百二十九話 円錐
「山の中って書いてあったよなぁ……じゃあ、この先か」
一晩明けて指示の通りに進んでみれば、
しばらくして鬱蒼とした森が広がる山に行き当たった。
遠目には分からなかったが、その森の傍まで近づいてみれば
巨獣が踏み荒らした後のような荒々しい獣道が山の頂へと続いている。
「ここ……登るの?」
不安そうな月陽の声。
申し訳ないが俺はそれに首肯せざるを得ない。
「そうなる。こんな道、馬車は通らないからなぁ……」
「……そっかぁ」
荷台に座る月陽はその座り心地を惜しむように横たわる。
牧場でずっと閉じ込められていた月陽だから、
長い距離を歩く……それも山の中を、と言われればうんざりもするのだろう。
「……界武君。怪我、大丈夫?」
荷台に敷いてある毛布を手でぐしゃぐしゃと丸めながらの言葉。
あれからずっと治癒魔術を受けているから俺としてはもう痛みすら感じない
背中の傷なのだが、月陽にとっては未だに心配の種らしい。
「何度も言ったけど、もう大丈夫だよ。
月陽のお蔭でもう痛みすら残ってないんだ。
戦うってなるとちょっと難しいかもしれないけど、
山を登るぐらいならなんてことはねぇよ」
「それなら……いいけど……」
でも何故か月陽はその答えが不満そうだ。
(もしかして、俺の怪我にかこつけて
山を登るのを止めて欲しかったのか……?)
「……そんなに山登るのが嫌なら、遠鬼におぶってもらったらどうだ?」
月陽はその言葉に体を起こして、遠鬼の背中を見詰める。
遠鬼の背中にはいつもの金棒に、大きな荷物袋がぶら下がっている。
あの上に更に月陽を乗せるとなると……肩車をしないといけないか。
「……ううん、歩く。これで貸しが消えたら嫌だから」
月陽は覚悟を決めるように自分の頬を一叩きして、荷台から降りた。
(……この程度、遠鬼は貸しにしようなんて思わないだろうがなぁ)
まぁ、月陽が自分の足で歩くと決めたのだから口には出さないでおく。
適度な運動が大事だと姉さんも言っていた……ような気がするからだ。
(……姉さん、か)
鹿野戸さんに刺された後に姉さんの夢を見てからか、
俺は何故か姉さんの事を思い出すのを怖いと感じるようになっていた。
あれだけ恋しいと思っていた記憶なのに……何故だろうか。
「界武君、置いていくよ!
荷台から降りて……早く!」
だがそんな俺を呼ぶ月陽の声に急かされて、俺は考えるのを止めた。
そして今から獣道に入ろうとする遠鬼の後ろ姿へと向かって走りだす。
暦ではそろそろ長月となる筈だ。
その日差しの強さを思えば……
木陰の多い山道は心地良いもののように俺は思った。
遠鬼が力技で押しいる山道を、俺は月陽の手を握ってついていく。
木々の間を吹き抜ける風は程良い涼しさで心地良く、
木陰のひんやりとした雰囲気も手伝ってか山登りとはいえど
体力を削られる事もなく、足場の悪さも気にならない。
だが……それはあくまで俺の話だ。
月陽の手を引く俺の左手は、歩を進めるごとに重くなっていく。
「……疲れた。足痛い」
「治癒魔術は?」
「使ってる……でも追いつかないし、
怪我を治す魔術だから疲れたのを元気にするんじゃないし……」
とにかく、そろそろ限界らしい。
「お~い、遠鬼! ちょっと休憩! 月陽が無理だって!」
それが聞こえたか、前を行く遠鬼の足が止まる。
「担いで行ってもいいが……」
俺と同じく遠鬼も全く疲れていなかったんだろう。
だからそんな提案をしてくる。
子供程度なら二、三人は軽々と担いで行きそうな遠鬼ではあったが、
だからといってあんまり月陽を甘やかす事もないと思う。
「別に急いでる訳でもねぇし、
ちゃんと自分の足で歩かせた方がいいと思うぞ」
「……そうか」
遠鬼は荒れた獣道でも比較的平らな場所に目を付けて、
そこを踏み均してから荷物袋の中から麻布を出した。
均した場所に敷き、座りやすいようにしてくれたらしい。
「ほら……あそこの上で休みな」
「うん、ありがと……」
フラフラと麻布が敷かれた場所へと向かった月陽は、
そこでバタリと倒れ込んだ。
「……おい、大丈夫か?」
流石にちょっと心配になった俺だが……。
「疲れた~!」
その叫びが思いの外元気だったので、
月陽はどこか身体を悪くしたわけではなく、
単に疲れていただけだったのだと知った。
「……水筒だ」
「ありがと~」
遠鬼から受け取った水筒に、月陽は全く遠慮せずに吸い付いている。
俺の分も残しておいて欲しいが、この調子だとあの水筒を空にするまで
手放す気は無さそうだ。
「まあ……いいか。俺は別に疲れてねぇし」
月陽の寝転ぶその横に腰を下ろす。
遠鬼といえば腰を下ろすでもなく棒立ちのまま辺りを見渡していた。
……この山を登り始めてから一刻程度しか経っていない。
遠鬼ほどに鍛えた者ならこの程度、腰を下ろす程も疲れないって事だろう。
「しかし……急がなくていいのか?」
その遠鬼が俺にそんな事を聞いてくる。
「別にいいと思うけど……どうしてだ?」
「もう『閃刃』は国境に辿り着いているだろう。
その……鹿野戸という男が殺されてしまっているんじゃないのか?」
「ああ……そういう事」
俺が鹿野戸さんを助けたいと思っているのを知っている遠鬼から見れば、
俺が延老さんを国境に行かせた事も、こうして特に急いでいない事も
不可解に映っていたのかもしれない。
「……それだけどさ、俺……結局延老さんに言えなかった事があるんだ」
「何だ?」
「延老さんは……多分、鹿野戸さんを殺せない。
いや、この言い方だとちょっと違うなぁ。
延老さんも鹿野戸さんを追い詰める事が出来れば大丈夫だと思う。
だけど……多分、追い詰めるのは無理だ」
延老さんとも鹿野戸さんとも戦った事がある俺だから分かる、
それは直感のようなものだった。
「どうしてそう思った?」
「遠鬼、お前が行ったんじゃないか。
鹿野戸さんは利用できるものは何でも利用する人だ。
だから……鹿野戸さんの手元から利用できるものを全て奪わない限りは、
あの人を追い詰める事なんて出来ない。俺はそう思ってる」
そこから先は遠鬼にだって伝えていないが、
遠鬼を連れて『山嶽王』に会いに行こうとしている理由も関係している。
延老さんには国境の関という隠れ家を潰してもらい、
遠鬼には『山嶽王』という鹿野戸さんの奥の手を潰してもらう。
そうやって鹿野戸さんから一つ一つ駒を奪っていって……
その後でなければ俺は鹿野戸さんには勝てない……助ける事が出来ない。
そんな気がしているんだ。
「あの人の執念は普通じゃないんだ。どんな手段も躊躇う人じゃないんだ。
だから、鹿野戸さんは絶対に生きてるよ」
「……そうか」
それ以上は遠鬼は何も言わなかった。
だからと俺も静かに山の空気を味わっていた。
ただ山を登るというだけでも、
遠鬼と月陽が一緒なら楽しいのかもしれない……そんな事を思いながら。
その月陽が水筒に頭を預けて寝息を立ててしまっていたために、
俺達はその場でもう少し休憩する事となってしまったが。
それから更に三刻は獣道を進んだ。
「……なんだ、これ?」
俺がそれを見て言った言葉だ。
遠鬼と月陽とて口には出さなかったが、大体同じような感想を持っただろう。
木だ。何十という木々が左右から斜めに倒されて
天辺で互いを支え合うように三角形を作っている。
その組み上げた木々、周りを見ればどうも円形となるように並べられており、
その一部だけ木が組まれてない場所が入り口のようにぽっかりと開いている。
要は……これは自然に生えている大木で組み上げられた、
一部が欠けた円錐と言える。
そんなものが三つほど、この山奥の森の中から急に現れたのだ。
その円錐、高さは以前見た廃砦より少し低いかという程度、
あの高さなら岩童ぐらいの大男でも天井を気にせず出入りが出来るだろう。
そしてここに来た目的を思えば、これは岩童達が建てた即席の家……
という事になるのだろうか。
「これが……そのおっきな人、巨人族だっけ……?
その人達のお家なのかな……?」
月陽も同じように考えたようだ。
この立ち並ぶ円錐を眺めては、凄いなぁ……なんて呟いている。
あの休憩の後も遠鬼と俺の先導があったとはいえ
獣道をずっと登ってきた月陽だ。
ついさっきまで疲れ果てたといった風に肩を下ろして歩いていたのが、
この常識外れの建物を見て俄然好奇心に目を輝かせ始めている。
「……なのかな? まあ、岩童みたいな大男ならこんな家じゃないと
出入りだって無理かもしれねぇけどさぁ……」
ひとまずそう返事をする。
だが……だとしても雑にもほどがあるだろう。
これはただ単に木を立て掛けて粗く組み立てただけのものだ。
(多分、上手い感じに組み上がってるんだろうけどさ、
それでもあの木が倒れてこねぇか気が気じゃねぇし、
雨漏りもするだろうし風もあんまり防げそうでないし、
住み心地が良さそうだとは全く思えねぇなぁ……)
うん、どう考えても人間の俺には向かない。
そう思いながらその円錐の一つを見ていたら、
その中から小さな子供が出てくるところだった。
「……あ」
その子供が俺達を見てそう言った。
何か返事をすべきかと悩む間もなくその子供は円錐の中へと戻っていく。
「皆! 毛人がいる……毛人がいるぞ!」
その言葉より円錐の中が俄かに騒がしくなり始めた。
「人間の子供が住んでたね!」
その喧騒とて月陽を驚かせるようなものではなく、
人が住めると知って中を見たくなったか、うずうずとしている。
「石英さん……石英さんに言うんだ!」
「鬼……鬼人族だったぞ! 大人と子供が二人!」
「えっと……それ、石英さんが言ってた客なんじゃない?」
そんな声が聞こえる騒がしい円錐は、
三つ並ぶ円錐の右端にある小さめのものだ。
あれが人間の子供達のものであるというのなら、あとの二つは誰のものか……。
「子供達……騒がしいですけど、何かあったのですか?」
真ん中の円錐からそんな声が聞こえた。
その大きな声量の割には高い……女性のものだと思わしき声だ。
そして円錐の中から出てきたのは……薄着の細長い女の巨人。
肩から胸元まで伸びる長い黒髪に白い肌。
岩童のようにがっしりとした体格ではなく、
むしろこの細さであの体躯を支えられるのかと
不安になるぐらいに細い手足。
でも多分その不安は不要のもののようだ。
よく見ればその手足は細いながらも筋肉質で、
胴に至っては引き締まった腹筋が段を作っている。
まぁ、遠鬼のそれよりは大人しめではあるが、それでも立派な筋肉だ。
そしてその顔には目尻の垂れ下がった眠たげな眼がある。
その色は……神秘的なまでに青い。
初めての巨人族の女性との会遇に、
ただぼうっと眺めていた俺と月陽をよそに遠鬼が口を開く。
「お前が石英とかいう巨人族か?」
「貴方達は……まさか」
その女性の有り得ないものを見るかのような表情が、
遠鬼が広げた麻布を見て見る見る喜色満面となってゆく。
「この布を見てここまで来た。『山嶽王』を治したい」
「では貴方が……『同族殺し』、『悪鬼王』の後継ですか?」
「……そうなる」
それがこの反乱の主要人物最後の一人、石英との出会いだった。




