だと、前にやった時は……」
「ああ、一番厄介な拘束魔術の対策は済んでいるんです。
もう鹿野戸が私に勝てる道理はありません」
「で、でも私の他にも子供達が……」
「大丈夫ですよ。速攻で片を付けます。
鹿野戸が何をしようが、もう誰一人として犠牲は出しません」
澄にはその延老の声が自信に満ちているように聞こえた。
実際、その老い痩せ衰えた筈の身体は
澄が多少押し引きしたところで微塵も動かない。
戦闘経験など無いに等しい澄でもその態度から容易に知れる。
この老人は本当にそれが出来る。
それだけの奥の手を持っているんだと。
「……違うんです」
でもそれでは澄としては困るのだ。
「何が違うのですか?」
「そ、そんな……追い詰められて、
脅されて仕方なく話すような……
そんな風な先生から聞きたい事じゃないんです。
もっとちゃんとした先生から……聞きたいんです……」
「……そうですか」
つまりこの少女は、鹿野戸を特に傷つけもせずに
万全の状態のままで自分の前に連れてこいと言いたいらしい。
袖を掴む手を振りほどく事も出来る。
だが延老はそれをする気になれない。
こうまで話を聞いてしまった以上は、
澄の気持ちを汲んでやりたいのだ。
(しかし……この願いを叶えようとすれば、
この子を傍に置いたまま鹿野戸と対峙する事になる……)
付け加えれば澄に鹿野戸との問答を促し、それが終わってから
鹿野戸と戦わねばならない。後手に回るのは避けられず、
更に澄を守りながら敵地の真ん中で孤軍奮闘せねばならない。
(厳しくはあるが……まだ許容できるか?)
延老の悪い癖が出てくる。
正直……拘束魔術を封じられた鹿野戸は
延老にとって敵とするには不足なのだ。
勿論世に騒乱を巻き起こそうとする鹿野戸を見逃す気は毛頭ない。
だが弱き者を相手に勝負を挑むのは気分が良くないのだ。
しかし、ここまで延老に不利な条件が課されていたならどうだ。
もしかすれば、面白い戦いになるのではないだろうか。
死力を尽くすに値する勝負となるのではないだろうか。
「……分かりました。では澄君。
鹿野戸の下まで案内して頂けますか?」
「え!? あ、あの……いいんですか?」
「勿論。澄君と鹿野戸の会話が終わるまで、
手荒な真似も控えましょう」
自分で言い出しておいてなんだが、
こうまですんなり全面的に我儘を聞き届けてくれるとは
澄も思っていなかった。
だから延老の笑顔を見てもまだ呆気にとられたまま表情が戻らない。
「本当に……いいんですか?」
「はい。それでは刀も預かってもらえますか?
こうすれば如何に鹿野戸が臆病であろうとも
私への警戒を解くかもしれませんからね」
そう言われて差し出された刀を受け取る澄。
……何故延老はここまで自分の我儘に付き合ってくれるのか。
その理由にまるで思い至れない澄は両手で脇差を固く握ったまま、
ただ放心してしまっていた。
(これが……刀。本物の……強い、武器)
放心しているせいで鈍った思考ではあったが、
澄は両手に伝わる重みに自分が高揚しているのを感じ取る。
脇差と呼ばれるそれは、これまで鹿野戸より支給され扱ってきた
短刀とは武器としての質が違う。
あの短刀は急ぎ大量に作らせたと聞かされた通りの出来で、
よく刃毀れはするし斬りつけても骨までも届かない。
全力で刺す事でどうにか致命傷が与えられるか……
という心許ないものだった。
そしてそんな短刀の好対照と言えるのがこの脇差だ。
その重さに刃の鋭さ……これで斬りつけられたなら
肉はおろかその骨までもを一気に断ち切ってしまうだろう。
そして何よりも……その美しさだ。
昨夜焚火に照らされた刀身を見た澄は、
この秀麗な武器に一目で心を奪われてしまっていた。
あの粗野な作りの短刀を初めてみた時などは
争いを想起されるそれを疎ましいとすらも思ったのに、
この脇差にはそんな気持ちは微塵も抱かなかった。
争い事を好まない……悪く言えば臆病な質の澄ではあったが、
この脇差という武器はそんな澄の弱い心までもを断ち切ってくれる、
そんな頼もしさすらも感じさせてくれたのだ。
「私が持ってて……いいんですか?」
「勿論。では行きましょう……準備は?」
「……出来てます。いえ、今……出来ました」
脇差をしかと胸に抱いて、澄は関所へと歩を進める。
延老は笑顔のままにその後についていった。
普段であれば国境を通過しようとする旅人達で
ごった返すであろう関所が、今は閑散としていて無人のようにしか見えない。
「……もしかして、誰もいない?」
その澄の不安そうな声すらも枯れた風がすぐにかき消してしまい、
後には何も聞こえなくなってしまう。
それ程に、生活音がまるでしていなかった。
そこが関所である事を示す大きな門に短い杭を立て並べただけの柵。
それにここに勤める役人の住処らしき建物が数軒……
他には倉庫らしき蔵もある。だがそれら全てから人の気配がまるでしない。
それを不気味と感じたか震える身体。
自身を勇気づけるかのように澄は脇差を強く抱きしめる。
「いえ、少なく見積もって十名はいます」
その言葉に澄が後ろを振り向けば、
不思議そうな表情で建物を眺める延老がいた。
「……え? どうして……」
何故分かるのか。
少なくとも澄には人の気配が微塵も感じ取れてない。
「人はですね……たとえ人間の子供のようなか細い魔力しか持たずとも、
それを痕跡として辺りに残しているのですよ。
それを見つけたのです」
「……そんなの、どうやって見るんですか?
というか……毛人はそんな事が普通に出来るんですか?」
「いえ、これが出来るのは魔族でも私を含め数人程度だと思います。
……昔、魔力そのものを斬ろうと色々試した事がありましてね、
その際に得た副産物です」
そんな馬鹿げた事に挑んだのは私ぐらいのものでしてね。
そう言って延老は笑った。
「老眼が進んでからはちょっと見えにくくなっていたのですが、
先日無理矢理使う機会があってから、少し回復しましてね」
言葉をぼかしてはいるが、多分その無理矢理使う機会というのは
鹿野戸との一戦なのだろう。
そう思うと澄は鹿野戸を尊敬する気持ちが増した。
よくもこんな化け物みたいな人と戦ったなと。
そして……同時に少し申し訳なくも思った。
この人が後ろに控えている事を頼もしく思っている自分を、
後ろめたく感じたからだ。
「でも十名ですか……。
その中に先生がいるかどうかって分かりますか?」
「それがですね……魔族らしき痕跡はありません。
少なくとも数日前にはここを出てしまっているのではと」
「じゃあ……今ここにいるのは子供達だけ、なんですか?」
「恐らくは……」
覚悟を決めて鹿野戸に会いに来たというのに、無駄足。
膝から崩れ落ちそうなほどの落胆に項垂れる澄ではあったが、
それならそれで別の役目がある事にすぐ気が付く。
「え……延老、さん。
ここにいる子供達と話をしてもいいですか!?」
「話……ですか?」
「はい! 私達と一緒に来て欲しいってお願いするんです!
そうすれば死なずに済むかもしれない子が一人でも……!」
自分と同じように、魔族と本当は戦いたくはない。
それに……何よりも、死にたくはないと感じている子がいるかもしれない。
その想いに澄の声が大きくなる。
「一緒に……?」
だがこれまでのように唯々諾々とするかと思えば、
延老はここに来て始めて難色を示す。
「駄目、ですか……?」
「駄目と言いますか……」
この澄という少女は失念しているのかもしれないが、
そもそも延老は鹿野戸を追ってここに来ているのだ。
それがここにいないとなると、またその足跡を追っていかねばならない。
その際に、澄一人ならまだしも、人間の子供十人も連れてとなると
どうしたって足が遅くなる。それに十名となるとちょっとした部隊と言える数。
必要な荷物も相当な量になるし、そうなると補給も問題になる。
それに、何よりも……。
(澄君一人ならまだいい。私一人の裁量で守るなり逃がすなり出来るだろう。
だが、十を超える人間を守るとなると……
私と界武君の手にも余るのではないか?)
少なくとも、何かしらの準備がどうしたって必要になる。
そうなれば今後は鹿野戸を追うのに集中できまい。
つまり、この判断は二者択一なのだ。
子供達を見なかった事とし鹿野戸を追うのに注力するか、
それとも子供達を庇護し戦いから遠ざける事に専心するか。
(さて……どうしたものか……)
普通に考えれば悩むところではない。
まずは魔族の無辜の民を守らねばならず、人間の子供を守る事などその次だ。
だが……界武ならそうは言うまい。
きっとどちらも守ると言う筈だ……そういう少年なのだ。
だからこそ延老は、あの戦いで敗北を認めたのだ。
「澄さん! そこにいるのは澄さんだよな!
それに……確か、延老……さん……」
その言葉に思考を中断された。
延老と澄は声のした方を向く。……倉庫の隅からの声。
目を凝らしてみれば矢を番えた弓が僅かに見えている。
「そう、澄! 集落の見張りから戻ってきたの!
撃たないで!」
必死に声を張り上げる澄。
その声に応えてか、三人の子供達がそろそろと倉庫の陰から姿を見せる。
「君達は、確か……」
その姿を見ずとも正体は知れている。
それでもその再会に延老は驚きを隠せない。
「青君、鉄君に……咲君」
あの三人だ。延老が命を守り、界武が鹿野戸の下へと送り届けた子供達。
それが今、何とも言い難い顔で延老の前に立っている。
魔族である延老への敵意も無く、澄との再会を喜ぶ訳でもなく、
何故延老と澄が揃ってここに来たのかと、戸惑うだけの表情で。




