百二十話 一方その頃 鹿野戸の場合 その四
そしてその二日後。
鹿野戸はまたしても窮地に追い詰められていた。
(どうにも……最近……負け癖が付いてるなっ……!)
尤も、負け癖が付いたのは最近などではなく、
ずっと昔……ひょっとすれば戦うと決めた頃からかもしれなかった。
もう何度も追い立てられ息を切らしている。
相対する敵の方も何度も強化魔術を使ったからか、
多少の疲れが見えはするが……それでも、鹿野戸よりはまだ余力があるだろう。
「全く……ちょろまかと逃げやがる……やりづれぇ!」
大振りの爪撃を転がって躱す。
立ち上がる間もなく迫る蹴り足を横に飛んでなおも躱す。
『閃刃』に斬られてから握力の戻らない右手は
鋼牙の一撃に容易く大槌を落としてしまったため、
鹿野戸はこうやって躱しながら機を窺うしかないのだ。
鹿野戸がこうして鋼牙と戦う必要に迫られたのはあの報告があったからだ。
『閃刃』の滞在する集落を見張っていた子供から寄せられたそれは、
二人の旅人がその集落に入ったというものだった。
一人は馬に乗った大柄な鬼人族の男だと聞いている。
恐らくは界武の話にあった遠鬼だろう。
鹿野戸としてはその通り名である『同族殺し』の方に馴染みがある。
「……ちなみに、『同族殺し』は子供を抱えていたりはしなかったのか?
もしくは……馬にもう一人誰か乗っていたとか」
「えっと……あの、何か布に包まった大きなものを懐に抱えていた、
そんな風に見えました。ただ、それが子供かどうかまでは……」
報告をもたらした子供は、以前見た光景を思い出さんとするように、
時折目を閉じては考え込むような素振りを見せながら話した。
「……いや、ありがとう。それだけで十分だ」
その不確かな情報だけで、鹿野戸は確信を得ていた。
(界武君が……川を流れて逃げおおせて、それを『同族殺し』が拾ったのだ)
その予感に一片の疑いすら持たなかった。
思わず漏れた安堵の吐息に優しい笑み。
界武……あの人間の英雄を殺めてしまったかもしれない、
鉄以上にその事で自責の念を抱いていた鹿野戸である。
その界武が生きている……少なくともその可能性がある事を知って、
思わず表れた素顔だった。
「……先生、界武なる子供が生き延びたかもしれない、
というのは先生にとって朗報だったのですか?」
その鹿野戸を見る凪の眼はどこか疑念を孕んでいる。
「それは……勿論嬉しく思っているが、
凪、お前は界武君が生きていた事を嬉しくは思えないか?」
「思えません!聞けば実現不可能な綺麗事を並べ、
それが聞き入れられないと見るや実力行使に出たというではないですか!」
基本冷静な凪ではあるが、いつもの事ながら
尊敬する師である鹿野戸が害せられるとなると
こうして途端に感情を露にする。
「実力行使に出る事自体は別に悪くはない。結局は力がものを言う世界だ。
ただそれでも、少なくとも界武君はまず言葉を尽くしてくれた。
それを呑めなかった俺の方も頑なではあった」
その凪を説得する気はないが、それでも界武の印象だけは良くしておきたかった。
ともすれば、この二人が協力して人間の為に戦う未来もあるからだ。
「……敵対しても尚、その界武という少年の肩を持つのですか?」
「まだ敵対していると決まった訳では……まぁいい」
ここで鹿野戸は次の言葉を逡巡する。
……一体何と言えば、凪の持つ皆無への悪印象は消えるのか。
「……界武君とは人間の幸せを求める方向性は同じなのだ。
ただ今はやり方が違うだけ……今回の作戦が成功さえすれば、
きっと同じ旗の下で戦える日は来ると俺は思う」
いずれ仲間になる筈だ……そんな言い方を試すことにした。
ただそれでも納得していないという表情をする凪ではあるが、
今はここまでで抑えてもらうと思う。
報告は、まだ終わってないからだ。
「……待たせてすまんな。報告を続けて欲しい」
「あ……は、はい!」
鹿野戸の言葉に急かされるように、少年は報告を再開する。
その内容は件の集落に入ったもう一人の旅人について。
その外見は……『同族殺し』に続いてまたもと言おうか、
大柄な男という事だった。しかし今度は種族が異なり、狼人族だという話。
こちらは徒でやって来たというが……その特徴から察するに、
黒樹林の牧場が荒らされてから暫く消息が分からなかった鋼牙だと思われる。
何故今更、しかもこの時期にこんな場所にいるのかは分からない。
「黒樹林の牧場荒らし……その首謀者を討伐し、
その帰りに通りがかったのでは?」
凪がそれとなく出した推察にはそれなりに説得力がある。
しかしそうなると辻褄の合わぬ事実がある。
「だが、その首謀者とやらは鋼牙の兄の全牙を殺しているそうだ。
兄よりも強い者を討てる程に鋼牙が強いとは聞いていない」
鹿野戸はその事実を指摘する。
実際、あの兄弟の為にと事前に作っておいた服従印は、
兄用に設計したものの方が弟の鋼牙用に設計したものよりも大きい。
「では……仇討ちを諦めて帰る途中だった……というのは?」
「そちらの方が可能性としては高い。
だが……牧場の管理者なんぞ、荒くれ者が小金を持った程度の存在だ。
基本荒くれ者だから何よりも面子を重視する。
それが兄を殺され手ぶらで牧場に帰った所で周りの者に面子が立たん。
誰も従わなくなる」
「では……首謀者を追ってあの集落に向かったのでしょうか?」
「自分よりも強い者を倒す手段も無くか……?
それよりは加勢を頼みに行ったとする方がまだ理屈が通るが……
まぁ、それは本人に直接聞く方が早いか」
「直接って……まさか、会いに行くおつもりですか!?」
その凪の大声のせいか、それともその鹿野戸の言葉のせいか、
報告を終えた少年も驚いてこちらを見る。
「……そこまで驚く事でも無いだろう。
あの鋼牙という男自体は小物ではあるが、
それでもこれ以上計画に不安定な要素を持ち込まれるのは困る。
ついでにな……あの男用の服従印は作ってあるのだ。
丁度使える駒の数も心許なくなってきているし、利用せぬ手はない」
「……肝心の、鋼牙を捕らえる方法については?」
凪の視線がきつい。
元々鹿野戸が戦う事自体を良く思っていない上に、
最近の鹿野戸の負け続きをも暗に咎めているのだ。
「拘束魔術で動きを縛る。それでどうとでも……」
「先生は『閃刃』と戦う時もそのように言いましたよね!
拘束魔術を使い、集落の民も使って動きを縛り付ける。
それで負けはまず無い筈だから、お前は集落の役人を殺しに行ってくれと、
そう言いましたよね! 結果、どうなりましたか……!?」
「いや……あれは、『閃刃』が規格外であっただけで……
鋼牙はそこまでではないから、俺一人で十分だと……」
「先日の山城国での戦いでも結局押されてましたよね!?
私が来なかったらどうなっていたとお思いですか!?」
凪の剣幕がどんどんと激しくなる。
原因が自分の弱さにあるのでなかなか鹿野戸も言い返せずにいる。
「あれも……まあ、あの後詰めの隊長が予想以上に強かったというだけで、
今回の男……鋼牙は、その強さの程も知れている、から……」
「駄目です!」
駄目だった。
……それでもどうにか条件付きで出陣を許された。
その理由は明々白々で、鹿野戸達にはそもそも戦力が不足している。
その上で魔族を生け捕りに出来る程の力を持つ者となると、
鹿野戸しかいないのだ。
鋼牙が早々に集落を出てくる事自体は想定出来ていた。
何故なら界武から聞いた話によると、
鋼牙は『同族殺し』と一悶着起こしていたらしいからだ。
『同族殺し』の方は鋼牙の事を何とも思ってはいないだろうが、
逆もまたそうである訳でもない。
ならばきっと鋼牙はあの集落に長居はしないだろう……。
その予想は当たった。鹿野戸による待ち伏せも成功し、
拘束魔術で動きを縛る所までは問題なかった。
だが詰めが甘かった。
「なっ!?」
拘束魔術で動きを縛った鋼牙に近づこうとした鹿野戸が驚愕したのは
鋼牙の反応である。普通であれば行動を縛られたものは
竦んで余計に動けなくなる。
だが鋼牙は……鹿野戸が目で追えぬほどの速さで近づくと拳を一閃。
大槌で受け止めはしたが握力の失った手では
衝撃に大槌を握り続けること叶わず、唯一の武器は手を離れた。
「……『閃刃』のじいさんが言ってたぜ。
その拘束魔術は確かに恐ろしいが……
テメェ、戦い自体は素人に毛が生えた程度だったってな……!」
「なるほど……それはそうか。
『閃刃』にこちらの弱点を聞いておいたという事か」
「後は俺の魔術でどうとでもなるんだよ。
この……脚力倍化魔術でなぁ!」
拘束魔術の影響下でありながら、
なおも鹿野戸よりも素早く動くその魔術を鋼牙は使えるのだ。
「まず一歩目ぇ!」
「くっ……!」
あっという間に懐に飛び込まれた鹿野戸は、やむを得ずに両腕を強化。
繰り出された前蹴りを防ぎきる。
「だが二歩目だっ!」
受け止めた筈の右足から魔力の迸りが見える。
(これは……危険だっ!)
この右足から距離を離さなければいけないという直感。
それに従い後ろ飛びで地に倒れ込む。
鹿野戸の直上を鋼牙の右横蹴りが唸りを上げて空を切る。
その風圧が物語る威力、恐らくはあのままでいたら
鹿野戸の胴には穴が空いていた。
「ちっ……避けやがったか。だが三歩目はどうだっ!」
倒れ込む鹿野戸の頭を踏み潰さんとあの右足が迫る。
こうなったら恥も外聞もない。
大の大人がみっともなくも地を転がって逃げおおせる。
小さな地響きが一つ。見ればさっきまで鹿野戸が転がっていた
地面に亀裂が走っている……。
あれも、そのままでいたら頭蓋を粉砕されていただろう。
「これも避けるか……畜生、この拘束魔術、本ッ当に動きづれぇな!」
鋼牙は悔しそうに地を踏み鳴らす。
(……なるほど、向こうも本調子ではないか。それも当然だな)
あの『閃刃』ですらも縛り付けた拘束魔術だ。
初撃は意表を突かれ後手に回ったが、それならばまだ勝機はある。
「どうした……それで終わりか毛人が。
なるほどそれでは兄の仇など討てまいなぁ……」
「……何だとぉ!?」
兄の抑え役として動く事もあるから多少頭が回るとは聞いていたが、
まぁ……所詮毛人の多少である。この程度の挑発でも十分に効果があった。
「今度こそお前の頭をぶっ潰してやるよっ!」
「やれるもんならやってみればいい……!」
そして鹿野戸は躱しに躱し、逃げに逃げて最初の場面へと戻る。
『閃刃』に受けた傷はまだ癒えず、
満身創痍で武器を失い惨めに逃げ回る。
そうして追い込まれたのはとある森の側。
最初に鋼牙を襲撃した街道からはかなり離れてしまっていた。
「……お前の種族は何か知らねぇがなぁ。
俺の様な狼人族は森の中だろうと動きが鈍ったりはしねぇ!
つまりは……分かるな? ここでお前は終わりだ!」
そう勝ち誇る鋼牙。
恐らくは拘束魔術の影響下で魔術を使い続けた疲労を
紛らわす為でもあるのだろう。
かなり大仰に言葉を重ねてくれる。
それが鹿野戸にはありがたい。
そうやって口上を垂れるのに時間を浪費してくれるのがありがたい。
これまでの逃走で疲れ果て、息切れも酷く、
呼吸を整える時間が欲しかったのだ。
「……悪いな鋼牙」
なんとか落ち着けた呼吸で、鹿野戸ははっきりとそう告げる。
「あ!? 何がだ……!?」
「お前を無傷で捕らえるのはどうやら無理そうだ……」
「何だと!?」
そして鹿野戸は上げた手を振り下ろす。
「撃てっ!」
その号令で鋼牙に振り注ぐは矢の雨だ。
避けようにも点や線ではなく、面の攻撃範囲に逃げ場所がない。
両手で頭上を覆い、しゃがみ込んで矢の雨を受ける鋼牙。
「逆徒、テメェ……!」
「鋼牙、お前を確実に生け捕りにするために、
伏兵をここに忍ばせておいた。
……全く、こうでもしないとお前にすら敵わない
自分の弱さが嫌にもなる」
「畜生、こうなったら……!」
破れかぶれで鹿野戸の下へと鋼牙が突っ込む。
勿論矢が降りしきるその中で顔を上げる事は出来ず、
鹿野戸の声を頼りに俯いたままの突進だ。
だから……前を向いてもいない鋼牙はそれを避けようがない。
生け捕り用にと刃の無い雁股という形をした矢じりを付けたその矢は、
凪が持つ長弓から放たれたものだ。
「ぐはあっ!」
その強烈な一撃が頭頂部に炸裂した鋼牙、
突っ込もうとした勢いのまま倒れ込んで土煙を上げる。
それが晴れた頃に現れたのは、何本もの矢を突き立てたまま
昏倒する鋼牙の身体だった。
「……先生、やっぱり私達を連れて来て良かったではありませんか!」
「だな。助かったよ、凪」
森の中から姿を現した凪と子供達。
どうやらまたしても命を救われたようだった。
「思い知ったよ。今の俺では鋼牙の様な小物にすらも勝てやしない。
……凪が言う通りに、この傷が癒えるまではもう俺は動かない」
「分かってくれたようで何よりです」
しばらくは鹿野戸を怒鳴りつける事が多かった凪ではあるが、
この素直な態度にはきちんと笑顔で応える。
「で……これからは俺の代わりにここに倒れてるコイツに頑張ってもらう」
鹿野戸は倒れ伏す鋼牙を見る。
あれだけ矢を受けておきながら、出血自体は殆ど見られない。
狼人族の毛は硬いと聞くが、矢までも易々と通さないとは素晴らしい。
「……きっと、いい駒として働いてくれる」
鹿野戸が鋼牙に向ける視線には、一切の情を感じない。
子供達に向けるものとは真逆の冷え切った眼差しで、倒れる鋼牙を見詰めていた。




