百十九話 一方その頃 鹿野戸の場合 その三
「『閃刃』との戦いでどれだけの怪我を負ったと思ってるんですか……!
暫くは無茶を控えてください!」
あの戦いの後、凪に重ねてそうきつく叱られた。
実際に殺されかけたのだから言い返せる筈もなく、
今は関所にある役人達の詰所で言われるままに体を休めている。
関所に備え付けられた建物だからか、灯りに使う薪や油の類は潤沢にあった。
だから夜であるにも関わらず詰所の中は昼と変わらずの明るさで、
鹿野戸は床に横たわるでもなくただ壁を背にして座っていた。
……ここ、丹波国と山城国の境にある関所には
新坂より派遣されたと思わしき役人が三名いた。
それを今は鹿野戸が全て殺して乗っ取っている。
殺された役人とてそこまで弱くはなかった。
その辺の賊が相手なら多少の人数差を覆せるほどには力量があっただろう。
だが……その程度の中途半端な実力ならば拘束魔術でどうとでもなった。
(だから山城国に攻め入る際も、
討伐隊は俺一人で引き受けると言ったのだがなぁ……)
実際、鹿野戸は敵の数が百だろうが二百だろうが問題にしない。
本来は覆し難い数的有利を否定し得る魔術を扱えるからだ。
その強力な拘束魔術だが……欠点もあるにはあった。
まず、魔力量が一定以上の相手には効きが悪くなる。
更に魔力の霧などの防衛魔術の影響も受け、
『閃刃』の魔力斬りなどには完全に無効化までされた。
次に、対象を選ぶ事が出来ない。
動くなと命令すればこの拘束魔術の影響下にある者全てが動けなくなる。
これが原因で『閃刃』には魔術のネタを見破られた。
まあ……とにかくそんな訳でこの魔術、融通が利かない。
昨日ここの関所にて後詰めの部隊にけしかけたような同士討ちを
敵味方が入り乱れる戦場で命令しようものなら、
双方共倒れという無惨な結末が待っている。
勿論、そんな悲劇を予防する為に子供達に刻んだ服従印には
多少細工を施してあるのだが……。
(子供達、か……)
そこで鹿野戸が山城国で引き起こした戦いに思い至る。
丹波国の統治機構を機能不全に陥らせてから
幕府の仕業と偽って山城国を襲撃する。
その結果起こる筈の内乱こそが鹿野戸の謀略の目的であるからと、
残る戦力の殆どを投入した。
その甲斐あってか、朝廷の戦士二部隊を壊滅せしめ、
更に二つの村と砦を一つ焼き尽くす事に成功した。
だが……目的の為のやむなき犠牲とはいえ、
今回だけで十六名もの命を使い捨てた。
仕方ない事だと分かっている。
今ここで人間の世界を取り戻さなければ、
さらに多くの子供達が犠牲になる事も頭では理解している。
だが……そんな理由で死を許容出来た事など無かった。
(界武君は……大きな家を建てようと言ったな)
戦いから退いて、魔族に見つからない場所に大きな家を建てるのだと。
そこで子供達と一緒に楽しく幸せに暮らすのだと……。
あの夢のような話をよりにもよって今、思い出してしまう。
界武が力説したその家には、既に十六の空き室が出来た事になる。
……そんな家に住んで幸せな気持ちになどなれる筈がない。
子供達だってそれは分かっている筈だが、
界武の話を実際に聞いた十数名の子供達は、
どこか動きが鈍かったとそれを率いた凪が報告してくれた。
(一度……幸せな夢とやらを抱いてしまったんだ。
その後に地獄のような戦いを目の当たりにしては
あまりの落差にそういう風にもなるだろう)
鹿野戸は思う。悪いのは子供達ではない。
悪いのはそんな彼等を犠牲にして戦うしかない自身の弱さと、
文字通りに彼等を食い物にする魔族なのだ。
だが……そんな陳腐な言い訳を許さない事実が、
あの後凪の口から告げられた。
「……特に、鉄の調子が悪かったです。
戦いには何時も積極的だった筈なのですが、
今回は何をするにも青の補佐が必要になるくらいに精彩を欠きました」
あの報告を聞いた時、あまりの罪悪感に自分の首を掻き切りたくなった。
それは……精彩などいくら欠いても当然と思うしかないだろう。
友人を背中から刺すような経験をさせたのだ……それも鹿野戸の命令で。
そして、どう詫びていいかすら分からないのに、今は詫びてはいけないのだ。
せめて鉄が罪悪感に圧し潰されないように、
命令を下した鹿野戸ばかりは絶対に毅然としていなければならない。
界武の背を刺したその行為は肯定されるべきだと態度で示すしかないのだ。
だが……あんな手段しか取れなかった自分の弱さへの悔恨に加え、
そこまでしておきながら界武を逃がし、
鉄から謝る機会すらも奪った不甲斐なさ……
その罪悪感を鹿野戸は誰にも打ち明ける事は出来ず、ただ一人苦しむ他なかった。
(いつまで……こんな事を続けるのだ、俺は?)
その自問の後の自答は決まっている。
(いや、死ぬまでだ……そうだな、皆)
最初の牧場荒らしで助けられなかったあの子供達、
長門国での反乱で見殺しにした仲間、
そして……今ここで起きている反乱で犠牲にした子供達。
それら全てが鹿野戸を取り囲んでじっと見詰めている。
皆死ぬ直前の姿のまま、突き刺さるような視線を鹿野戸に向けて
言外に訴えている。
逃げるなと。戦えと。
どんなに苦しかろうと、逃避としての死すらも許さないと。
「……分かっている。今更幸せな結末など……」
そう一人呟いた時だ。
詰所の入口にある土間の向こうから、凪の声が聞こえた。
「……夜遅くすいません。先生、新坂から知らせの者が来ました」
「『山嶽王』殿は……新坂を落とせなかった、というのか……」
「……はい。『山嶽王』殿は何やら強大な魔術を使われて、
遥か遠くに吹き飛ばされた、らしいです……」
そう報告する凪も半信半疑、といった表情をしている。
「戦いの詳細は……分からないのか?」
「それが……遠目に戦いを眺めはしたとの事ですが、
『山嶽王』に衛蒼、共にその強さ、
報告に来た者の常識を超えていたらしく……」
「見ててもよく分からなかった、というのか?」
「……らしいです」
そこでいったん報告が途切れる。
鹿野戸が深く考え込んでいるのを凪が察したからだ。
凪は長門国から鹿野戸を慕って付いてきた青年である。
それからは作戦の都合で別行動をとる時はあれど、
基本的にはずっと付き従ってきた。
だから鹿野戸が深く考え込む時に見せる癖……
蜥蜴の如き尻尾が僅かな動きながらも
シュルシュルと地を這いまわるのを見逃さない。
(少し……いや、かなり難しくなったな)
新坂での一戦の結果、それを鹿野戸は良い悪いではなく難しいと判断した。
まず、勝敗が決しないだろうとは予測していた。
衛蒼の強さは以前楼京で起こした騒動で確認している。
一言でいって化け物、である。あれとまともな勝負になるのは
朝廷側では左右の近衛大将ぐらいというのが鹿野戸の衛蒼に対する評価だ。
だが……『山嶽王』も決して引けを取らない。
もう老齢だからか破壊力こそ若い頃よりも劣るとは聞くが、
その不死性は全く変わらない。
それこそあの魔術を使っている間は誰にも殺す事など出来ないだろう。
つまりは……衛蒼と『山嶽王』、共に決定打に欠けるのだ。
だからその戦いで鹿野戸が暗に望んでいたのは新坂の半壊、である。
戦いが長期化した結果衛蒼が押し切られ、新坂の破壊を許してしまう。
結果、どうにか追い返せたとしても衛蒼に朝廷への怒りが貯まる事になり、
その怒りが鹿野戸の次の計画へと繋がっていく……そういう狙いだったのだ。
だが……結局新坂に被害が及ぶ事もなく戦いは中断された。
こうなると衛蒼……つまり幕府側に
朝廷の軍勢を迎え撃つ意思があるのかよく分からない。
更に『山嶽王』の方も吹き飛ばされて戦いを中断され、
その行方はまだ知れず目下捜索中であるという。
鹿野戸の弟子でもあり『山嶽王』の曾孫……いや、玄孫だっただろうか。
とにかく、その巨人族の女性、石英が『山嶽王』を探し回っている最中だ。
……つまり、今は『山嶽王』がどういう状態か分からないのだ。
まだ戦えるのかもしれないし、もうそんな力も残ってないのかもしれない。
いっそ『山嶽王』が敗れたのならば、
すっぱりと諦めて石英と彼女に預けた子供達を戦力に数えられるのに、
今は生死不明という事でそういう計算も出来ない。
だから難しい、なのだ。
『山嶽王』が新坂を攻めてくれた事で状況は確かに動いた。
だが肝心のどう動いたのかがよく分からない。
「これは……一度俺も新坂の近くまで確認に行くしかないだろうか」
しばらく考えて出した結論がこれであった。
何をするにしろ状況をしっかり把握しておかないと拙いとの判断だ。
「……『閃刃』はどうするのですか?」
凪が恐れたのは『閃刃』の存在である。
『閃刃』の滞在する集落は国境からは近い場所にある為、
鹿野戸がこの付近から新坂に移動すれば、
当然『閃刃』への対応は遅れる事となる。
「今と同様に監視は続ける。
『閃刃』が朝廷側と接触するのは何としても避けたいからな」
あれからあの集落を攻めてこそいないものの、監視は怠っていない。
この計画の最大の不安要素が『閃刃』であるのは疑いないのだから。
「いえ……この際もう一度襲撃して殺してしまっては……!」
「無理だ。分かっている筈だ、凪。俺達では『閃刃』に勝てない。
挑むとしても『山嶽王』殿が見つかってからだ」
逸る凪を抑える。
だが今の凪はそれでも止まろうとしない。
「無理ではない筈です。今はこの長弓もあります!
この矢であれば如何に『閃刃』とて……」
「……凪。その長弓は確かに強い。
だがな……『閃刃』がその長弓の攻撃を受けた経験が無いと思うのか?」
「そ、それは……」
言い淀む凪。それも当然だ。
あの老人の戦歴は鹿野戸と凪の人生を合計した長さを更に上回る。
「当然経験はあるだろう……。
ならばその弓が放った矢とて打ち払えるかもしれない。
勿論あの歳だ、長弓の威力に押し負けるかもしれんが、
楽観的な予測を前提に動く事は出来ない」
「ですが……あの男を放置したままというのは危険過ぎます。
先生が新坂に向かうのであれば、
まずあの男への対処を決めてからにすべきです!」
鹿野戸は凪の瞳の奥に怒りの炎が燃え盛っているのを見た。
どうも……計画の為に『閃刃』を排除したいというよりも、
師である鹿野戸を傷つけられた恨み、
それに子供を一人犠牲にしながらも殺せなかったという心残りを晴らしたい、
そんな気持ちの方が大きいように思えた。
(……危険だな。こんな状態の凪を置いて新坂には行けない。
となると、何か対策を考えざるを得ないか……)
「……それならまずは『閃刃』の現状を知るべきだな。
明日にはあの集落を見張らせてる子が報告に来る筈だ。
まずはそれを聞いて……」
一旦凪を落ち着かせようとそう切り出した鹿野戸であったが、
間が良いのか悪いのか、またも土間の向こう側から声が聞こえた。
「すいません、先生……今よろしいですか?」
「大丈夫だけど……何があった?」
その子供の声には聞き覚えがあった。
……『閃刃』の滞在する集落の監視を命じていた子の一人だ。
「『閃刃』の方でちょっと動きがあったんで、
急いで報告に来ました!」
その元気な声に鹿野戸は凪を顔を見合わせる。
「丁度いい時に報告が来ましたね!」
何故か勝ち誇るように喜ぶ凪。
「……そう、だな」
一旦話を打ち切ろうと思っていた鹿野戸だが、
どうにもその機を逃したようだった。
その急報はある意味吉報であり、またある意味で凶報だった。
そしてそれを聞いた鹿野戸は、負傷を押してもう一度戦う決断をする。
その夜、関の詰所を灯す明りはただの一度も消える事は無く、
人間を救う為の密談がずっと続けられたのだった。




