百二十五話 憎む気持ち
「アンタ誰!? 何……裏切者!?」
猿轡を外されてすぐの少女の言葉だ。
内容もそうだが口調も非常に刺々しい。
「ん? 俺!? いや違ぇよ。
そもそも誰を裏切るんだよ……」
「先生をでしょ! ……いえ、ちょっと待って」
「……ん?」
いきなり騒ぎ始めたかと思いきや、急に静かになった。
すると少女は何か考え始めたか、口を噤んで辺りを見渡す。
(……俺が鹿野戸さんを裏切って魔族側に付いた、
とか思ってるのかねぇ……この子)
少女が黙っている間、さっきの言葉をそんな風に解釈してみたが……
いま彼女の頭の中でどんな勢力図が描かれているかは
俺にはさっぱり分からない。
「……もしかして、私が知らない間に
先生が『閃刃』を駒にしちゃったの?」
しばらくしてから少女がまた口を開く。
現状を把握するために立てた仮説がそれなのだろう。
「駒……ああ、服従印を描いたかって事?」
「そう……それ!」
つまり、この少女は人間の子供と魔族が争いもせず共にいる理由を、
鹿野戸さんが延老さんと遠鬼を操っているからだ、と考えたらしい。
「えっと……それは……」
俺は少し考える。
(……もしかして、ここでそうだと答えてしまえば
この子の態度も協力的になるんじゃないのか……?)
とはいえこれはその場しのぎの嘘だ。
バレてしまえば信頼喪失。もう何を聞いても答えてくれなくなる可能性はある。
だが……もしバレなければあの敵意に満ちた瞳も変わってくれるかもしれない。
それはそれで魅力的だ。そろそろあんな眼で睨まれるのは勘弁してほしい。
でも、当の延老さんはどうすべきだと思ってるんだろうか。
もし延老さんが嘘を付いてでも情報を聞き出すべきだと考えているのなら、
話を振ればそう言ってくれるだろうか……。
「延老さん、どうなんだ?」
「違いますね」
即答。今行ってる尋問の目的を考慮すらしない即答。
居場所を聞き出したいのなら、一つ芝居でもしてくれていいようなものだが、
昔気質の延老さんだからか、そんな気は微塵も無いらしい。
つまりは、そういった小細工を使わずにこの少女と信頼関係を築き、
その上で鹿野戸さんの居場所を聞き出せという事だ。
(こっちの負荷ばかりが重くなっているような……)
……愚痴の一つも言いたくなる。
でもこの場にはそれを聞いてくれる人はいないのだ。
「じゃあやっぱりアンタ裏切者じゃない!」
そして少女はまた騒ぎ出す。
裏切者、卑怯者、屑、最低、ケダモノ、人間の面汚し……他に何があったか。
とにかく、ありとあらゆる罵倒をご馳走になった。
勿論ちっとも嬉しくはないが。
「……これさぁ、延老さん。
会話にならないんだけど……」
「と、言われましても……そこは界武君の力量に委ねるしか」
俺と延老さんはお互いに苦笑いだ。
この少女は……ちょっと興奮していて、説得がどうとかいう段階じゃない。
「この……ヘンタ……」
そこで少女の罵倒が止む。
(……何だ? 暖かくて、気持ちのいい……)
いつからか、辺りに暖かい空気が立ち込めている。
その穏やかな風を少女も感じ取ったのか、攻撃的な表情は立ち消え、
この優しい空気の理由を探ろうと、
見えもしない何かを求めて視線を彷徨わせている。
俺はこの空気を知っている。というか……ついさっきその存在を知った。
月陽が拘束魔術に対抗するために編み出したそれは、慈愛の魔力を帯びた霧だ。
後ろに控えていた月陽を見れば……少女をじっと見つめている。
怯える子供を憐れむようなその視線に、これが月陽の仕業と知る。
(もしかしてこれ、気持ちを落ち着ける効果もあるのか……?)
最近は我儘な側面ばかりを見てきたせいか忘れがちにもなるが、
そもそも月陽は優しい子だ。
この霧も、その優しさに相応しい魔術だと思った。
「……落ち着いた?」
自分よりも明らかに幼い月陽にそう宥められたからか、
少女はやや恥ずかしそうに眼を逸らした。
「……ええ」
「じゃあ……はじめまして。私はね、月陽。あなたは?」
「え? ツキヒって……」
「名前、私の。あなたの名前は?」
すると、観念したかのようにため息をつくと、
少女は月陽の方を向いて言った。
「スミ……」
「スミちゃん! よろしくね!」
「……よろしく」
澄……少女の名前は漢字にするとそうなるらしい。
澄は気を落ち着けてからもずっと非協力的な態度だったが、
月陽のお蔭か名前だけはちゃんと教えてくれた。
「で……裏切者。アンタはどうして毛人と一緒にいるの……?」
拘束を解かれた後も、澄は手首を気にしてか、さするような仕草をする。
俺にそんな事を言ってきた時も、右の手で左手首を労わるように撫でていた。
それはさも痛かったぞ、どうしてくれると言外に訴えているかのようで、
ちょっと居心地が悪い。
「だから説明しただろ……俺は鹿野戸さんを裏切ったりしてねぇって……」
そう、既に俺が鹿野戸さんと出会ってからこの集落に戻って来た経緯を
澄には軽く説明はしてある。
そこでちゃんと力説しておいたんだ。
俺は決して鹿野戸さんと敵対している訳ではなくて、
もう十分傷付いたであろう鹿野戸さんには戦いから退いて欲しいだけなのだと。
「裏切者が先生を勝手に名前で呼ぶな!
私だって教えてもらった事なかったのに……!」
この澄、こんな感じで月陽への態度こそ軟化したものの、
俺には相変わらず裏切者呼ばわりが続いていた。
つまりは……俺の意図はちゃんと伝わっていないらしい。
「人間なのに先生に協力しない時点で裏切者なの! 当然じゃない!
大体どうして協力を断ったりしたの!?」
「いや……だってさ澄、お前も死ぬかもしれないんだぞ?」
「あっきれたぁ……アンタ、死ぬのが怖くて協力を断ったの!?」
「いや、俺がじゃなくてお前達が……」
「私達はね! 人間の世界を取り戻す為に戦っているの!
その為にはね……命なんてちっとも惜しくない訳、分かる!?」
「そうは言うけどさ……」
……こんな感じで、最初っから喧嘩腰の澄にはどうにも精彩を欠く俺だった。
「アンタが何と言おうとね、先生の邪魔をするのなら私の敵。
こんな所に連れ込まれたからって大人しくなるなんて思わない事ね……!」
そう宣言された。
裏切者の次は敵呼ばわりだ。これでどうやって信頼関係を築けって……。
「連れ込まれたって……そりゃ、延老さんが多少手荒なやり方で
ここまで連れてきたのはさ、そりゃあ申し訳ないとは思うよ?
でもさぁ、一応同じ人間なんだし、もうちょっと友好的に……」
「黙れ裏切者」
「……はい」
言い訳は容易く封殺され、
そして俺は澄の口撃に屈したのだった。
(……月陽、もう一回何かやってくれ)
こうなったら月陽の包容力に賭けよう。
そう思って目で合図を送る。
別に何も示し合わせてないけれど、それで月陽には十分伝わったようで
交渉役を代わってくれた。
「えっとね……澄ちゃん。大丈夫、大丈夫だよ。
誰もね、澄ちゃんをいじめたりしないから」
笑顔と共にそう切り出す月陽。
「大丈夫って……毛人なのよ、人間を食べるような奴等なのに?」
「違うよ、遠鬼はちっとも私を食べようなんてしなかったよ。
逆にね、守ってくれたり、山菜の取り方を教えてくれたりしたよ?」
「そんな馬鹿な事……ある訳ないでしょ!」
「本当だって! ずっと一緒にいた私が言うんだから!
界武も遠鬼も悪い人じゃないよ」
「そこの界武っていうのは人間だからまだ信用する余地はあるけどね、
遠鬼っていうのはあの毛人でしょ!?
人を食う化け物なのよ……良い悪いの話じゃないの!
あれを殺し尽くさないと、人間が殺されるのよ……」
あの鹿野戸さんの薫陶を十二分に受けたと思われる澄は、
以前話したことのある青達三人より更に過激だった。
澄は見た感じだけどあの三人より年上だ。
という事は……鹿野戸さんと一緒にいた期間もまた長いのだろう。
(つまりは、あの三人を説得するより遥かに大変だ、という事だよなぁ)
「でも、遠鬼はそんな事しないよ……?」
ただ月陽も遠鬼に関しては全幅の信頼を置いている。
俺だってそれは同じだし、そもそもアイツは肉より米を好んで食うのだ。
「月陽ちゃん、じゃあ他の毛人は?
他の毛人も人間を食べないと思う?」
月陽が遠鬼については頑なだと見たか、澄はちょっと話題を逸らした。
「他の……? それは、食べてるんじゃ、ないかな」
月陽とて牧場出身、自分が食糧として育てられた事は知っている。
「でしょう!? だというのに、どうしてそこの毛人も食べないと思うの!?
あなたが見てない所できっと人間を食べてるから!」
「違う! 遠鬼は人間食べてない! 自分で言ってたの、食べた事無いって!」
「どうして人食いの化け物の言う事を信じられるの!?」
少女二人がお互い噛み付かんばかりに睨み合う。
これは……ちょっと良くない。
「月陽、ちょっと落ち着こうな」
仕方なく仲裁する側に回る。
折角さっきまで月陽と澄は打ち解けたような感じだったんだ。
ここで変に仲がこじれるのは嫌だ。
「でも、澄ちゃんが遠鬼の事……!」
「いいよ。遠鬼だってあれぐらいじゃ、ちっとも怒りはしないさ」
というか、誰が何と言おうが聞く耳持たないだろう。
「そう……なのかなぁ」
「怒らないでしょうね、だって本当の事だから」
澄はまだ威嚇するかのようにそう吐き捨てる。
「澄、お前もなぁ……そうやって挑発するような事……」
「うるさい裏切者」
「……はい」
……駄目だ。俺じゃあ話にならないし、
月陽でも魔族に対する認識が違いすぎて、その話題になると平行線。
ならば他の誰か……そう思って延老さんを見れば、
物珍しげの俺達のやり取りを眺めているだけ。
積極的に干渉する気は無いらしい。
(いや、延老さんが連れてきた子じゃないか……)
こんな強情な子を連れてきた責任を取って欲しい。
俺の手には負えないんだから。
(じゃあ……こうなったら意外性の遠鬼で……)
普段は役に立たない奴だから、
こんな時にこそ何かしてくれるのではないか……
そう思って遠鬼を探すと部屋の中にはおらず、
土間の隅の竈の前に立って何かしていた。
だが……今はこっちに背を向けているからその何かが分からない。
「おい遠鬼、一体そこで何をして……」
その声に振り向いた遠鬼の手元を見る。
手に持っているのは……握り飯に、ふかし芋。
「おいコラ遠鬼! お前何で飯食ってんだぁ!」
思わず叫ぶ。人が神経を削りながら慣れない仕事してる時に、
この男はよりにもよってつまみ食いしてやがった。
「……腹が減ってな」
「減ってな、じゃねぇよ!
人がこんなに苦労してる時によ! なんでお前一人で飯食ってんだ!
さっきなんてなぁ! お前の為に月陽が怒ってくれてたんだぞ!」
「そうか」
「そうかじゃねぇよ! 相槌打つ所じゃねぇからな!」
ちょっとでも済まないと思うんなら俺達を手伝え!」
「手伝わん」
「即答かよ! ちょっとは考えるぐらいしろよ!」
澄を放っておいて遠鬼に食って掛かる。
そりゃあ遠鬼は交渉事なんて苦手この上ないんだろうけど、
それでもこのつまみ食いには腹が立った。
「か、界武君っ!」
だがそんな俺に意外な人が声をかけてきた。澄だ。
「ん? どうした……澄?」
「毛人を怒らせちゃダメ! こ……殺されちゃうから!」
「ん? 遠鬼が……俺を?」
首を傾げる。この程度の口喧嘩はいつもの事で、
俺も遠鬼も慣れたものだ。澄の心配は大袈裟に過ぎる。
(とはいえ、一応心配はしてくれたのかな……?)
良く分からない。裏切者と罵ったと思えば、俺の身を案じてもくれる。
「こいつは別にこれぐらいじゃ怒らねぇし、
怒ったとしても俺達を取って食ったりしねぇよ」
ひとまず澄を落ち着かせようとそう言ったが、
澄はまだ釈然とはしていない。
「でも……その毛人が暴れたら私達全員殺されちゃうでしょ!」
「そりゃあ……遠鬼は強いからそれぐらいの事は出来るだろうけどさぁ」
「ほら……! それじゃあ早く離れて!」
そうは言われたが当然離れる気は無い。
俺からしてみれば、遠鬼よりも澄の方がよっぽど怖い。
「あ……私もお腹すいた。遠鬼、何か食べさせて~」
そして月陽も澄の剣幕を驚きこそすれ、
遠鬼を警戒する気などなく、呑気な声で遠鬼の下へ駆けて行く。
「ちょ……月陽ちゃん、ダメッ!」
澄はそれをも慌てて止める。
「……どうして、澄ちゃん?」
「毛人の食べ物だよ! に……人間の肉がっ!」
その血の気が失せた表情、澄は本気だ。
本気で遠鬼の食べているものが人肉に見えている。
「そんなものは入ってない。ただの握り飯だ」
呆れた表情で遠鬼は返す。
土間から澄の座る部屋まではちょっと距離があるからか、
遠鬼の声量はそれなりにある。
その荒っぽい口調と合わさり、遠鬼をよく知らないものが聞けば
大声で脅されているように感じるのかもしれない。
……丁度、今の澄のようにだ。
「……そもそも、俺は人間を食った事はない」
「う……嘘っ!」
怯え青ざめた顔でそれでも澄は叫ぶ。
「嘘でもない」
遠鬼は二つほどの握り飯をその手に掴み、ゆっくりと澄に近づいた。
その距離が縮む度に澄の震えが大きくなっていくように見え、
俺はそこでああも澄が攻撃的だった理由が、恐怖によるものだと知った。
「これは、ただの握り飯だ」
「その中に、人の肉が……!」
「入っていない」
「嘘っ!」
「……」
遠鬼も自分が澄を怯えさせているのを感じたか、やりにくそうにしている。
だからか遠鬼でも手が届かない程度の距離で近づくのを止め、
つまらなそうに握り飯を一つ頬張った。
「……そもそも、お前とこの握り飯、どちらが旨そうに見える?」
「え?」
遠鬼の手の中に残るもう一つの握り飯、
それを目の前に差し出された澄に、恐怖とはまた別の感情が見える。
(……あれは、多分混乱とか動揺とか……そんな奴だ)
澄にとっては人食いの化け物、そんな遠鬼からの奇妙な問いに、
どう答えたものかと困ってでもいるのか。
「あ……アンタ達にとっては私の方が美味しそうなんじゃないの!?」
しばらくして、澄は気丈に叫んだ。
少し頭を働かせたからか、多少は冷静さを取り戻せたようで、
膝の震えも収まり始めている。
「お前の様な小うるさい子供がか? 冗談は止せ」
そう言うと遠鬼はもう澄に興味を失くしたようで、
その手に残った握り飯を月陽に手渡した。
「ありがと!」
月陽は躊躇い無くそれを口に入れる。
「あっ!」
澄が叫ぶがもう遅い。
止める間もないあっという間の出来事だった。
「……ほら、ただの握り飯。でも……美味しいよ!」
狼狽する澄を宥める為か、月陽は一口齧った握り飯を差し出した。
勿論……その中に人間の肉なんて入っている筈はない。
「……食べる?」
「……止めて」
力ない声が澄の口から漏れる。
「でも、普通のお米だよ。お肉、入ってないよ?」
「違う……そうじゃないの」
じゃあなんだと俯きかけた澄の顔を月陽が覗き込む。
「人間と毛人が仲良くしてる姿なんて……見せないでぇ」
澄はどうやら泣いていたようで、月陽が慌てている。
痛い所はないかと心配そうに聞く月陽を振り払い、
澄はこう叫んだのだ……多分、俺と遠鬼に向かって。
「私から戦う理由まで奪おうとしないでっ!」
そして崩れ落ちるように床に倒れ伏し、
泣きながらもか細い声で、なおも俺達を責めた。
「毛人を憎む気持ちまで……消そうと……しないでぇ……」




