百二十三話 予想外
「見ててねっ! ちゃんと見ててね!」
集落の広場にて月陽はそう言うと、
俺から少し離れては、こちらを向いて得意げな笑顔で立っていた。
「どう!? 凄いでしょ!?」
嬉しそうだ。何やらとても凄い事をしているらしいが、
俺の視界にはただ腕を組んで得意がる月陽がいるだけだ。
「……遠鬼?」
何と反応していいか迷った俺は、仕方なく傍らにいた遠鬼に声をかけた。
「短期間で随分と形になっている」
「えっと……何が?」
「魔力の霧だ」
「霧? ああ、鹿野戸さんの拘束魔術対策か……」
言われてじっと目を凝らしてみたが、やっぱり可愛い月陽が立っているだけだ。
「すまん。さっぱり分からねぇ」
月陽には届かない程度の小声で遠鬼に伝える。
「……それなら近づいてみればいい」
魔力を知覚するのが苦手な俺でもそうすれば分かるのだろうか。
とにかく月陽に何か言ってあげないといけないのは確かだからと近づいてみる。
(……おっ、何だこれ)
月陽に後二、三歩で手が届く、という距離まで近づいてみれば、
月陽の周りの空気は何と言うか……感触が違う。温度すらも異なる。
柔らかくて、暖かくて……ただの空気に大袈裟な言い方だが、
優しく抱きしめられているようで気持ちが良かった。
「なんか……凄いな」
「でしょ!?」
よく分からないが凄い、そんな正直な感想ではあったが
月陽は存外喜んでくれた。褒められさえすれば言葉は何でも良かったようだ。
「……慈愛の魔力で作った霧だ。当然側にいるだけで治癒効果がある。
背中の傷、そこだと痛みが引いてないか?」
遠鬼の言葉に背中を意識してみれば、
確かにジクジクとした痛みが残っていた背中が今はそんなに気にならない。
「へえ……これで拘束魔術を防げるのか?」
「えっとねぇ……教えてもらったけど、どうだったかなぁ……
とにかくこれで大丈夫なんだって!」
自信たっぷりに不安な事を言う月陽。
補足説明が必要だと遠鬼に視線を向けた。
「……遠鬼?」
「害意のある魔力で受けた傷や痛みを
片っ端から治してしまえ、という発想だ。
拘束魔術による意思の束縛も魔力による攻撃の一種。
治し続ける事でそれを無効にする」
「……効果は?」
「あるだろう……どこまでかは分からんが」
「そっか」
月陽がこの集落に置いて行かれた原因はこの霧を作れなかったからだ。
だからと俺が鹿野戸さんと会っている間も必死に特訓していたのだろう。
そう思うと、得意げに笑う月陽に申し訳ない気持ちが沸き上がってくる。
「……月陽」
「どうしたの、界武君?」
「……ごめんな。大丈夫だって言ったのに、怪我だらけで帰って来て……」
機嫌の良かった月陽の表情が見る見る暗くなり……そして俯いた。
許してもらう為に何度も言葉を尽くす必要はなく、
その一言のごめんな、で月陽は許してくれた。
後で聞いた事だが、そのごめんなが余りに心がこもっていたというか……。
「何か本当に可哀想だったんで、許すしかなかったんだよね……」
そう月陽は言っていた。
傷はある程度癒えていたとはいえ、それでも痛々しいままの俺の謝罪だ。
月陽のその気持ちも十分に察する事が出来た。
……とにかく、これで出発の準備は全て整ったという事になる。
次に目指すのはこの集落に来る前に通り過ぎた森の側、
守護が襲撃されたあの場所だ。
随分と遠回りをしてしまったからか、
もう岩童は待ってやくれてないかもしれないが、
それでも何かしら文を残しておいてくれているかもしれない。
あの場に向かう事は決して無駄ではない筈だ。
「……界武君、本当に大丈夫? まだ休んでた方がいいんじゃない?」
旅立つ俺達を見送ろうと集落の入口まで来た春夜さんが不安げだ。
「大丈夫……道中月陽からの治療を受けるからさ」
「でも……」
「時間をかけすぎると延老さんが鹿野戸さんを斬っちゃいかねないからなぁ。
それまでにどうにか……」
「界武君……帰るんじゃなかったの!?」
もうあの山に帰るつもりの月陽は、鹿野戸さんの話にはちょっと神経質だ。
「ああ、月陽。勿論帰るよ。でもさ、
もし助けられる子が一人でも増えるんなら、そっちの方がいいじゃないか」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……
その為に界武君が死にそうな目に遭うのはもう駄目だよ!?」
「……大丈夫、それは分かってる」
俺だって死にたくはない。
だけど……自身の死も厭わぬ鹿野戸さんを止めるのに、
俺が命を惜しんでちゃ届く言葉も届かないんだ。
そう口に出せば月陽はやっぱり怒るだろうから……
俺はただ曖昧に笑う。
「……界武」
「何だよ、遠鬼」
馬車の手綱を握る遠鬼がこちらを振り向かずに俺を呼ぶ。
「……誰か来るぞ」
「えっ!?」
暫くは東西両方からの旅人が途絶えていると聞いている。
だというのに俺達がここを出ようとしたその時に、
どうしてこう都合良く旅人がやってくるのか。
「……どんな奴だ?」
俺も御者台へと飛び乗ってその旅人とやらを確認する。
小さな人影が……辛うじて見える。
俺の眼だとその程度にしか分からない。
「あれは……狼人族だな。毛並みの色は白に近い」
遠鬼は目も結構いいらしい。
(しかし……狼人族か。俺が知るのが鋼牙の奴だけってのもあるけど、
いい印象はねぇなぁ……)
そういえば鋼牙の毛並みは灰色だった。どちらかと言えば白に近い。
……嫌な予感がした。
「ちなみにさ、遠鬼。その狼人族……見覚えはあるか?」
聞かれた遠鬼は目を凝らす。
暫くして……。
「あるかもしれん」
遠鬼はそう言った。
「かもって何だよ……。
ちなみにさ、昔あの黒樹林の牧場の近くで会った狼人族……
鋼牙っていうんだけどさ。そいつに似てやしねぇか?」
「昔?」
「ほら、俺とお前が初めて会った時だよ……」
「ああ……いたな、確かに」
本当に覚えているのか怪しくはあるが、
遠すぎて俺があの旅人をちゃんと見る事が出来ないから
今は遠鬼の記憶に頼るしかない。
「何それ……私知らない! 教えて、教えてっ!」
俺と遠鬼が初めて会った時、の言葉に食いついたのか、
状況に似合わぬ月陽の無邪気で明るい声。
「月陽……後で教えるからさ。今はそれどころじゃ……」
「似てるな。というかその鋼牙という男だろう」
その遠鬼の言葉で背筋を走る悪寒。
周囲の気温が一気に落ち込んだかのような寒気に体を震わせる。
「……なんで、こんな時に、鋼牙が来るんだよ」
鋼牙がどれだけ強いのかはよく分かってない。
もしかしたら今なら……俺の力でも勝てるのかもしれない。
でも……やはり心の中から恐怖が消えてくれない。
最初の印象が随分と悪かったのもあるし、
ずっと逃げ回っていたせいか苦手意識もある。
(それに……駄目だ。今アイツと戦うって事は、
俺が人間だって周りに露見するって事だ。
春夜さんもそうだし、この集落の人だって……!)
「と……遠鬼、ちょっと、俺達は荷台に隠れる!」
「……何故だ?」
「分かるだろ!? 俺はアイツと会いたくないんだ!
それにアイツなら月陽の事も知ってるかも……」
そこで春夜さんを見る。
俺を鬼人族と信じて疑ってない気のいいお姉さん、だ。
だけど俺が人間と知られてからもそのままでいる筈がない……。
「とにかく、俺達二人は荷台に隠れてるから、
適当な事を言って鋼牙を追い返してくれ!」
荷台に転がる荷物を漁り、毛布を取り出す。
それに月陽を抱えたままで包まって、荷台の隅にしゃがみ込んだ。
「……頼んだぞ! 俺達は今からただの荷物だ。
絶対に話しかけるなよ!」
「どうしてだ?」
「どうしてもだ! 月陽も……暫く動いても喋っても駄目だ!
あの鋼牙の奴がどっかに行くまでじっとしてるんだぞ!」
「わ……分かった!」
危険な状況であるのを分かっていないのか、月陽はどこか楽しそうで、
それが尚更に不安を煽る。
「絶対に……だぞ」
「分かった」
俺の囁き声に同じく囁き声で月陽が答える。
「げっ……!」
それから少し待つと、聞き覚えがありはするが
二度と聞きたくはなかった声を聞いた。
鋼牙の声……だ。
「『同族殺し』……何でテメェがここにいやがる!?」
「何処かに行け」
「は……はぁ?」
「お前は何処かに行け。邪魔だ」
(遠鬼……確かに鋼牙を追い払えとは言ったけど、
そのあからさまなやり方だと……)
多分、鋼牙の方も納得はしないだろう。拙いやり方だとは思うけど、
遠鬼だから仕方がないのか。
「何処かに行け、だと……!?
あのなぁ、俺は今管領様の下で働いてんだよ、分かるか?
今の俺に逆らうって事はなぁ、幕府に逆らうって事なんだよ!
言葉遣いに気をつけたらどうなんだ、『同族殺し』……!」
その声色から鋼牙の動揺が伝わるが、
それを何とか悟らせないようにと口数が多くなっている気がする。
というか……。
(なんで、あの鋼牙が幕府で働いてんだ?)
その言葉の真偽は分からない。というか……嘘の可能性が高いと思う。
ただ遠鬼の力に抵抗したくて幕府の権威を持ち出したのかもしれない。
だけど……続く言葉がその疑念を払拭した。
「羽膳に聞いたんだよ! テメェ……よりにもよって管領の部下である
あの羽膳にも喧嘩を売ったんだってなぁ!
その報告も既に管領に届いてる頃だよ!
テメェの今の状況はな、最悪もいいとこなんだよ、分かってんのか!?」
「羽膳? ああ、あの鳥人族か。その言い方だと死ななかったか」
「生きてるよ、しっかりとな!
……分かってんのか? これで俺にも喧嘩を売るようなら
テメェはあの管領様に必ず討伐されっからな!」
(鋼牙は……羽膳と話が出来る関係、なのか?)
そうなると鋼牙が言う幕府で働いているという言葉にも俄然説得力が増す。
更に言うなら、鋼牙は自分より強い相手にはこんな態度を取れる奴じゃない。
なのに遠鬼にこうまで言えるという事は、多分鋼牙は実際に幕府の庇護下にあり、
現在の上司である管領とやらは相当に強い奴らしい。
それこそ、この遠鬼よりも……だ。
「……分かったから、何処かに行け」
「分かってねぇじゃねぇか! 逆らうなって言ってんだよ!」
でもそんな事は今の遠鬼にとってはどうでもいい事らしい。
……そんなこんなで、毛布の向こうで繰り広げられる口喧嘩は終始一方的だった。
遠鬼は俺に言われた鋼牙を追い払え、という命令を適当にこなしておこうと
いう程度の投げやりな気持ちで鋼牙に接しているようで、
その鋼牙が何を言おうとまるで応えてはいない。
その結果鋼牙がこうしてから回っている。
若干可哀想だが同情する気は俺には毛頭ない。
「……大体テメェ、俺はまだ牧場荒らしの下手人、
兄貴の仇はテメェだって疑ってんだからな!」
「……仇?」
「そっから説明しねぇといけねぇのかよ!」
「説明なぞ頼んでいない。いいから何処かに行け」
鋼牙の怒声が毛布を通して俺に耳にも突き刺さる。
煩い、本当に煩い。この毛布の下で隠れてる俺ですら
耳を塞ぎたくてしょうがないのにだ……この鋼牙の反応から察するに、
遠鬼にはまるで応えてなさそうだ。アイツは耳が悪いんじゃないだろうか。
「……チッ! 分かったよ、もう何処へでも行ってやるよ!」
……結局、話が通じないと見た鋼牙の方が早々に諦めてくれた。
意外と物分かりのいい鋼牙に心の中で拍手を送る。
「だがなぁ、こっちもガキの使いじゃねぇんだ。
ちゃんとした仕事でこんな所まで来てんだからな!
それを済ませばこっから消えるさ」
「……仕事?」
「ああそうさ。この集落にな、あの『閃刃』が滞在してるって話なんだよ!
その『閃刃』に逆徒の話を聞いて、管領様にお伝えするのが俺の仕事だ!
分かったらサッサと『閃刃』の場所を教えろ」
「……『閃刃』様?」
その言葉に今度は傍らで一部始終を眺めていた春夜さんが反応した。
「おっ、そこの姉ちゃんの方はまだ話が通じそうだな。
そうだよ、あの『閃刃』様だよ。この集落にいるんだろ?」
「えっと……ほんのついさっきまでは確かに居たんだけどねぇ」
「……居た?」
「そう。今は逆徒を斬りに何処かに行っちゃった。
確か……この付近を見張ってる逆徒の手の者がいるらしいんだけどさ、
そいつを逆に尾けて逆徒の居場所を探るって言ってたけど……」
「そ、それじゃあ……」
「そうねぇ、この集落にはいないし、
私達も『閃刃』様が今何処にいるのかは分からないのよ」
「……何だよ、それはぁ……」
言葉だけで伝わる鋼牙の脱力具合。
「あ……でもねぇ、『閃刃』様から逆徒についての凡その事は私も聞いてるのよ。
又聞きになっちゃうんだけど、それで良ければ教えてあげよっか?」
「お……おう! そりゃあ助かる!
それなら別に『閃刃』に会わなくても……」
「……私がどうかしましたか?」
「ひいっ!」
「うわぁ!」
「……」
(……何だ、何があった!?)
何故か延老さんの声まで聞こえてきた。
今この毛布の向こう側は、一体どうなっているんだ……!?
連続する予想外の事態に、月陽を抱えて汗ばむ俺の手が微かに震えだしていた。




