百三十二話 笑顔
「『山嶽王』が死んだらここはお終いって……どういう意味だ!?」
いい気分でいたところに冷や水を浴びせられたかのようで、
俺は遠鬼のその言葉に怒りのような感情を抱いていた。
だから当然返事も刺々しいものになる。
「言った通りの意味だ。
こいつらは『山嶽王』を補佐する為に集められてるんだろう?
なら俺が『山嶽王』を倒した後はここに集まっている意味が無い」
だけど……俺はその遠鬼の返事に効果的な反論が思い浮かばなかった。
悔しい事に、遠鬼にそう指摘されるまで
俺は『山嶽王』が倒された後の子供達に意識が向いてなかった。
確かに岩童が言っていた。
『山嶽王』の命数を節約するため、
露払い程度は子供達を使うようにと鹿野戸さんが子供達を預けたと。
だとすれば当然、『山嶽王』が死んでしまえば
この子達は石英さんと一緒にいる理由がない。
「それじゃあ……その後はアイツ等はどうなるって言うんだよ!?」
遠鬼の背には月陽が寝ているんだ。
だからと努めて大声は上げないようにしていたが、
それでもどうしたって口調は荒くなる。
「……知らん。鹿野戸とか言う男に聞け」
「鹿野戸さんに聞くと答えは決まってんだよ!
次の襲撃の為の武器にされるんだって……!」
鹿野戸さんなら当然そうするだろう。
それで鹿野戸さん自身すらも苦しみ嘆くに違いないのにだ。
あんなに楽しそうに夕食の準備をしている子供達が、
次の瞬間には肉片に成り果てる。それだけは嫌だった。
そして……それが嫌だからとこうして『山嶽王』を倒しに来たというのに、
その事自体がこの子達の命数を減らしかねない、
という八方塞がりの事実を今更突き付けられて、辛かった……。
「そうかもしれんが、幕府に見つかっても同じ事だ」
……これも遠鬼が正しい。
羽膳の野郎が拷問も辞さずと言っていたのを俺は聞いている。
「じゃあ……どうしろって……」
「自分で考えろ」
戦いに関する事以外にはとことん淡泊な遠鬼らしい返事だった。
「へぇ……これが熊なんだぁ」
夕食として目の前に並べられた煮物。
その中に入っているのが熊だと聞いて月陽の瞳が大きく輝いていた。
「えっと……熊肉、煮たんだ」
「はい、子供達も手伝ってくれて……美味しく出来てると、思います」
石英さんは子供達とは比較にならない程の巨体なのだが、
それでも自身の食べる量は子供達のそれと大差ない。
どうやら、子供達の方へと優先的に食糧を回しているらしい。
「わっ……これ、甘い!」
一口試しにと煮汁を啜った月陽がその味に驚く。
「え……熊肉って、甘いの?」
意表を突かれた俺は石英さんに確認を取る。
「いえ……そうではなく、酒で煮たのです。
甘いのは酒の味です」
「……酒? あれ、苦かった気がするけど……」
以前ちょっと口に含んだ時は、とてもじゃないが飲み干せなかった。
それが……肉と一緒に煮れば甘くなるというのだろうか。
「甘くなりますよ。熊肉はちょっと匂いがきついと思いましたから、
酒を使ったのです」
「へえ……」
見れば月陽は一心不乱に煮た熊肉に齧りついている。
その仕草に急かされるように俺もまず煮汁を口に含む。
「……旨い」
「でしょう? 界武さんが熊肉を取って来てくれたので皆に振舞えました。
ありがとうございます……」
「ああ……うん」
先の遠鬼との口論のせいで石英さんの謝辞にも素直に喜べなかった俺は、
何となく気の晴れぬままそれでも熊肉を齧った。
そうして周りを見れば、子供達も競い合うように煮汁を啜っている。
甘い汁なんて滅多に啜れるものじゃない。この味は……貴重なんだ。
「石英さん、酒ってもしかして……希少だったりする?」
「お気になさらず。『山嶽王』様がお好きだったので
里より持ちだしたものが残っていたのです」
「え、でもそれだと『山嶽王』が起きて来たら……」
傷が癒え目が覚ました時に酒が無くなっていたら
怒ったりしないのだろうか。
驚きを隠せずにそう聞いてみたが、石英さんは笑顔を崩さなかった。
「大丈夫ですよ。『山嶽王』様はもう……いいのです」
何がいいと言うのか。それを問おうとも思ったが、
石英さんの笑顔があまりに寂しそうに見えたから、
それ以上は何も言えなかった。
岩童が言った事を思い出しながら俺は甘い煮汁を啜り続ける。
(……『山嶽王』に戦って死んで欲しい。
確か岩童はそう言っていた。
それなら多分石英さんも同じ気持ちなんだと思ってた……けど)
聞けば月陽の魔術のお蔭か『山嶽王』の身に浮かび上がっていた傷は
どんどん消えていっているという。
それを喜ぶ石英さんの言葉に嘘はない。だというのにその優しげな笑顔には
何故か寂しさの陰が残る。
子供達の喧騒冷めやらぬ賑やかな夕食、
だというのに俺が思うのはその石英さんの笑顔に残る陰や、
遠鬼との口論の事だけだった。
「えっと……石英さん、いる?」
どうしても石英さんの陰が気になった俺は、
夕食が終わって皆が寝静まる頃に『山嶽王』の眠る円錐へと向かった。
小さな松明だけが『山嶽王』の横たわる巨体を薄暗く照らすその隅に、
『山嶽王』の顔を見詰める石英さんが座っていた。
「……どうしました?」
突然の来訪にも特に驚く様子はなく、
石英さんは穏やかな表情のまま俺を見下ろしてくる。
……子供達のいないこの場では石英さんはいつもの笑顔ではなく、
ただ寂しさだけを募らせたような悲愴な表情で……
俺は自分の予感が間違ってなかった事を知った。
「『山嶽王』の身体……大分良くなってるね」
今は遠鬼の隣で眠っているであろう月陽から聞いている。
治癒魔術の効果はあったようで、傷が大分消えてきているのだと。
「……そうですね。月陽さんには本当に感謝……しています」
でも、そう言う石英さんの表情は暗い。
尊敬する『山嶽王』が癒えてきているというのに、だ。
「石英さん。アンタ『山嶽王』の傷が癒えて欲しくないのか?」
その言葉には流石に驚いたようで、
こちらを見る石英さんの目が大きく見開く。
「……そんな風に見えますか?」
「見えるよ。石英さん……『山嶽王』に戦って欲しくないのか?」
「そういう訳では……ないのです」
石英さんの視線はそこで『山嶽王』の方へと戻る。
その薄暗さから目元が隠れ、口元ばかりが僅かに照らされている。
「『山嶽王』様に戦って欲しい。
それが私達の願いでした。そしてそれは……叶いました」
そのふっくらとした大きな唇が動く。
願いが叶ったと言うその唇は……それでも笑みの一つも作らなかった。
「ご武運を……そう伝えて私は『山嶽王』様を見送り、
幕府管領との一戦を遠目から見届けました。
『幕府最強』と名高い管領が相手ながらも
一歩も引かず戦う『山嶽王』様は……とても、楽しそうでした」
「なんだ。『山嶽王』は戦いを楽しんでいたのか。
それは……石英さんも見てて嬉しかったんじゃないのか?」
「嬉しくは……なれませんでした」
「嬉しくなかった……?
もしかして、石英さんは『山嶽王』に死んで欲しくないとか……」
俺は石英さんの寂しげな笑顔を見ていて、実はそうなのではないかと思っていた。
いくら戦って欲しいと思っていても、
それで敬愛する『山嶽王』が敗死するのを良しとは思えないのではと。
「死んで欲しくない……?
界武さんは鬼人族なのに優しい考え方をなさるんですね」
石英さんの唇が儚げに微笑む。
どうやら、俺の予想は外れていたらしい。
「……違うのです。戦士が戦いで死ぬ。それを悲しいとは私は思いません。
ですが……私は知らないのです」
「……知らない? 何が……」
「『山嶽王』様があのように戦うと、知らなかったのです」
(……あのように?)
俺は『山嶽王』と管領の戦いを見た訳じゃないし、
『山嶽王』の戦い方自体も延老さんからちょっと聞き齧った程度だ。
「なんか……凄い大きくなって戦うんじゃないのか?」
「一般にはそう言われてましたが……
私の知る『山嶽王』様はあのような粗野な戦い方はなさりませんでした」
「粗野……?」
「はい。もっと洗練された……柳の柔らかさと欅の硬さを併せ持つ、
熟達の格闘家……それが、私や岩童の知る『山嶽王』様でした」
木に例えられるとちょっと分からないが、
とにかく戦い方が違ったらしい。
「分かってはいるのです。あれは『山嶽王』様の若かりし頃の戦い方だと。
ですが……あれでは違うのです。
私が戦って欲しかった『山嶽王』様とは……まるで違ったのです」
「えっと……じゃあ次は戦い方を変えてもらうようには言えないのか?
岩童が言ってたけど、今は石英さんを魔王だと思っていて、
何でも言う事を聞いてくれるんだろ?」
「そうですね。『山嶽王』様は私を魔王だと勘違いしておられます。
……分かりますか?
自分の玄孫をそれと分からず魔王だと思っておられるのです」
「それは……」
言葉を失う。
確かに岩童は『山嶽王』が呆けたとは言っていた。
でも……そこまでか。
何もかも……家族の顔をも忘れたまま、
ただ若い頃の屈辱を晴らさんと戦っているというのか。
「先生は私達の願いを叶えてくれました。
ですが……いざ夢が実現したのを見て、
これが本当に私達の願いだったのかと思わずにはいられないのです」
優し気な女巨人という印象しか持ち得なかった石英さん。
それが……今は慟哭に震えるか弱き乙女のようにも見える。
石英さんは『山嶽王』の死に怯えていたのではなく、
既に自分の知る『山嶽王』は死んでいるのではないのか、
という疑念に打ちのめされていたのだ。
(それは……悲しい事じゃないか!)
俺はどこに向けていいか分からぬ怒りに拳を震わせる。
石英さんや岩童は今回の件で反逆者の汚名すらをも引き受けているんだ。
そんな命を賭けた献身が何の意味も無いというのではあまりに報われない。
ただ……そこに同情するにしろ、一つ疑問に感じる事もあった。
「……そんな事、どうして初対面同然の俺に話してくれるんだ?」
岩童もそうだったから巨人族はそうなのかもしれないが、
石英さんも聞かれた事にこんなに素直、正直に答えてくれる。
これは一体どうしてなのかと。
「……界武さん、私を心配して会いに来てくれたんですよね?
それが、嬉しかったから……です」
「え!? し、心配したって……」
実際そうなのだが、こうして見透かされていたと知れば
恥ずかしくて顔も赤くなる。
「……最も魔族らしいという鬼人族の子とはとても思えない。
そんな優しい子だから……私、話してしまいました。
岩童にだって……言えなかったのに……」
「や、優しいって、そんな事はねえって!」
なおも照れ隠しを続けようとする俺を見て、石英さんは笑う。
夕食時に見た寂しさの残る笑顔じゃなく、本当に楽しそうに。
「鬼人族も照れたりするんですね。
でも子供達を見れば分かりますよ……皆、界武さんを慕っていました。
それは界武さんがとっても優しいから、ですよね?」
「う……」
そこで言葉を失ってしまう。
何と言うか……俺は年上の女性に弱かったりするんじゃないだろうか。
そうやって赤くなって縮こまっている俺の肩に大きな掌が乗せられ、
そして月陽の手ほどの親指が俺の頬を撫でてくる。
「……ありがとう、界武さん。子供達に優しくしてくれて。
そして……私を心配してくれて」
俺は赤い顔を隠すのも忘れて思わず見上げる。
……優しい笑顔がそこにはあった。
垂れ目がちの石英さんがこうして目を細めると、
本当に……甘ったるいぐらいに優しく見えるのだ。
(遠鬼は……自分で考えろって言ったんだよな)
俺がこの笑顔を守りたいと強く思った時、
ふと夕食前の遠鬼との口論を思い出した。
『山嶽王』を倒すだけじゃあ子供達は救われない。
だからその手段を予め考えておけ……
あれはそんな遠鬼なりの助言のようなものだったんだと思う。
だけど俺は痛い所を突かれたと意固地になってしまっていた。
「……石英さん。俺……頼みがあるんだ」
そして今なら分かる。俺には守りたいものを守る為にすべき事があるんだと。
ここの子供達も、石英さんも……皆を守る為に出来る事が残っているんだと。
「私に頼み? えっと……何ですか?」
……多分、これで全部上手くいく。
俺の知るあの男は……こと戦いに関しては信頼に値するのだ。
「『山嶽王』の傷が癒えたら……遠鬼と戦わせてほしいんだ」




