百三十話 お供え
それは、人間の反乱が一応の終わりを迎え十年が過ぎ、
ようやく幕府による統治体制が形になりつつあった頃の事だ。
建国から長く続いた戦いも終わり、魔族は木々生い茂る山奥を出でて
町や港へとその居住域を広げていき、そこで平和とは何かを理解し始めていた。
力を競う必要も、戦う理由もなくなった。
いやむしろ、朝廷より発せられた法により濫りに力を振るう事を禁じられ、
魔族はその有り余る力を別の方法で活かす必要に迫られた。
ある者は狩猟を、またある者は荷の運び屋を。
人間程ではないが農作業に覚えのあった者は
人間が持っていた広大な田畑を貰い受け耕作を試み、
冒険心ある者は慣れぬ船に乗って魚を獲ったりもした。
強者のみが生きる事を許された魔族の世界は変わった。
弱者であっても租税を納める事で朝廷や幕府の庇護が得られるのだ。
ならばとこぞって力弱き者達が人間のいなくなった村々へと移り住む。
人の建てた町々はそういった魔族の群れに占拠され、
いつしかそこにはかつてない程巨大な魔族の共同体が作られ始めた。
それから魔族達は共同体への貢献をその存在理由とし、
人間や野の獣ではなく畑で育った野菜や穀物を主に食べるようになった。
この変化を歓迎した魔族は多かっただろう。
実際、みるみるうちに魔族はその数を増やし、平和を謳歌し始めていた。
だが……少なからず、それを好ましくないと思う者もいたのだ。
魔族が掟を忘れ、人間の真似事をするようになった……。
それを惰弱とせせら笑い、力こそを全てとする
魔族の世界をもう一度取り戻そうと何人もの魔族が反乱を起こした。
いつしかその反乱は三人の強力無比な魔族の下に収斂され、
世界を二分する大反乱となる。
その三人こそが世にいう『三大罪人』。
彼等は反乱が鎮圧された後も、
見せしめのためにと牙を抜かれ生かされているという。
……そんな伝説の罪人の一人が、今俺の目の前で横たわっている。
巨躯とはいえ既に九十を過ぎているからか、
屈強というよりも弱々しいという印象を持った。
背丈は岩童よりも大きいのかもしれないが、
四肢の太さは岩童は勿論、横に控えている石英にも遠く及ばない。
治療道具にも事欠く状態なのか、その体に残る傷には碌に手当ての跡もなく、
ただ『山嶽王』の治癒力に任せているかのように野晒しだった。
それを見た月陽が泣きそうな表情で酷い……と呟いたのが記憶に残る。
『山嶽王』の意識は戻っていない。事前にそう聞いてはいたが、
目に見える傷の酷さとは不釣り合いな穏やかな寝顔だった。
だがその胸は呼吸の度にしっかりと上下しており、死んでいる訳でもない。
「……これさ、手当てしようとは思わなかったのか?」
たまらず巨人族の女性、石英に聞いてみる。
治癒魔術で癒すにしたって、手当てもされていないとなると
月陽への負荷がどうしても心配になるからだ。
「魔術による治癒以外は受け付けないのです」
「……そんな事ってあるのか?」
「あるのです。『山嶽王』様は敵からの攻撃をものともせず戦う術を
知ってはおりますが、消耗しない訳ではないのです。
そしてその消耗は、こうして実体のない傷となって
『山嶽王』様の身体に残る事となるのです」
「実体の……ない?」
「はい。今こうして見える傷は全て実際には存在しないのです」
石英はその大きな手で『山嶽王』の首に残る痛ましい傷を撫でた。
その掌には……全く血の汚れが付いていない。
「ただ魔力の損耗が傷という形となって
『山嶽王』様の御身体に現れているのです。
これでは手当のしようもなく、
ただ治癒魔術のみがこの傷を癒すと聞いています」
そして石英は縋るような眼差しを月陽の小さな体へと向ける。
月陽は振り向きこそしないものの
その視線と期待の重さには気が付いているらしく、
大きく深呼吸して真剣な表情で横たわる老人を見詰めている。
「月陽、治せそうか?」
聞くのは月陽の横に立っている遠鬼だ。
この男とて『山嶽王』がまた戦えるようにならないと困るからか、
石英に負けず劣らずの深刻な表情だ。
「分からないけど……やってみる」
そう言った月陽の側にいる俺はすぐその変化に気付く。
月陽から流れてくる空気が暖かく……そして優しい。
慈愛の魔力より作られた……魔力の霧を放っているんだ。
「これであの人を包んで……それで、魔術を使う」
「それ、拘束魔術に対抗するための魔術だよな?
怪我の治療にも効くのか?」
「多分……。
それにね、界武君の時もこっちの方が治癒魔術の効き目が良かったから」
その言葉に、月陽が俺をこうも早く治癒できた理由の一端が窺い知れた。
(……そうか。俺の背中の傷を治す時にも
こんな風にしていたのか……)
そう思えば、月陽への感謝の念は勿論だが、
ここに横たわる『山嶽王』に対しても、ちょっとイラっとするような……
何とも言えない不快な感情が芽生えてくる。
(ひょっとして……これ、嫉妬か?)
自分が特別にそうやって治療してもらえたとでも
心のどこかで思っていたのだろうか。
俺は同じように治療してもらえる『山嶽王』に
そんな子供っぽい嫉妬を抱いたのかもしれない。
怪我人に対してなんて感情を抱いているのか。
自分が凄い小さな男のように思えて、たまらず左拳を握りしめる。
「そしたら……月陽、頑張ってくれ。
遠鬼、月陽をちゃんと守っててくれな」
これ以上ここに留まっても俺に出来る事は無いし、
先の嫉妬の感情を心に抱えっぱなしでいるのも具合が良くない。
だからと俺はこの場を後にする。
「分かった」
俺の心境を知ってか知らずか、遠鬼は俺に何処へ行くのかと問う事もなく、
簡潔にそう答えた。
『山嶽王』の眠る巨大な円錐を出た俺は、
心配そうにこちらを窺う子供達の視線に気付く。
「……よお」
気さくに挨拶したつもりだったのだが、
その言葉に視線の主は蜘蛛の子を散らすかのように逃げていく。
……どうやら、額当てを付けたままの俺は鬼人族の子供と思われているらしい。
(かといって……ここでこの額当てを外す訳にもなぁ……)
現状は敵地と呼んでも差し支えの無い場所なのだ。
ここで自分の正体を明かすのはちょっと勇気が要る。
(そうは言ってもなぁ……魔族と思われてる間は
あの子達から信頼を得られる訳が……)
とそこまで思って、鹿野戸さんや延老さんの事が脳裏に浮かんだ。
二人共間違いなく魔族だというのに、鹿野戸さんはあの子供達から、
延老さんは澄から信頼を勝ち得ていた。
(それなら俺も……やってやれない事は無い……かな)
「よお、お前達……元気か?」
重要なのは友好的だと思わせる事。
俺は慣れない笑顔を作って、努めてにこやかに子供達が逃げて行った
円錐の一つに声をかける。
「怖がらなくていいぞ~。
お前達に良くない事をする気は、俺には全く無いからな~」
……返事は無い。
ここに最初に来た時はあれほど騒がしかったのに、
今はあの円錐から物音一つしやしない。
(……どうすっかなぁ)
早速の躓きに頭を抱える。
そこで俺は、こうなったら鹿野戸さんを見習って
どんな手でも使ってみようと思い立つ。
「本当に怖がらなくていいんだって。
俺はさぁ、鹿野戸さん……お前達が先生って呼んでる人も知ってるんだ。
会って話した事もある」
嘘は言っていない。喧嘩別れした事を話していないだけだ。
……とにかく、鹿野戸さんと知己があるのを強みに押していくのが
最善手だと見た俺は、そんな声をかけてみた。
効果があったのか、ちょっとざわざわとした声が聞こえてくる。
一体あの中に何人の子供が隠れているのか……。
「おっお前が言う先生って……どんな人だ!?」
そんなに待つでもなく返事が来た。多分少年の声だ。
まだ円錐の中からその姿を見せてはくれないが、
鹿野戸さんの話題が少しだけ、あの子達の警戒感を解いたのだろう。
「どんな人って……そうだなぁ。
髪が長くて黒い。背は高くてひょろっとしてる。
蜥蜴みたいな尻尾があって、大きな金槌を持ってたな。
それで……」
一番大事な事をあの子達に伝える。
「あの人、お前達を本当に大事に想っていたよ。凄い心配してた。
俺はな、青、鉄、咲って名前の子供達を助けてあの人の下に連れて行ったんだ。
そしたらさ、あの人どうしたと思う?」
「……え、えっと……どうしたの!?」
間を置かずに少女の声がした。
話の続きを知りたくて仕方ないといった風にだ。
「鹿野戸さん……ああ、お前達の言う先生の名前な、鹿野戸って。
それでな、あの人……ありがとうって、泣きながら俺に礼を言ってくれたんだ。
それで俺はな、あの人がお前達を本当に愛しているんだなって……
そう思ったんだ」
その俺の言葉をどう受け取ったのか。
暫く返事はなかったが、代わりにすすり泣きのような声が少しだけ聞こえた。
「えっと……じゃあお前は人間を食べたりしないのか」
少年が俺に聞く。声から察するに、最初に返事をしてくれたのが多分この子だ。
完全に警戒が解けた訳ではないだろうが、
それでもそれからすぐに子供達が俺を見に円錐の中から出て来てくれた。
それで今は自己紹介がてら子供達と話している。
勿論、俺が鬼人族の子供であるという体でだ。
騙すような形になってしまって少し悪く思うが、状況を考えれば仕方がない。
出てきた子供達は十人程度。
皆血色がいい事から石英という人はこの子達を手荒に扱っていない事が分かる。
確か岩童も言っていた……姉貴は子供達に情が湧いてしまったと。
「ああ、人間なんて一人だって食べた事はねぇよ。
一緒に来たあのでかい方も小さい女の子もそうだ。
でかい方は米が好きでな、女の子の方は……煮た猪の肉が好みだったかなぁ」
「へぇ……。やっぱり毛人の中にもいい人っているんだね」
話を聞いていた少女が相槌を打つ。
「……やっぱり?」
「うん。ここにいる石英さんも私達に凄い良くしてくれるの。
だから皆石英さんは毛人なのにいい人だねっていつも言ってる」
「……そうか。そりゃあ良かった」
あの石英って人がこの子達が持つ魔族への警戒感を和らげてくれていたのだろう。
だからと俺は後で感謝しておこうと思う。
「あ、そういえば……巨人族はもう一人いるよな。岩童って男。
アイツは何処にいるんだ……?」
そういえば岩童の姿が見えない。
そんな事に今更気付いて、その少女に聞いてみる。
「ああ、岩童さん? あの人は……確か人を探しに出て行ったよ」
「……人を探しに?」
「うん、確かアンタ達だと思うんだけど」
「え……俺達!?」
「そう。『山嶽王』様の怪我を治せる鬼人族の少女がいるからって。
待ってるだけじゃいられないって言って出て行ったよ」
「ああ……そういう事か」
なるほど。あの墓のあった場所に伝言を残しただけじゃ不安で、
俺達を探しに行ってしまったんだ。
行き違いになってしまったと、岩童の徒労を申し訳なく思いはするが、
今からではもうどうしようもない。
「あの墓の横に伝言を残してくれたんだから、
ここで待っててくれりゃあ良かったのになぁ……」
その岩童を思っての何となくの独り言。
その中のとある言葉に子供達の一人が反応した。
「……墓?」
「ん? ああ……墓だよ、お墓。俺達が作ったんだ。
ちょっと前にこの国の守護が襲撃されてな、
その場所に残ってたのを……」
そこまで言って気が付く。
そういえば……その襲撃を行ったのがこの子達と石英だ。
「お墓……香達のお墓を作ってくれた……の?」
さっき岩童の行方を答えてくれた少女が言う。
その声には……悲しさと寂しさが混じっている。
「カオリ……ああ、あの襲撃で……」
死んだ、とは口に出せなかった。
子供達も当然分かってはいるのだろうが、
言葉にして聞きたくはないだろうから。
「お墓。ちゃんと作ったよ。
えっとな……一人一人のお墓を作るのはちょっと難しかったから、
皆まとめて大きなお墓を一つ……で悪いんだけどな」
それならと俺はそんな風に返した。
子供達の墓を作ったのは厳密には遠鬼だが……それはまあいいか。
「ううん、香……寂しがり屋だったから。それで嬉しがってると思う」
「……そっか。なら良かった」
良かった、そう思おう。そうじゃないとやってられない。
……ここにいる子供達も同じ気持ちのようで、
泣きそうな顔をしている子も散見されるが、誰も涙は流そうとしない。
「……ありがとう。お墓の場所教えて。今度お供えに行ってくる」
「……オソナエ?」
聞き慣れぬ単語に今度は俺が聞き返す。
「うん。お墓にね、その下で眠ってる子が好きだったものを供えてあげるの。
そうするとその子が喜ぶんだって先生に習ったけど……
毛人はお供えとかしないの?」
「どうなんだろうなぁ……少なくとも俺は、知らなかったかも」
遠鬼が言うには死んだ人を強い姿のまま送り出す為に墓を作るんだったか。
その目的から言えばもう墓の下にはその人がいない事になるんだから、
供え物はしないのが普通なのかもしれない。
では姉さんはどうだっただろうか?
……いや、それは思い出せない、思い出したくない。
「……大丈夫か? 顔……真っ青だぞ」
傍から俺の顔を覗き込んだ少年が心配してくれる。
どうだろう……? 俺は大丈夫なんだろうか?
そこで正気に戻る。
何か……とても危険な事を思い出そうとしていた気がする。
気がするが……それが何かは分からなかった。
「……大丈夫、大丈夫だ」
子供達を心配させないように笑顔を作る。
それで一応は安心させられたようで、子供達も笑ってくれた。
「じゃあ……今度、一緒にお供えに行こうな」
「いいの?」
「ああ。何もかも全部綺麗に片付いたら、その時は……一緒に行こうな」
何もかもを片付ける。簡単に口に出したその一言。
それがどんなに大変な事かと思わずにはいられないが、
それでも嬉しそうに笑う子供達を見て、
そうしなければならないと俺は更に強く思った。




