百三十四話 威圧感
「『山嶽王』! 御身体は……」
「慌てるな魔王。とにかくここは何処だ」
石英さんの言葉を遮って『山嶽王』が現在の状況を問う。
初めて聞いた声だが……重い。重い声と言うと分かりにくいが、
とにかく威圧感が凄い。俺のような『山嶽王』本人にも、
その名前にすらも何の感慨も持ってない子供ですら、
その言葉を聞いた途端に何か自分が場違いな所に
いるんじゃないかという感覚に襲われる。
側でぼうっと立っていていいのかと、
頭を垂れてその命を待つべきじゃないのかと……。
「きゃっ!」
だがその小さな悲鳴で我に返る。
どうという事はない。目を覚ました『山嶽王』が上体を起こしたんだ。
当然その横に座っていた月陽が押しのけられるような格好になる。
考えるよりも先に体が動く。
強化魔術まで使っての全速力で歩を進め、
たったの二歩で月陽と『山嶽王』の前に立つ。
『山嶽王』に敵意は無いだろう。だがそうだとしてもあの巨体だ。
動いた拍子に月陽が傷つく事もあるかもしれない。
だからと俺は月陽の前に立つ。
「わっ……と……あれ、二人ともいつの間に来たの?」
その月陽の声は俺の頭上から聞こえた。
二人と言っている事から窺い知れるが、
遠鬼が月陽を持ち上げてでもいるんだろう。
見守ると言った手前、遠鬼も月陽を咄嗟に庇ったようだった。
……後ろにあの偉丈夫がいると思えば、ちょっとは心強くなる。
(でも……これは……)
肌が触れ合う距離までその巨体に近づいてみれば、
その迫力に足が震えそうになる。
だが……その傍らに座って魔術を使い続けていた月陽の前では
そんな情けない格好は見せられない。
「……何処だ、ここは?」
上体を起こした『山嶽王』が重ねて石英さんに問う。
月陽が上げた小さな悲鳴も、その月陽を庇おうと俺達が動いた事も、
『山嶽王』は気にも留めていないようだ。
「ここは以前滞在していた隠れ家です。
覚えておられますか……」
「どう……だったかな……」
頭を抱え首を振る『山嶽王』。
……どうやら、この場所を思い出せてはいないようだ。
「そうだ。あの男……衛蒼はどうした?」
「戦った事は覚えておられますか。
ではその結果はどうですか……?」
「勿論覚えておる。
あの男……私を吹き飛ばしおった。
殺しきれぬと見たか……にしても、
自分から戦いを中断させるとは……!」
起きたばかりの『山嶽王』が怒気に震えている。
その怒りに任せ急に動かれると俺じゃあ対応出来ると思えない。
背に冷や汗が流れていくのが分かる……怖い。
少しでも気を抜くと膝が勝手に震えだしそうだ。
「魔王よ! もう一度衛蒼と戦わせよ!
あれは強い! 私以外の誰も奴を倒す事など出来んわ!」
「お……落ち着いてください、『山嶽王』様。
まだ完全に傷が癒えては……」
「どうとでもなる! 戦ってさえしまえばどうとでもなる!
もう一度巨大化の魔術を使いさえすれば、この程度の傷は……」
ああ駄目だ。岩童の奴が暴れてるのを見た時も怖かったけど、
目の前の『山嶽王』は放つ威圧感はあれとは桁が違う。
遠鬼のゾッとするような迫力、延老さんの身を切り裂かれるような気迫、
その二つとは質が違う……正に吹き飛ばされるかのような迫力だ。
そう思いじりじりと後ろに下がっていると、
後頭部が何かにぶつかる。これは……遠鬼の腹筋だろうか。
あんまり触った事もないし、後頭部の感触からはよく分からない。
ただ……。
(遠鬼の立ってる場所まで下がっちまったのか……!)
なんか悔しい。『山嶽王』に圧されてしまった心の弱さが悔しい。
だからと俺は一歩前に出る。これ以上下がるのは俺自身が許さない。
そしてありったけの空気を肺の中に詰め込む。
出来る限り声を張り上げる為に。
「おい……おい、『山嶽王』!」
『山嶽王』が怒っていようと関係あるか。
起きて来たからにはまず月陽に言ってもらわねばならない言葉がある。
「……ん?」
ここでようやく俺達に気付いた『山嶽王』がこちらに視線を向ける。
……その鋭い視線にも怯える訳にはいかないと、
全身に力を込めて巨人と対峙する。
「なんだ、これは?」
「これ……じゃねぇよ! 界武だ、界武……俺の名前!
そしてこの……そこに居る女の子は月陽!」
そう言って俺が指差したのは遠鬼の肩に座っている月陽。
遠鬼の紹介は……後で自分で勝手にやるだろう。
「それが……?」
「それが……って、もういいよ! 要件だけ言うけどさ!
ここで寝ていたお前を治療していたのはそこの月陽だ!
治癒魔術を使ってずっと治してくれてたんだよ!」
それで『山嶽王』の視線が月陽に移った。
生憎の薄暗さなんでその瞳の色までは分からないが……
とにかく、『山嶽王』は月陽を一瞥するとまた視線を俺に戻す。
「で……何だ?」
「何だ!? 何だじゃねぇよ!
魔術を使ってお前を治してくれてたんだよ、月陽は!
喋れるようになったんならさ……
その月陽にまず言う事があるんじゃねぇか!?」
そうだ。『山嶽王』が誰と戦いたいだとか……そんな事は……
別にどうでも良くはないけれど、
それはそれとしてまずは月陽に感謝するべきだ。
「……魔王よ」
だが『山嶽王』は感謝の言葉を口にするでもなく、
胡乱げな視線を石英さんに向けた。
「はい。その子達は『山嶽王』を治す為に……」
「何故人間の子供をここに連れてきた。しかも二人もだ」
その言葉に思わずビクッと震えた。
俺も月陽も角が付いた額当てを付けている。
ここに来るまでもこの状態で一度だって人間だと見破られた事はない。
その……筈が……。
「……はい? いえ、『山嶽王』様、この子達は鬼人族ですが……」
「馬鹿を言うな、匂いで分かる……これは人間の子供よ。
魔王よ、お前が食うなというから……
それでは近付けるなと言っておいたではないか。
それを何故こんな傍まで持ってくる?
食っていいのか、こいつらは……」
「いえ、あの……」
石英さんの困惑気味な表情。
俺も嘘がバレた後ろめたさに何も言えなくなってしまう。
だけど……。
「食うな」
『山嶽王』を睨んだままの遠鬼が、ただそう言った。
「……でさぁ、遠鬼」
「何だ?」
あれから一悶着あって、ちょっと場を冷まそうという事になった。
俺達三人は『山嶽王』が休む木の円錐を追い出され、
またも子供達と一緒に本日の夕食を狩りに山の奥へと歩を進めている。
「どうして『山嶽王』にバレたんだ?」
「分からん」
「いや、ちょっとは考えてくれよ……」
「と言ってもな……そういえば、奴は匂いで分かると言ったな」
「ああ……それは聞いた。人間特有の匂い、なんてもんがあるのか?」
え、私臭いの……なんて声が聞こえる。遠鬼の後ろをついて歩く月陽のものだ。
いや、ここは湧き水のお蔭か水に困ってない。
だから今朝もちゃんと身体を拭いていた筈なんだけど……。
「人間特有の匂いなんて俺は知らん……が、相手はあの『山嶽王』だ」
「……それが?」
「あれは『閃刃』よりも更に長く人間と戦ってきた古強者だ。
そんな奴だから何かしら見分け方を知っているのかもしれん」
言われてみればそうなのかもしれない。
遠鬼だって若いんだ。何でも知ってる訳じゃないしな。
「そうなの……かもなぁ」
「……だとしてもそれは『山嶽王』だからだ。
他の魔族ならまず分からん」
つまり、額当ての効力は未だ有効だという事だ。
実際、先の『山嶽王』との一件を知らされていない子供達は
まだ俺や遠鬼を恐れてか、少し距離を取っている。
俺なんかはその距離感をちょっと気にしていたりはするんだけど、
遠鬼は勿論何処吹く風だ。
月陽もそれに倣ってか、ただ楽しそうに歩いている。
その時、俺のすぐ後ろを歩く遠鬼が急に身を屈めた。
その手元を見れば分かるが、獣道の傍に生えていた山菜を見つけたんだろう。
こいつは俺の雑談に付き合いながらも目ざとく山菜を見つけては
こうして道すがら採っているんだ。
(ああ……あの山菜は見た事がある。
確か粘り気があって……食感が良かった筈だ)
そんな事を考えながら、俺はその仕草をぼうっと眺める。
遠鬼は一房だけその山菜を採ってはそれを後ろにいる月陽に渡す。
月陽はそれを貰うと楽しそうに同じものを何房も摘んでいく。
ああやって食べられる山菜を教えているんだろう。
それは……なんというか、優しい行為、だと思う。
こいつは確かに戦闘狂なんだけど、
弱い者に対してはこんな風に優しいと思えるような事を普通にやる。
普段は心暖かくなる光景ではあるんだが、
今の俺はそれを見て何故か不安に捕らわれた。
「あのさ遠鬼、『山嶽王』を見てどうだった……?」
「どう……とは?」
「いや、だからさ……強そうだったか? 勝てそうだったか?」
「強くはあるだろう。勝てるかは分からん」
「……だろうな、お前ならそう言うと思ったよ!」
遠鬼はいつもこうだ。戦う事さえ出来れば良くて、
その結果はどうでもいいと言わんばかりに適当……。
今回だって、これ以上は何も語りはしないだろう。
でも……俺は不安だった。
あの恐ろしい迫力の持ち主である『山嶽王』。
あれに本当に……勝てるんだろうか?
こんな優しい側面を持った遠鬼が、
あんな戦いの化身みたいな巨人族に勝つ事が……。
「ねえ、界武君!」
急に掛けられた声の主は月陽。
沢山の山菜を小脇に抱えて笑っている。
「な……なんだ、月陽……」
「また熊獲って欲しいなぁ……熊!」
熊肉の煮物が余程美味しかったんだろう。
月陽は目を輝かせて俺に熊狩りを望む。
「あ、ああ……そうだな」
その食い意地……いや、無邪気さと言い直そうか。
とにかく俺はそれに毒気を抜かれてしまった。
(まあいいや……これ以上は俺が悩んだところで
もうどうしようもないんだ)
もう開き直って楽観的に構えよう。
遠鬼は勝つんだ。そして俺は石英さんを仲間にして、
ここの子供達を助けるんだ。
それで……計画を潰された鹿野戸さんは、
仕方なく残った子供達を連れてどこか他の国に逃げていく。
(それで……それで皆が幸せになれる筈なんだ!)
「よし……じゃあ、俺は本気出して熊探してくるかぁ」
原始魔術を駆使すれば俺は木々の合間を跳ね回るように移動出来る。
そうすれば熊だって直ぐに見つける事も……多分、出来る筈だ。
「やったぁ! 頑張ってね、界武君!」
「おうよ!」
そう答えて俺は透明な腕を伸ばし……
そして、不安を払拭せんとばかりに高く跳ね上がった。




