百二十六話 戦う
月陽なんかには顕著にみられるけど、
俺達牧場育ちはそこまで魔族に対して悪い感情を持ってはいない。
勿論、服従印の制御下にあるのが一番大きな理由だが、
牧場にいる魔族達は厳しくはあるけど危害を加えるような事はしないし、
言う事をちゃんと聞いていれば衣食住の保証もしてもらえる。
理由が知れてしまった今となっては
その妙に待遇が良かった牧場の暮らしを懐かしむ事は無いけれど、
そうと知るまでは魔族というのは単に俺達の家主とか世話係とか、
その程度にしか思っていない筈なんだ。
鹿野戸さんが楼京から連れ出した子供達もそれは変わらない。
この世界の真実を知るまで魔族を憎む事すら出来なかっただろう。
そして……今ここに泣き崩れる澄を見て俺はこうも思うのだ。
この世界の真実を知った後でも……
魔族を憎み切れなかった子がいたんじゃないかと。
だからと鹿野戸さんに植え付けられた憎悪に縋って、
絶望的な戦いに身を投じていた子もいたんじゃなかったかと。
「……先生を疑ってる訳じゃない。
教わった事は正しいんだって今も思ってる」
泣き止んだ後の澄は驚くほど静かで……落ち着いていた。
「でも……私が牧場で見てきた毛人の人達はね、
上の方の人達は確かに怖かったけど、下の方……
あの、私達の世話とか、雑用なんかをしているような人達ね。
その人達はどっちかというと優しくて……」
泣き腫らした目と淡い笑顔でそう語る澄は
どこか憑き物が落ちたようで……これが本来の姿なのかなと思った。
「その優しさが商品としての私達への気配りでしかないと、
そう教えられてもいたけれど……。
それでも、私はやっぱりそんな人達までもを殺せるほどに
毛人を憎む事が……辛かった」
その独白の後、澄は俺の方を見る。
「だから私……その遠鬼って毛人と仲良くしてるアンタを見て、
正直……羨ましかった。
私がこんなに頑張って毛人を憎んでいるのに……
アンタは、そんな毛人と楽しく暮らしてて」
「頑張って……憎んでたのか」
何となく気持ちがわかる。
俺だって魔族にも罪無き幼い子供もいれば、
話の分かる大人だっているって知ってから、
戦う事に迷いが生じ始めたんだ。
そして、それでも戦う事を強いられたならどうすればいいのか。
その答えが……今ここにいる澄だ。
「ある日突然食べられる運命から助け出したって言われて、
それで、もうどうしようもない人間の現状とやらを知らされて……
そんな子供の目にも勝ち目なんて無い戦いをするしかなくて」
鹿野戸さんは澄達に対しても誠実であろうとしたのだろう。
だから……鹿野戸さんが続けているこの人間と魔族の戦い、
その戦力差が絶望的である事も、
その差を覆す為に子供達の命を武器とする事も、しっかりと説明したのだ。
子供達にも分かるように……教えてしまったのだ。
「毛人は人食いの化け物で、私達は戦わなきゃ殺されて食べられる。
そう信じなきゃこんなの……戦えるわけないじゃない。
憎んで、憎んで、憎み切らなきゃ……続けられる訳ないじゃない……」
だから澄は、俺と遠鬼が仲良さげに口喧嘩をしている姿を見て、
心が折れてしまった。
遠鬼から差し出された握り飯を美味しそうに食べる月陽を見て、
植え付けられた憎しみという憑き物が……落ちたのだ。
「ねぇ……界武君?」
「何だ?」
もう俺を裏切り者と呼ばなくなった澄。
その弱々しい声に胸が痛む。
あの俺を罵る勇ましい声が恋しくなる程に。
「教えて……人間と毛人って、戦うしかないの?
先生が言うように……殺し合うしかないの?」
俺はその言葉に、鹿野戸さんから聞いた話を思い出した。
牧場での出来事。
鹿野戸さんは人間を助けようとして助けられなかった。
自我が芽生え生きる為に戦おうとした人間達の反乱は、
鹿野戸さん以外全滅という最悪の終わり方をした。
長門国での出来事。
仲間や弟子と共に勇敢に戦った鹿野戸さん。
戦う度に仲間の多くを失ったけれど、
それでも死に怯える人間の子供達を少しだけでも救えたという。
だけど……結局鹿野戸さんは、積み上がる屍の高さに耐えかねて、
たった一人で魔族の世界に戻る。
そして……今。
鹿野戸さんは心から愛おしいと思っている子供達の命を武器として、
魔族を相争わせる謀略に手を染める。
鹿野戸さんなら言うだろう。魔族を殺すしかないと。
それもまた一つの真理だと思う。
俺はそれを否定できないからと、無頼の思想で押し切ろうとした。
だが今……鹿野戸さんに武器として育てられた澄が、
こうして俺に戦う意義を問うている。
俺は答えなくてはならない。
この問いに答えなくてはならない。
そしてそれは、鹿野戸さんの導いた真理を
追認するようなものじゃあ駄目なんだ。
(だけど……それじゃ、どう答えれば……いいんだ?)
遠鬼の教えてくれた無頼の思想……今の俺を支える理念。
自分の意志こそが大事で、他の全ては雑音なのだと。
俺はこの言葉で救われた。
でも……鹿野戸さんには届かなかったように、
この澄にも多分届きはしないだろう。
(つまりは……まだ足りないんだ。
鹿野戸さんや青、鉄、咲。
それに……この澄を含めた皆を助ける為には、
無頼の思想だけじゃ……駄目なんだ)
じゃあ何がある。俺にあるのは何だ。俺は何をすればいいのか。
「おれ、俺が……」
この口が何かを言おうとしていた。
何を言い出すか当の本人ですら分からないのにだ。
俺が……何だというのか。
俺の左手を包む暖かい掌に気付く。
見れば俺の手をぎゅっと握りしめているのは月陽だ。
心配そうなその瞳が雄弁に語る……喋っては駄目だと。
それを口に出せば、もう後戻りできないと。
(月陽……どうして、そんな泣きそうな目をしているんだ?)
そこで気が付いたが、開きかけた口の中がカラカラだ。
次に口から出ようとした言葉も奥に引っ込んだか、喉が動かない。
(俺が言おうとしたのは、それ程の事だったのか……?)
喋り方すら忘れてしまったかのように動かない口と喉。
俺は一体何を言おうとしたのか。俺が一体何だというのか。
遠鬼の方を見る。
何となくアイツに縋りたくはなかったけど、それでも見てしまう。
遠鬼は……笑っていた。
楽しそうな笑み……何度か見た事のある表情だと思った。
それはいつ、どこでだったか。そして……。
(なんでお前は……笑うんだ?)
いや、こいつが笑うような事はたった一つだ。そこについては熟知している。
つまり……俺が言おうとしていたのは、そういう事だったんだ。
ならば、俺はそれを口にしようと決めた。
誰かにそう仕向けられたからじゃない。俺は俺の意志で、そう決めたんだ。
「俺が……戦う」
「……え?」
澄の要領を得ないというような声。
そりゃあそうだ。これだけじゃ澄の問いの答えにはなってない。
「俺が……澄や鹿野戸さん、青、鉄、咲……皆の代わりに戦う。
俺が、戦って、戦って、戦い抜いて……そして、この世界を変えてやる!」
「そんな……どうやって?」
「戦うんだ! それだけ……それだけだ!
それで……人間が食糧以外の生き方を出来るようになるまで!
魔族が人間から憎まれないようになるまで! ずっと戦い続けてやる!
そしてそんな俺を邪魔する奴等全員叩きのめして……それで、世界を変える!」
子供じみた、乱暴で非現実的な……。
でも誰も否定しない。笑い飛ばそうともしない。
澄は驚愕のまま言葉を無くし、月陽は悲しみのあまり目を瞑る。
延老さんは何故か目を細め泣きそうな顔で、
遠鬼は……戦鬼の笑みで俺を見る。これ以上無い程楽しそうに。
「澄……答えになってないかもしれないが、これが俺の答えだ」
澄は……小さく笑う。
先程の様な儚く淡い笑みではなく、
希望を見出したかのような眩い笑みで。
「……私達の為に、戦ってくれるの?」
「お前達の代わりに、だ。
澄みたいに戦いたくない奴まで戦う必要はないからな。
だからそんな奴の代わりに俺が戦う。
あ、でも……協力はしてくれ。そうすると俺が助かる」
「……分かった。今言った事、本当にしてくれるのなら何でもする」
「だから、何でもはさせねぇって……危なくない事だけな」
それを聞いて澄は笑い、俺はそんな澄を綺麗だと思う。
(……そうだよな。やっぱり人は笑ってる方がいいんだ)
ただ、何事にも例外というものは存在する。
笑わない方がいい男……遠鬼は俺の冷たい視線も構わず、
声を出さずに笑っている。
「……何が可笑しいんだ、遠鬼?」
「いや何、そうでなくてはならんと思ってな。
……こんな所まで付いてきた甲斐があった」
「何だよ……それ」
ああ……あの遠鬼の目は見た事がある。
時折延老さんに向けていたのを覚えている。
好敵手と見た相手へと向ける、好奇の視線だ。
「俺がもしその世界とやらを変えるのを拒んだとしたら、
界武……一体どうする気だ?」
「当然ぶっ倒すわ」
今度はこちらが即答する番だ。
「お前に勝てるとは思えんが」
「なら勝つまでやるのさ。そうするって決めたんだ」
遠鬼は笑う。今度こそ声を出して笑った。
「ならいい。楽しみにしている」
遠鬼はその言葉で話を終わらせた。
そこで俺は思い出す。この問答は……俺が延老さんに挑もうとした時のそれだ。
あの時も遠鬼は笑っていた。楽しそうに、本当に楽しそうに……。
「止めてよぉ……」
泣きそうな顔で、俺の手を握りながら小さく呟く月陽。
月陽としては……俺がこうして戦いに身を投じるのを良く思っていない筈だ。
だけどああして遠鬼が楽しそうなのを見ては、
月陽としても止めたくても止められまい。
(……ごめんな、もう決めたんだ)
悪いとは思うし、月陽を巻き込む事になると思うけど……
そうするしかないんだ。だってそう決めたんだから。
「じゃあさ、澄。まず教えて欲しい事があるんだけど」
「……何?」
「まずは鹿野戸さんの計画について。
俺も大まかに知ってるだけだからさ、細かい部分はさっぱりなんだ。
だからそういう細かい所を知ってる範囲でいいから教えて欲しい。
そして……今の鹿野戸さんの潜伏場所もだ」
「それは……いいけど……」
澄はチラチラと延老さんの方を見る。
俺はともかく延老さんには知られたくないか。
「……延老さん?」
「なん……ですか、界武君」
何故か知らないけど延老さんは目頭を押さえている。
「え? ……何で泣いてるんだ、延老さん」
「いやまぁ、これは……。老人はちょっと涙もろくなっていけません」
「……延老さんが泣く要素、あったか?」
ちょっと呆れ気味の俺の問いに答えるのも一苦労、
という感じに感極まっている延老さんがいた。
「若者が強大な敵と戦うと決心する姿などはもう、
私の様な老いた戦士には堪えましてね……もう、ちょっと……」
……理由を聞いてもよく分からない。
延老さんの立場を考えれば、俺の戦う目的を咎めそうなものなんだが。
だが何と言うか……ちょっと恥ずかしい、気がする。
「……それはもうどうでもいいけどさ、延老さん。
鹿野戸さんの居場所を聞いたらどうする気だったっけか?」
「そりゃあ勿論、斬りに行きますよ。
界武君がどう思うかはともかく、私は奴を生かす気はありません」
澄が警戒しているのを察しているだろうに、
鹿野戸さんの処遇については一切ぶれないのは延老さんらしい。
「そりゃ、そうだよなぁ」
延老さんの返事を聞いて、澄は首を横に何度も振った。
……鹿野戸さんを殺されるのは、流石に嫌か。
「……澄君」
だがそれを見た延老さんが唐突に澄に声をかける。
今までは不干渉を決め込んでいたのにだ。
「えっ!? な……何……ですか!?」
澄もそりゃあ慌てるだろう……。
だが、そんな慌てふためく澄に向かって、延老さんは深く頭を下げた。
「……え?」
澄は固まる。頭を下げられるとはまさか思っていなかっただろうし。
「まず手荒な手段でここまで連れて来た事を謝らせていただきます。
申し訳、ありませんでした」
返事を出来ずに固まりっぱなしの澄。
その澄に暫し頭を下げてから、延老さんは姿勢を正すと澄の目を見て話しだす。
「貴方が……鹿野戸という人を庇う気持ちも十分お察しいたします。
ですが、今回の事件は大きくなり過ぎました。
こうなると、犠牲を最小限に留める為にも、
誰かに責任を取ってもらわなければならないのですよ。
……分かりますか? 今言った犠牲というのは貴方のような子供達、
それにこの世界で正しく生きる魔族の民衆です」
驚いた。延老さんは……今さっき俺の言った事を正しく理解して、
澄のような人間の子供達とこの集落にいるような魔族の民を同列に扱ったんだ。
「それ……は……」
「仲間の子供達の命が惜しいのなら、
そして……罪なき魔族の民を哀れと思うのなら、
鹿野戸の居場所を教えて頂けないでしょうか?」
「で、でも……そしたら、あなたは先生を……」
「斬ります。責任を取ってもらわなければならないからです。
そして……そうしなければ子供達を救う道もありません。
何故か分かりますか?
明確に分かる形で誰かがこの事件の責任を取らなければ、
その罪は鹿野戸の下にいる子供達にまで及ぶからです」
「じゃあ……あなたは、子供達は助けてくれるって……言うんですか?」
「はい……この名に誓って、人間の子供達を悪戯に殺めるような事はしませんし、
そうしようとする魔族がいたとしても、その所業を看過しません」
「そんなの……どうして信じろって……」
澄は助けを求めるように俺の方を見る。
延老さんの為人を良く知らない澄だから、俺の意見も聞いておきたいのだろう。
「……延老さんは大丈夫だよ。少なくとも俺は信じてる」
その言葉を聞いて、澄はちょっと考えた後、口を開く。
「もし……子供達を殺そうとする毛人がいたら、あなたはどうしますか?」
「勿論斬って捨てます。私は鹿野戸の罪を裁きに行くのです。
その罪は……彼の下にいる子供達にまでは及ばない。私はそう信じています。
故に、子供達に向かって私刑を行おうとする魔族がいれば、
勿論それも裁きましょう。」
「それ……じゃあ……私達は食べられなくて良くなるんですか?」
「そうなるように努力しましょう。
界武君にも手伝ってもらえれば、子供達が静かに生きられる程度の
隠れ家が用意できるやもしれません」
……流石に延老さんもそこは断言しなかった。
人間を食用とせず匿うのは重罪だからだろう。
故に延老さんとしてはそこはぼかすしかない。
ただ……それでも俺はそこに誠意らしきものを感じた。
「努力……してくれるんですね」
その誠意は澄にも通じたのだろうか。
困惑から抜け出せた、そんな顔をしている。
「えっと……延老、さん?」
「何ですか?」
「あの……左手、噛んじゃって、ごめんなさい」
今度は澄が頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらず。
私のした事を思えば、あの程度の抵抗は当然の事ですからな」
延老さんはまだ歯形の残る左手をひらひらと振る。
それは舌を噛もうとした澄を止めようと、代わりに噛まれた英雄の左手だ。
「……界武君」
「どうした、澄?」
覚悟を決めたのか、真剣な眼差しを俺に向けてくる。
「先生は『山嶽王』に頼んで新坂を破壊すると仰ってた。
そしてそれを朝廷の仕業だと思わせて、仲違いの契機にすると」
「それは……」
知りたかった鹿野戸さんの計画の一部。
それを延老さんがすぐ傍にいる今、話してくれた。
「それと同時に、凪さんが山城国に攻め上がっていった。
国境付近を荒らしまわって、それを幕府の仕業に見せかけるんだって」
「……なんと」
流石の延老さんも唸る。
鹿野戸さんの計画は……もうそんな所まで進んでいたのかと。
「……先生は今、国境にある関所に滞在してる。
でも急いで。先生は一所に留まるような人じゃない。
もしかしたら、もう次の計画の為に移動しているかも」




